難儀な男たち個人ランク戦のブースを出て大型ディスプレイが並ぶフロアに戻ると、王子と犬飼が談笑しているのが見えた。二人とも黒い隊服をまとっているので訓練生が多い場所に立つとかなり目立つ。
王子が片手を挙げて神田を呼んだ。誘われるままに彼らの元に向かうと腕を組んでいた犬飼が神田を見た。
「で、どうだった?」
「……普通。でもちょっと動きが鈍かったような」
主語も装飾語もない問いかけだったが思い当たることは一つしかないので、神田は素直に感想を述べた。犬飼はいつも浮かべている笑みをいっそう深くし、にやついた目を神田の肩の向こうに向ける。
「だってさ、荒船」
途端に広い会場内で小さなざわめきが起き、訓練生たちの視線がある一点に集まる。
神田が振り向くと、荒船が帽子の鍔を上げながらこちらに近寄ってきた。いつも帽子の影に隠れがちな表情が露わになる。端正な顔立ち、しかし一戦終えたばかりのせいかその眼光はぎらついていた。
「少し勘が戻った。次はこういかねぇよ」
荒船は拳固を静かに神田の胸に当てた。いつもの彼らしい姿を見て、神田は心の中で静かに安堵した。もう一度戦えば以前のように戻るのではないか、そう思ったとき。
「そうだよ。君が神田(カンダタ)に負け越すなんてらしくないよ」
「……おい、こら。おれが弱いみたいな言い方はするな」
感慨に耽る暇なく王子がひょいと口を挟んできた。黙っていれば爽やかな好青年である彼の物言いはかなり容赦がない。しかし事実だから反論はできないのだが。
「次はおれが弧月の錆び落としを手伝ってあげようか」
犬飼がふっと笑いを漏らす。それに反応して荒船も口端を吊り上げるが、笑顔というにはやや好戦的な表情になっている。
「寂しかったから慰めてほしいって素直に言えばどうだ。お望みならすぐ相手してやる」
買い言葉に売り言葉といったふうに荒船がブースを顎で指した。休憩も挟まずまた試合に臨むとは、外から見るより随分乗り気なようだ。
「じゃ、ちょっと行ってくるよ」
こちらを顧みた犬飼がひらりと手を振って挨拶すると、王子も同じようにして応えた。
神田と王子はブースに向かう二人の姿が消えるまで眺めていた。そして神田は王子に声をかけた。
「荒船、全然普通だったな」
「よかったよ。スミくんも気にかけてたみたいだし」
「まぁ、あいつも他人のこと言ってる場合じゃないけどな」
マスタークラスの攻撃手である荒船は突如狙撃手に転向し、遠征選抜に通りいざ旅立ちという段階になって二宮隊はB級に降格し、A級挑戦権を掴みかけた弓場隊は突然分裂し、最近のB級部隊は何かとごたついている。
そんな荒船が今日ふらりと個人ランク戦会場に顔を出して神田に試合を申し込んだのだ。態度はいつも通りで、戦いの動きは少しぎこちなかったが、弧月を使うのが久々だということを考えれば誤差の範囲と言っていいだろう。剣を交えれば相手を理解できるなんて言うつもりはないが、荒船に異変が起こったわけではないということだけは分かった。
「ねぇ、神田。次はぼくとどうだい?」
低く澄んだ声が神田の鼓膜をくすぐる。神田が王子を見ると、彼は小さく首を傾けて微笑んだ。その拍子に栗色の前髪が揺れ、藍玉の双眸は細められて優しく神田だけを映す。
随分と蠱惑的な言葉だが、この男の本性はとうに知っている。誘いに乗って痛い目を見たのは数えきれないと分かっているのだが。
「いいよ。今日はおまえに勝てる気がする」
「だといいけどね。じゃあ行こうか」
興が乗ったので許諾すると、眼前の薄い唇が弧を描く。そして王子は気まぐれな猫のようにくるりと踵を返して神田を置いていってしまった。
一人取り残されて、ようやく何人からか視線を向けられていることに気づいた。辺りを見回すと、訓練生たちはわざとらしく神田から目を逸らした。
そうだ。何も事情を知らない者たちからすればこうして自分が王子と談笑しているのは奇妙なことなのだ。弓場隊から二人同時に独立したのを見れば部隊内のトラブルを邪推する者がいても何らおかしいことではない。
自分も奇異の目に晒される存在であり、荒船や犬飼の心配をしている場合ではないのだ。王子は自業自得だから気にかけてやるつもりはない。
神田は一度目を閉じて大きく息を吐いた。握った拳に自然と力が入る。
そして王子に何拍か遅れて神田もブースに足を向けた。割に合わない勝負を受けるために。