アッシュ(1ドロライお題)/異端審問官ノヴァクという男性は一体どの様な人物なのだろうか。ダミアン司教が言うには元上司で宇宙論に精通しているという。異端者を取り締まるには適任だと言うけれど、その論理に詳しい聖職者は何人もいる。それにノヴァクの名前は私がこの世界に入ってきてから一度も聞いた事がなかった。誰だ?まぁ、ダミアン司教が言うのだからそれなりの人物なのだろうと期待する。先日の襲撃事件では聞きなれない兵器を用いたというではないか。非道極まれりでしかない。何て恐ろしい連中なんだ。ノヴァクが居るという酒場の住所を訪ねると机に突っ伏しながら飲み物を煽っている姿が目に映る。まさかこの人物が?この飲んだくれが?真昼間からたった一人で、仕事をせずに酒を嗜んでいるとは良い身分ではないかとアッシュが受けた初対面の感想は低評価だった。
「あの」
声を掛けたが、どうか人違いであってくれと願った。私の想像では利発で小奇麗な人物だったから。これが理想と現実だと思い知らされる。酒臭い人物から情報を得るなど納得がいかない。ましてや一般市民ではない聖職者の経歴を持つ人物ならなおさら。
「ダミアン司教から伺って来ました。貴方がノヴァクさんでしょうか?」
「あ?」
自分の名前を呼ばれ振り向いた人物は赤い頬をして今にも眠りそうな、何杯吞んだんだ?って顔をしていた。自己紹介をして訪ねた経緯を説明しても一度では会話が成り立たず二度目でやっと本題に入れたが、何故か怒りを買ってしまい半強制的に酒場から追い出されてしまう。ナイフで机を刺すなんて狂暴だ。酔っ払いは何をしでかすか分からない。
「何だよ、単なる酔っ払いじゃねぇか」
周囲に誰も居ない事を確認した後に素で本音を呟いた。期待をして損した気分だ。いや、勝手に期待した僕も僕だ。いくらダミアン司教が信頼を置ける人物だとしても第三者から見たらただの酔っ払い爺さんでしかない。人には歴史があったとしても会話が成り立たないのでは知るきっかけすら掴めない。
「一体、何に怒ってたんだ?」
地動説?勝手に居場所を知られたから?違う…過去の事件を掘り起こしたからだ。解決してる事件なのに何故怒る必要が?
分からない事だらけで、折角町外れまで訪れても追い返されて手ぶらという無様な結果。
「はぁ、とんだ無駄足だったな」
これはダミアン司教に一言二言の文句を伝えないと気が済まない。目上の人ではあるが教皇直属である私には言える立場にある。
「待て。この調査に参加させてくれ。今、得ている情報を知りたい。
ノヴァクから助言を受けたアッシュは急いでダミアンに知らせに行った。あれが年の功というものなのかと関心してしまった。アッシュの知らない過去をブツブツと呟かれたが、異端審問官として何を優先にして考えるか、目的と手段は決して似た路線では無い事など己一人では辿り着けなかった選択肢が広がり背筋がゾワゾワとした。酒場に行く前にダミアンから聞いた事を思い出す。頼りない風貌の爺さんという印象からノヴァクという歴史を一摘みでも知り、それを蔑まずに敬意を表する。それは宣教師としてではなく一人の人間として接する大切さを学んだ瞬間だった。今この時まで年上の、世代の離れた煩い小言でしか受け取らなかった言葉が今後は違って聞こえてくるかもしれない。
「ダ、ダミアン司教!」
教会の中を探し回りやっと見つけた姿を呼び止める。
「アッシュ君か。ノヴァクさんに会えたかい?」
「はい」
ダミアンは敢えてノヴァクと接した感想を聞かなかった。これまでの言動から快く感じ取らないだろうと思っていたから。
「正直、最初は酔っ払いの頼りない人だと侮っていたのですが会話を続けるとそうではない事に気付いたんです。もしかしたらあの姿は仰っていた辛い過去があったからではないかと。理屈ではなく、この人に教えを請いたいと思いました。現状から何が見えるのか。相手は何が目的で何を手段として選んでいるのか。その中で必要なのは最新技術であると」
「そうか。ノヴァクさんがそんな事を。…そうか」
「あの、それで…、ダ、ダミアン司教?」
何故か嬉しそうな表情を浮かべているダミアンが不思議だった。常に弱腰の彼からそのような笑みが見れるとは思わなかったから。きっとノヴァクの過去を知っているからこそ出てくる表情なのかもしれない。
「いや、何でもない。アッシュ君の手助けになったなら良かった。では私は業務の途中なのでこれで失礼するよ」
「あ、はい。どうも有難うございました」
他に言いたかった言葉は仕事を中断してくれていたと言う理由で遮られてしまった。無理に続ける内容でもなかったのでこの場で別れた。
「三十五年前の事件が今の事件と重なっているなんて信じられない。まるで夢を見ているみたいだ」
外へ続く道を歩きながら先程の光景を反芻する。ダミアンとノヴァクが担当した事件は実は未解決で秘密裏に動いていた。そしてしれを知るのはこの二人だけらしく。私が生まれる大昔も前。そして、これらに関連している地動説。著者名が書かれていない書物など初めてだった。異端者は巧妙で謙遜で風や光の様に我々の生活の中に溶け込んでいる。誰が誰で分からない世界。例えば、サクランボを親指と人差し指で押し潰さなければどんな色をした果実なのか分からない様に。その器の蓋を開ける、その実の味を知る。異端者を見極めろ。
「またあの酒場に行ったらノヴァクさんに会えるのかな」
異端審問官として必要なノウハウを聞きたい。年の功に頼ってみたい。数時間前と今の己の感情、価値観がひっくり返った様な感覚に陥る。あの酔っ払いだと文句を言っていたのが恥ずかしい。
終
2025/02/09