そんな貴方を好きになった　随分前に離婚してから頭に恋愛の二文字はなかった。仕事でそんな余裕がなかったというのも事実だが、何より既に二度失敗を重ねている渡瀬には己の恋人が満足できるほど構ってやれる自信がなかった。
　みたび自分を愛してくれた者を傷つけてしまうかもしれないという思いもあって、渡瀬は初めに告白を受けた時にかなり口酸っぱく忠告した。しかし暖簾の腕押しとでもいうように「でしょうね」とだけ返されて終わった。ついでに「ワタクシはそういう貴方に惚れたのでお気になさらなくても結構ですよ」と言われて言葉に詰まった。
　結局変わったことといえば連絡先を交換したことぐらいだった。
「はい、お返ししますよ。ありがとうございました」
「……ああ」

Terror【上】ーー某日、南の領地。旧ベスティア邸にて。

「こんにちは、グリンダさん。今日も来てもらってしまってすみません」

ドアをノックすると、玄関から軽い足音が聞こえ、ユヒルが姿を現した。
こちらを申し訳無さげに見つめて、食糧の差し入れを受け取る。

「いいや、構わない。こちらこそすまないな、こんな人里離れた場所に一人置いてしまって」
「そんな……匿ってもらっているだけでも有り難いです。グリンダさんも仕事があるのに、こうして買い物まで頼んでしまって、本当にどう詫びたらいいか…」
「気にしなくていいと言っているだろう」

この国に身寄りのない彼女は、他に行くところがない。ふた月前までなら後ろ盾となるドロシーがいただろうが、その彼ももういない。死刑囚の者達も皆、惨殺された。

銀の庭に放たれて①ディークは幕舎の前に腰を下ろし、銀細工の短剣を膝の上に置いた。刃が薄く、軽い剣だった。ディークの大きな手に載せられると、武器というよりはバターナイフなどの他愛無い食器の類に見える。銀というのは放っておくとすぐに曇る。そして柔らかく、脆い。これは短剣の形をしているが、木の皮を剥く程度の用途にも耐えず、どうにも実用性がなく持て余している。

ディークはため息を吐きながら、短剣にまとわりつく夜霧のような汚れを荒っぽく拭い始めた。全体をがしがしと磨いてから、乾いた柔らかい布で仕上げてやる。すると寝ぼけたような鈍い灰色をしていたものが、急に星屑を散りばめたような静かな光を帯び始める。

柄に彫られた獣の瞳が生気を取り戻したように、こちらを睨んでいる。東方に生息するという縞模様の猛獣の目に、一粒の宝石が光っている。