【webオンリー用】ささくう纏めお題:夜更かし
とある夜のこと。
カチコミが深夜まで長引いて、その帰りのタクシーの中だった。
日付が変わるギリギリで、拙僧の眠気もギリギリで。だが長時間にも及んだバトルの興奮もあって、ちょっとおかしくなってたんだと思う。
「眠かったら寄りかかってええよ」
そういって簓がいつもより優しい声を出したのも拍車をかけた。別にそこまでして貰う必要はなかったが、何となく面白半分で寄りかかると簓の太ももに持て余した右手を置いた。つーか単純に体勢的にそっちの方が楽だったから。
「………………?」
そしたら拙僧の手に簓の手がポンと乗った。
「え? ちゃうかった?」
たりめぇだ、全然違ぇだろ。
だが拙僧は特に何も言わず、次はどうすんだ? とコイツの行動を見守る。
「………………」
重なった掌同士が不自然に擦れ、次第に指と指が絡まっていく。華奢そうに見えるがちゃんと厚みもあって骨ばった男の手が緩急つけて拙僧の手を撫でたり揉んだりする。疲れた拙僧にマッサージでもしてくれてんのかと思ったがそうじゃねぇらしい。何がしたいのか不思議に思って簓に顔を向けたら意地悪く笑い返されちまったから。
「次の信号左で」
まるで拙僧とのことなんて何でもねぇみたいに簓が言う。運ちゃんも全然気にしてねぇし。なぁそっちじゃねぇよ真っ直ぐだろ、と目で訴えたら、
「少し遠回りして帰ろ」
って耳打ちされた。
いや早く帰せよ。とも思ったが、深夜にタクシーに乗る経験もそんなにねぇし、やっぱり簓の好きにさせてやることにした。
こうなったら淋しい男の駆け引きにでもノってやるか。
……なんて。好き放題手を握られながら、偶に熱っぽい視線を感じて拙僧もそれとなく応えていく。普段はおちゃらけてる奴がまぁまぁそこそこ雄の顔してたのも興味深くて、もっと他の顔が見たくなっちまったのかもしんねぇ。じゃあ今度は拙僧の番な、とばかりに簓の肩に頭を擦り付けてみると「眠いん?」と聞かれた。
ねみぃわボケ。こちとら毎日九時に寝て四時に起きてんだよ。
ってのも言わねぇで視線だけ合わせると、あれよあれよと言う間に簓の胸に抱かれてポンポンと一定のリズムであやされる。拙僧は赤子じゃねぇっての。
「大人しくも出来るんやね」
「………………」
タクシーの揺れと背中を叩かれる心地好さでいつ眠ってもおかしくねぇのに、息を吸う度に煙草と香水のニオイを感じて目が覚める。多分今までで一番強く、一番近く。悪趣味だとは思うが不思議と嫌いじゃねぇから余計に身体が記憶していく。
「遅くなってもうたしなぁ」
絶妙なタイミングで頭を何度か撫でられ、その手が頬まで下りると包みこむようにして顔全体を持ち上げられた。数秒間、至近距離で簓と視線が重なる。あまり見ることのない瞳は今宵の月みてぇにまんまるで、きっと拙僧の魂はうっかり吸い込まれちまったんだろう。自然と瞼が下がる。
「ごめんな」
その言葉は拙僧の唇に押し当てられて消えた。
初めての夜更かしのことだった。
Fin
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お題:着脱
バンダナを外される瞬間が好きだ。
正確にはそれを外す簓を見るのが好きだ。
硬くなった結び目を引っ張る時、華奢な手の甲にボコっと骨と血管が浮き上がってちょっと意識してしまう。いつもはヘラヘラ笑っているだらしない口元が片方だけ上がり、柔らかくなった結び目に嚙みついて解していくその仕草に心が奪われる。下を向き、薄らと覗く瞳がこちらを向いて挑発してくるのもグッとくる。完全に解けたバンダナの端を持って、見せつけるようにしながらシュルシュルと剝がしていく時の得意げな表情が、堪らなく、好きだ。
「今日は一段とキツく結んでるやん」
「さっき一郎が結び直したからな」
「ふぅん。腹立つわ」
腹が立っているにしてはバンダナを丁寧にサイドテーブルに置いてくれるところとか。拙僧や一郎がどれだけそのバンダナを大切にしているのかを知っているからこそ、だ。
「ほな、先風呂入ってき」
「ん」
拙僧の指を親指でスリスリと撫で、そして、そのまま手の甲にキス。
どこの王子と姫様だっての。生憎拙僧はそんなガラじゃねぇし、じゃじゃ馬だから手綱なんて握らせやしねぇのに。それでも心臓は煩いし触れられた手の甲は熱い。早く風呂を済ませて、だけど隅々まで清めて、それで、後は……。
荒行をこなしていても煩悩に眩むことはある。それは拙僧がまだ未熟なことを物語っているわけだが、当時はまさか人と人が、ましてや拙僧がこんなことをするなんて考えていなかったからで。それにこの色欲には抗う必要がないのではないか。そうとすら思う始末で。
「行かへんの?」
左馬刻の事務所を出て一郎と明日の為に今日という日を別ち、そして簓の家で「Naughty Busters」の証を剝がされて〝波羅夷空却〟という一人の人間の性を剝き出しにされる。それが酷く心地好くていつの間にか抜け出せなくなっていた。
拙僧の命は相棒である一郎と共にあるが、心と身体は簓にくれてやっても良い。否、もうくれてやっている。
「どしたん?」
跪いていた身体を起こして簓が奇抜な色のネクタイを緩めた。拙僧には解かせてくれないのがちょっとだけ悔しくて、薄っぺらい胸板目掛けて抱き着いてやる。大人は狡い。
「一緒に入ろか」
「……ん」
そしてガキもまた、小賢しい。
***
アラームの音と共に意識が呼び戻される。夢は覚えていない。途中何度か隣で寝ている空却の寝返りに巻き込まれて起こされたけど、まぁそれなりに眠れたように思う。
「よぉ、やっと起きたか?」
「……アラーム通りなんやけど」
だけど少し自信がなくて握ったままのスマホをタップする。時刻は七時。時間通りだ。
「起きたんなら朝飯買いに行こうぜ! 冷蔵庫すっからかんじゃねぇか」
「んー、財布渡すから適当に買うてきて」
「一万円くらい入れとけよ」
「なんでやねん」
そういって散らばったままの衣類から財布を探し始めた。派手な色のタンクトップから尻たぶが覗いて目の毒すぎる。修行だか趣味だかで鍛えているお陰で筋肉の形がよく分かってしまうのも良くない。子供なのだからもっと丸々していても良いのに。
「先服着たら好きなだけ入れたるわ」
「おっ、マジか」
朝から一体何を買うつもりなのかは知らないが、嬉々として自分の服を集め出した空却に溜息を一つ。
「お前の服持ってきて、俺の方……ここ、せや」
そしてベッドにほぼ裸な空却と昨晩ひん剥いた服を並べ、今度は着させてやる。ヨレはじめたボクサーパンツと、毛羽立ちが目立つ黒いズボンと確実に高価であろう数珠。朝飯がかかっているからか大人しくされるがままで現金なやつ。
「スカジャンいる?」
「着てく」
「おん」
ちゃっかり腕まで広げて「着せてくれ」と強請り始める始末で。可愛いから着せてやるけども。
「財布……ズボンの方やったっけ……」
漸く布団から足を出してベッドの脇にあるズボンを手繰り寄せる。記憶は当てにならないもので、ジャケットと共に転がり落ちていた。
「おい、ついでにバンダナ」
「簓さんはバンダナじゃありません」
「寄越せ」
「もー……ほい」
「サンキュー」
「ん……」
空却がバンダナをつける瞬間が好きだ。
正確にはそれをつける空却を見るのが好きだ。
端と端を器用に持ってクルクルと巻いていく。猫のように吊り上がった大きな目がちょっとだけ細くなって険しくて、それが可愛い。ゴツさの中にも子供のあどけなさを残した手の甲からぷっくり骨が浮いて、肌が白いから血管の青もよく見える。一度結んだ箇所を器用に押さえる指先だとか、昨晩さんざん汚された口で二度目の方結びを仕上げる仕草とか。罪悪感と優越感がぐしゃぐしゃに混じって、生を感じる。それに、肝心のバンダナだけは絶対に着けさせてくれないところとか、特に、好き。
「つけた?」
「おう」
波羅夷空却という一人の人間から〝Naughty Busters〟の空却に変わる瞬間が、堪らなく好きだ。
この瞬間からもう空却は俺だけのものではなくて、一郎の相棒で。俺も左馬刻の相棒で。変かもしれないけれど、俺がメイクアップして人の元へ送り出している感じが好きなのかもしれない。
「あーーーー! 財布すっからかんやん!」
「はぁ!?」
「おろさなあかんから俺も行くわ。ちょお待っとって」
「んだよ、さっさとしろよ」
だけどやっぱりちょっと悔しいから、嘘を吐いて隣に並ぼうと思う。大人は狡いから。
Fin
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※こちらはワンドロお題ではないです
『白昼』
「ッ、おい……これ以上はヤメ、ろ」
「なんで〜? ええやん、大丈夫やって」
「大丈夫じゃねぇから言ってんだろうが!」
「静かにせんとバレてまうで」
「……クソッ。後でぜってぇぶっ飛ばす」
「んふふ、ええよ。なぁ、吸うてええ?」
オオサカ市内の路地裏に怪しげな人影が二つ。
嫌がる少年にかぶさるようにして男がクツクツと笑っている。建物の影になっていて光は差し込まないものの薄らと赤と緑が揺れ動き、わざわざ足を止めて目を凝らさなければ二人の存在には気が付かないだろう。外はまだ明るく、人通りも多い。小さな子供がいる親子連れも、学校終わりの学生も、主婦もサラリーマンも。色んな人間が直ぐそこを目先の賑やかしに目を奪われながら歩いている。
「さ、ぁら…も、いーかげんに……」
「なぁ、呼吸荒いのなんでなん? マスクしとらんのに」
「ちっくしょ、マジでぜってぇ許さねぇ」
「はよお前も飛ばしぃや」
り、せ、い。
尚も抵抗を続ける少年に向けて煙を吹きかけるとぱっくりあいた耳たぶをピアスこどべろりと舐めた。畳み掛けるようにして意地悪く囁いてやれば「クソッ」と弱々しい暴言が漏れる。
耳に残る艶めいた息遣いも水音も、懐かしさを帯びた煙草の匂いでさえ活気のある街は隠してくれる。名の知れた二人が。路地裏でこんなことをしているなんて、この世で誰一人として知る由もない。
***
遡ること一時間。
この日は待ちに待った空却とのデートの日だった。前回会ったのは一ヶ月前で、今日までスマホで数回のやり取りのみ。甘い言葉も快楽の共有もなく、ただ淡々といつ、どこで、何時に待ち合わせ、と連絡事項のみを送り合うだけの日々。
これが寂しいかと聞かれたら案外そうでもなく、それは互いにいつもどこかしらから噂を聞くし、空却に至っては簓の顔も声もテレビやラジオ越しから確認しているので益々必要がないのだろう。空却は修行だなんだと山籠りが多く、そもそも元々そこまでマメな方でもない。簓も空却もどちらかといえばチームメンバーとの連絡の方が多いくらいだった。
そうかといって冷め切っているわけではないので、約一ヶ月ぶりに会えるこの日を簓は非常に楽しみにしていたし、それはきっと空却も同じだろう。……と思いたい。
『久しぶり、元気にしとった?』
『おー、テメェも相変わらずそうだな』
なんて他愛のないやり取りをして、まだあどけなさの残る可愛い顔を笑顔にしたり、ちょっと揶揄って怒らせたり……。無表情含め自分にだけ向けてくれる愛らしい表情をたっぷり堪能するのが最初の大イベントでもあった。
そして嬉々として待ち合わせのシンオオサカ駅に着いた時、簓は恋人の異変に大いに戸惑ってしまったのだ。
「…………え、えーとどちらさん?」
「あ? 拙僧だ拙僧」
「あ、さよか……」
簓はホッと胸を撫で下ろすともう一度目の前の恋人を訝しげに見つめた。服装こそいつも遊びにくるようなラフな格好をしているし、前回買ってやったお揃いのスニーカーも履いてくれている(可愛い)。けれど特徴でもあるピアスだらけの耳や赤髪はハットで隠れ、簓にとって目の保養でもある派手な顔や肌触りの良い陶器のような白い肌ですら大きめのマスクで覆われていた。とはいえ全身から全く隠す気のない「拙僧が波羅夷空却だ」というオーラが出ていたので、益々何で? と面食らってしまったわけだ。隠したいのか隠したくないのかサッパリ分からない。
「………………」
「ンだよ」
「や、えーっと……え、空却やんな?」
「さっきも言っただろうが。耳も閉じてんのかぁ?」
何より、カラカラに飢えた心を空却の百面相で一気に満たすという一大イベントを潰されたショックは大きい。目とか耳どころか心が閉じそうだ。
砂漠の遭難者よろしくカラカラに干からびそうな簓を差し置き、空却は全く気にもせず笑顔(見えていないが声色からして笑顔だ)を浮かべているのがまた何とも言えない気持ちにさせた。
「なんや……今日はえらい重装備やんか。どないしたん?」
「あ? 一郎がテメェに会う時はせめて首から上隠せってうるせぇからよぉ。仕方なくだ、仕方なく」
「ほぉん……別にそんなん気にせんとええのに」
一言目には一郎。二言目にも一郎。三言目は父親である灼空かナゴヤのメンバー。もう一ターンくらい一郎を挟み、漸く最後の方で自分の番が回ってくるのはいつものこと。特に一郎と仲直りをした後は何かと顕著で、恋人を前に浮かれきった気持ちがしゅるしゅると萎んでいったものだ。そんな不毛なやり取りも何度か繰り返されたら「まぁ昔からこんなんやったわ」と折り合いがつけられるようにもなり、言い合いもラップバトルもすることなく平和に過ごせているのだが。何より七つも下の子供に嫉妬丸出しで機嫌を損ねるなんて惨めな姿は晒したくない。……いや、とっくにバレてはいるのだが何だか居た堪れない。空却の前ではまだまだあの頃の自分のようにカッコつけていたいお年頃なのだ。
簓はモヤつく心を咳払いと共に散らすと「で?」と促した。
「テメェ、つまんなくても芸人なんだろ?」
「……簓さんの漫才に刺さらんのはお前と一郎くらいやで」
「ぁあ? それほぼつまんねーってことじゃねぇか」
「世界に一郎とお前しかおらん前提なん?」
これが左馬刻なら「まぁ悪くはねぇな」と言ってくれるのに、相変わらずこの後輩二人はそこらのアンチよりも大分酷い。一郎に至ってはそこにマジトーンの正論をぶっ込んでくるのでタチが悪いのだ。
「ばーか。ンなもんどうだって良いんだよ。テメェがクソみてぇなハイエナ共に狙われっから拙僧がちゃんとしろって一郎に言われてんだわ」
「なんやそれ」
つまりはアレか。
二人とも変装なしで堂々デートなんてしていたら週刊誌のゴシップネタにされるだろう、という一郎なりの心配ということか。その優しさは有難いが、そうしなくても良いように今までコツコツと積み重ねてきたものがあるわけで。空却も気付いていると思ったがそうではなかったらしい。
まぁでも一郎の言うことも一理あるし、空却が「確かにそうだ」と納得しているのならばこの気持ちも無下にしたくない。けれど、それはそうとして待ち焦がれていた空却の表情を見られないのはやっぱり寂しい。
「ちゅーてもなぁ……」
何だか遣る瀬無い。だけどデートは楽しみたい。モヤモヤする心を無理矢理にでも上げるべく、空却の頬に手を伸ばすとマスクの紐に指を掛けて遊び始めた。吐息で熱が籠るのかいつもよりも明らかに体温が高い。
「だからってやり過ぎとちゃう? 自分汗掻いとるやん」
「ハッ、世の大人ってのは頼りになんねぇからよぉ。拙僧がしっかりしてやってんだ。有難く思えっての」
「いやいや、いくら何でも一郎の言うこと守り過ぎやって……。俺が言うたら数秒も待たずしてそんなん外すやんか。なんなら最初からつけへんもん」
「そりゃそーだろうが。誰がテメェの言うことなんざ聞くかよ」
「なんでやねん。一周回って素直すぎやで自分」
簓が諦め気味に肩を落とすと空却がゲラゲラと笑った。いやだからなんでやねん。そんな嘆きにも似たツッコミがすぐそこまで出かけたが、それを言葉にしたところで華麗にスルーされるのがオチだ。ついでにさり気なく手を払いのけられてしまい、行き場をなくした左手でポリポリと頭を掻いた。
「ほんで? 俺ら今までぎょーさんデートしとったけど、一回でも撮られたことあった?」
「ねぇ」
「なら別にそんなんせぇへんでもええやん。可愛いお顔が台無しやんかぁ~! なんでやなんでやなんでや!」
「きめぇ」
「ガーン」
相変わらずの塩対応っぷりはいつものことで。それこそ左馬刻や一郎と四人で一緒にいる時はここまで酷い扱いはされないのだが、どうにも二人きりになると風当たりがきつくなる。だけどそれは空却なりの愛情表現でもあり、まぁ言ってしまえばツンがかなり多めのツンツンツンデレというやつなのだ。大イベントを潰された今、その塩っぷりに安心してしまっているので大分ヤバイかもしれない。
(結局のところ俺のこと心配してのコレやんな? 汗まで掻いてめっちゃかわええとこあるやん。あかん……なはは、こんなんニヤけてまうわ)
空却から紡がれる言葉の殆どが理不尽で、肝心な言葉こそ少ない。だから油断しているとうっかり見落としてしまうので気を付けなければならないのだが……今回のは一等分かりやすかった。
(どうせ一郎のことやから変装もんのラノベにでもハマっとるんやろな。ま、知らんけど)
空却の背後にチラつく巨大な番犬にシッシと手を振り、漸く簓が足を進めた。
「まぁ……ここで突っ立っとってもアレやし、とっとと行こか」
「おー!」
待ち合わせから数分。汗だくの空却を引き連れ乗り換え先の路線へと向かう。平日の日中ではあるが、旅行客やビジネスマンの利用でそこそこの人通りがある。確かにこの地で変装の「へ」の字もない簓は目立つ。通り過ぎる人から「あ、ぬるさらや」と言われることも多い。だがしかし、今日に限って言えば、変装していない簓よりも中途半端に変装をキメている空却の方が目立っている気がするのだ。
『え、隣誰? 彼女?』
『彼女にしてはガラ悪ない? ガニ股すぎるやろ』
『でもぬるさらってガラ悪い男大好き芸人やんかぁ』
『ウケる、それもう隣男やん』
(ってなんやそれ!)
そんな面白いトーク回なら喜んで参加したい。空却の他に身近にガラの悪い男が二人いるのであながち間違いではないのだし、寧ろ適任だ。
いやいや、今はそんなことどうだって良くて、ほら見たことか、逆に目立っとるやん! と、いつまで経っても生意気なガキ共二人に詰め寄ってやりたいくらいだ。
簓も空却も男同士なのだから変に隠すと余計に目立ってしまう。それに自分達は何もやましいことをしているわけではない。ちゃんと告白をして双方合意のもとお付き合いを始めているし、空厳寺にも遊びに行っているし、空却の父親である灼空にも(まだ友達としてではあるが)挨拶も済ませている。……いや、年齢を持ち出されたら危ういところではあるけれど。まぁそれは一旦置いといて、つまりこれも簓の戦術で、自分達が男同士なのを利用して気の合うダチと食べ歩いたり遊んだりしているだけですが何か? くらいの強気でデートに臨んでいるのだ。
(木を隠すんは森ゆうてな……せやけど片方が目立ってもうたら成立せぇへん)
神経を背後に集中させ、隙をついて振り返る。先程の女が柱の影にサッと隠れるのが見えた。
(こういうん、ブクロ時代の経験が役に立っとるんよなぁ……左馬刻には大感謝やで)
「おい、簓。テメェさっきから変だぞ」
「はぁ? 今日のお前にだけは言われたないわ」
「つーかよぉ。食い歩きは後で良いから先にどっか入ろうぜ」
「えっ!? ちょっ、お前積極的すぎひん!? まだ会って数分やん!」
いつもならブラブラ食べ歩きして、適当に遊んで腹が空いたところでガッツり食べて、日帰りの時はシンオオサカ駅まで送るし、泊まる時は簓の家までお持ち帰りするし。その時に色々とアレやコレやがあるわけで、今まで会って数分で求められるなんてことがなかったので心の準備が追い付かない。喜びながらアワアワと焦る簓に何かを察したのか、空却は「ちげぇよバカ」とそれもう、かなり引き気味に言った。
「あっちぃんだよ! アイツは眼鏡もかけろとかどーの言ってたが無理に決まってんだろーが!」
「せやから取ったらええやんって言うたやんか」
立ち止まって地団太を踏みつつ、それでも取ろうとしない空却に簓はどうしたものかと首を捻り、そして「あること」を思いついた。
それこそシンプルな話で、そんなにバレるのが心配ならば、もう一層のことその心配を消し去ってしまえば良いのだ。
「なぁなぁ空却」
「ァア?」
「さっきからお前のその可愛い顔を隠しとるから悪目立ちしとんねん」
「あ? ンな訳ねぇだろ」
「いやいや、あるんやって。俺の斜め後ろの柱の陰に隠れとる姉ちゃん見てみぃ? 俺の隣におるお前が誰かって気になってさっきから覗いてんねん。ちょぉ、じっとしててな?」
いつもはこんなことあらへんのにな~? なんでやろ~? そう付け足しながらそっと空却の両耳に手をかけた。先程は振り払われたものの余程暑いのか、抵抗せずに簓の次の行動をジッと待っている。まるで唇が重なるのを期待しているかのような空却の大人しさに簓の方こそ体温が急上昇してしまう。こんな街中で、こんな至近距離で、今まで空却を感じたことはなかったから。
(……あかん、かも)
さり気なく触れた頬は既に薄らと汗が滲んでいる。どこからマスクをつけて来たのかは知らないが、こんなになるまで辛抱してくれているのは悪い気がしない。いつもであれば「これは修行」だと言って苦しみや辛ささえ糧にしてしまうのに、今回はそうではなかった。一郎に言われたとはいえ「簓のため」にわざわざ我慢してくれているのだ。
その意地らしさと不器用な愛情表現が堪らなく愛おしい。頭の中では「まだ」我慢しなければと分かっているのについつい煩悩に呑み込まれそうになってしまう。ゴクリと音を立てて唾を飲み込むと、上手く気持ちを切り替えて笑顔を張り付けながら言った。
「あは。ねっちゅーしょー手前やん」
「…………つまんねーんだよ」
「え~、バレてもうたぁ?」
パッと空気を変えた簓が不満だったらしく、空却が不機嫌丸出しで吐き捨てる。熱のせいか、雰囲気の所為か、危うく思考が飛びかけた空却もまた何かを期待していたのかもしれない。
(かわい……猫ちゃんやん。ほんまにしたら怒られるんかな)
とはいえ、二人の関係を覗き見ようと隠れている背後の女からは角度的にも既に〝そう〟見えているのだろう。わざわざキスしているように見える位置を狙ったのだから、彼女達には盛り上がって貰わないとつまらない。
「外すで」
「ヤんならとっととしろ」
「おん」
ピアスはもうとっくに安定しているのだと分かっていてもトラガスと違って引っ掛かりやすい。ピアスに当たらないよう慎重に、湿った肌に指を滑らせながらマスクの紐を外してやった。
「ほら、スッキリしたんとちゃう?」
「ん」
赤く上気した頬に湿気でいつもより潤んだ唇。キスをするなら間違いなく「今」が食べ頃だ。
「ならコレももうええな?」
「ッチ。一郎にクドクド言われたらテメェの所為だからな」
「そんなんで言われへんて。ほな、これは俺がもらったろ」
「あ、おい! ……ッ!?」
空却の頭からひょいとハットを取り上げ、そのまま簓が被る。余程体温が籠っていたのか、被った瞬間思わず「あっつ」と声が漏れた程で。空却も空却で、帽子を取られたことよりも人目のある場所で唇を奪われたことの方が衝撃だったらしく、目をパチクリさせている。正直上手くいくか分からなかったが、何とかなったようで内心胸を撫で下ろした。しくったらカッコ悪いどころか「何しやがる」なんてボコボコに殴られていたかもしれない。
「あっ。姉ちゃん達どぉ?」
空却の気が変わらないうちに簓が問いかけ、その囁きでハッと我に変えると空却もまた声を顰めて言う。
「……ねーちゃん達は爆笑しながら去ってったぜ」
「ほら言うたやん」
「あ?」
「どうせ『イブモンやん、隠れて損した~』とか『いつものやん』とか言うてると思うわ」
「はぁ?」
いまいち理解しきれない空却に向き直り、簓がやれやれと溜息を吐く。自分のことになると途端に鈍くなるのは困りものだが、そういう所も引っ括めて可愛いと思ってしまうのだから大分重症だ。簓はポケットから扇子を取り出すと空却に渡してやった。所謂「自分の大切なアイテムを持っている恋人はなんぼおってもええですからね」というやつだろうか。簓は満足そうな表情を浮かべ、パタパタと仰ぎ始めた空却を見つめた。
「大体、いつもせぇへんことをすると逆に目立つやんか。俺らは今まで変装もなんもせんとデートしとったけど、一度も撮られんかったやろ? それどころかネットでも話題にならへんし」
「おう」
「つまり皆は俺らを『カップル』やなくて『ダチ』と思ってんねん」
まぁ、それはそうだ。世の中がいくらその手の恋愛に明るくなったとはいえ、まだまだ少数派なわけで。何より、簓と空却が一緒にいると仲睦まじい姿というよりも仲の良い先輩後輩にしか見えないのだから。それに簓の戦術により、ワーワーギャーギャー燥ぎながらオオサカの街を練り歩く姿は最早定番化していて、ネタにすらならない。偶にSNSで目撃情報が上がるくらいで、それも二人を晒しているというよりは「会えてラッキー」的な意味合いが殆どだ。
「んじゃ最初っから拙僧はンな窮屈な思いしなくても良かったってことか?」
「だからそう言ったやん」
「もっと早く言えよボケ!」
「アダーッ!」
お尻に強烈なキックを食らって思わず目から涙が滲んだ。確か出会って早々言ってやった気もするが、この僧侶には言葉が足らなかったのかもしれない。悔しさのあまり思わず反論しそうになったが、空却の理解力を見誤った簓にも落ち度があるのでこれ以上言っても経験上良い結果は生まれず。だったら面白い話題にすり替えて鬱憤を晴らせば済む話で、そうなるとこれはもう簓の十八番だ。
「ったく、相変わらず人の話聞かへんやっちゃな」
「テメェもだろーが」
どの口が言っているんだ、どの口が。簓がムッと下唇を突き出しながら、こちらも同様に不服そうな顔をしている空却の腰を思い切り引き寄せた……が、失敗に終わる。日々修行に励んでいる僧侶の体幹がしっかりしている所為で寧ろ簓の方がヨロヨロと近付く羽目になってしまった。
「いてーな」
「すまんすまん」
どさくさに紛れて手は腰に添えたまま。それでも、この二人の姿を見慣れた人達は「またぬるさらとイブモンが仲良く遊んどる」くらいの感覚でいるのだろう。自分が築き上げてきた結果なのに、今はそれが少しだけ歯痒い。
「なぁ、空却」
「あ?」
雑踏に消されないギリギリの声音で名を呼び、簓が足を止めるとそれに釣られて空却の足もピタリと止まった。腰を抱いていたお陰で、穴だらけの耳が直ぐそこにあるのは都合が良い。簓はそっと唇を近付けるといつもよりも大分低めの声で空却に命じる。ブクロ時代に悪い奴を何人も震えさせた時のように。
「ちゅーわけで、皆に俺らの関係分からせたろうや。な? ええよな、空却?」
漸く平熱に戻った空却の耳元が再び熱を帯びて一気に赤くなる。普段いくら暴言ばかり吐かれても、殴られても蹴られても、こんなウブな反応をされてしまえば何だって許したくなってしまうものだ。
***
「……ちけぇ」
「ええやんええやん」
どこまで見せつけてやろうか。
ラッキースケベのような状況で不良僧侶にやりたい放題な大人が一人。こんなことをしていざ話題になった時のリスクはそれなりに……いや、かなり大きいが、好奇心と面白さにはどうにも勝てなかった。
「だって今日はそういう日やんかぁ」
そう付け足すとご機嫌顔で空却の腰に腕を回した。最初こそ一大イベントを潰されて複雑な気持ちでいたものの、何だかんだこうしてデートらしいデートにありつけたので結果オーライだ。もちろん今まで通りでも全く問題はなかったのだが、耳を真っ赤にして照れたり怒ったり(はいつものことか)する空却を間近で見られるのは気分が良い。それもこれも、怪しまれないようダチの雰囲気を壊さずに積み重ねた賜物だ。
何より、ちょっとしたゲーム感覚でよく知った街を練り歩くのも刺激的で面白い。キラキラしている場所も汚くて薄暗い場所も今日は見え方がまるで違う。
さり気なく肉付きの良い空却の腰を撫で回しながら「はて、今日は何にしようか」と辺りを見渡した。たこ焼きは前回食べたし、かすうどんも食べた。オススメの店は沢山あるが、料理で言えばどうしても偏りがある。幸い何を食べても「うめぇ!」と喜んでくれるから良いものの、デート同様偶には変化球も与えたい。……が、結局目ぼしい店は見つけられずに、「空却何食う?」と主導権を委ねることにした。
「拙僧アレ食いてえ」
「ってまたたこ焼きかい! まぁでも……それもええな。ほな、塩分補給といこか」
そう言って空却が得意気に指差したたこ焼き屋に視線を移す。あれは前々回食べたたこ焼き屋で、確かに「また食いてぇ」と言っていた店だ。
「んだよ」
「なぁなぁ。簓さんがなんでも買うたる代わりにアツアツたこ焼きアーンして欲しいねんけど」
「断る!」
「はや……」
前の時はそれぞれ購入して熱いだの美味いだのソースが違うだの言いながら食べたが、簓は少し考えるとならばシェアならどうだ? と提案をした。
「しぇあだぁ?」
「せやねん。たこ焼きを二人で仲良う半分こすんねん。半分こ言うても空却が多く食べてええよ」
「はぁ? 十四みてぇなこと言いやがって」
「ええやんかぁ。そっちのが恋人ぉて感じのデートやし。手始めにサクっと丸っと見せたろやないかい、たこ焼きだけに」
「……クソッ、わぁーったよ」
えっ、いやいやちょろすぎん? 派手顔のヤンキーはアホしかおらんの? なんて失礼な言葉が次から次へと巡ってしまう程には今日の空却は聞き分けが良い。一郎効果なのだとしたら少々複雑だが、まぁこれも今更か。簓は溜息を一つ落とすとすぐに気を取り直して注文を始めた。
「おっちゃん、たこ焼き六個入り一つ」
「まいど、おおきに」
「あっ、おっちゃん。俺らな、コイツがどぉ〜してもおっちゃんのたこ焼き食いたい言うてわざわざ寄ってん」
「うぉっ!? 危ねぇだろうが、急に引っ張んな!」
「……おん? ってイブモンやん」
空却の顔を見るなり、店主が「なんや、また来てくれたんー?」と嬉しそうな表情を浮かべた。ここの店主はわりかし無愛想で有名なのだが、日々様々な人間を相手にしている僧侶なだけあって、空却は人の心を掴むのが上手いらしい。どうやら前来た時のことも覚えていたようで、まるで孫でも見るかのような表情で空却にたこ焼きを渡してきた。
「いや、頼んだんも金払ったんも俺やし」
「ンな小せぇことどーだって良いだろうが」
「そらまぁ、そうやねんけどぉ。あ、水はそこな」
「わ~ってるっての」
小さな違和感と優越感、それから嫉妬心が心をぐるりと一周回る。そんな複雑な簓心なんて気にもせず、空却は早々にたこ焼きを受け取ると店外の椅子に腰を掛けてこちらに視線を向けていた。あれは確実に「早く食いてぇからとっとと来い」と急かしている顔だ。溜息を一つ落とし、簓も隣に腰を下ろした。
「ほらよ」
「え?」
え?
えッ!?
そう言って空却がズイと目の前に差し出してきたのは正真正銘たこ焼きで、あまりのことに思わず硬直する。だってこれは夢にまで(?)見た恋人っぽいやり取りトップテンに入る「あ〜ん」ではないか。え、でもあの空却が? 店先で? さっきは秒で断ると言い切ったあの空却が? 家にいても「あーん」なんて一度もしてくれたことなかったのに? しかも最初の一口を!?
「食わねーんならせっそ……」
「食べるて!」
「うおっ」
戸惑う簓に気まずくなったのか空却が箸を引っ込めようとした瞬間、簓が勢い良く食いついた。どうせ初めての「あーん」ならもっと甘い雰囲気で食らいつきたかったのだが、この僧侶が待てないタイプなのを失念していた。
(まぁええか……)
生きていればもう一度くらいチャンスはあるかもしれないし。嬉しさ半分後悔半分で熱々のたこ焼きを咀嚼する。どうせなら今のこそ自撮りしてSNSにアップでもしたら面白かったのに、勿体ないことをしてしまった。
「んじゃ後は全部拙僧のな」
「おん……え?」
いや割合事故ってるだろ、と言ってやりたいくらいだが、今日のたこ焼きは今まで食べたどのたこ焼きよりも美味かったので良しとする。ああなるほど、これが美人にお酌してもらった酒は美味いというやつなのか。知らんけど。
「ふぇ? ふぉーふぁんふぁ?」
「なんて?」
「だぁから、どうなんだって聞いてんだよ」
「あでっ。叩くことやいやんか……ったく、お前はほんまに……」
酒場のジジイよろしく隣のかわい子ちゃんの手を握ろうとしたら案の定叩かれた。ガサツではあるが基本的に育ちが良いので、食べている時に手を塞がれると邪魔になって嫌なのだそうだ。まぁそれもそうか、すまん。と自分の非を認めると、今度は太ももに手を置いた。
「んー。こうやって歩いとるだけだと限定的やん?」
「おー」
「せやからSNS使うて俺らの行動見せんねん……見せるつってもリアルタイムやないで? それは流石に危険やし、折角のデート邪魔されたないしな」
そう言って簓は自身のアカウントから慣れた手つきでひょいひょいとスクロールをした。
「例えばこうして写真はっつけて……何気ない感じで投稿するやん?」
どさくさに紛れて簓が空却の肩に顎を乗せる。簓の粘り勝ちか、スイスイ動く親指に気を取られているのか珍しく文句はない。
「ほーん。で、それ他の奴らは楽しいのか?」
「知らん。でもファンは何の写真かな? ってよう見るやんか。そこに空却が映り込んでたり、逆にお前の投稿で俺が映り込んでたりしたらそれっぽくておもろない? って話や」
「そうかぁ? まっ、なんだって良いけどよぉ、だったらさっさと次行こうぜ。善は急げってなぁ!」
「あっ、ちょ、待てって」
最後の一つを勢いよく放り込み、「ごちそーさん」と言いながら空却が空の容器をゴミ箱に捨てた。簓だけでなく、たこ焼き屋の店主にもお礼が言える礼儀の良さに毎度感心し、簓も慌ててそれに続く。
「なぁ〜? アテあるん?」
「あー? あー……ぱんけぇきだかなんだか」
「はぇ!? お、お前からパンケーキて……」
「拙僧じゃねーよ。獄が言ってたんだっての。寂雷と『ぱんけーき』だか『すとろべりぃしぇいく』だか食ったって自慢してたぜ。それにそういう店のが映え? んだろ?」
「そりゃそうやけど……あかん、情報量が多すぎておもろすぎる」
オッサン二人で何しとん。だよな、拙僧もそう思う。なんて笑いあい「はて、だったらどこに行こう?」と思考を巡らす。流行りの店に行っても行列は怠いし、流石にあまりにも狙い過ぎていて逆につまらない。パンケーキのような流行り物があって、自然に匂わせられる場所……。
「うーん……ほなら、あそこ行こか」
「ん」
まぁあまり悩んでも仕方ないし、と簓が歩き出す。目指す場所は大好きなクリームソーダと相方や仲間のオッサンが美味い! と太鼓判を押すプリンと珈琲があるいつもの喫茶店。昔ながらの店なのでパンケーキだってある。バナナジュースやミックスジュースはあるが、ストロベリーシェイクは……残念ながら多分ない。
今いる場所からいつもの喫茶店までは歩いて二十分そこそこといったところか。近くはないが、遠くもない。一人で歩くには退屈な距離感で、だけど今日は隣に空却がいる。折角なら手でも繋いでこれ見よがしに練り歩いてやろうか。いや、やらせっぽいか。熱愛匂わせどころか「ドッキリですか?」なんて言われる可能性大だ。視線をそっと隣に移せば、何だか楽しいのかいつもよりご機嫌な空却の横顔が映る。それにしても左馬刻といい、何を食べたらそんなに睫毛が育つのだろう。瞬きの度に睫毛の影が上下に動き、思わず見とれてしまう。
「ほらよ」
「え、なに?」
あまりにも見過ぎていた所為か、またまた空却が何かを察したらしい。「ん」と肘で簓の腕を突いてきた。
「組みてぇんだろ? 今日だけは良いぜ」
「エッ!? ええの!?」
「おう」
そう言って空却がニカっと笑う。いや可愛すぎか。だけどやはり根は男なので、簓の腕を組むという考えはないらしい。申し訳程度に若干のスペースを作り簓の手が添えられるのを待ってくれている。些細なプライドの問題ではあるが、なんか嫌だ。けれど早くしないと「やっぱやめた」と気が変わってしまうだろう。
(お、思てたんと違う……せやけど空却からの合法イチャイチャチャンスを断るわけにもいかへんし……)
空却か些細なプライドか。そう問われたら空却に軍配が上がるのは当然のこと。ほな失礼します、と謎に敬語になりつつそっと空却の腕に手を引っ掛ける。散々悩んだくせに、いざ腕を組んでしまえば流れに乗れてしまうタイプらしい。それっぽく掌にギュッと力を込めたら「ンな力入れなくたってずり落ちねぇよ」と隙間を埋められてしまった。男前が過ぎる。
「恥ずかしないの?」
「ぁあ? なんでだよ」
「いや……お前がええなら構わへんけど」
だから腕を差し出してくれたのだろうが、理想は逆だ、逆。自分がスマートにエスコートしたい。だが、簓の提案に無駄にスイッチが入ったのかサービス精神旺盛になった空却を止める術はなく、それとなく手を外すために古びた煙草屋に立ち寄ると思惑通りそっと手を外した。
「おばちゃん三九番一つとライター頂戴」
「はいよ」
煙草を買うのは大分久しいし、別に煙草が欲しかった訳では決してないのだが……。ここで空却に視線をやれば「ほら」とまた腕を差し出されてしまうのが分かっていても、本能的に視線が彼へと向いてしまう。最早「空却を一秒でも長く見ていたい」という使命感すらある。
「ん」
「……おん」
そうして案の定差し出された腕に再びそっと手を引っ掛けた。きっとこういうのは最初が肝心で、早く言っておかないとこのスタイルで定着してしまう。とはいえ、「この男、シレッと腕を組ませているが、もう数えきれない程隣の男に抱かれている」みたいなのも中々に面白い。コレはコレでギャップというものなのだろうか、と簓が思考を巡らせていると不意に空却から話しかけられた。
「つーか禁煙してたんじゃねぇの?」
「ん? んー、しとるよ?」
「んじゃ何でそんなん買ってんだよ」
「え〜? 気になるぅ〜?」
「うぜ……」
そう言って空却は盛大に顔を顰めた。グシャグシャになっても綺麗な顔は綺麗な顔のままで。お笑いをやっている簓からしてみれば綺麗やカッコいいよりも面白い方を取ってしまいがちなので、決して羨ましくはないが……。そういえば昔皆で変顔をした時に、空却を見て左馬刻や一郎が「ヤベェ」とゲラゲラ笑っている中で簓だけが「そんなお顔も出来るん? かわええやん……」と思っていたので、今回のコレも盲目的なアレかもしれない。
「おい」
「ん? あ、そやね、コイツね」
突然黙り込んだ簓に空却がやっぱおかしいぞ、と言う。どちらかといえばおかしいのは半端な変装を決めてきた空却で、自分はそれに巻き込まれている側ではあるのだが。今だってスマホを取り出して腕を組んでいる自分達の影なんかを撮っているし。いつの間にそんなエモいことを覚えたのだ? と聞けば「前に十四が無駄に自分の影撮ってた」と返ってくる。まぁ影も黒いもんな、なんてビジュアル系にかけてはみたがその行動心理はサッパリ分からなかった。薄々感じてはいたが、ナゴヤのメンバーもかなり独特だ。
「……ああ、ほんで、これから行くとこな? 俺らが三人でよう行く場所やねん」
「ぁあ? テメェらもオッサンらでぱんけーき食ってんのかぁ?」
「ちゃうて……俺はクリソ、盧笙はプリン、零は珈琲や」
「似たようなもんじゃねぇか」
「全然ちゃうやん、俺らのイメージにぴったりやんか」
いやでも待てよ。十代からしてみたら二十代後半も三十代も変わらないのかもしれない……。ふとそんな疑惑が浮かんだが最後、これ以上は無駄に傷付きそうなので早々に話題を戻した。
「そこの店、今時珍しく分煙してへんねん。紙タバコもオーケーやし。せやから、偶には昔思い出して吸うたろーなんて」
「ふぅん」
「止めへんの?」
「あ? なんでわざわざ拙僧が止めねぇといけねぇんだよ。あん時も散々臭えつってんのに止めなかったのはどこのどいつだっての」
「ここの俺やけども。いやいや、愛しい簓さんの健康が心配〜とかあってもええんちゃう?」
「吸うも吸わぬもテメェの意思ってな。今更いちいち拙僧に求めてくんじゃねぇよ」
「……それもそやな」
いや本当に全くもってその通りではあるのだが、改めて言葉で返されるといつものことながら切ない気分になってしまう。今日は、今までの流れで僅かに期待してしまっていたから特にそう感じたのかもしれない。
あからさまにしょんぼりした簓に視線を移すや否や「だらしねぇな」と吐き捨て、「で、ここか?」と喫茶店をクイと指差した。
「せやねん。ちょ~っと煙いかもしれへんけど堪忍な」
「はっ。それも今更だっての」
扉を引けばカランカランと昔ながらのあの音が鳴る。そういえばいつだったか空却と喫茶店談義をしたことがあった。チート級なナゴヤのモーニング文化が面白くて、翌朝ナゴヤに戻る空却と一緒に新幹線に乗っていた程で。たかがモーニングぐらいで我ながらアホだとは思うが、空却とならそういう無茶が出来て何だかんだ受け止めてくれるから心地が好い。あの朝、空却の行きつけの喫茶店でトーストを頬張りながら「うめぇだろ?」と笑う姿があまりにも愛おしくて、結局アレ以上のものはないとオオサカの喫茶店に連れて行ってやることは今日までなかったのだが……。肝心のモーニングももちろん良かったけれど、こういう些細な日常や幸せを空却と共有できたことの方が余程印象に残った。だから、今更ではあるけれど自分も何かを共有したくなってしまったのだ。
(ほんまに今更やけど、俺だけやなくてアイツらの贔屓に空却が入り込むってなんかええな)
良く言えばレトロ、悪く言えば年季の入った奥側のソファに空却を座らせ(というか勝手に座っていた)メニューを渡す。
「何でも好きなモン頼んでええよ」
「おう」
そうして流れるようにカバンから煙草とライターを取り出して灰皿を手繰り寄せる。込み上げてくる懐かしさはたった数年とは言え中々に濃いもので。目の前に空却がいて、テーブルに灰皿があれば、あの頃を思い出して自然と体が動いていた。
「ほな、吸わせて貰うわ」
「おう」
煙草を咥えてゆっくりと息を吸い込んだ。店内に充満する珈琲の深い香りと煙草の香ばしさは何故こうも合うのだろう。ブランクの所為で頭がフラつく感覚も懐かしくていい。レトロな雰囲気も相まって何だかあの頃にタイムスリップでもした気分になってしまう。
「なんや……左馬刻の珈琲でも飲みたなるな」
「飲みに行きゃー良いじゃねぇかよ」
「えー、それだけで?」
そう渋る簓の言葉に空却がパッと顔を上げると「ダチなんだから別に理由もいらねぇだろうが」とハッキリ言われてしまった。
「せやね。今度カチコミしたろかな、ヤクザ事務所に」
「ヒャッハ。良いじゃねーか。今日のことよりよっぽどヤベェって話題になんぜ」
「ほんまやね」
長くなってきた灰をトントンと落とし、もう一度口に咥える。吸って吐いて、せめてもの配慮で空却に煙がいかないように掌で散らすその動作も当時のままかもしれない。
「うし、決めた。おーい、そこのねぇちゃん注文頼むわ」
「うちのオッサンみたいな呼び止め方やん、ウケる」
「ぁあ? いつもこんなんだろうが。あーっと、コーラとナポリタン、それから玉子サンド。簓はクリーム……」
「あ、今日はアメリカンにしとこかな」
「ぁあ? んじゃコーヒーフロートで」
「なんでやねん。まぁ、ええけど」
なんやその配慮、可愛すぎやん。店員の前でそう付け足せばバツが悪かったのかちょっとだけムッとされた。
「ちゅーかパンケーキどこいったん」
「しらねぇ。後でテメェが食えよ」
「強引なやっちゃなー。まっ、折角やしたまには食うてもええか」
「おっ。なら拙僧に一口もくれよ」
「まだ食べるて決まったわけやないし、お前の一口は実質半分やん」
「ヒャハ、生憎拙僧は口がでけぇもんで」
他愛無い話をほんの少し。時間にして数分といったところだろうか。平日の昼前というのもあり、ケラケラ笑う空却の前にすぐにコーラが置かれる。そして簓の前には普段とは違う色の液体にバニラアイスが乗ったコーヒーフロートが。最初だからと遠慮気味に吸っていた煙草を灰皿に擦り付けてその流れでストローの外袋を破き、氷を避けながらそっと沈めていく。フロートに挿し込む際にふんわり香った煙草の臭いに顔を顰めると、簓は直ぐにおしぼりで左手を拭った。
「うっま」
「やっぱコーラが一番うめぇ」
「それは他のモンを飲まへんからやろ」
「拙僧はコーラと茶があれば十分なんだっての。あ、折角だからこれも撮ろうぜ」
「ええやん。俺の行きつけの店でいつもとは違う飲みもん……分かる人だけ楽しいやつや」
そう言うと二人とも慣れない手つきでグラスの位置を整え始めた。水滴をつけて汗をかき始めたコーヒーフロートと、ほぼ飲み終わりのコーラが二つ。整えたものの綺麗に並んでいるわけでもなく無造作におかれているだけで、これが映えるのかと聞かれたら間違いなく映えではないだろう。ただ、「あれ? ぬるさらいつもと違う物飲んでるし、奥側のコーラは誰の?」となるのは確実だ。
コーヒーフロート側にピントを移せばコーラと空却の胸元は良い感じにボケてくれたが、灰皿が映り込んでいるのが気になってしまう。禁煙中で売っているのでどうしたものかと思ったものの、別に使わないといけないわけでもないし、いざ投稿する際は切り取ってしまえば良い。
「ええ感じちゃう?」
「拙僧のも」
「お前も撮ってたんかい」
チラっと見して貰うと空却のもそれなりに良い感じに撮れていた。特に吸い殻付きの灰皿が。ナゴヤにも喫煙者がいるので、空却的にもコレはコレで匂わせ写真になるのかもしれない。そうして再び他愛のない話と喫煙が続く。ダラダラと流れていくこの時間が何だか懐かしくもあり幸せでもあり。汚れていく肺とは反対に心は満たされて潤っていくのを感じる。
「あ、飯きたで。俺やっぱパンケーキ食べよかな」
「食いたきゃ食えば良いだろ、テメェの金だし」
「身も蓋もあらへんがな。あ、ついでにパンケーキ……とコーラ?」
「おう」
「その二つたのんます~」
ナポリタンと玉子サンドを運んでくれた店員は簓もよく見かけるアルバイトの子だ。一瞬灰皿の方に視線が流れたが、特に表情を変えることなく皿を置き終わると伝票に追加注文分を書いて去っていった。
「飯来てもーたけどもう一本吸ってええ?」
「構わねぇよ」
「あかんわ、一度吸い始めると癖なる」
「もっふぁい……もっかい修行行くか?」
「それもええね。玉子サンド一つもろてもええ?」
「おう、食えよ」
一旦煙草を置いて皿からパンを掴む。分厚い厚焼き玉子が挟まったサンドイッチは食べ応えも十分で、食が細めの簓には一つで丁度良い。
「これも撮っとこ。あ、空却こっち向いて」
「顔面写したら意味ねーだろ」
「こっちは個人で楽しむやつやねん」
「はぁ? 消せ消せ」
「ええやん別に、可愛く撮れたで。ほら」
「それのどこが可愛いんだっての」
てっきりスマホを奪われてデータ消去でもされるのかと思ったが、予想に反してハッと笑って許してくれたのでやっぱり今日はご機嫌な割合が高いらしい。
「てか美味ない? オオサカの喫茶店も中々やろ?」
「おう。テメェらがたむろってんのも納得だわ」
「せやろ~! 零が教えてくれたんやけど穴場やねん」
「へぇ」
簓に釣られて玉子サンドを頬張っていた空却から柔らかな声が零れ落ちた。
「え……? 何?」
びっくりして灰皿から視線を上げると声色通りの優しい笑顔がこちらを向いていたので余計に戸惑ってしまった。
「なんでもねぇよ」
「なんかあるやろ、仏さんかと思ったわ」
「あー……」
まさか触れられるとは思わなかったのか空却が落ち着きなく視線を彷徨わせる。けれど簓は知っている。この感じは誤魔化さずに話してくれるパターンだということを。
「………………」
「………………」
こういう時に煙草があって心底良かった。適当に吸っていれば勝手に時間が流れていくから。空却と出会いたての時も付き合いたての時も、よくこうして煙草を利用していたのを思い出す。よく喋るようでいて案外そうでもない空却との会話のテンポが掴み切れずに「全然今は会話の時間じゃないんでぇ~」なんて空気を出して。
「いや別に大したことじゃねぇんだけどよ」
『コーラお待たせしました』
「え? あ、おう。サンキュー」
「んははっ、間悪ぅ」
「頼んだの忘れてたわ」
「ええて。んで? 続き教えてや」
視線は空却のまま、顔だけ左に向けてふーっと長く息を吐き出すと煙草の煙を押し出す。早速コーラを口に含みながら「ん、」と空却が短く返事をした。
「オオサカには何度も来てっけどよ、実際こうしてお前ら縁の地に連れて来られたのは初めてだろ? つい昔のしょぼくれてたテメェを思い出して安心しちまっただけだわ」
「え……」
「良かったな、簓ァ」
「空こ──」
『パンケーキお待たせしました~』
「ヒャッハ、でらやべぇ」
「ちょぉ、今タイミングの神様降りてきてるんちゃう!? めっちゃおもろ」
簓と空却の空気感や様子を全く気にもせずに淡々と業務をこなして去っていく店員の背を見てもうひと笑いした。
「おい、笑ってねぇでコレも写真撮ってさっさと食っちまおうぜ」
「せやね、あー……おもろかった。俺危うく結婚しよって言うとこやったわ」
「はぁ? ンだよ、それ」
「だってそんな空気やったやんかぁ」
「空気に呑まれる奴が拙僧の人生貰えると思ってんのかぁ? 簓さんはよぉ」
「言葉の綾やて」
「ハッ、くだらねぇこと言ってねぇでさっさと撮れよ。じゃねぇと拙僧が一口貰っちまうぜ」
そう言ってナイフとフォークをパンケーキのど真ん中に添える。やはり真っ二つに切り分けるらしい。既に溶けかけたバターが押し当てられてジュワっと生地に染みを作っていくのが溜まらなく美味しそうで。写真を収めるのに丁度良さそうではあるが、それよりもそれを切り分ける空却の手が入り込んでいるのが非常に良い。カシャ、と音を鳴らしてシャッターを切り、咥えたままだった煙草を灰皿に乗せた。
「どぉ? ええんちゃう? これ後で投稿したろっかな」
「おもいきり拙僧じゃねぇか」
「これはもう匂わせちゃうで。嗅がせてるやつや!」
「初手から正解かましてんじゃねぇよ。お、うめぇ!」
「あっ、シロップつけとらんやん。残りの方にかけたるわ。フォークの一旦置き」
「ふぁんふゅー」
一気に半分持っていった残りの方にもシロップを回しかける。染み込んだバター部分はほぼ空却の方へ消えていったが、簓は甘いのも好きなのでそんなに問題はない。逆に空却はバターだけの方が好みだったらしく、一口目のが美味かったなどと文句を垂れている。
「ほっぺパンパンにして可愛ぇな。ハムちゃんやん」
「はむちゃんだぁ~? 誰だそれ」
「いやいや、小動物のハムちゃんや」
「あっ!? 撮ってんじゃねぇよ!」
「ええやん、美味い?」
「うめぇ。つーかいつまでカメラ向けてんだよ、気ぃ散んだろ」
「だって動画やもん」
「死ね」
そう言って中指を立てる空却に「相変わらずやなぁ」と苦笑して動画を止める。
「そういや昔よう写真撮ってったやん、俺」
「あ? あー……そうだったか?」
「お前ちょっとは彼氏の行動に興味持てや。……あん時はブクロでの経験が糧になるんちゃうかって記録として撮っててんけど、今も残ってるんちゃうかなぁ」
「探してみろよ」
「せやねぇ。今度クラウド遡ってみよかな。お前はないん?」
「さぁな」
空却が好んで写真を撮っていた印象はなかったけれど一郎との一枚や二枚はあるかもしれない。物を多く持つタイプではなくどちらかといえば気に入った物を丁寧に長く扱うタイプなので、写真も案外プリントしてアルバムに入れているかもしれない。……いや、それは流石に考えすぎか。
すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付けてパンケーキを切り分ける。ドロドロにシロップのかかったそれを口に放り込めばみるみるうちに煙草の苦味が爽やかな甘みに上塗りされていく。
「あっ……これ、キスの味や」
コーラやガムばかり好んで口に含んでいた空却との口付けのようで、不意に零れ落ちた言葉。一郎や左馬刻に知られたらきっとタダじゃおかない。それでも惹かれてしまったものは仕方がないし、あの時は今以上に何かを失うことを避けたかったのもあり「ガンガンいこうぜ」の一択だったので、ついつい手を出してしまったのだが。
甘いなぁ──
なんて、舌と舌を絡めながら呑気に考えていたっけ。
「気色悪ぃこと言ってんじゃねぇよ」
「え? あ、口に出とった?」
「モロに出てたわ、ボケ」
「すまんすまん、なんや昔のこと思い出してもうて」
「何丁目の何ちゃんだっての」
「空厳寺のくうちゃんや」
「くだんね」
ズズッと音を立てて空厳寺のくうちゃんがコーラを飲み干す。流石に三杯目はいらないだろう。簓も残りのパンケーキを食べ、すっかりアイスの溶けたコーヒーフロートで流し込んだ。
「ちょぉ待って。最後の一本吸いたいんやけど」
「好きにしろよ、別に急いでねぇし」
「おおきに」
そう言うと簓は最後の一本に、空却はスマホに手を伸ばす。頬杖をつきながら視線だけ簓の口元に向け、煙草の煙が吐き出されたのを確認すると満足したのかさっさとスマホに視線を戻してしまった。
「何見てるん?」
「んー、一郎が勧めてきた漫画」
「ほーん」
「アイツが好きなやつがコミカライズしたってんで」
「へー」
「…………テメェこそ拙僧の行動に興味持てや」
一定のリズムでスクロールしていた指を止め、バッと顔をあげるや否や簓に迫る。先程簓が空却に放った言葉をまんま返されて苦笑した。
「ごめんて。俺あんま漫画詳しないもん。で、なんてやつ?」
「あ? 言ってもわかんねーだろ」
「ええのええの。盧笙に勧めたんねん。こういうんは案外盧笙のが詳しいんやで」
「へー。なら後で送っといてやるよ」
「おおきに」
ふー……とゆっくり煙を吐き出して漫画に耽る空却を見つめた。頬袋でもあるのかと思うくらいよく入る頬が掌でグイと持ち上げられていて可愛い。長い睫毛が涙袋に影を作っていて儚げで美しい。癖なのか偶に舌を出して真っ赤な唇を舐めるのが扇状的でいやらしい。初々しさや瑞々しさで溢れていたあの頃とはまた違った色香があって、ならばこの先この子はどうなってしまうのだろう。
「気ぃ散る」
「んー? ふふ、かわええな思て」
「……簓ぁ」
「おん?」
完全にデートモードにシフトしてしまっているので、年上のプライドそっちのけでデレてしまう。好きの気持ちを隠したい? そんなん出してなんぼや! 改めて心の中で決意を固め煙草を吸っていると、目の前でパシャっと音が鳴った。
「見ろよ、だらしねぇ顔」
「え、イケメンやん」
「瞼重すぎんだろ」
「新しいツッコミ頂きました〜」
半開きの口で軽く煙草を挟み、やんわりと持ち上がった瞼からチラリと覗く黄色い瞳。カメラの方を見つめたちょっと冷たげな簓が空却のカメラロールにひょいと保管されていく。吐き出された煙の所為で全体的にスモーキーな雰囲気もあってか、まぁ悪くはない。……と思う。
「なぁ〜、アップせんでよ」
「こんなモンしねぇよ、個人で楽しむやつ」
「こんなモンて。え、てか個人で楽しんでくれるん!?」
夜な夜な簓の写真を見て会えない寂しさを埋めている空却なんて微塵も想像出来ないので、どうせこれも先程簓が言った言葉への当てつけだろう。
「まぁ、そんなん──」
「結構好きだったぜ? 簓と煙草」
「えっ」
えっ?
えっ!?
今度こそパッチリ目が開いて空却を真っ直ぐに見つめた。ドッドッドッドッと走り出す心音と上気する頬は悲しいかな、隠す術がなく。動揺のあまり手が震えてハラリと灰が散った。
「テメェの煙草臭つけながら帰んのも悪くなかったしな。今でもその煙草だけは違いが分かるぜ」
「え……そうなん? 初耳やねんけど」
「そりゃ言ってねぇし」
一度綺麗に灰を落とし、動揺を鎮めるべくゆったりと煙を吸い込んだ。いやいや、そんなこと当時は一ミリだって見せなかったではないか。それを今になって聞かされるなんて。寧ろ煙の臭いがついて悪いなと思っていたくらいなのに……。
喋りを売りにしている割になんて答えて良いか分からなくて、簓は「そぉか」とだけ小さく溢した。
(なんなん、ほんまに……そんなん言われたら理性飛んでまうやん)
頬だけでなく胸も手も腹も身体の全てが熱い。煙草を支える指にジワリと汗が滲んで慌てて灰皿に擦り付けた。癖で臭いが染み付いた手をおしぼりで拭おうとしてハッと手を止める。ここで拭いてはなんだか惜しい気がして。簓は持て余した左手をグラスに添えると一気にコーヒーフロートを飲み干してしまった。
「……ほな会計済ますわ。お前はゆっくりでええよ」
「ん? おー。サンキュー」
煙草とライター、それからスマホをカバンに突っ込んで伝票を引っ掴む。空却とは何度も会って沢山話もして、身体だって重ねてそれなりに深い関係だと思っていたのに。まさかここにきてあんな爆弾を落とされるとは思わなかった。思わずニヤつく口元を慌てて左手で隠せば煙草の香りがふんわりと鼻を掠め、あの頃の記憶を鮮明にさせる。
「おおきに」
未だ落ち着かずに僅かに震える指先で小銭を摘んで財布に戻していく。カッコ悪いだとか年上としてのプライドがとか、本当にそんなものはどうでも良くて。空却の腕をさり気なく外すために買った煙草がまさかこんな形で記憶を結ぶなんて思いもしなかったから、とんだ棚ぼただ。
「簓ぁ、美味かったぜ。ご馳走さん」
「せやろ? また二人で来よな」
腹が膨れてご機嫌な空却と形式的な礼を述べる店員の声を背にドクドクと馳ける心音と逸る気持ちをグッと堪えて扉を開ける。薄暗く落ち着いた店内とは打って変わりカラリと晴れた青空と太陽が視界いっぱいに広がった。店に入って来た時とは違う緊張と喜びを抱え、簓が一歩、また一歩と空却の先を歩いていく。
「んで? 次はどうすんだ?」
「んん、せやね。色々考えててんけど」
あっ、こっち曲がろか。
そう言いながらさり気なく空却の腰を抱いてエスコートする。今度は先手を打って再びエスコートする側に回れたが、空却からの文句はない。写真だけで済ませようと思っていたのにきっと見る人が見たらいつものワチャついた空気感ではないのが分かってしまうだろう。身体を重ねたわけではないのにうんと距離が近いから。
何だかんだ昼時を迎え、人通りも増えてきた。果たして一体このうちの何人が二人の違和感に気が付くのだろうか。
「食べもんは一旦置いといて、禁煙失敗を祝してちょっとええことしたいねん」
「はぁ? 言ってっこと滅茶苦茶じゃねーか」
「そうでもないで」
「簓?」
敢えて明るいトーンで話題を振り、徐々に陰が深い路地へと誘い込む。そういえばあの頃もこうやって敵を油断させて仕留めていたっけ、と空却が気付くのは既に罠に掛かった後のことで。
「……っ痛ぇ」
「油断した?」
「すんに決まってんだろ、たぁけ!」
「ほな、足元だけでも写真撮っとこ。お揃いのスニーカーかわええもんな。暗いけど上手く撮れるやろか」
「テメっ、こんなことするために裏に入り込んだのかよ!」
「んー? 言うたやん。禁煙失敗祝い貰わな〜って。あ、それは言うてないか。でもまっ、好きやんな? 俺と煙草」
「簓、てめっ……」
変なスイッチを入れてしまった。そう顔を顰めながら簓を睨みつけるも、こうなった簓を止めるのは中々に骨が折れるのを空却は身を持って知っている。簓の煩悩を射抜く鋭い視線の中にどこか諦めにも似た小さな動揺を見つけると、ここぞとばかりに空却の身体をグイと壁に押しつけた。
「前もこんなんあったの覚えとる?」
「あん時とは状況が違ぇ」
「そ? 俺は結構同じやと思うけど」
そう言ってチュッと音を立てながら空却の首筋に唇を落とす。待合せの際の変装で沢山汗を掻いたからか塩っぱい味がする。
「あれはバトルの後で今は違ぇだろ」
「デートかてバトルみたいなもんや」
「意味わかんね」
「ほんまに?」
返事を待たずして今度はちゅ、と唇に落とす。薄暗い路地でも空却が真っ赤になっているのが分かるし、体温だって熱い。あんなに挑発的で扇状的な空却からは想像なんて出来やしない。まだまだ初心で可愛い少年と、自分はそれを唆す悪い大人という図はあの頃から変わっていないのだろう。どうにか逃げようとする空却との間にできた隙間を埋めようとしてもう一度唇を重ねた。甘やかなコーラと苦い煙草の味が混じり合ってクラクラしてくる。もうこのキスも、この興奮も二度と味わえないと思っていたから。
「クソッ、この性悪糸目野郎が!」
「悪口の質落ちてるんちゃう?」
「うるせ」
「んはは、自分可愛すぎやって」
案の定空却から僅かに力が抜けて隙が生まれる。圧倒的な筋力と腕力差があるので、この手のタイプには口と技でどうにかするしかないのだ。それもこれもブクロでの経験が生きているわけで、やはり感謝の気持ちと共に後日左馬刻の元へカチコミに行く必要があるようだ。
「なぁ、ええよな? チューだけしたらほんまに終わるから」
「絶対ぇ嘘だろうがっ!」
「『俺は』やめたるし」
「はぁ!?」
「せやから空却がそれ以上強請らなかったら終わるんちゃう? 知らんけど」
言葉の冷たさとは裏腹に甘えたな駄々っ子のように眉を下げてちゅっちゅと啄むようなキスをする。その度に空却からは吐息が漏れ、同時に力も抜けていく。大して体重も身長も変わらないので押しつけている壁に頼るしかなく、上手いこと覆い被さって動きを封じ込めなければならない。自宅の落ち着いた環境の中でするのが一番ではあるが、今日は特別。さっきまではほんのお遊びだったけれど、空却のあんな発言を聞いたら本気で見せつけたくなってしまったから。
「ッ、おい……これ以上はヤメ、ろ」
「なんで〜? ええやん、大丈夫やって」
「大丈夫じゃねぇから言ってんだろうが!」
「静かにせんとバレてまうで」
「……クソッ。後でぜってぇぶっ飛ばす」
「んふふ、ええよ。なぁ、吸うてええ?」
返事はない。つまり肯定ということだ。簓はカバンから煙草とライターを取り出すと慣れた手つきで火を点けた。
「この一本終わるまで付き合うてよ」
「………………約束しろよ」
渋い返事にフッと笑いが落ちる。口から漏れた煙がふわりと広がり、二人の間に薄い膜を作った。ちゅ、ちゅく、と耳を塞ぎたくなるようないやらしい音を立てては煙草を吸って煙を吐く。それを繰り返してギリギリまで短くなってきた頃には、空却はすっかり出来上がっていた。
「さ、ぁら…も、いーかげんに……」
「なぁ、呼吸荒いのなんでなん? マスクしとらんのに」
「ちっくしょ、マジでぜってぇ許さねぇ」
「はよお前も飛ばしぃや」
り、せ、い。
簓が変なスイッチを入れたように空却もさっさと押してしまえば良いのに。二人で狂って二人で見せつけて、それで──。
「飛ばさねぇ……」
まぁ、そうやろなぁ。そう心の中で呟くと簓はヒョイと煙草を足元に捨てて踏んだ。靴底とはいえお揃いのスニーカーに汚れが付着するが、あの頃の記憶と匂いがついたのだと思えば全然嫌な気はしなかった。
「はい、おしまい」
「………………」
不満顔でじっとりと睨みつけてくる空却に「やっぱり足りひんかった?」と問えば思い切りケツを蹴られてしまった。
「テメェマジで最低野郎だな」
「えー、そういう割に抱きついてくれるんなんでなん〜?」
てっきり怒っているのかと思えばしなだれ掛かるようにして抱きついてくるし、天邪鬼にも程がある。もしかしてワンチャンこの先もいけるんちゃうか? なんて真面目に考えだした矢先、
カシャッ
と図上からシャッター音が鳴った。
「あっ!? お前撮ったん!?」
「ヒャッハハ、油断してんじゃねーよ」
「ぐっ、今のは完全に油断してもーたわ」
「一人飛ばしてたもんなぁ、理性。ざまぁねぇな」
「そりゃ……誰だって飛ぶやろ。好きな子ぉにあんなん言われたら。今の俺との思い出も欲しなるやん」
結構な告白だったにも関わらず「ふぅん」と興味なさげに呟かれてそっぽを向いてしまった。まぁ確かにちょっと……いや大分強引だったけど。
「テメェの思い出作りだか禁煙失敗祝いだか知らねぇが、拙僧を辱めた罰はキッチリ払って貰うからな」
「分かっとるって〜。ほんで? 何食う? 何する? このまま朝までエンドレスでもええで?」
「テメェはそこでいっぺん死んどけ」
「あだーーーッ!!」
***
そんなことがあってから早半月。今日で十五日目。
沢山写真は撮ったもののそのどれもがただの思い出写真になり、結局使うことはなかった。あの日は大分イチャイチャしながら市内を歩き回ったが、特に話題にもならず、やはり「いつもの」として見られていたらしい。それにしてはかなり攻めたのだけれど。これで一発笑いがドカンとあれば面白かったのだが、まぁ、変に炎上しなかっただけ良しとしよう。
「ちゅーかほんまに連絡一つよこさんと……」
シンオオサカから新幹線に乗り込む空却を見送りし(流石にバイバイのキスは自重したが)その直後にすぐにメッセージを送った。
『気ぃつけてな! 空ちゃん愛しとるで〜♡一生一緒にいような〜♡♡』
これがいけなかったのだろうか。……いけなかったのかもしれない。自分で見返しても気持ち悪すぎる。あまりにも酒場の非モテオヤジすぎて。キャバクラ初心者のクソジジイか。こんな怪文が流出したら舌を噛みちぎって死にたくなるではないか、知らんけど。しっかり既読がついているので今更消したところで余計に痛々しい。元から互いに連絡は淡白ではあったけれど、だったらせめて「きめぇ」くらい返して欲しいわけで。寧ろ沢山デレを浴びたので過激なツンを求めているくらいなのだが、もしかしてこの音信不通が空却なりの過激なツンなのだろうか。だとしたらもう少し耐えねばならない。
「いやでももう少し何かあってもええんちゃう?」
楽屋にあった菓子を乱暴に掴むと外装をビリビリ破く。それがまた饅頭だった所為で余計に空却を思い出したりなんかして。
気を紛らわせるために今度はSNSを開いてポスト画面を開く。折角だからこの間の写真でも投稿してやろうか。いやいや、だけど自分だけ楽しんでたみたいで何だか悲しいし。そんな不毛な脳内のやり取りに疲れ果て、フォロー中のタイムラインを眺め始めた。
「え?」
そしてすぐに空却のポストに目がとまった。自分への返信はしない癖に普段更新しないSNSへの投稿はするのかと若干腹立たしく思ったが、その内容を見て怒りなんて消えてしまった。
「なん……これ……なんなん、ほんまにアイツ……」
似通った二枚の写真、どちらにも覚えがあった。一枚目はこの間喫茶店でデートをした時のもの。二枚目は二年前によく通っていたファミレスでのもの。そのどちらにも空のグラスと皿、そしてピンボケした灰皿と吸い殻が写っている。
「ん?」
そしてよく見ると机の端ギリギリに伝票を掴む男の手。間違いなく簓のものだ。
あの日、空却から「煙草を吸ってる簓が好きだった」と聞かされた時のようにドッドッドッドッと心臓が騒ぎ出す。昔の写真を持っているか? と聞いた時にはぐらかしたこと。今の自分との思い出も欲しかったと言った時に一ミリも興味なさそうにそっぽを向いたこと。それなのにどうしたことか、こんなに似た構図の、それも全く見栄えのしない写真を大切に収めていただなんて。
「あかん……ほんまに可愛すぎる……」
『結構好きだったぜ? 簓と煙草』
その言葉が、空却の柔らかな笑顔が、煙草の匂いと共にふわりと蘇ってくる。自分が思っていたよりもずっとずっと愛されていたらしい。煙草や酒には興味がない、魅力がないと言い放つあの空却がそんな風に大切にしてくれていただなんて。
「あー、どないしよ……ほんまに好きやわ」
込み上げてくる愛おしさをどうすれば良いのか。収録が終わったらこのままナゴヤに行ってしまおうか。こんなにも相思相愛なのに胸がはち切れそうで痛い。会いたい、どうしようもなく。それでずっと、ずっと、一緒にいたい。死ぬまでずっと。
そうしてふと添えられていたメッセージに目を向けた。
────『拙僧も』
完
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