きれいでやわらかくていいにおい 眩い満月光が植栽の樹冠を透かして注ぐ夜の庭に、ひとり佇む。
目の前には、小黒よりも頭2つほども背の高い植物が、細長い緑の葉を野放図と見えるほど健やかに繁らせている。幾枝ものうねった茎が葉から直に伸び、各々の先には小黒の手では収まらない大きさの蕾が一輪、薄紅のしなやかな萼をまとって果実の如くたわわだ。そして微かに、香気が甘く鼻先に漂っている。師である無限は旅のうちに多くの花の名を教えてくれたが、美しくも奇妙にも見えるこの植物には、一度も出会ったことはない。
『あ』
つややかな紅と薄緑に包まれる蕾の一つが、見えない手に促されるようにゆっくりと先端から綻びはじめた。閉じ込められていた芳りが一息に溢れだして、夜気が官能に充たされる。開いていく様は佳人が紗(うすぎぬ)の下から顔貌(かんばせ)を顕すにも似て、眩さは月の光のためか、圧倒的に純粋な、その白ゆえか。
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