黄
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DOODLE水銀黄金 暗い。まずそう思った。
まぶたを持ち上げたところで視界に写るのは闇、闇、闇。
手を持ち上げて伸ばしたところで、それは変わらない。手を伸ばしたくらいの距離で、自身の指先が闇に沈んだ。
自室にいるというのに、まるで水の中にいるかのように体が重い。
自身にまとわりついてくる影をひっぺがしつつ、ラインハルトは立ち上がった。
見えなかろうとも室内の配置は覚えている。暗闇のなかを迷うことなく歩き……、歩こうとしたが、床から伸びあがった影がラインハルトの足首に絡みつき、徐々にその面積を増やし始めている。
一歩一歩、力強く踏みしめながら、重たいものを引きずっているかのような有様でドアを目指す。手探りでドアを開けようとすると、開いた手のひらに影がまとわりつく。
664まぶたを持ち上げたところで視界に写るのは闇、闇、闇。
手を持ち上げて伸ばしたところで、それは変わらない。手を伸ばしたくらいの距離で、自身の指先が闇に沈んだ。
自室にいるというのに、まるで水の中にいるかのように体が重い。
自身にまとわりついてくる影をひっぺがしつつ、ラインハルトは立ち上がった。
見えなかろうとも室内の配置は覚えている。暗闇のなかを迷うことなく歩き……、歩こうとしたが、床から伸びあがった影がラインハルトの足首に絡みつき、徐々にその面積を増やし始めている。
一歩一歩、力強く踏みしめながら、重たいものを引きずっているかのような有様でドアを目指す。手探りでドアを開けようとすると、開いた手のひらに影がまとわりつく。
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DOODLE水銀黄金/前の孤児院ネタ カーテン越しに日の光が差し込むのを見た。
布団の中から顔を出す。隣で横になっている養父はまだ夢のなかのようだ。
その胸に頬を寄せると、心臓の音が耳殻のなかで反響した。うとうとと眠気が再発する。ただの人間のようだと思った。
養父に引き取られてから初めての年越しだ。いまだに本当の私は孤児院の寝台で横になっているのかもしれないと思う気持ちがあった。
あのクリスマスの日に貰った光は、たしかにこの腕のなかにある。
「なんだ、もう起きたのか?」
眠たげな声が笑いを含む。
小さく頭を振って、強く抱き着いた。もう少しまどろんでいたかった。
271布団の中から顔を出す。隣で横になっている養父はまだ夢のなかのようだ。
その胸に頬を寄せると、心臓の音が耳殻のなかで反響した。うとうとと眠気が再発する。ただの人間のようだと思った。
養父に引き取られてから初めての年越しだ。いまだに本当の私は孤児院の寝台で横になっているのかもしれないと思う気持ちがあった。
あのクリスマスの日に貰った光は、たしかにこの腕のなかにある。
「なんだ、もう起きたのか?」
眠たげな声が笑いを含む。
小さく頭を振って、強く抱き着いた。もう少しまどろんでいたかった。
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DOODLE水銀黄金 果たして"私"とはなんなのだろう。私が”私”を定義することはひどく難しかった。崩れ続ける影に定型などあろうはずもない。
「卿はたまに頭が良さそうなことを考えるな」
「普段は頭が悪いみたいな言い方はやめていただきたい」
目の前に座ってチェスの駒を手に取ったラインハルトは、ちいさく首をかしげながらテーブルの天板にひじをついた。手持無沙汰のようにチェスの駒を掌のうえで転がしている。
「そう悩む話でもあるまい」
「……というと?」
「たとえば、そうだな。私を呼んでみろ」
「ハイドリヒ」
「だろう? 卿がそう呼ぶなら私はハイドリヒだ。では、カール、卿は?」
カールなのかもしれないと自分でも心配になるくらいの能天気さで考えた。
637「卿はたまに頭が良さそうなことを考えるな」
「普段は頭が悪いみたいな言い方はやめていただきたい」
目の前に座ってチェスの駒を手に取ったラインハルトは、ちいさく首をかしげながらテーブルの天板にひじをついた。手持無沙汰のようにチェスの駒を掌のうえで転がしている。
「そう悩む話でもあるまい」
「……というと?」
「たとえば、そうだな。私を呼んでみろ」
「ハイドリヒ」
「だろう? 卿がそう呼ぶなら私はハイドリヒだ。では、カール、卿は?」
カールなのかもしれないと自分でも心配になるくらいの能天気さで考えた。
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DOODLE水銀黄金12月のテーマ「聖誕祭」
少年はいつも宙を見上げていた。なにをしているのかと問うと、星を見ていると答えた。
孤児院の朝は早い。育ち盛りの子供たちの朝食を用意するのだ。時間はいくらあっても足りない。食材の下処理を終えたところで、ふと思い至って屋上に向かう。
ドアを開けた途端、冷え切った風が肌を撫でる。遠くの空がほのかに明るく、頭上はまだ夜の色が濃く、星が煌めいている。時が切り替わる瞬間、夜と朝の狭間だ。
屋上に備え付けられたベンチには少年が一人座っている。なんなのかよく分からない金色のもふもふしたぬいぐるみを抱きかかえて、少年はずっと見上げていた。
「おまえ、今日も寝なかったのか」
少年はただ視線を動かした。自分に話しかけたのが誰なのか確認した後、また空を見上げる。夜空にも似た瞳に、いくつもの星が輝いた。
1392孤児院の朝は早い。育ち盛りの子供たちの朝食を用意するのだ。時間はいくらあっても足りない。食材の下処理を終えたところで、ふと思い至って屋上に向かう。
ドアを開けた途端、冷え切った風が肌を撫でる。遠くの空がほのかに明るく、頭上はまだ夜の色が濃く、星が煌めいている。時が切り替わる瞬間、夜と朝の狭間だ。
屋上に備え付けられたベンチには少年が一人座っている。なんなのかよく分からない金色のもふもふしたぬいぐるみを抱きかかえて、少年はずっと見上げていた。
「おまえ、今日も寝なかったのか」
少年はただ視線を動かした。自分に話しかけたのが誰なのか確認した後、また空を見上げる。夜空にも似た瞳に、いくつもの星が輝いた。
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DOODLE水銀黄金/学パロ/コラボカフェネタ「私もか?」
ラインハルトは手中の企画書を読みながら、思わず声を上げた。
文化祭の出し物について簡潔にまとめたものだ。自身の名前が接客担当者の部分に書いてある。去年と同じく調理担当を希望したはずなのだが。
企画書を渡してきたクラスメイトを見る。普段交流がない相手が授業のあいまに近寄ってきた時点で面倒事の予感が多少してはいたが。どうやら今年もカフェをやるらしいが、去年とはテーマを変えるらしい。まあ毎年メイドカフェをやるのも芸がないか。
「いやあ、まあ申し訳ないんだけど、やっぱり君をキッチンで眠らせておくのはもったいなくてさ。お願い! 接客組に入ってくれ! お礼するから!」
頼み込む声を聞き流しながら、もう一度企画書に目を通す。接客担当者の部分に知っている名前を見つけて、ラインハルトはひょいと眉を上げた。
2216ラインハルトは手中の企画書を読みながら、思わず声を上げた。
文化祭の出し物について簡潔にまとめたものだ。自身の名前が接客担当者の部分に書いてある。去年と同じく調理担当を希望したはずなのだが。
企画書を渡してきたクラスメイトを見る。普段交流がない相手が授業のあいまに近寄ってきた時点で面倒事の予感が多少してはいたが。どうやら今年もカフェをやるらしいが、去年とはテーマを変えるらしい。まあ毎年メイドカフェをやるのも芸がないか。
「いやあ、まあ申し訳ないんだけど、やっぱり君をキッチンで眠らせておくのはもったいなくてさ。お願い! 接客組に入ってくれ! お礼するから!」
頼み込む声を聞き流しながら、もう一度企画書に目を通す。接客担当者の部分に知っている名前を見つけて、ラインハルトはひょいと眉を上げた。
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DOODLE水銀黄金10月のテーマ「かぼちゃ」
ラインハルトは外出しようとして玄関のドアを開け、視界にうつった光景に目を疑った。大量のかぼちゃが並べられているからである。思わず開けたばかりのドアを閉めて、もう一度開けた。しかし大量のかぼちゃがそれで消えるわけもない。
外出するにしろ、外出をあきらめるにしろ、もはやこれからの予定はこの大量のかぼちゃを片づけることで埋められるだろう。ため息をついて、髪をくしゃりとかき乱す。
とはいえ、目をそらしていてもなにも進まない。片づけを始めようと、落としていた視線を上げたその時。ふと玄関に置いてある鏡に目がいった。鏡越しに黒い影のような男と目があう。振り返りながら後ずさると、目の前に男がひとり立っている。
572外出するにしろ、外出をあきらめるにしろ、もはやこれからの予定はこの大量のかぼちゃを片づけることで埋められるだろう。ため息をついて、髪をくしゃりとかき乱す。
とはいえ、目をそらしていてもなにも進まない。片づけを始めようと、落としていた視線を上げたその時。ふと玄関に置いてある鏡に目がいった。鏡越しに黒い影のような男と目があう。振り返りながら後ずさると、目の前に男がひとり立っている。
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DOODLE水銀黄金 手を伸ばす。机の天板の滑らかさを確かめながら、指先を動かしていく。
こつんと硬いものに指の背があたる。つるりとした触感は陶器特有のものだ。
まるいふちをなぞりながら、近くにあるはずのスプーンに指を添える。金属特有の冷たさに体温を移す。
ちいさくため息をついた。目が見えないだけで、普段通りの行動にいささかの違いが出る。
そのままスプーンを持ち上げようとしようとして、冷たい指が手首に絡みついてきた。咄嗟に蛇の姿を幻視する。反射的に振り払おうとするが、驚くほど自身の手首をつかむ指はびくともしなかった。ごく自然にスプーンを奪い取られる。
「私がお手伝いすると言いましたのに」
拗ねたような言い方だが、声音には笑みが含まれていて、その男は妙に機嫌が良さそうだった。
1688こつんと硬いものに指の背があたる。つるりとした触感は陶器特有のものだ。
まるいふちをなぞりながら、近くにあるはずのスプーンに指を添える。金属特有の冷たさに体温を移す。
ちいさくため息をついた。目が見えないだけで、普段通りの行動にいささかの違いが出る。
そのままスプーンを持ち上げようとしようとして、冷たい指が手首に絡みついてきた。咄嗟に蛇の姿を幻視する。反射的に振り払おうとするが、驚くほど自身の手首をつかむ指はびくともしなかった。ごく自然にスプーンを奪い取られる。
「私がお手伝いすると言いましたのに」
拗ねたような言い方だが、声音には笑みが含まれていて、その男は妙に機嫌が良さそうだった。
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DOODLE水銀黄金/現人神/9月のテーマ「酒」「酒か……」
悩まし気に眉をしかめた金髪の少年に、影のような男は微笑んだ。
成長途中のアンバランスさの残る美貌が苦慮に歪むのは、妙な色艶があった。桜貝のような爪がガラスの表面を滑り、ワイングラスの中で深い色合いの液体が揺れる。
好んで飲んでいたのを知っているからわざわざ持ってきたわけだが、酒が飲めるような歳ではないのも知っている。そもそも今のラインハルトは酒が飲める歳まで成長しない。
「すこしくらい、良いではないですか。あなたが多少趣味を楽しんだところで、咎めるものはおりますまい」
蛇の誘惑であった。
禁断の果実は葡萄であるという説もあるらしいと考えながら、結局少年はワイングラスを手に取った。
ワイングラスを遡って香る酒精に少年は目を細める。匂いだけでその白い頬に赤が散る。グラスの淵にちいさな唇の痕がつけられた。
1042悩まし気に眉をしかめた金髪の少年に、影のような男は微笑んだ。
成長途中のアンバランスさの残る美貌が苦慮に歪むのは、妙な色艶があった。桜貝のような爪がガラスの表面を滑り、ワイングラスの中で深い色合いの液体が揺れる。
好んで飲んでいたのを知っているからわざわざ持ってきたわけだが、酒が飲めるような歳ではないのも知っている。そもそも今のラインハルトは酒が飲める歳まで成長しない。
「すこしくらい、良いではないですか。あなたが多少趣味を楽しんだところで、咎めるものはおりますまい」
蛇の誘惑であった。
禁断の果実は葡萄であるという説もあるらしいと考えながら、結局少年はワイングラスを手に取った。
ワイングラスを遡って香る酒精に少年は目を細める。匂いだけでその白い頬に赤が散る。グラスの淵にちいさな唇の痕がつけられた。
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DOODLE水銀黄金/8月のテーマ「永遠」ここにあって、ここにない 金色の瞳の中に私がいた。
こつんとチェス盤に駒が音がする。盤面を眺めていたラインハルトが視線を上げて、私を見た。盤面に置かれた駒を見れば、今回も私の勝ちで終わるだろうという予想とともに、同じことを思ったことがあると既知感が忍び寄る。それはきっと相手にも同様に。
同じ手順、同じ手触り、同じ勝敗、同じ会話。繰り返し続けた流れ。いずれ飽きられてしまうだろうか。
「永遠にこのままだったら、どうなされます? ずっとこの部屋で、ふたりきりになって。我々の計画も関係なくなったら」
大したことのない雑談だ。ふと思いついた事を口にした。
対面に座る男はぱちりと瞬いて、面白がるように微笑んだ。
「さて、卿は繰り返しから逃れたいのだと思っていたが」
1044こつんとチェス盤に駒が音がする。盤面を眺めていたラインハルトが視線を上げて、私を見た。盤面に置かれた駒を見れば、今回も私の勝ちで終わるだろうという予想とともに、同じことを思ったことがあると既知感が忍び寄る。それはきっと相手にも同様に。
同じ手順、同じ手触り、同じ勝敗、同じ会話。繰り返し続けた流れ。いずれ飽きられてしまうだろうか。
「永遠にこのままだったら、どうなされます? ずっとこの部屋で、ふたりきりになって。我々の計画も関係なくなったら」
大したことのない雑談だ。ふと思いついた事を口にした。
対面に座る男はぱちりと瞬いて、面白がるように微笑んだ。
「さて、卿は繰り返しから逃れたいのだと思っていたが」
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DOODLE水銀黄金 背後からの軽い衝撃。抱きしめられたと気がついて、ラインハルトは数秒ほど固まった。
友達に抱きつかれた事に対する反応は、理由を聞く、振りほどく、甘やかすなど、一般的には様々なものが考えられるだろう。
しかしこの場においての反応はただ一つしかない。反応しないだ。
下手に刺激すると変な事になりかねないのをラインハルトは学んでいる。特別何をするでもなく、自然体で直前までしていた事を続けた。
198友達に抱きつかれた事に対する反応は、理由を聞く、振りほどく、甘やかすなど、一般的には様々なものが考えられるだろう。
しかしこの場においての反応はただ一つしかない。反応しないだ。
下手に刺激すると変な事になりかねないのをラインハルトは学んでいる。特別何をするでもなく、自然体で直前までしていた事を続けた。
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DOODLE水銀黄金 声が聞こえた。何を言っているのか拾い上げようと、散らばっていた意識が集まり始める。まだこの海で揺蕩っていたいのに。
しぶしふとまぶたを半分持ち上げると、寝台の半分を分け与えた友人が楽しげに独り言を垂れ流しているのが見えた。
「カール」
寝ているのだから静かにしてくれと抗議したつもりだった。
「おや、獣殿。目を覚ましたのですか」
わざとらしさを感じる微笑みを浮かべて、つらつらと話しかけてくる友人に、ラインハルトは手を伸ばした。ぐいと引き寄せて、友人の額にキスをする。
友人は大きく目を見開いたまま固まった。
静かになったのを良いことに、そのまま抱き寄せて、こどもを寝かしつけるように友人の腹の上に添えた手でとんとんとあやす。
485しぶしふとまぶたを半分持ち上げると、寝台の半分を分け与えた友人が楽しげに独り言を垂れ流しているのが見えた。
「カール」
寝ているのだから静かにしてくれと抗議したつもりだった。
「おや、獣殿。目を覚ましたのですか」
わざとらしさを感じる微笑みを浮かべて、つらつらと話しかけてくる友人に、ラインハルトは手を伸ばした。ぐいと引き寄せて、友人の額にキスをする。
友人は大きく目を見開いたまま固まった。
静かになったのを良いことに、そのまま抱き寄せて、こどもを寝かしつけるように友人の腹の上に添えた手でとんとんとあやす。
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DOODLE水銀黄金/怪談/現パロ/友情出演モブ「乾杯!」
かん、とガラス同士がぶつかり合う音がする。グラスになみなみと注がれたビールを飲み干して、空になったグラスをテーブルにたたきつけた。
「もう一杯!」
グラスをかかげて店員にむかって言う。
「もう酔っているのか?」
「論文から解放されたばっかりなんだし、はめをはずしてもいいだろ?」
金の髪がまばゆい友人の苦笑に唇をとがらせる。解放感から多少酒を飲むペースが速いのは否定しない。
「別に咎めたわけではないよ」
「おまえももっと飲むといい」
料理が入った小皿を友人のほうに押しやる。
同じ大学に通っている友人だった。人と思えないほどに美しく、正直自分とは違う世界にいるようような男だ。ちょっとしたきっかけがあり、こうしてふたりで出かけるくらいの付き合いになったが、本来ならばふたりで話すこともなかっただろう。
1410かん、とガラス同士がぶつかり合う音がする。グラスになみなみと注がれたビールを飲み干して、空になったグラスをテーブルにたたきつけた。
「もう一杯!」
グラスをかかげて店員にむかって言う。
「もう酔っているのか?」
「論文から解放されたばっかりなんだし、はめをはずしてもいいだろ?」
金の髪がまばゆい友人の苦笑に唇をとがらせる。解放感から多少酒を飲むペースが速いのは否定しない。
「別に咎めたわけではないよ」
「おまえももっと飲むといい」
料理が入った小皿を友人のほうに押しやる。
同じ大学に通っている友人だった。人と思えないほどに美しく、正直自分とは違う世界にいるようような男だ。ちょっとしたきっかけがあり、こうしてふたりで出かけるくらいの付き合いになったが、本来ならばふたりで話すこともなかっただろう。
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DOODLE水銀黄金/小ネタ無無明尽 浜辺にいた。傾きかけた太陽。黄昏色に染まった世界。潮騒。
目の前には知っている後姿がある。濡れた砂浜に立っている男の長い金髪は風にあおられて浮き上がり、光に溶けていきそうだった。見慣れた黒い外套をひるがえして男が振り返る。
その後ろで夕日に照らされて金色に輝く波が盛り上がり始めていた。予感があった。
男は金の瞳をやわく笑いの形に蕩けさせて、いたずらっぽく笑う。
「地獄で待っているぞ、カール」
その声が聞こえるや否や、金色の波に押し流される。
男の姿は波にさらわれてどこにもない。
呼吸ができないくらいで苦しむはずもないのに、妙に胸がさわがしい。苦しいのだと一拍遅れて理解する。苦しかった。訳もなく叫びたくて仕方ない。怒りも涙も渇き果てたこの身にいまさらそのような激情があるはずもない。しかし周囲の海水を取り込むたび苦しさが増していくような気がする。
449目の前には知っている後姿がある。濡れた砂浜に立っている男の長い金髪は風にあおられて浮き上がり、光に溶けていきそうだった。見慣れた黒い外套をひるがえして男が振り返る。
その後ろで夕日に照らされて金色に輝く波が盛り上がり始めていた。予感があった。
男は金の瞳をやわく笑いの形に蕩けさせて、いたずらっぽく笑う。
「地獄で待っているぞ、カール」
その声が聞こえるや否や、金色の波に押し流される。
男の姿は波にさらわれてどこにもない。
呼吸ができないくらいで苦しむはずもないのに、妙に胸がさわがしい。苦しいのだと一拍遅れて理解する。苦しかった。訳もなく叫びたくて仕方ない。怒りも涙も渇き果てたこの身にいまさらそのような激情があるはずもない。しかし周囲の海水を取り込むたび苦しさが増していくような気がする。
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DOODLE水銀黄金前提モブ視点IF設定
ぴくりと指がはねる。
廃工場の片隅で座り込んだまま動けなかった。あたりには殴打痕が色濃く残る人間が何人も倒れている。さきほどまでの狂乱ぶりなど影も形もなく、今は妙に静謐な雰囲気が漂っていた。
ひとつ溜息をついて、上着のポケットからスマホを取り出す。匿名での通報をして、よいしょと立ち上がった。体のあちこちが痛みを訴えている。早く家に帰って風呂に入りたい。
若干足を引きずりながら歩きだしたところで、廃工場の出入口の傍に男が一人立っているのに気が付いた。長い黒髪を黄色いリボンでまとめた、15、6歳ほどの男だ。扉が蹴倒されたままのそこから差し込んだ月光で、男が立っている場所はより一層深い闇のように見えた。
1436廃工場の片隅で座り込んだまま動けなかった。あたりには殴打痕が色濃く残る人間が何人も倒れている。さきほどまでの狂乱ぶりなど影も形もなく、今は妙に静謐な雰囲気が漂っていた。
ひとつ溜息をついて、上着のポケットからスマホを取り出す。匿名での通報をして、よいしょと立ち上がった。体のあちこちが痛みを訴えている。早く家に帰って風呂に入りたい。
若干足を引きずりながら歩きだしたところで、廃工場の出入口の傍に男が一人立っているのに気が付いた。長い黒髪を黄色いリボンでまとめた、15、6歳ほどの男だ。扉が蹴倒されたままのそこから差し込んだ月光で、男が立っている場所はより一層深い闇のように見えた。
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DOODLE水銀黄金 ラインハルトはガラスケースの中におさまっている宝石を見て、少し眉をひそめた。
30ctの赤色金剛石。柔らかな布の上で眠る宝石は素人目に見ても美しい。宝石自体の希少性もさることながら、この石についてまわる血なまぐさい噂がラインハルトをここに呼び出した。
この宝石の所有者はみな首を切られて死ぬのだという。ラインハルトが把握している限りでは、歴代の所有者は全員この宝石を首にかけたあと、事故や宝石目当ての強盗など、なんらかの理由で首を刎ねられて生首を地に転がしていた。オカルトめいた話だが、実際に高頻度で死人が出ている。ラインハルトの管轄ではないが、こうも事態が落ち着かないのであればと個人的に動くことにした。
198830ctの赤色金剛石。柔らかな布の上で眠る宝石は素人目に見ても美しい。宝石自体の希少性もさることながら、この石についてまわる血なまぐさい噂がラインハルトをここに呼び出した。
この宝石の所有者はみな首を切られて死ぬのだという。ラインハルトが把握している限りでは、歴代の所有者は全員この宝石を首にかけたあと、事故や宝石目当ての強盗など、なんらかの理由で首を刎ねられて生首を地に転がしていた。オカルトめいた話だが、実際に高頻度で死人が出ている。ラインハルトの管轄ではないが、こうも事態が落ち着かないのであればと個人的に動くことにした。
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DOODLE水銀黄金前提刹那入りキャラ崩壊ギャグ
うつむいてしまった香純を前に、蓮は沈黙を返すしかなかった。
夕食を終わらせたあと、少し話がしたいと切り出された。近頃続いている殺人事件のことや、蓮がなにかを隠していること、それについて話し合いたいと彼女は言った。
しかし香純を巻き込むつもりがない蓮が、彼女に言えることはなかった。
「……色々聞いちゃって、ごめんね。もう私、寝るね!」
わざと明るく言っているが、その声は震えていた。ぱっと身をひるがえして、部屋から出ていくその横顔から、涙がひとつぶ飛び立った。もたもたと壁に開いた穴から自身の部屋に帰っていくのをなんとも言い難い表情で見送る。締まらないな……。
「まったく。卿の代役は女の扱いが下手だな」
2477夕食を終わらせたあと、少し話がしたいと切り出された。近頃続いている殺人事件のことや、蓮がなにかを隠していること、それについて話し合いたいと彼女は言った。
しかし香純を巻き込むつもりがない蓮が、彼女に言えることはなかった。
「……色々聞いちゃって、ごめんね。もう私、寝るね!」
わざと明るく言っているが、その声は震えていた。ぱっと身をひるがえして、部屋から出ていくその横顔から、涙がひとつぶ飛び立った。もたもたと壁に開いた穴から自身の部屋に帰っていくのをなんとも言い難い表情で見送る。締まらないな……。
「まったく。卿の代役は女の扱いが下手だな」
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DOODLE水銀黄金 がたん、ごとん、とレールジョイントを車輪が乗り越える音がする。
電車のなかにいた。座席に座って、自身のバッグを抱えて、うつらうつらと体を揺らす。近くの席でこどもがきゃあきゃあとはしゃいでいるのが見えるのに、不思議と聞こえなかった。分厚い水をへだてているような、不明瞭さだ。
眠っているのだと思った。
通路を挟んだ反対側の席に座っている男が、人の頭を膝の上に乗せているのを見たからだ。誰も騒がないので、妙な白昼夢を見ているのだと思った。
長い黒髪を黄色いリボンでまとめた男は、至極大事そうに頭を撫でていた。黄金の髪を撫で、いとしげに頬に指を滑らせる。
「次はどこへいこうか」
男が楽し気にぽつりとつぶやいただけの独り言が妙にはっきりと聞こえる。
404電車のなかにいた。座席に座って、自身のバッグを抱えて、うつらうつらと体を揺らす。近くの席でこどもがきゃあきゃあとはしゃいでいるのが見えるのに、不思議と聞こえなかった。分厚い水をへだてているような、不明瞭さだ。
眠っているのだと思った。
通路を挟んだ反対側の席に座っている男が、人の頭を膝の上に乗せているのを見たからだ。誰も騒がないので、妙な白昼夢を見ているのだと思った。
長い黒髪を黄色いリボンでまとめた男は、至極大事そうに頭を撫でていた。黄金の髪を撫で、いとしげに頬に指を滑らせる。
「次はどこへいこうか」
男が楽し気にぽつりとつぶやいただけの独り言が妙にはっきりと聞こえる。
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DOODLE水銀黄金/作家と編集者 たしかに子供の体調は優れないようだった。赤く染まった顔。額に触れれば恐ろしいほど体温が高いのがわかる。
生まれつき体が弱いのだとカール・クラフトは言った。担当編集者として原稿の回収に来ただけだと言うのに、妙な事になったなとラインハルトは思考の片隅で思った。
自身の父を見上げる子供の目は憤怒で満たされているようだった。ぎろりとカールを睨みつけたあと、言おうとして口を開く。しかしかすれ切った、意味のある単語にさえ聞こえない声。喋れないことに驚いた様子で喉を押さえたあと、子供は舌打ちをして黙り込んだ。睨まれた父親の方は、やれやれとでもいいたげに肩をすくめる。
ベッドに寝かせられた子供の熱をはかりつつ、ラインハルトは彼の作家に問いかけた。
1085生まれつき体が弱いのだとカール・クラフトは言った。担当編集者として原稿の回収に来ただけだと言うのに、妙な事になったなとラインハルトは思考の片隅で思った。
自身の父を見上げる子供の目は憤怒で満たされているようだった。ぎろりとカールを睨みつけたあと、言おうとして口を開く。しかしかすれ切った、意味のある単語にさえ聞こえない声。喋れないことに驚いた様子で喉を押さえたあと、子供は舌打ちをして黙り込んだ。睨まれた父親の方は、やれやれとでもいいたげに肩をすくめる。
ベッドに寝かせられた子供の熱をはかりつつ、ラインハルトは彼の作家に問いかけた。
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DOODLE水銀黄金「おまえが生まれてきたことが何よりの幸いだ」
にこにこと上機嫌そうな代父が差し出した箱を、少年は凪いだ気持ちで受け取った。少年の代父はこの日は異様に機嫌が良くなるのだ。
受け取った箱は丁寧に包装されている。開けなさいという無言の圧を感じて、少年は包装紙に手をかけた。きらびやかな包装をやぶるのをじっと見つめられて、いささか居心地が悪い。
中から出てきたのは、楽譜だった。音符を目で追って脳の中で奏でる。知らない曲だ。
「ラインハルト、さあ、こちらへ」
代父に手を引かれて向かった先はピアノが置かれている部屋だった。
ピアノのふたが開けられる。椅子に座ることをうながされた。
弾け、ということだ。
少年は鍵盤に指をのせた。その上から代父の手が重ねられる。ふたりの指が絡まった。
495にこにこと上機嫌そうな代父が差し出した箱を、少年は凪いだ気持ちで受け取った。少年の代父はこの日は異様に機嫌が良くなるのだ。
受け取った箱は丁寧に包装されている。開けなさいという無言の圧を感じて、少年は包装紙に手をかけた。きらびやかな包装をやぶるのをじっと見つめられて、いささか居心地が悪い。
中から出てきたのは、楽譜だった。音符を目で追って脳の中で奏でる。知らない曲だ。
「ラインハルト、さあ、こちらへ」
代父に手を引かれて向かった先はピアノが置かれている部屋だった。
ピアノのふたが開けられる。椅子に座ることをうながされた。
弾け、ということだ。
少年は鍵盤に指をのせた。その上から代父の手が重ねられる。ふたりの指が絡まった。
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DOODLE水銀黄金 来客を告げるメイドの声に、女は慌てて身なりを整えた。思っているよりも早く到着したらしい。2人分の足音がどんどん近づいてくる。
入室の許しを得て、ドアを潜ってきたのは影のような男だった。長い黒髪をまとめる黄色いリボンだけが色鮮やかだった。
「ご機嫌いかがかな、ご婦人」
「あなたのお陰で良い日々を過ごせているわ」
ふふ、と女は笑った。
影のような男は占い師なのだ。最初は胡散臭いと女も警戒していた。しかし失せ物探しや悩みに対して、ぴたりと当たる預言を繰り返されたら信じるしかないだろう。
「今日はどのようなご用件かしら?」
珍しいことに男の方から会いたいと連絡が来たので、女は興味深げに男を見た。
「ご懐妊、おめでとうございます。まずはあなたのために言祝ぐことをお許しいただきたい」
1070入室の許しを得て、ドアを潜ってきたのは影のような男だった。長い黒髪をまとめる黄色いリボンだけが色鮮やかだった。
「ご機嫌いかがかな、ご婦人」
「あなたのお陰で良い日々を過ごせているわ」
ふふ、と女は笑った。
影のような男は占い師なのだ。最初は胡散臭いと女も警戒していた。しかし失せ物探しや悩みに対して、ぴたりと当たる預言を繰り返されたら信じるしかないだろう。
「今日はどのようなご用件かしら?」
珍しいことに男の方から会いたいと連絡が来たので、女は興味深げに男を見た。
「ご懐妊、おめでとうございます。まずはあなたのために言祝ぐことをお許しいただきたい」
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DOODLE水銀黄金/作家と編集 丁寧にラッピングされた小箱を前に、ラインハルトはなんとも言い難い表情でそのリボンを引っ張った。机の上にあるものはすべてファンからの贈り物だから、勝手に食べて良いと言われたものの、甘いものを特別好んでいるわけではない。この量のチョコレートが並んでいるのを見ると、それだけで舌が馬鹿になる気がした。
積まれた贈り物の中から、引き寄せた小箱を軽く振ってみる。市販品である。開封された様子はない。
深い色のリボンを解き、箱のふたをあけると、3列に並べられたチョコが見える。個別に包装もされていた。1粒つまんで口に運ぼうとして、やめた。
背後の闇の中に、誰かがたたずんでいることに気が付いたからだ。
「もう終わったのか?」
429積まれた贈り物の中から、引き寄せた小箱を軽く振ってみる。市販品である。開封された様子はない。
深い色のリボンを解き、箱のふたをあけると、3列に並べられたチョコが見える。個別に包装もされていた。1粒つまんで口に運ぼうとして、やめた。
背後の闇の中に、誰かがたたずんでいることに気が付いたからだ。
「もう終わったのか?」
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DOODLE水銀黄金 てててっと駆け寄ってきたこどもを見て、ラインハルトは多少眉をしかめた。
長い黒髪を黄色いリボンで結った少年だ。両手でもふもふとした獣のぬいぐるみを抱えていた。デフォルメされたぬいぐるみの原型を想像してみたが、よくわからない。猫耳のようなものは生えているのでネコ科のなにかだろう。
少年はラインハルトの後をずっとついてきている。ラインハルトは特に歩くスピードを遅くしなかったが、あきらめずにずっとついてきているのだ。
自分の家の前について、ラインハルトはさすがに足をとめて振り返った。
このままだと家の中までついてきそうだ。
「迷子なら――」
ラインハルトが口を開くや否や、少年はひしとラインハルトに抱きついた。
641長い黒髪を黄色いリボンで結った少年だ。両手でもふもふとした獣のぬいぐるみを抱えていた。デフォルメされたぬいぐるみの原型を想像してみたが、よくわからない。猫耳のようなものは生えているのでネコ科のなにかだろう。
少年はラインハルトの後をずっとついてきている。ラインハルトは特に歩くスピードを遅くしなかったが、あきらめずにずっとついてきているのだ。
自分の家の前について、ラインハルトはさすがに足をとめて振り返った。
このままだと家の中までついてきそうだ。
「迷子なら――」
ラインハルトが口を開くや否や、少年はひしとラインハルトに抱きついた。
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DOODLE水銀黄金 目を覚ましたら世界が滅んでいた。
寝室の天井はいつも通りだけれど、妙な確信があった。世界はもう滅んでいるのだ。
寝台から起きて、普段通りに身支度を始める。
静かであった。窓越しの喧騒はどこにもなく、試しにとテレビをつけてみれば、ざあざあとノイズが走るばかり。
ダイニングの机に置きっぱなしだった新聞を手に取る。昨日の日付のものだ。自身の写真がそこに乗っていた。ラインハルトが俳優を引退したことを報じる記事が書かれている。特に目新しい内容はない。新聞を机の上に戻した。
さて、どうしよう。
窓の外を見る。空はまっくろで、延々と星が落ちていた。見渡す限り建築物は崩れていて、無事なのはラインハルトの家だけのようだ。
916寝室の天井はいつも通りだけれど、妙な確信があった。世界はもう滅んでいるのだ。
寝台から起きて、普段通りに身支度を始める。
静かであった。窓越しの喧騒はどこにもなく、試しにとテレビをつけてみれば、ざあざあとノイズが走るばかり。
ダイニングの机に置きっぱなしだった新聞を手に取る。昨日の日付のものだ。自身の写真がそこに乗っていた。ラインハルトが俳優を引退したことを報じる記事が書かれている。特に目新しい内容はない。新聞を机の上に戻した。
さて、どうしよう。
窓の外を見る。空はまっくろで、延々と星が落ちていた。見渡す限り建築物は崩れていて、無事なのはラインハルトの家だけのようだ。
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DOODLE水銀黄金「あなたの隣には誰もいない」
かつて聞いたことのある言葉にラインハルトはひょいと眉を上げた。
何の話をしていたのだったか、ゆるゆると記憶を辿るが、この夜闇の如き友人がつらつらとなにかを喋っていたことしか思い出せない。
城の私室でチェスをして、その後酒をなめながらまったりと話をしていた。途中から意識がふわついて、ぼんやりし始めてしまった。友人の声はどうにも眠気を誘う。
いつのまにか側にいた友人に手を取られて、指先に口付けられる。指先の後は手の甲と、徐々に上ってくるキスの位置。
「あなたの孤独を誰も理解しない」
どこか優越感の滲む声だ。
頬へのキス。唇へのキス。ちろりと唇を舐められる。
いつもならばここで唇を開いて、侵入を許すところだったが、なんとなく止めた。友人の肩を押して、身体を離す。
638かつて聞いたことのある言葉にラインハルトはひょいと眉を上げた。
何の話をしていたのだったか、ゆるゆると記憶を辿るが、この夜闇の如き友人がつらつらとなにかを喋っていたことしか思い出せない。
城の私室でチェスをして、その後酒をなめながらまったりと話をしていた。途中から意識がふわついて、ぼんやりし始めてしまった。友人の声はどうにも眠気を誘う。
いつのまにか側にいた友人に手を取られて、指先に口付けられる。指先の後は手の甲と、徐々に上ってくるキスの位置。
「あなたの孤独を誰も理解しない」
どこか優越感の滲む声だ。
頬へのキス。唇へのキス。ちろりと唇を舐められる。
いつもならばここで唇を開いて、侵入を許すところだったが、なんとなく止めた。友人の肩を押して、身体を離す。
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DOODLE水銀黄金/小ネタ 目を覚ましたものの、起き上がる気になれなかった。
原稿を書く合間に少し休もうとソファで横になったのだ。1時間だけ寝るつもりが、気がついたらもう深夜が近い。
どうしたものかとカールは横になったまま考えた。後頭部に感じるふとももの感触。見上げればテレビを見ているうちに眠ってしまったらしい友人の姿。起き上がらない理由をもう一度探した。
また眠ってしまおうか。しかし友人をこのままソファで眠らせるより、寝室に運んだほうがいいだろう。
そうは思うものの、良い眺めなのであまり動く気にならない。
肘置きに頬杖をついて眠っている友人をぼけっと見ていた。
276原稿を書く合間に少し休もうとソファで横になったのだ。1時間だけ寝るつもりが、気がついたらもう深夜が近い。
どうしたものかとカールは横になったまま考えた。後頭部に感じるふとももの感触。見上げればテレビを見ているうちに眠ってしまったらしい友人の姿。起き上がらない理由をもう一度探した。
また眠ってしまおうか。しかし友人をこのままソファで眠らせるより、寝室に運んだほうがいいだろう。
そうは思うものの、良い眺めなのであまり動く気にならない。
肘置きに頬杖をついて眠っている友人をぼけっと見ていた。
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DOODLE水銀黄金「どうしても?」
「どうしても」
言い切った友人(友人である。本人がなんと言おうとも。いずれそうなる定めであるがゆえに)を恨みがまし気に見つめて、カール・クラフトは観念して鋏を握った。
多少伸びた、ようやっと肩甲骨を覆うほどの長さになった金糸。ほのかに輝いているそれを、カール・クラフトは慎重に掬い取った。
「……どうしても?」
「何度聞くつもりだ。仕事に支障があると言っただろう。私はすでに譲歩したぞ」
友人はすごく面倒そうであった。これ以上ごねれば鋏を奪って自ら髪を切りそうな様子だ。
先週のことだ。そろそろ髪を切る必要があるなと呟いた友人に、カール・クラフトはまずもったいないと語った。髪には力が宿る。魔術を行使するものとしては髪は長い方が良いと言ったことを教えた。魔術の祖が直々に語る魔術の基礎であったが、返ってきた反応は冷淡なものであった。「そうか、私は使わない」の一言で終わってしまったのだ。
1241「どうしても」
言い切った友人(友人である。本人がなんと言おうとも。いずれそうなる定めであるがゆえに)を恨みがまし気に見つめて、カール・クラフトは観念して鋏を握った。
多少伸びた、ようやっと肩甲骨を覆うほどの長さになった金糸。ほのかに輝いているそれを、カール・クラフトは慎重に掬い取った。
「……どうしても?」
「何度聞くつもりだ。仕事に支障があると言っただろう。私はすでに譲歩したぞ」
友人はすごく面倒そうであった。これ以上ごねれば鋏を奪って自ら髪を切りそうな様子だ。
先週のことだ。そろそろ髪を切る必要があるなと呟いた友人に、カール・クラフトはまずもったいないと語った。髪には力が宿る。魔術を行使するものとしては髪は長い方が良いと言ったことを教えた。魔術の祖が直々に語る魔術の基礎であったが、返ってきた反応は冷淡なものであった。「そうか、私は使わない」の一言で終わってしまったのだ。
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DOODLE水銀黄金/現人神小ネタ「カールよ」
足を掴まれたまま、少年は影を呼んだ。応えはない。影は少年の足の爪を整えることに執心していた。丁寧に磨き上げて、ゴールドラメ入りの透明なマニキュアを塗るのに忙しいのだ。
少年は結局枕を抱きしめて、ベッドに倒れ込んだ。まあ大人しくしていればいいのだから、もう寝てしまってもいいだろうか。良いはずだ。
すやぁ、と寝てしまった少年に、影は相変わらず警戒することを知らないと思ったとか、思わなかったとか。
207足を掴まれたまま、少年は影を呼んだ。応えはない。影は少年の足の爪を整えることに執心していた。丁寧に磨き上げて、ゴールドラメ入りの透明なマニキュアを塗るのに忙しいのだ。
少年は結局枕を抱きしめて、ベッドに倒れ込んだ。まあ大人しくしていればいいのだから、もう寝てしまってもいいだろうか。良いはずだ。
すやぁ、と寝てしまった少年に、影は相変わらず警戒することを知らないと思ったとか、思わなかったとか。
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DOODLE水銀黄金「拾ってください」
はあ、と神父ラインハルトは困ったように微笑んだ。インターホンの音に気が付いて、玄関の扉を開けた途端これである。反応に困るだろう。
目の前に立っている男は、影がかたちを持ったような男だった。夜闇のような長髪を黄色いリボンでまとめて、服装も身綺麗なものだ。金に困っているようには見えない。
「なにか困りごとでも?」
拾う拾わないの話はひとまず置いて、ラインハルトはなぜそのような事を言い出したのか、聞いてみることにした。
「情けない話ですが、実は帰るところがないのです」
堂々と言い切る様は困っているようには見えないが、男の妙な自信がにじむ態度は嘘を言っているとも思えなかった。
「そういったことなら、私ではあまり役に立てないと思うが……」
722はあ、と神父ラインハルトは困ったように微笑んだ。インターホンの音に気が付いて、玄関の扉を開けた途端これである。反応に困るだろう。
目の前に立っている男は、影がかたちを持ったような男だった。夜闇のような長髪を黄色いリボンでまとめて、服装も身綺麗なものだ。金に困っているようには見えない。
「なにか困りごとでも?」
拾う拾わないの話はひとまず置いて、ラインハルトはなぜそのような事を言い出したのか、聞いてみることにした。
「情けない話ですが、実は帰るところがないのです」
堂々と言い切る様は困っているようには見えないが、男の妙な自信がにじむ態度は嘘を言っているとも思えなかった。
「そういったことなら、私ではあまり役に立てないと思うが……」
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DOODLE水銀黄金/現人神「ご機嫌麗しゅう、影殿」
共用スペースに設置された机で作業をしていたところに、影の如き男がやってきたことに気が付いて、私は丁寧に挨拶をした。
影の如き男の用件は察している。我らが輝かしき光が側にいないのを見るに、その行方を尋ねに来たのだろう。
「どこにいるか、知っているか」
そら来た。
主語すらない問いかけだが、その意図を汲めないわけもない。この影の如き男が自ら尋ねるのはひとりに関することのみだ。
私は少し考え込んでから、首を横に振った。
「いいえ、本日私はかの方にお会いしておりませんので……お役に立てず申し訳ございませんが、他の方に尋ねられたほうがよろしいかと」
影の如き男の温度のない視線に、私は困ったように微笑んだ。幾度かの瞬きの間、微苦笑を崩さずにいると、影の如き男はそうかと一度頷いて去っていった。
1272共用スペースに設置された机で作業をしていたところに、影の如き男がやってきたことに気が付いて、私は丁寧に挨拶をした。
影の如き男の用件は察している。我らが輝かしき光が側にいないのを見るに、その行方を尋ねに来たのだろう。
「どこにいるか、知っているか」
そら来た。
主語すらない問いかけだが、その意図を汲めないわけもない。この影の如き男が自ら尋ねるのはひとりに関することのみだ。
私は少し考え込んでから、首を横に振った。
「いいえ、本日私はかの方にお会いしておりませんので……お役に立てず申し訳ございませんが、他の方に尋ねられたほうがよろしいかと」
影の如き男の温度のない視線に、私は困ったように微笑んだ。幾度かの瞬きの間、微苦笑を崩さずにいると、影の如き男はそうかと一度頷いて去っていった。
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DOODLE水銀黄金/アトリエ「カールよ、あまり私の部下を怖がらせてくれるな。また泣きつかれたぞ、今年も依頼達成件数が足りていないらしいな」
ふよふよと中に浮かぶ手のひら大の月らしきものをそっと押しのけて、工房の片隅に置かれた椅子に腰掛けている金髪の男が言う。
光を紡いだ長い黄金の髪と蕩けた金の瞳が印象的な、この世のものと思えぬほど美しい男だ。
星の海を模した工房は基本的に薄暗く、その中で金髪の男は自ら発光しているかのようにまばゆかった。
「はて、あなたの部下ともなれば、海千山千の手練れ。私のようなものになにが出来ましょう」
一瞬まぶし気に目を細めて、工房の主は空惚けた。金髪の男が微苦笑をこぼす。
「達成件数が足りないと、工房経営の資格が剥奪されるのは、卿も知っているだろう」
1031ふよふよと中に浮かぶ手のひら大の月らしきものをそっと押しのけて、工房の片隅に置かれた椅子に腰掛けている金髪の男が言う。
光を紡いだ長い黄金の髪と蕩けた金の瞳が印象的な、この世のものと思えぬほど美しい男だ。
星の海を模した工房は基本的に薄暗く、その中で金髪の男は自ら発光しているかのようにまばゆかった。
「はて、あなたの部下ともなれば、海千山千の手練れ。私のようなものになにが出来ましょう」
一瞬まぶし気に目を細めて、工房の主は空惚けた。金髪の男が微苦笑をこぼす。
「達成件数が足りないと、工房経営の資格が剥奪されるのは、卿も知っているだろう」
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DOODLE水銀黄金 時折心の臓が痛む。癒えない傷がそこにあるように。
とうの昔に脈打つことも忘れたような心臓だ。生まれてこの方、傷を負ったこともない。痛むはずがないと理性は言うが、存在を主張するように折りに触れて心臓は傷んだ。
特に輝ける黄金を見るたびに引き攣れた。
例えば風に遊ばれている金糸であったり、思索にしずむ際の目を伏せた横顔であったり、チェスの駒をつまむ指先であったり。特に珍しくもない、日常のさなかの仕草だ。
はて、ではこの心臓はなぜ痛んでいるのか。まさか本体の不手際ではないだろうな、と無意味な考えを巡らせた。触覚の心臓に不具合をつくっておく意味がないので、ありえない話なのだが。
たまに痛む以外に問題もないため、放っておいた傷の意味を理解したのは、計画が最終段階に至ってからだった。
1060とうの昔に脈打つことも忘れたような心臓だ。生まれてこの方、傷を負ったこともない。痛むはずがないと理性は言うが、存在を主張するように折りに触れて心臓は傷んだ。
特に輝ける黄金を見るたびに引き攣れた。
例えば風に遊ばれている金糸であったり、思索にしずむ際の目を伏せた横顔であったり、チェスの駒をつまむ指先であったり。特に珍しくもない、日常のさなかの仕草だ。
はて、ではこの心臓はなぜ痛んでいるのか。まさか本体の不手際ではないだろうな、と無意味な考えを巡らせた。触覚の心臓に不具合をつくっておく意味がないので、ありえない話なのだが。
たまに痛む以外に問題もないため、放っておいた傷の意味を理解したのは、計画が最終段階に至ってからだった。
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DOODLE水銀黄金「とはいえ、それだけのことで私が犯人と断定できるわけもありますまい」
面倒、というよりは不機嫌な様子で吐き捨てて、水銀はくすくすと笑っている友人を睨んだ。
雪に閉ざされたペンション。破壊された通信機器。中からの脱出も、外からの救援も難しい。つまり、"お決まり"のやつである。
旅行に来ただけだというのに、よくもまあ妙なことが起きるものだ。
朝霧を切り裂いた悲鳴につられて、寝間着の上に一枚羽織って友人が様子を見に行った時から、水銀の機嫌は地を這っていた。
卿も来たほうがいいぞ、と笑みを含んだ声で言われて、厄介ごとを察して余計に機嫌が悪くなった。
のろのろと身支度を整えて現場に向かえば、水銀を出迎えたのは見知らぬ死体と殺人容疑であった。なんとも都合がいいことに居合わせた医者が確かめたところ、死亡推定時刻に所在不明だったのがこの蛇のみであるという言い分らしい。
800面倒、というよりは不機嫌な様子で吐き捨てて、水銀はくすくすと笑っている友人を睨んだ。
雪に閉ざされたペンション。破壊された通信機器。中からの脱出も、外からの救援も難しい。つまり、"お決まり"のやつである。
旅行に来ただけだというのに、よくもまあ妙なことが起きるものだ。
朝霧を切り裂いた悲鳴につられて、寝間着の上に一枚羽織って友人が様子を見に行った時から、水銀の機嫌は地を這っていた。
卿も来たほうがいいぞ、と笑みを含んだ声で言われて、厄介ごとを察して余計に機嫌が悪くなった。
のろのろと身支度を整えて現場に向かえば、水銀を出迎えたのは見知らぬ死体と殺人容疑であった。なんとも都合がいいことに居合わせた医者が確かめたところ、死亡推定時刻に所在不明だったのがこの蛇のみであるという言い分らしい。
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DOODLE水銀黄金 その胸元で揺れる十字架が妙に印象に残った。
もうかなり昔のことである。近所の廃墟であるはずの教会から物音が聞こえることに気がついてしまい、それはもう嫌だったのだが、様子を見に中に入った。
するとステンドグラスから差し込む光の中に、カソックを着た男がひとり立っていたのである。他人の気配に気がついたためか、男は振り返った。光り輝く長い金糸が優雅に弧を描くのに見惚れていたが、男の顔を見てしまうと、その衝撃さえ過去のものだ。
この世のものと思えぬほど美しい男だった。神が手ずから作り上げた美の極致と言っても過言ではないだろう。
男は巡回神父であると名乗った。通りすがりに教会を見かけて、せっかくなのでと立ち寄ったのだそうだ。祈りを捧げるためかと問うと、男は少しばかり困ったように微笑んだ。
541もうかなり昔のことである。近所の廃墟であるはずの教会から物音が聞こえることに気がついてしまい、それはもう嫌だったのだが、様子を見に中に入った。
するとステンドグラスから差し込む光の中に、カソックを着た男がひとり立っていたのである。他人の気配に気がついたためか、男は振り返った。光り輝く長い金糸が優雅に弧を描くのに見惚れていたが、男の顔を見てしまうと、その衝撃さえ過去のものだ。
この世のものと思えぬほど美しい男だった。神が手ずから作り上げた美の極致と言っても過言ではないだろう。
男は巡回神父であると名乗った。通りすがりに教会を見かけて、せっかくなのでと立ち寄ったのだそうだ。祈りを捧げるためかと問うと、男は少しばかり困ったように微笑んだ。
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DOODLE水銀黄金/R15くらい みずからの足元に跪いて、無防備にさらされたラインハルトのつまさきにくちづける男を見下ろして、ラインハルトはなんとも言いがたい表情を浮かべた。
すでに見慣れてしまった寝台に腰を掛けたまま、相手の長い黒髪が地面を這うのを眺める。
妙なことになったものだ。もとは体調不良で休んだ同僚のかわりに原稿を受け取りに来ただけだというのに、なぜだか私以外には原稿は渡さないと作家が言い出し、気が付いたら部署替えが行われて今に至っている。
原稿を渡す条件も回を重ねるごとにエスカレートしていた。
くるぶしやふとももに押し付けられる唇。唾液のあとを残しながら這い上がっていく舌。この家をたずねた際に着ていた服は、シャツを残してすでに脱がされていた。押されるがまま寝台に沈み込む。
1548すでに見慣れてしまった寝台に腰を掛けたまま、相手の長い黒髪が地面を這うのを眺める。
妙なことになったものだ。もとは体調不良で休んだ同僚のかわりに原稿を受け取りに来ただけだというのに、なぜだか私以外には原稿は渡さないと作家が言い出し、気が付いたら部署替えが行われて今に至っている。
原稿を渡す条件も回を重ねるごとにエスカレートしていた。
くるぶしやふとももに押し付けられる唇。唾液のあとを残しながら這い上がっていく舌。この家をたずねた際に着ていた服は、シャツを残してすでに脱がされていた。押されるがまま寝台に沈み込む。
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DOODLE水銀黄金契約「私とエンゲージしてくれ」
そろりとラインハルトの様子をうかがうような声音だった。
また来たか。ちいさく、息だけで笑う。
ばたりと投げ出されたラインハルトの手に、誰かの手が重ねられて、ゆるりと薬指の付け根を撫でられた。
視界はかすんでいて、垂れ下がった血が余計にうっとうしい。
事故といえば事故だった。避けられるはずの出来事を、避けようともしなかったことも加味して考えると、自損のようでもあったが。
こうして死が近づくと、どこからともなく現れる男がいることを思い出す。
かすむ視界では黒い人影でしか認識できないけれど、毎度同じ男で、同じような台詞を吐いた。
人のことをさんざん悪魔だのなんだのと言ってくれたが、死にかけの時に契約を持ちかけるなど、そちらのほうがよほど悪魔らしいではないか。
445そろりとラインハルトの様子をうかがうような声音だった。
また来たか。ちいさく、息だけで笑う。
ばたりと投げ出されたラインハルトの手に、誰かの手が重ねられて、ゆるりと薬指の付け根を撫でられた。
視界はかすんでいて、垂れ下がった血が余計にうっとうしい。
事故といえば事故だった。避けられるはずの出来事を、避けようともしなかったことも加味して考えると、自損のようでもあったが。
こうして死が近づくと、どこからともなく現れる男がいることを思い出す。
かすむ視界では黒い人影でしか認識できないけれど、毎度同じ男で、同じような台詞を吐いた。
人のことをさんざん悪魔だのなんだのと言ってくれたが、死にかけの時に契約を持ちかけるなど、そちらのほうがよほど悪魔らしいではないか。
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DOODLE水銀黄金 夢を見ている。
光をつむいだような金の髪がカーテンのように世界をくぎっていた。
私は傷つき、おとろえている。体が動かないのだ。星々のように砕けて、ちいさくなっていた。
私を見下ろす金の瞳は慈愛に蕩けていて、動けない私を抱き起す手は慈しみに満ちていた。
白い服が赤く汚れるのも構わず、私を抱きしめて、額にくちづけを落とす。
そして最後には「おやすみ」と告げる声を最後に意識が溶けていくのだ。
ああ、うらやましいなあと思う。
それは私であるというのに、私はそのようにしてもらったことがない。
まぶたを持ち上げれば、ひとりであった。
星々が散らばる宙で、座にひとり座っている。
無意識が見せた幻覚というのがふわさしいか。
327光をつむいだような金の髪がカーテンのように世界をくぎっていた。
私は傷つき、おとろえている。体が動かないのだ。星々のように砕けて、ちいさくなっていた。
私を見下ろす金の瞳は慈愛に蕩けていて、動けない私を抱き起す手は慈しみに満ちていた。
白い服が赤く汚れるのも構わず、私を抱きしめて、額にくちづけを落とす。
そして最後には「おやすみ」と告げる声を最後に意識が溶けていくのだ。
ああ、うらやましいなあと思う。
それは私であるというのに、私はそのようにしてもらったことがない。
まぶたを持ち上げれば、ひとりであった。
星々が散らばる宙で、座にひとり座っている。
無意識が見せた幻覚というのがふわさしいか。
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DOODLE雰囲気水銀黄金たまに夜に追いつかれるときがある。陽が地平に向かいはじめ、黄昏の赤い光に照らされているときが一番顕著だ。私の背後に夜がいて、私を見つめている。何の用か尋ねてみようか考えてみたこともあるが、藪をつついて蛇を出すこともあるまいと思いなおした。
日がかたむくほどに、夜の足音は早まって、つき始めた街燈のあかりによって伸びるはずの自身の影は、夜に飲み込まれていた。
178日がかたむくほどに、夜の足音は早まって、つき始めた街燈のあかりによって伸びるはずの自身の影は、夜に飲み込まれていた。
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DOODLE水銀黄金/海に遊びに行ってたのと同じ時空 桜の花びらが解けては空を舞う中、青いレジャーシートの上であぐらをかきながら蓮は頭上にはてなマークを浮かべた。
似て非なる輝きを持つ黄金の男と女がいる。薄紅の花弁がきらきら輝く金糸の上に落ちた。花見とはこういうものかと楽しそうに笑う。そのそばで影がこの上ない喜びといった様子で相好を崩していた。
出かけるつもりもなかったというのに、どうしてこんなところに……とは思うものの、マリィが花見をやってみたいという以上否やのあろうはずもなく。事前準備も楽しんであれこれと用意しているマリィに期待の眼差しを向けられてNOと言える訳がない。
マリィとふたりになる分には邪魔をしてこないので(微笑ましそうに見てくるのはやめてほしいが)、余計なのがふたりついてきただけと思えば良いかと切り替える。
511似て非なる輝きを持つ黄金の男と女がいる。薄紅の花弁がきらきら輝く金糸の上に落ちた。花見とはこういうものかと楽しそうに笑う。そのそばで影がこの上ない喜びといった様子で相好を崩していた。
出かけるつもりもなかったというのに、どうしてこんなところに……とは思うものの、マリィが花見をやってみたいという以上否やのあろうはずもなく。事前準備も楽しんであれこれと用意しているマリィに期待の眼差しを向けられてNOと言える訳がない。
マリィとふたりになる分には邪魔をしてこないので(微笑ましそうに見てくるのはやめてほしいが)、余計なのがふたりついてきただけと思えば良いかと切り替える。
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DOODLE水銀黄金いまさら迷うこともない。そのはずだった。
腕のなかに抱きこんだ死体に頬を寄せて、ぼんやりと次のことを考える。
今はどくどくと血を流して痛む自分の心臓が、何度かのまばたきの後には熱を知らぬ肉のかたまりになることがどうにも口惜しい。
いつかまた、この胸に友との情が突き刺さる日まで、脈を打たない心臓を抱えて生きることを思えば恐ろしい。
けれど、足を止めぬことを選んだのも己であった。
189腕のなかに抱きこんだ死体に頬を寄せて、ぼんやりと次のことを考える。
今はどくどくと血を流して痛む自分の心臓が、何度かのまばたきの後には熱を知らぬ肉のかたまりになることがどうにも口惜しい。
いつかまた、この胸に友との情が突き刺さる日まで、脈を打たない心臓を抱えて生きることを思えば恐ろしい。
けれど、足を止めぬことを選んだのも己であった。
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DOODLE水銀黄金前提 あ、来た。
視線が向かう先ははるか頭上だ。先ほどまで涙をこぼしていた空を覆う雲に亀裂が入り、太陽の光が漏れ出ている。
薄明光線。友人の到来を告げる先触れだ。
すちゃりとサングラスを装備する。遠くから聞こえてくるざわめき。感嘆の溜息。
左右に割れる人なみのなか、ゆったりとした足取りで歩いてくる男が待ち人であった。
みずから発光しているかのように輝かしい男だ。光を紡いで織り上げたような金の髪が、サングラスのレンズ越しに目を焼いた。
「待たせてしまったようだ」
「ああ、いや、今来たところだよ」
そうか、と口元に微笑みを刻むだけで、周囲から息を飲む音が聞こえてくる。失神者が出ていないだけ上等というものだろう。
1111視線が向かう先ははるか頭上だ。先ほどまで涙をこぼしていた空を覆う雲に亀裂が入り、太陽の光が漏れ出ている。
薄明光線。友人の到来を告げる先触れだ。
すちゃりとサングラスを装備する。遠くから聞こえてくるざわめき。感嘆の溜息。
左右に割れる人なみのなか、ゆったりとした足取りで歩いてくる男が待ち人であった。
みずから発光しているかのように輝かしい男だ。光を紡いで織り上げたような金の髪が、サングラスのレンズ越しに目を焼いた。
「待たせてしまったようだ」
「ああ、いや、今来たところだよ」
そうか、と口元に微笑みを刻むだけで、周囲から息を飲む音が聞こえてくる。失神者が出ていないだけ上等というものだろう。
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DOODLE水銀黄金/よくわからない 海だ。赤い海。
呼吸をするたびに血錆びた空気が肺を満たして、せき込んだ。
広がる赤のなか、まばゆい男が重たい外套を翻して一歩赤に踏み込む。
革靴が赤く汚れていくのを気にもせず、黒い外套と白い軍服のすそをなびかせ、黄金の髪を風にあそばせて、優雅に歩を進める。
それこそ浜辺をまったりと歩いているような様子だ。
革靴の底が地を離れるたび、名残惜し気に赤が後を追う。遠く離れた赤でさえ徐々に男に引き寄せられるように地の上を滑り始め、ついには空を走る。男を目指して伸びる赤は、螺旋を描いていく。
多少目を伏せて、まばゆい男は微笑む。その横顔の美しさはあまりにも恐ろしかった。目を離せない。引き寄せられている。
436呼吸をするたびに血錆びた空気が肺を満たして、せき込んだ。
広がる赤のなか、まばゆい男が重たい外套を翻して一歩赤に踏み込む。
革靴が赤く汚れていくのを気にもせず、黒い外套と白い軍服のすそをなびかせ、黄金の髪を風にあそばせて、優雅に歩を進める。
それこそ浜辺をまったりと歩いているような様子だ。
革靴の底が地を離れるたび、名残惜し気に赤が後を追う。遠く離れた赤でさえ徐々に男に引き寄せられるように地の上を滑り始め、ついには空を走る。男を目指して伸びる赤は、螺旋を描いていく。
多少目を伏せて、まばゆい男は微笑む。その横顔の美しさはあまりにも恐ろしかった。目を離せない。引き寄せられている。
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DOODLE水銀黄金 ああ、また死ねなかった。また殺してくれなかった。また私を置いていく。
みずからの体の破損など意識のそとに放り捨てて、同じように崩れかけの友人の体を掻き抱く。崩れたところから、ほろりと粒子と化して解けていくのを恨みがましく睨みつけた。引き留めるようにつかもうとしても、粒子は指の間からすり抜けていく。
その鼓動を確かめるために友人の胸の上に手をのせて、無防備にさらされた首筋に唇で触れる。薄れていく生の気配をどうにか感じたかった。
かすかな吐息がこれ以上空に溶けていかないようにくちづける。
どこにもいくな。ここにいろ。
264みずからの体の破損など意識のそとに放り捨てて、同じように崩れかけの友人の体を掻き抱く。崩れたところから、ほろりと粒子と化して解けていくのを恨みがましく睨みつけた。引き留めるようにつかもうとしても、粒子は指の間からすり抜けていく。
その鼓動を確かめるために友人の胸の上に手をのせて、無防備にさらされた首筋に唇で触れる。薄れていく生の気配をどうにか感じたかった。
かすかな吐息がこれ以上空に溶けていかないようにくちづける。
どこにもいくな。ここにいろ。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 静かだ。ひと時も止まることなく流れ込んでくる情報も、いまばかりは黙して語らなかった。
ブランケットをめくりあげて、すやすやと眠っている友人のそばに滑り込む。拒絶されなかったことに、自然と口元も緩む。眠ったままでいるようにしたのは自分自身だとしても、不安はよぎるものだ。
ぴったりとくっついて丸まれば、多少は脳も休まった。
もはや今回の行く先に希望はない以上、続ける意味もない。眠りを妨げるものすべて先に止めてきたので、時が来るまでは眠っていられる。
”心臓”をつぶしてきた以上、いずれこの城も崩れ往き、友人と自分自身も崩落に巻き込まれるだろうが、それでいい。
いずれ朝がくるとしても、今ばかりは安息の時であった。
312ブランケットをめくりあげて、すやすやと眠っている友人のそばに滑り込む。拒絶されなかったことに、自然と口元も緩む。眠ったままでいるようにしたのは自分自身だとしても、不安はよぎるものだ。
ぴったりとくっついて丸まれば、多少は脳も休まった。
もはや今回の行く先に希望はない以上、続ける意味もない。眠りを妨げるものすべて先に止めてきたので、時が来るまでは眠っていられる。
”心臓”をつぶしてきた以上、いずれこの城も崩れ往き、友人と自分自身も崩落に巻き込まれるだろうが、それでいい。
いずれ朝がくるとしても、今ばかりは安息の時であった。