フフンフ・フン・ゴッホの恋 春はとうに過ぎ去り、校庭のソメイヨシノも桃色に色付いていたことなど嘘のように、緑の葉を旺盛に茂らせている。雨水をたっぷり吸い、梅雨の合間の陽光を浴びて天まで目指すみたいに。しかし伊黒の視界には花霞が確かにある。
化学部の活動がない放課後、理科室は生徒の喧騒が随分遠いところにある。時折り、運動部の声掛けが聞こえてくるばかりで、それですら静寂を強調するものであった。黒板横の扉を抜けた先にある化学準備室を、伊黒はすっかり私物化して久しい。生物教師の胡蝶もこの部屋を利用する権限は当然あるのだが、伊黒を気遣ってであろう、長居することをしなかった。
通り掛かっただけで飛び退いてしまったり、冷や汗が止まらなくなったり。相手は自分に何の気もないだろうに自意識過剰も甚だしく、本当に申し訳ないことだと常々感じている。
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