いずみのかな
PASTC94発行『ワークス!』より再録です。『あなたの知らない十のこと』の続きで、『月がとっても青いから』に続きます。あたらしいあさ
イッツワークス 枕元で人の気配がして、しのぶはゆっくりと目覚めた。
見慣れない天井と乱れたシーツの硬さ、まぶたを閉じていても伝わる、遮光カーテンの隙間から漏れる朝の光。
そっと目を開けると、後藤が音を立てないようにシャツを羽織っているところで、しのぶの顔を見ると温かな笑みを向けた。
「レイトチェックアウトにしてあるから、寝てなよ」
「ええ……」返事をする声は枯れ気味だ。昨夜、耳元で聞こえた自分の嬌声をぼんやりと思い出して、確かに声も枯れるだろうと納得する。身体はくたくたで、腕は重く、世界に乳白色の霧が掛かっているようだ。
それでもなんとか目を上げて「もう行くの?」と後藤に尋ねた。ベッドサイドのデジタル時計が告げる時刻は午前七時八分。ここ湾岸からならば、高速を使えば職場まで二十分掛かるまい
12187見慣れない天井と乱れたシーツの硬さ、まぶたを閉じていても伝わる、遮光カーテンの隙間から漏れる朝の光。
そっと目を開けると、後藤が音を立てないようにシャツを羽織っているところで、しのぶの顔を見ると温かな笑みを向けた。
「レイトチェックアウトにしてあるから、寝てなよ」
「ええ……」返事をする声は枯れ気味だ。昨夜、耳元で聞こえた自分の嬌声をぼんやりと思い出して、確かに声も枯れるだろうと納得する。身体はくたくたで、腕は重く、世界に乳白色の霧が掛かっているようだ。
それでもなんとか目を上げて「もう行くの?」と後藤に尋ねた。ベッドサイドのデジタル時計が告げる時刻は午前七時八分。ここ湾岸からならば、高速を使えば職場まで二十分掛かるまい
いずみのかな
PASTC94で発行した本『ワークス!』の再録です。後藤さんが過去に翻弄されながら、事件を指揮したりしのぶとデートしたりしながら、しのぶさんと生きていこうと前を向くまでの話です。『イッツワークス』、『月がとっても青いから』と続きます
あなたの知らない十のこと一 窓から見える夕日が、徐々に重く暗い雲に覆われていく様子を見るに、この分では明日の天気は思わしくなさそうだ。雪になりかけのまま落ちてくるみぞれか、それとも冷たく刺さるような雨か。いずれにしても出かけるには向かい日になりそうだ。せっかくの予定が入った休日なのに、雨で寒いのはやだなあ。野明は小さくため息をつく。東京の冬自体は寒くない、しかし雪にならず冷えた針が降るような雨は苦手だし、なにより建物の中は北海道の方がよほど温かい。もっとも雪まつりの警護に行った際の第二小隊の面々の感想は「建物の中があったかすぎる」だったが。本土の人はこれだから、あったかい中で食べるアイスクリームの美味しさを知らないなんて。
64325いずみのかな
INFOこの度ごとしの結婚アンソロジー『隊長! 結婚おめでとうございます!』に「ふたつの世界、ふたりの世界」という短編で参加いたしました。『隊長! 結婚おめでとうございます!』は8/21 インテ6号館Aて62a あいぼしさまにて頒布のほか通販もあります。詳しくはツイッターアカウント https://twitter.com/gotonagumo を参照してください。
ごとしの結婚アンソロジー参加のお知らせ 疲れた。
この祝いの席に相応しい言葉ではないが、辟易とした気持ちをどうにか飲み込んで、しのぶは壁に寄りかかった。
今日の装いは丁寧に結い上げた髪に肌障りも素晴らしい白藍にレースのワンピース。友人の幸せを祝うのは喜ばしいし、今日の彼女は美しかった。白磁のようなウエディングドレスに長く伸びるアイボリーのレース。花婿の顔を見て頬を赤くする様子はしのぶの心も温かくする。六月の花嫁は美しい顔で教会で愛を誓い、初めてのようなキスを交わして、飛ばしたブーケはしのぶの手元へと落ちた。
しかしだ。先ほどのように「普通の女の幸せ」を掴んだ同級生たちに、ほら早く、私たちと同じく普通に幸せになりなさいと次々と笑顔で言われると思うとため息も出る。いわく「私もいまの旦那に会うまでは結婚なんてしないと思ってたもの、あなたも大丈夫よ」。毎度言われるこんな言葉にもいい加減慣れたが、そもそもなにが「大丈夫」なのか、こういう人を見下す善意のことをなんて言うのだっけ。
1561この祝いの席に相応しい言葉ではないが、辟易とした気持ちをどうにか飲み込んで、しのぶは壁に寄りかかった。
今日の装いは丁寧に結い上げた髪に肌障りも素晴らしい白藍にレースのワンピース。友人の幸せを祝うのは喜ばしいし、今日の彼女は美しかった。白磁のようなウエディングドレスに長く伸びるアイボリーのレース。花婿の顔を見て頬を赤くする様子はしのぶの心も温かくする。六月の花嫁は美しい顔で教会で愛を誓い、初めてのようなキスを交わして、飛ばしたブーケはしのぶの手元へと落ちた。
しかしだ。先ほどのように「普通の女の幸せ」を掴んだ同級生たちに、ほら早く、私たちと同じく普通に幸せになりなさいと次々と笑顔で言われると思うとため息も出る。いわく「私もいまの旦那に会うまでは結婚なんてしないと思ってたもの、あなたも大丈夫よ」。毎度言われるこんな言葉にもいい加減慣れたが、そもそもなにが「大丈夫」なのか、こういう人を見下す善意のことをなんて言うのだっけ。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 『かわいいひと。』のおまけです。以下の三本が入ってます。 ・四月一日 ・「本日はお日柄もよく」 ・夜間飛行かわいいひと。のおまけ四月一日
二人のこれからについて、四月一日に互いの隊と上司に報告しようと提案したのは後藤で、丁度年度始めだし悪くないと返したのはしのぶだ。
二人とも二十一世紀がまだユートピアだった時代に少年期を送り、社会人として世に出てから、四捨五入すれば二十年に届く月日が経ってるもので、四月一日が何の日か、なんて知ってはいても気にしたことはなかった。本当に全くもって。
だから、「隊長ー、気持ちはわかりますがもうちょっとばれない嘘付きましょうよー」とか「嘘って付くと叶わないって知ってました? なあ野明」とか「隊長、自分そういう嘘はちょっと」とか「いやぁ意外と純情ですよね、よければうちが仲人しましょうか? 多美子さんとやってみたいんですよねー」とか「でも、こういう前向きで明るい嘘っていいですよね、胸がこう、ぱってあったかくなって、なんとも幸せになります」と矢継ぎ早に言われたとき、後藤は素直に自分の人徳について反省せざるを得なかった。
14503二人のこれからについて、四月一日に互いの隊と上司に報告しようと提案したのは後藤で、丁度年度始めだし悪くないと返したのはしのぶだ。
二人とも二十一世紀がまだユートピアだった時代に少年期を送り、社会人として世に出てから、四捨五入すれば二十年に届く月日が経ってるもので、四月一日が何の日か、なんて知ってはいても気にしたことはなかった。本当に全くもって。
だから、「隊長ー、気持ちはわかりますがもうちょっとばれない嘘付きましょうよー」とか「嘘って付くと叶わないって知ってました? なあ野明」とか「隊長、自分そういう嘘はちょっと」とか「いやぁ意外と純情ですよね、よければうちが仲人しましょうか? 多美子さんとやってみたいんですよねー」とか「でも、こういう前向きで明るい嘘っていいですよね、胸がこう、ぱってあったかくなって、なんとも幸せになります」と矢継ぎ早に言われたとき、後藤は素直に自分の人徳について反省せざるを得なかった。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの ささやかな休息と、光の休日とかわいいひと。「そうね……、麻布温泉とか都内なら」
夏の嵐のあと、朝日が燦燦と照る関越道で、日帰り温泉への誘いに対してそんな風に返答したときの後藤の、あからさまにがっかりした顔を思い出すたび、しのぶは何とも言えないむずがゆさと、同時にちょっとした優越感を覚える。
全く眠れなかったのだと素直に告白してきたことと言い、普段の人を食った言動や、避難という名目で入ったラブホテルで時折見せた、あのいかがわしい雑誌を毎週愛読しているに相応しいオヤジそのものの態度とは裏腹に、中身は臆病で、遠慮がちで、ナイーブで、驚くことになによりも愛すべき紳士なのだ、後藤という男は。
もしあの夜、電気を消してベッドとソファでそれぞれが身体を横たえた後。相手が寝ていないと悟っていながら、互いが様子を伺いに行ったとき、どちらかが思い切って振り返ったら、そして相手の身体に手を伸ばしていたら。恐らくは一夜の情熱は手に入ったであろう。ただし、それは本当に一夜だけのもので、その後二人はそれぞれに相手の熱を振り返ったとしても、二度となにも口に出さなかったはずだ。それこそ自覚した思いでさえも。
15173夏の嵐のあと、朝日が燦燦と照る関越道で、日帰り温泉への誘いに対してそんな風に返答したときの後藤の、あからさまにがっかりした顔を思い出すたび、しのぶは何とも言えないむずがゆさと、同時にちょっとした優越感を覚える。
全く眠れなかったのだと素直に告白してきたことと言い、普段の人を食った言動や、避難という名目で入ったラブホテルで時折見せた、あのいかがわしい雑誌を毎週愛読しているに相応しいオヤジそのものの態度とは裏腹に、中身は臆病で、遠慮がちで、ナイーブで、驚くことになによりも愛すべき紳士なのだ、後藤という男は。
もしあの夜、電気を消してベッドとソファでそれぞれが身体を横たえた後。相手が寝ていないと悟っていながら、互いが様子を伺いに行ったとき、どちらかが思い切って振り返ったら、そして相手の身体に手を伸ばしていたら。恐らくは一夜の情熱は手に入ったであろう。ただし、それは本当に一夜だけのもので、その後二人はそれぞれに相手の熱を振り返ったとしても、二度となにも口に出さなかったはずだ。それこそ自覚した思いでさえも。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの。「ランデブー」の続きです。 2005年の火星接近の際に書いたものです。 システムと確率、こことそこ、そして僕と君。レプリーゼ カタカタ……、と調子よく鳴っていたキーボードの音が不意に崩れたと思ったら、次の瞬間唸り声ともなんともいえない音が、低く部屋に響いた。 耳障りのよいものとは到底言えない種類の声だ。その調子から声の主の体調を正確に推し量ったらしい男が、
「少し休んだらどうです?」
と、モニタの向こうにいるであろう上司に声を掛けた。
「ああ……うん……」
相当疲れているのだろうか、返って来る返答も先程の搾り出すような声と大した違いはない。不明瞭な言葉を受けてどう思ったのか、男は一区切りするように小さく息を吐いて席を立った。
二年前の春 、大学から警察学校を出て交番勤務を経て、まだ総てが手探りだった折り目正しい新人だった頃にこの部署に配属され、それ以来、目の前の男と東京はもちろん日本の津々浦々からロンドン、香港、ワシントンD.C.からベルリンまで、場所がどこであろうと仕事中は常に二人で行動してきた。仕事の濃さに付き合いの長さも手伝って、一見飄々としていて得体が知れないと称されているこの男の様子は、外の人間と違って大抵正確に推し量れるつもりなのだ。
9428「少し休んだらどうです?」
と、モニタの向こうにいるであろう上司に声を掛けた。
「ああ……うん……」
相当疲れているのだろうか、返って来る返答も先程の搾り出すような声と大した違いはない。不明瞭な言葉を受けてどう思ったのか、男は一区切りするように小さく息を吐いて席を立った。
二年前の春 、大学から警察学校を出て交番勤務を経て、まだ総てが手探りだった折り目正しい新人だった頃にこの部署に配属され、それ以来、目の前の男と東京はもちろん日本の津々浦々からロンドン、香港、ワシントンD.C.からベルリンまで、場所がどこであろうと仕事中は常に二人で行動してきた。仕事の濃さに付き合いの長さも手伝って、一見飄々としていて得体が知れないと称されているこの男の様子は、外の人間と違って大抵正確に推し量れるつもりなのだ。
いずみのかな
DONEパトレイバー あすのあ 特等席とスペシャルな時と。夏色「こーゆーとだけきは、職場が辺鄙な場所でよかったと思うな」
「こーゆーときだけ?」
「他にあるか?」
「……あんまりない」
「だろ?」
遊馬はそう言って、アリスブルー色をしたラムネバーを一口頬張った。野明は野明で、最近あまり見かけなくなったパピコのコーヒー味をちゅーちゅーと吸っている。
都会の熱帯夜特有の、あのむせかえるような昼の名残はここにはなく、替わりに様々な匂いが空気に満ちている。
草の青臭さ。
舗装されていない地面の、埃と微生物の匂い。
海からくる潮の香り。
機械を扱う場所特有の、工業油のクセのある匂い。
トタン屋根に積もった土埃。
そして、毎年一度だけ漂ってくる、かすかな火薬。
ヒュ~……、というか細い音がして、夜空を大きな華が彩る。それから一瞬遅れてドン、という腹に直接響く景気のよい破裂音。
4179「こーゆーときだけ?」
「他にあるか?」
「……あんまりない」
「だろ?」
遊馬はそう言って、アリスブルー色をしたラムネバーを一口頬張った。野明は野明で、最近あまり見かけなくなったパピコのコーヒー味をちゅーちゅーと吸っている。
都会の熱帯夜特有の、あのむせかえるような昼の名残はここにはなく、替わりに様々な匂いが空気に満ちている。
草の青臭さ。
舗装されていない地面の、埃と微生物の匂い。
海からくる潮の香り。
機械を扱う場所特有の、工業油のクセのある匂い。
トタン屋根に積もった土埃。
そして、毎年一度だけ漂ってくる、かすかな火薬。
ヒュ~……、というか細い音がして、夜空を大きな華が彩る。それから一瞬遅れてドン、という腹に直接響く景気のよい破裂音。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 特別な日には、特別なものを強い気持ち、強い愛「あら、そろそろ誕生日よね」
「あ、そうだったっけ。すっかり忘れてたわ」
「本当に忘れてたっぽいのがあなたらしいわね。優しい同僚がなにかプレゼントでもあげましょうか」
「だったら、しのぶさんがほしい」
「はい?」
「しのぶさん」
そうして少しだけ笑うものだから、しのぶは思わず固まったあと、やれやれという風に眉間にしわを寄せた。
「セクハラはご法度」
「セクハラじゃなくて……イデデ」
加減しつつもほっぺをつねりあげてやると、男はやや大げさに痛い痛いと言いながら涙目になる。
「冗談抜きに、なにがいいの」
「だから、しのぶさん」。後藤は私をしのぶの目を見た。柔らかいが本気の目だ。「定時のあと、付き合ってよ」。
「どこに」
13125「あ、そうだったっけ。すっかり忘れてたわ」
「本当に忘れてたっぽいのがあなたらしいわね。優しい同僚がなにかプレゼントでもあげましょうか」
「だったら、しのぶさんがほしい」
「はい?」
「しのぶさん」
そうして少しだけ笑うものだから、しのぶは思わず固まったあと、やれやれという風に眉間にしわを寄せた。
「セクハラはご法度」
「セクハラじゃなくて……イデデ」
加減しつつもほっぺをつねりあげてやると、男はやや大げさに痛い痛いと言いながら涙目になる。
「冗談抜きに、なにがいいの」
「だから、しのぶさん」。後藤は私をしのぶの目を見た。柔らかいが本気の目だ。「定時のあと、付き合ってよ」。
「どこに」
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの この冬の「一番長い日」からもうすぐ半年。紫陽花 東京地検から外に出たとき、空は薄鈍とも薄墨ともつかない色に染まっていた。泣き出すまで間もなさそうだ。
行儀が悪いと解っていながらも、しのぶは小さく舌打ちした。失敗した。今日は終業までならなんとか持つだろう、となんの根拠もなく思い込んで、今朝出勤時に傘を持って出なかったのだ。二課まで戻れば置き傘があるが、果たしてそれまで雨雲が待ってくれるかどうか。
見上げた霞ヶ関の空は、官公庁の高層ビルに囲まれてひどく窮屈そうだった。横手には、暗い煉瓦色をした農水省のビルの壁が見える。目の前に見える国道一号線には車が溢れていたが、そのエンジン音はここまでは響いてこなかった。
これからすぐに二課へと帰るなら、地下道から丸の内線に乗り、JRの駅に出ればいい。しかし、しのぶはこのあと警視庁に立ち寄り、その足で警察庁に出向き、最後に文部省にてちょっとした用事を済ませて、ようやく二課棟へと帰還することになっていた。この中でも曲者なのが文部省で、他の場所は営団地下鉄霞ヶ関駅で繋がっているというのに、このブロックだけは銀座線虎ノ門駅が最寄なのだ。だから、地下道を使っての移動に限界がある。どうしても地上を歩いていかなければならず、いざとなったら雨に濡れることも覚悟しなければならないだろう。
14076行儀が悪いと解っていながらも、しのぶは小さく舌打ちした。失敗した。今日は終業までならなんとか持つだろう、となんの根拠もなく思い込んで、今朝出勤時に傘を持って出なかったのだ。二課まで戻れば置き傘があるが、果たしてそれまで雨雲が待ってくれるかどうか。
見上げた霞ヶ関の空は、官公庁の高層ビルに囲まれてひどく窮屈そうだった。横手には、暗い煉瓦色をした農水省のビルの壁が見える。目の前に見える国道一号線には車が溢れていたが、そのエンジン音はここまでは響いてこなかった。
これからすぐに二課へと帰るなら、地下道から丸の内線に乗り、JRの駅に出ればいい。しかし、しのぶはこのあと警視庁に立ち寄り、その足で警察庁に出向き、最後に文部省にてちょっとした用事を済ませて、ようやく二課棟へと帰還することになっていた。この中でも曲者なのが文部省で、他の場所は営団地下鉄霞ヶ関駅で繋がっているというのに、このブロックだけは銀座線虎ノ門駅が最寄なのだ。だから、地下道を使っての移動に限界がある。どうしても地上を歩いていかなければならず、いざとなったら雨に濡れることも覚悟しなければならないだろう。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 「夏を見渡す部屋」と同設定ですが、単独でも読めます。赴任一日目。夏草にひつじ 第一印象はこうだ。噂よりは堅苦しくないが、身長以上に、大きく見える女性だな、と。
「本日をもって警視庁警備部特科車両二課に着任致しました、後藤喜一警部補です」
滅多にないことだが、それなりの気合を入れて敬礼をすると、女は舞踊のように美しい所作で同じように敬礼をし、「警視庁警備部特科車両二課小隊長、南雲しのぶ警部補です」、と耳障りのよい声で返してきた。
良くも悪くも、本庁にいた人間で後藤のことを知らない人はいないし、部下を率いるには良いが、本庁で出世するには真面目が過ぎて、ついに居場所がなくなった南雲のことは多少は耳に入っている。互いに相手について知らなかったのは声と顔と身長ぐらいだろう。そんな関係性から考えれば白々しい儀式ではあるが、飛ばされるほど律儀な同僚と適度な関係を築くためには必要不可欠なものだろう。
7682「本日をもって警視庁警備部特科車両二課に着任致しました、後藤喜一警部補です」
滅多にないことだが、それなりの気合を入れて敬礼をすると、女は舞踊のように美しい所作で同じように敬礼をし、「警視庁警備部特科車両二課小隊長、南雲しのぶ警部補です」、と耳障りのよい声で返してきた。
良くも悪くも、本庁にいた人間で後藤のことを知らない人はいないし、部下を率いるには良いが、本庁で出世するには真面目が過ぎて、ついに居場所がなくなった南雲のことは多少は耳に入っている。互いに相手について知らなかったのは声と顔と身長ぐらいだろう。そんな関係性から考えれば白々しい儀式ではあるが、飛ばされるほど律儀な同僚と適度な関係を築くためには必要不可欠なものだろう。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 小説「ブラックジャック」の設定を使ってます。自分であるということと他人といることについて。夏を見渡す部屋 嫉妬されることには慣れていない。独占欲を向けられることも、焦がれる対象として見られることも。
昔、ごく普通に幸せだったころは、偶然に出会い、平穏な恋をして、そして和やかに結ばれたから、嫉妬や焦燥感といった激しい感情とは無縁の生活だったのだ。
しかし過酷な世界へと身を投じ、苛烈な日々に自分の総てを捧げ、そして最後に平凡な生活と家族が失われたあとは、すべてに対して無関心を装うことにして、他人の感情から遠ざかることにした。人ひとり、正確には二人守ることも出来ない男だ、どぶねずみにはどぶこそがふさわしい。もともと人をコマとして観察し、そしてゲームに勝つためだけに算段をするような人間だったことを思い出したときには、社交的でなぜか人好きのすると評判の男はどこにでも入り込む油断ならない奴だと見られるようになり、やがてただの冷たく容赦がない厭世家と評されるようになっていた。
25688昔、ごく普通に幸せだったころは、偶然に出会い、平穏な恋をして、そして和やかに結ばれたから、嫉妬や焦燥感といった激しい感情とは無縁の生活だったのだ。
しかし過酷な世界へと身を投じ、苛烈な日々に自分の総てを捧げ、そして最後に平凡な生活と家族が失われたあとは、すべてに対して無関心を装うことにして、他人の感情から遠ざかることにした。人ひとり、正確には二人守ることも出来ない男だ、どぶねずみにはどぶこそがふさわしい。もともと人をコマとして観察し、そしてゲームに勝つためだけに算段をするような人間だったことを思い出したときには、社交的でなぜか人好きのすると評判の男はどこにでも入り込む油断ならない奴だと見られるようになり、やがてただの冷たく容赦がない厭世家と評されるようになっていた。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 後藤隊長の名推理? 話 トルコ石原石は5月10日の誕生石、だそうです。トルコストーンのなぞ しのぶは、入り口で思わず立ち止まり、目を何度か瞬かせた。
後藤が手にしているものが、余りにも場違いで、さらに言うなら――とても失礼な言い分だとは思うが――彼と釣り合いが取れていなかったからだ。
頬杖をついて、空いた手でつまんでいるのは、小さな指輪だった。
見るからに女性用に作られている指輪には、リングの大きさに比べるとやや大きい石が乗っている。その上品な青い石の名をしのぶは知っていた。ダイヤやルビーなどと比べて高級でも高くもない石だが、素朴でありながらきりりとした印象をもつその宝石のことは、どちらかといえば嫌いではない。もっとも、宝石類全体にあまり関心が高くないのだが。
後藤は手にしたそれをただぼおっとしたまま眺めている。例えば大事そうにつまんで、見ながら自然とにやけているのなら、同僚にもついにそういう女性が出来たのかとも思うし、逆に持て余し気味に持って思案にくれているようなら、なにか訳ありのものを押し付けられたのかとも思う。しかし、元々何を考えているか解らない顔ではあるが、それでもああもぼおっとしたままでただ指輪を見ているものだから、しのぶは少し困惑したのである。
9125後藤が手にしているものが、余りにも場違いで、さらに言うなら――とても失礼な言い分だとは思うが――彼と釣り合いが取れていなかったからだ。
頬杖をついて、空いた手でつまんでいるのは、小さな指輪だった。
見るからに女性用に作られている指輪には、リングの大きさに比べるとやや大きい石が乗っている。その上品な青い石の名をしのぶは知っていた。ダイヤやルビーなどと比べて高級でも高くもない石だが、素朴でありながらきりりとした印象をもつその宝石のことは、どちらかといえば嫌いではない。もっとも、宝石類全体にあまり関心が高くないのだが。
後藤は手にしたそれをただぼおっとしたまま眺めている。例えば大事そうにつまんで、見ながら自然とにやけているのなら、同僚にもついにそういう女性が出来たのかとも思うし、逆に持て余し気味に持って思案にくれているようなら、なにか訳ありのものを押し付けられたのかとも思う。しかし、元々何を考えているか解らない顔ではあるが、それでもああもぼおっとしたままでただ指輪を見ているものだから、しのぶは少し困惑したのである。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの。コミックス13巻から14巻の間の話薔薇とセンチメント 雲行きが怪しいことは、とっくにわかっていたはずだった。
トイレから出てきたら、先ほどまで豆電球だったはずの部屋から明かりが漏れているのに気がついたとき、本能的にやってしまったと思ったのだ。
果たしてそこには、先ほどまで布団でまどろんでいたはずのしのぶが、部屋に乱雑に脱ぎ捨ててあったYシャツ一枚だけを羽織って、ちゃぶ台の前で何やらのページをめくっている。それがなにかわかっていながらも、後藤は恐る恐るしのぶに訊ねた。
「……なに読んでるの」
「おじさんが買う雑誌、でしたっけ」
返事をしながらも視線は誌面から離れない。
そういえば毎号通勤途中で買ってきて、二課で目を通したあと、一応スクラップだけはしておこうと持って帰ってきては、常に面倒が先に立って床に適当に積んでおいたっけ。必要な情報を得たら他の職員たちのようにさっさとゴミ箱に捨てておいておけばよいものを、職務に対する勤勉さを発揮しようとして、うっかり完遂するのを忘れていた。
5303トイレから出てきたら、先ほどまで豆電球だったはずの部屋から明かりが漏れているのに気がついたとき、本能的にやってしまったと思ったのだ。
果たしてそこには、先ほどまで布団でまどろんでいたはずのしのぶが、部屋に乱雑に脱ぎ捨ててあったYシャツ一枚だけを羽織って、ちゃぶ台の前で何やらのページをめくっている。それがなにかわかっていながらも、後藤は恐る恐るしのぶに訊ねた。
「……なに読んでるの」
「おじさんが買う雑誌、でしたっけ」
返事をしながらも視線は誌面から離れない。
そういえば毎号通勤途中で買ってきて、二課で目を通したあと、一応スクラップだけはしておこうと持って帰ってきては、常に面倒が先に立って床に適当に積んでおいたっけ。必要な情報を得たら他の職員たちのようにさっさとゴミ箱に捨てておいておけばよいものを、職務に対する勤勉さを発揮しようとして、うっかり完遂するのを忘れていた。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの ささやかな一コマ、そして甘い。バレンタインねたエクストラショット 全ての事後処理を終えて隊長室に帰ってきたときには、時計の針はいい時間を指していた。さらに書類を作成し、やるべきことをすべて片付けて、ようやく家に帰る頃にはとうに日付が変わっていることだろう。
人気がない部屋はがらんとしていて、見た目からして寒々しい。せめて窓を覆うのがブラインドではなくカーテンだったらまだ温かみもあるのだろうが、なんてせんなきことを考えるぐらいには後藤の脳は疲弊していた。
一昨日から第二小隊は夜間シフトへと入ったのだが、まるでそれを待ち構えていたかのように、都内各地でレイバーとその乗組員がこれでもかと暴れまわり、特にこの二十四時間は文字通り東奔西走の大活躍だ。幸いなことに、職務中に(主に二号機が)踏み潰した自家用車の台数は、この忙しさの割にはまだ五台で済んでいて(あくまでも普段と比較した上での感想だ)、その辺りのことで頭を悩ます必要はまだない。
4240人気がない部屋はがらんとしていて、見た目からして寒々しい。せめて窓を覆うのがブラインドではなくカーテンだったらまだ温かみもあるのだろうが、なんてせんなきことを考えるぐらいには後藤の脳は疲弊していた。
一昨日から第二小隊は夜間シフトへと入ったのだが、まるでそれを待ち構えていたかのように、都内各地でレイバーとその乗組員がこれでもかと暴れまわり、特にこの二十四時間は文字通り東奔西走の大活躍だ。幸いなことに、職務中に(主に二号機が)踏み潰した自家用車の台数は、この忙しさの割にはまだ五台で済んでいて(あくまでも普段と比較した上での感想だ)、その辺りのことで頭を悩ます必要はまだない。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 心を以て心を伝えうるそれとこれとの相違性 窓の向こうにある東京は白くかすみ、視線を少しだけ上にやれば水性の絵の具をそっと流し込んだような、透ける青空が広がっている。先ほど流れていた天気予報によると、東京地方は乾ききった、雲ひとつない晴天の一日らしい。陽光は冷え切った大気を暖めることなく素通りして、アスファルトに反射し、すべてを眩しく輝かせている。
年頭の東京は心なしが空気も澄み、安閑として佇んでいるようにも見える。実際、年が明けてから今日まで、警視庁管轄内において凶悪犯罪は発生しておらず、首都は文字通り平和そのものだ。
今年一年この調子でいってくれればいいのに、とそんな夢物語を寝不足の頭で考えながら、淡い朝日が照らす隊長室で小さなあくびをかみ殺していると、後ろから「お疲れさま」と 不意に声を掛けられた。
6311年頭の東京は心なしが空気も澄み、安閑として佇んでいるようにも見える。実際、年が明けてから今日まで、警視庁管轄内において凶悪犯罪は発生しておらず、首都は文字通り平和そのものだ。
今年一年この調子でいってくれればいいのに、とそんな夢物語を寝不足の頭で考えながら、淡い朝日が照らす隊長室で小さなあくびをかみ殺していると、後ろから「お疲れさま」と 不意に声を掛けられた。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの。システムと確率の話。 2003年の火星と月が接近した際書いた小説の再録ランデブー 風流を余り解しない性格であっても、この風景にはさすがに目を奪われた。
白金の月、紅玉の星。
六万年に一度の絶景は、しばし彼から言葉を奪う。
横で、現在組んでいる若い刑事が「火星が、なんか小数点みたいにくっついてますねえ」なんて面白い例えをしてみせた。眼鏡の奥の目を輝かせて、こりゃ地味にすごいですね、と呟く姿はまだ成長途中のしなやかさがあり、とても微笑ましい。
そういえば大学では数学を専攻していたと、前聞いたことがあった。
夜の帳が下り始めた新宿は、これから一層賑やかさを増していく。南口前のサザンテラスで佇んでみれば、高島屋の上に広がる空はその紺を増し、あちこちに置かれたベンチには、カップルや親子連れが座って、目の前のカフェで購入したのだろう、飲み物片手に後藤たちと同じように空を見上げて、小さく指差しては天文ショウに見入っているようだ。
2692白金の月、紅玉の星。
六万年に一度の絶景は、しばし彼から言葉を奪う。
横で、現在組んでいる若い刑事が「火星が、なんか小数点みたいにくっついてますねえ」なんて面白い例えをしてみせた。眼鏡の奥の目を輝かせて、こりゃ地味にすごいですね、と呟く姿はまだ成長途中のしなやかさがあり、とても微笑ましい。
そういえば大学では数学を専攻していたと、前聞いたことがあった。
夜の帳が下り始めた新宿は、これから一層賑やかさを増していく。南口前のサザンテラスで佇んでみれば、高島屋の上に広がる空はその紺を増し、あちこちに置かれたベンチには、カップルや親子連れが座って、目の前のカフェで購入したのだろう、飲み物片手に後藤たちと同じように空を見上げて、小さく指差しては天文ショウに見入っているようだ。
いずみのかな
DONEパトレイバー 違うものが混ざり合い、とけあう前の。バレンタインねた ごとしの、あすのあ、いさかぬマーブル「おはよー、……ってなんかあったのか? みんなで集まって」
遊馬はハンガーからオフィスに上がる途中で、思わず足を止めた。いつもは適度に分散している人口密度が、今日はやけに偏っている。一瞬新しい装備品かなにかを皆で検分でもしてるのかと思ったが、それにしては雰囲気が華やいでいない。いや、華やいではいるのだけど、それは初めて見る機械や電子装備品を前にした機械屋たちのそれではなくて、もうちょっとくだけた華やぎ方だった。
興味に任せて人ごみに顔を突っ込むと、そこで袋から何かを配っているシゲをまず見て、次に袋の中身を見て、不覚にも一瞬固まってしまった。
「ん? 遊馬ちゃんおはよー。見りゃ分かるでしょ、チョコだよチョコ」
7200遊馬はハンガーからオフィスに上がる途中で、思わず足を止めた。いつもは適度に分散している人口密度が、今日はやけに偏っている。一瞬新しい装備品かなにかを皆で検分でもしてるのかと思ったが、それにしては雰囲気が華やいでいない。いや、華やいではいるのだけど、それは初めて見る機械や電子装備品を前にした機械屋たちのそれではなくて、もうちょっとくだけた華やぎ方だった。
興味に任せて人ごみに顔を突っ込むと、そこで袋から何かを配っているシゲをまず見て、次に袋の中身を見て、不覚にも一瞬固まってしまった。
「ん? 遊馬ちゃんおはよー。見りゃ分かるでしょ、チョコだよチョコ」
いずみのかな
DONEパトレイバー 健全シリアス。ばったりと再会した昔の友達と、変わるもの、変わらないもの。 野明が好きだなあと、そういう話です。春のうららの 非常線を示す黄色いテープが剥がされたころには、事件現場に集まっていた野次馬たちも三々五々に散っていき、家が壊れてたり車が潰れていたり電柱が倒れていたりする他は、町は日常を取り戻していた。
「はい、オーライー」
キャリアーを先導している野明の息は白い。三月も末だというのに来た寒の戻りは、関東一帯の季節を二ヶ月ほど巻き戻していた。膨らんだ桜の蕾の下、たまに通りかかるもこもこしたコート姿が現場の混乱のあとにちらちらと目をやりながら、足早に目的地へと去っていく。空は今にも振り出しそうな灰色で、時折吹く風が容赦なく体温を奪っていく。一応コートを着ているとはいえ、二課の制服自体が大して厚い生地ではないために、隊員たちは小刻みに体を動かして少しでも熱を発生させながら、少しでも早く帰還しようと撤収作業を進めていった。吹きっさらしの埋め立て地とはいえ、壁と最低限の仕事はしてくれる暖房装置があるおかげでここよりかはあたたかい。
12644「はい、オーライー」
キャリアーを先導している野明の息は白い。三月も末だというのに来た寒の戻りは、関東一帯の季節を二ヶ月ほど巻き戻していた。膨らんだ桜の蕾の下、たまに通りかかるもこもこしたコート姿が現場の混乱のあとにちらちらと目をやりながら、足早に目的地へと去っていく。空は今にも振り出しそうな灰色で、時折吹く風が容赦なく体温を奪っていく。一応コートを着ているとはいえ、二課の制服自体が大して厚い生地ではないために、隊員たちは小刻みに体を動かして少しでも熱を発生させながら、少しでも早く帰還しようと撤収作業を進めていった。吹きっさらしの埋め立て地とはいえ、壁と最低限の仕事はしてくれる暖房装置があるおかげでここよりかはあたたかい。
いずみのかな
DONEパトレイバー。野明のきっかけの話『顔』『顔――全国初の"レイバー隊"隊長に就任する南雲しのぶさん』
警視庁が対レイバー犯罪の切り札として警備部に設立する、特殊車両二課の小隊長として、女性ながら現場で指揮をとることになる。「レイバーを扱う部署として市民の皆さんの関心と期待は高いと思います。その声に応えられる働きをしたい」と語るその姿に気負いはない。
入庁以来、一貫して警備部に所属。「私達警察は公僕。第一に市民のための組織であることを忘れてはいけない」と自らを律するように、真面目な性格だ。その手腕にも定評があり、今回の特車二課創立に関しても「市民のニーズに応えるのが公務員の役目」と、積極的に動き、その貢献は計り知れない。増える一方のレイバー犯罪に関しては「厳しい態度で臨んでいきたい。被害などが他の機材と違って大きくなりがちなので、使う側のモラルを厳しく問います」と頼もしい言葉を述べる。
4033警視庁が対レイバー犯罪の切り札として警備部に設立する、特殊車両二課の小隊長として、女性ながら現場で指揮をとることになる。「レイバーを扱う部署として市民の皆さんの関心と期待は高いと思います。その声に応えられる働きをしたい」と語るその姿に気負いはない。
入庁以来、一貫して警備部に所属。「私達警察は公僕。第一に市民のための組織であることを忘れてはいけない」と自らを律するように、真面目な性格だ。その手腕にも定評があり、今回の特車二課創立に関しても「市民のニーズに応えるのが公務員の役目」と、積極的に動き、その貢献は計り知れない。増える一方のレイバー犯罪に関しては「厳しい態度で臨んでいきたい。被害などが他の機材と違って大きくなりがちなので、使う側のモラルを厳しく問います」と頼もしい言葉を述べる。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの2019年のスーパーコミックシティにて発行した本の再録です。ほんのちょこっとだけ変えてます
4月1日に「今年のSCCの新刊はおこたでみかんを食べる話です」と書いた一か月後、本当に入稿していたエネルギッシュな一冊ですが内容はおだやか王道です。
それにつけても「後藤さんとしのぶさんはいま(18年冬)、二人おこたでみかんを食べている」(by榊原良子様)の破壊力はいまだおそろしい
和をもってとうとし1988年 9月
暦の上では今日から秋だというが、今年に限ってはだらだらとした冷夏の続きのようにしか思えず、肌寒さにカレンダーが追いついたような感覚だった。街も雨に濡れた暗い灰色に染まるように毎日沈んでいたが、それは梅雨のあとものんべんだらりと雨が絶えず降っているからだけではないだろう。下町からオフィス街、歌舞伎町に六本木、桜田門から目と鼻の先の銀座でさえもいまは自粛自粛の嵐、いまが千年程前なら、この天候もまた国の命運を表していると陰陽師が大仰に告げる場面だ。
ああ本当にチンケだねえ。二本目の煙草を力任せに灰皿に押しつけたところで、「待たせたな」と同僚が小走りで戻ってきた。
「どうだった?」
33692暦の上では今日から秋だというが、今年に限ってはだらだらとした冷夏の続きのようにしか思えず、肌寒さにカレンダーが追いついたような感覚だった。街も雨に濡れた暗い灰色に染まるように毎日沈んでいたが、それは梅雨のあとものんべんだらりと雨が絶えず降っているからだけではないだろう。下町からオフィス街、歌舞伎町に六本木、桜田門から目と鼻の先の銀座でさえもいまは自粛自粛の嵐、いまが千年程前なら、この天候もまた国の命運を表していると陰陽師が大仰に告げる場面だ。
ああ本当にチンケだねえ。二本目の煙草を力任せに灰皿に押しつけたところで、「待たせたな」と同僚が小走りで戻ってきた。
「どうだった?」
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの軌道が離れていって手を振り月日が経って、雨の日にまた軌道が近づく話です。五十代×四十代。
あれから、そしてこのさき。
テラリウム「ねえ、一緒に暮らそうよ」
秋雨前線のもたらす濃い墨色の雲が空に蓋をして、大きめの雨粒が喫茶店の昭和風情を残すガラス窓をたたいている。午後二時前にしては暗い街は影も雨に溶けていて、息を吐くだけで寂しい気持ちになる日だ。しのぶの家から一番近い、という理由だけで選ばれた、私鉄の駅前からも離れた、名物もない小さな喫茶店がこんな天気の日ににぎわうはずがなく、客は足首と肩をぬらしながら外回りをしている最中に一息入れているサラリーマンと、あとしのぶと後藤だけだ。離れたテーブルにいるサラリーマンが温そうなコーヒーをおざなりに飲んではおいしそうにたばこを吸う様子を横目で眺め、自身を鼓舞するように深く息を吐いてから、しのぶは最後に目の前にいる男の眠そうな目を見た。
14009秋雨前線のもたらす濃い墨色の雲が空に蓋をして、大きめの雨粒が喫茶店の昭和風情を残すガラス窓をたたいている。午後二時前にしては暗い街は影も雨に溶けていて、息を吐くだけで寂しい気持ちになる日だ。しのぶの家から一番近い、という理由だけで選ばれた、私鉄の駅前からも離れた、名物もない小さな喫茶店がこんな天気の日ににぎわうはずがなく、客は足首と肩をぬらしながら外回りをしている最中に一息入れているサラリーマンと、あとしのぶと後藤だけだ。離れたテーブルにいるサラリーマンが温そうなコーヒーをおざなりに飲んではおいしそうにたばこを吸う様子を横目で眺め、自身を鼓舞するように深く息を吐いてから、しのぶは最後に目の前にいる男の眠そうな目を見た。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの成人式の記憶の話です。ほんのりとしたかいごと風味つき。
もうここにいないあの人、そしていまここにいるあなた。
雨音 冬の雨は冷たく、溶けかかった氷の針が肌に細かく刺さるような日だった。
厚く垂れこめた雲は暗く、「成人の日」という言葉の幸先の良さとは裏腹だ。仕事始めのあととはいえ、まだ小正月が終わらない時期だけあって、都内はまだ人が満タンになっておらず、おかげで特科車両二課は年末から今日までめでたく開店休業状態である。
見映えだけで警備にイングラムを引っ張り出そうという警備部のお偉いさんのバカな提案をしのぶと二人で潰した甲斐もあり、年末年始からこの十日ほどは、両隊ともひろみが出汁から取ったというお雑煮(沖縄は出汁で中身を煮たものをいただくんですよね、と話してくれたが、「中身」がなになのか後藤には見当がつかなかった)を食べたり、榊が箱買いしてきた缶のおしるこで暖を取ったりと、きわめてささやかに正月を味わったりしている。今日まで長く独身で、大学のころは家に寄りつかず、そして警察学校に入ると同時に実家を出てそして警察官になったあたりからは、社会人の礼儀として年賀状を出すことと姪にお年玉を渡す以外の正月行事と縁が無くなって久しい後藤にとっては、お雑煮もおしるこも、久しぶりすぎて舞台装置のように感じられるものであった。
7211厚く垂れこめた雲は暗く、「成人の日」という言葉の幸先の良さとは裏腹だ。仕事始めのあととはいえ、まだ小正月が終わらない時期だけあって、都内はまだ人が満タンになっておらず、おかげで特科車両二課は年末から今日までめでたく開店休業状態である。
見映えだけで警備にイングラムを引っ張り出そうという警備部のお偉いさんのバカな提案をしのぶと二人で潰した甲斐もあり、年末年始からこの十日ほどは、両隊ともひろみが出汁から取ったというお雑煮(沖縄は出汁で中身を煮たものをいただくんですよね、と話してくれたが、「中身」がなになのか後藤には見当がつかなかった)を食べたり、榊が箱買いしてきた缶のおしるこで暖を取ったりと、きわめてささやかに正月を味わったりしている。今日まで長く独身で、大学のころは家に寄りつかず、そして警察学校に入ると同時に実家を出てそして警察官になったあたりからは、社会人の礼儀として年賀状を出すことと姪にお年玉を渡す以外の正月行事と縁が無くなって久しい後藤にとっては、お雑煮もおしるこも、久しぶりすぎて舞台装置のように感じられるものであった。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 春の始まる少し前、後藤の昔の同僚が突然やってきます。トライ。 一九〇〇年代に終わりをつげて、悪夢のように夏が過ぎて心寂しい秋が終わったあと、冬とともについに輝かしい二十一世紀が到来した。だがそんなものは実際のところ世紀はただの区切りで、世紀の変わり目も結局は日常の続きだ。土木機械は二本足で立ったが、車は空を飛ばず、時間を巻き戻すすべもない。
ふざけた子供のまま悪人になった大人の悪ふざけは何人もの人生と命を奪い名のない男の死で忽焉と終わり、そしてまず建物が修復され、各隊にレイバーが戻ってきて、ただ一人が欠員したまま年を越して、特車二課は日常と仕事をこなしながら、他異の冬を過ごしていった。
しかしそれももうすぐ終わりのようだ。
しのぶが朝のミーティングを終えて隊長室へと戻ると、後藤が常と変わらぬ無表情のまま月間予定表に赤ペンで丸を書きこんでいるところであり、ああ、と声を上げた。
11039ふざけた子供のまま悪人になった大人の悪ふざけは何人もの人生と命を奪い名のない男の死で忽焉と終わり、そしてまず建物が修復され、各隊にレイバーが戻ってきて、ただ一人が欠員したまま年を越して、特車二課は日常と仕事をこなしながら、他異の冬を過ごしていった。
しかしそれももうすぐ終わりのようだ。
しのぶが朝のミーティングを終えて隊長室へと戻ると、後藤が常と変わらぬ無表情のまま月間予定表に赤ペンで丸を書きこんでいるところであり、ああ、と声を上げた。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 警部に昇進し本庁に勤めているしのぶの、ある冬から春にかけての出来事。早春賦師走
窓から眺める街は黄昏に沈んで、何の表情も見出せない。ただ、忙しなく行き過ぎる車のライトとビルに灯る蛍光灯の白い明かりだけが、世界に人工的な彩りを与えている。
あと幾日かで冬至ということもあり、まだ午後三時を回ったばかりなのに、もう太陽は西に去っていた。銀座方向に見える電光掲示板が示す明日の天気は雨。寒く、そして忙しい一日となるだろう。スリップによる交通事故を始めとして、例えば雨でぬかるんだ足場は、ちょっとした不注意から様々な事故を引き起こす。その危険性はこちら側にも言えることだ。明日出動する各小隊は、さぞ神経を使うことになるだろう。そういえば、明日は誰の隊が出るのだろう――。
65786窓から眺める街は黄昏に沈んで、何の表情も見出せない。ただ、忙しなく行き過ぎる車のライトとビルに灯る蛍光灯の白い明かりだけが、世界に人工的な彩りを与えている。
あと幾日かで冬至ということもあり、まだ午後三時を回ったばかりなのに、もう太陽は西に去っていた。銀座方向に見える電光掲示板が示す明日の天気は雨。寒く、そして忙しい一日となるだろう。スリップによる交通事故を始めとして、例えば雨でぬかるんだ足場は、ちょっとした不注意から様々な事故を引き起こす。その危険性はこちら側にも言えることだ。明日出動する各小隊は、さぞ神経を使うことになるだろう。そういえば、明日は誰の隊が出るのだろう――。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの それぞれの中の思い出と想いと思いなしと。基本的に二人がいちゃついてるだけの話です。また、当て馬要素があります。ドッヂボールの様にさ 大人の分別というのは、他人の領域に立ち入らないことだと、いつの間にか学んでいた。家族でも友人でも、誰もが必ず白線を引いている。見える見えないにかかわらず、踏み越えてはいけないし、重んじらなければならない。立場と距離が、社会を整理している。他人はもちろん、ましてや仕事の同僚や、そして上司に至っては。
初めの顔合わせで挨拶されたときの上司の印象はどうだったろうか。五味丘はたまにその瞬間のことを思い出す。例えば夜勤明けのまだ人のいない街を一人帰っているときや、南雲に現場を任される程度の小さな事故の処理が終わった後などに。
急増する犯罪に追われるように立ち上げられた部署への異動を志願したのは、誰かがやらないと行けない仕事だと理解し、またまっさらな部署なら思う存分仕事が出来、評価も得られるという野心からだ。実際揃った顔ぶれは機動隊などで揉まれた覇気溢れるものばかりで、新進気鋭のエリート部隊と呼ぶに相応しいものだった。そんなホープを率いることになる警部補は、背筋を伸ばし、眉間に力を入れ、気の強さを隠そうともせず、涼しげな声で鋭く檄を飛ばしてきた。いわく、日本初、いや、世界初のこの部署において、我々の働きがこれからの社会とレイバーのあり方すら変えるのだ、我々の部隊は選び抜かれた先鋭として、この重責を担い、そして見事期待に応えられる力を持つ、と。そして着任の挨拶のあと、「あなたが五味丘巡査部長ですね」と言われたときの声はいまも鮮明に耳に残っている。この穏やかな声のなかに、先ほどまでの熾烈さを収めているのかと。彼女もまた、戦って勝ち抜いてきた、一流の戦士なのだ。
17224初めの顔合わせで挨拶されたときの上司の印象はどうだったろうか。五味丘はたまにその瞬間のことを思い出す。例えば夜勤明けのまだ人のいない街を一人帰っているときや、南雲に現場を任される程度の小さな事故の処理が終わった後などに。
急増する犯罪に追われるように立ち上げられた部署への異動を志願したのは、誰かがやらないと行けない仕事だと理解し、またまっさらな部署なら思う存分仕事が出来、評価も得られるという野心からだ。実際揃った顔ぶれは機動隊などで揉まれた覇気溢れるものばかりで、新進気鋭のエリート部隊と呼ぶに相応しいものだった。そんなホープを率いることになる警部補は、背筋を伸ばし、眉間に力を入れ、気の強さを隠そうともせず、涼しげな声で鋭く檄を飛ばしてきた。いわく、日本初、いや、世界初のこの部署において、我々の働きがこれからの社会とレイバーのあり方すら変えるのだ、我々の部隊は選び抜かれた先鋭として、この重責を担い、そして見事期待に応えられる力を持つ、と。そして着任の挨拶のあと、「あなたが五味丘巡査部長ですね」と言われたときの声はいまも鮮明に耳に残っている。この穏やかな声のなかに、先ほどまでの熾烈さを収めているのかと。彼女もまた、戦って勝ち抜いてきた、一流の戦士なのだ。
いずみのかな
DONE注意書きが必要だしな、という理由で押し入れにしまっていた掌編5本です。「アイドル」…記憶喪失なんですが、ひねりなくテレ朝でやってた『刑事ゼロ』ネタ
「勉強のうた」…17年冬に発行した『早春賦』のおまけ
「新しい季節へ、きみと」…『夏を見渡す部屋』の続編のつもりでした
「プレイ ザ ゲーム」…ただの会話劇
「くちばしにチェリー」…18年に流行った魔女集会ネタの亜流でした
掌編詰め合わせアイドル「あなた、誰ですか」
そう言われたときのぞっとした気持ちを今でも覚えている。
自分が誰なのかを知らないのは、誰よりも自分自身だからだ。
「久しぶりだな」
いきなり背中を叩かれながらそう声を掛けられて、後藤は声のした方を振り向いた。
「あ、……久しぶりです」
「あら、犀川刑事部長、珍しいですね、わざわざ特車二課にお声を掛けられるなんて」
すぐ横でしのぶが涼やかに嫌味を投げかけた。
「南雲警部補は相変わらずだな」
むっとする犀川をよそにしのぶは態度を変えず、
「いえ、刑事部長におられましては、後藤警部補と大変懇意であると聞いていたので、つい」
お二人の親交を邪魔するつもりはありませんが、と続けて、少しだけ顔を硬直させた犀川の様子を、後藤はじっと眺めていた。手の震え、眉毛の動き一つ一つ、言葉に少しだけにじむ感情。そうしたものを丁寧に拾ってから、ようやく後藤は二人の間に割って入った。
14204そう言われたときのぞっとした気持ちを今でも覚えている。
自分が誰なのかを知らないのは、誰よりも自分自身だからだ。
「久しぶりだな」
いきなり背中を叩かれながらそう声を掛けられて、後藤は声のした方を振り向いた。
「あ、……久しぶりです」
「あら、犀川刑事部長、珍しいですね、わざわざ特車二課にお声を掛けられるなんて」
すぐ横でしのぶが涼やかに嫌味を投げかけた。
「南雲警部補は相変わらずだな」
むっとする犀川をよそにしのぶは態度を変えず、
「いえ、刑事部長におられましては、後藤警部補と大変懇意であると聞いていたので、つい」
お二人の親交を邪魔するつもりはありませんが、と続けて、少しだけ顔を硬直させた犀川の様子を、後藤はじっと眺めていた。手の震え、眉毛の動き一つ一つ、言葉に少しだけにじむ感情。そうしたものを丁寧に拾ってから、ようやく後藤は二人の間に割って入った。
いずみのかな
DONEパトレイバー、ごとしの タイトルはチャゲアスからです。かなり甘め。大人同士でも、少し疲れたときにはあじさいとひまわり 青鈍の重苦しい空の下、湿度だけがじりじりと上がっていく。うっすらと搔いた汗が蒸発せずに身体を湿らせていき、まったく気持ちがよくない日だ。
しのぶは職務に支障がなければ、オフィスが山の奥だろうが駅から三〇分掛かろうが海の側の廃工場跡だろうがまったく構わないが、夏だけはこの分署の立地を恨めしく思う。それでなくても精密機械であるレイバーが傷みやすいことに加えて、東京湾の潮風はお世辞にも心地よいとはいえないものだからだ。後者はただの愚痴だが、機材については切実な話で、それでなくても金食い虫と言われて予算が削減されている二課において、余計な出費は少しでも抑えたい。夏のサビは二課一番の敵だ。
そういえばそろそろ予算案が提示される時期である。去年は「なんなら私と後藤で折衝にいきますがよろしいか」と提案することで福島の尻を叩いて、管理職で頭を絞ってどうにか現状維持まで持ち込んだのだが、新型機の導入が間近な今年は果たしてどうなるのだろうか。
19068しのぶは職務に支障がなければ、オフィスが山の奥だろうが駅から三〇分掛かろうが海の側の廃工場跡だろうがまったく構わないが、夏だけはこの分署の立地を恨めしく思う。それでなくても精密機械であるレイバーが傷みやすいことに加えて、東京湾の潮風はお世辞にも心地よいとはいえないものだからだ。後者はただの愚痴だが、機材については切実な話で、それでなくても金食い虫と言われて予算が削減されている二課において、余計な出費は少しでも抑えたい。夏のサビは二課一番の敵だ。
そういえばそろそろ予算案が提示される時期である。去年は「なんなら私と後藤で折衝にいきますがよろしいか」と提案することで福島の尻を叩いて、管理職で頭を絞ってどうにか現状維持まで持ち込んだのだが、新型機の導入が間近な今年は果たしてどうなるのだろうか。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 2018年5月、スーパーコミックシティで発行した『ねこになりたい』に収録した一編におまけでつけた冊子の一部を足したものです。ごとうさんがねこみみです。とても自由に書きました。
テンデイズワンダー 職場まで車で二十分、実家までは三十五分。築二十三年、三階にあるバス・トイレ別の南西向きの2DK。
初めての一人暮らしには十分すぎる物件だ。
しのぶはぐぅーと伸びをしてから、さて、と気合いを入れた。とりあえず今晩から寝られるように、ベッドだけでも整えなくては。
引っ越しの理由はよくある話で異動により職場が遠くなったからで、異動の理由もまたよくあることに、女性というだけで疎まれて、そして追いやられたからだ。SPに憧れて警視庁を志し、努力の甲斐あり夢をつかみかけていた。それが、とある警視のあからさまなセクハラを告発したら、相手の代わりに自分が飛ばされた。まったくもってこの世界はろくでもない。
いっそ辞表を叩きつけようかとまで思い詰めたが、すんでのところで思いとどまった。警察官として立派に職務を果たしてこそ相手への最大の復讐というものだろうし、セクハラを握りつぶすような部署ならこちらから願い下げというものだ。交番勤務のあと本庁に行ったものだから現場には慣れていないが、市民と直に触れ合えるのは警察官の仕事の原点と言える。そう思うと気持ちも前向きになってくる。そうやって向こうに見切りをつけた、つけてやった。
26294初めての一人暮らしには十分すぎる物件だ。
しのぶはぐぅーと伸びをしてから、さて、と気合いを入れた。とりあえず今晩から寝られるように、ベッドだけでも整えなくては。
引っ越しの理由はよくある話で異動により職場が遠くなったからで、異動の理由もまたよくあることに、女性というだけで疎まれて、そして追いやられたからだ。SPに憧れて警視庁を志し、努力の甲斐あり夢をつかみかけていた。それが、とある警視のあからさまなセクハラを告発したら、相手の代わりに自分が飛ばされた。まったくもってこの世界はろくでもない。
いっそ辞表を叩きつけようかとまで思い詰めたが、すんでのところで思いとどまった。警察官として立派に職務を果たしてこそ相手への最大の復讐というものだろうし、セクハラを握りつぶすような部署ならこちらから願い下げというものだ。交番勤務のあと本庁に行ったものだから現場には慣れていないが、市民と直に触れ合えるのは警察官の仕事の原点と言える。そう思うと気持ちも前向きになってくる。そうやって向こうに見切りをつけた、つけてやった。
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの次のドアを開く、その前に
リボン 暮れていく青空は淡く、遠くに揺れる街に落ちる影は深い。夏の名残はすべて去り、今、窓の外を吹く風は、その一息ごとに空気を涼しいものへ、厳しいものへと入れ替えていくようだ。
海風が強く当たるこの場所は、常に何かしらの音がする。風の唸る音、東京国際空港へと降り立つ飛行機のエンジン、東京湾に入港した汽船の遠吠、はためく警察旗と国旗が、絶え間なく刻む不定期なリズム。陽光は急激にその力を失って、世界は浅梔子のやわらかい光に包まれつつある。先日まではまだまだ昼間の範疇だったというのに、時は瞬く間に過ぎ去って、すべての形を変えていくのだ。
変わり映えのないものが一年ごとに廻ってきているように見えて、同じ日は二度と来ない。螺旋階段のような時間を過ごして、そして気が付いたときには、うえへ上がり、したへと下り、全く知らなかったものや見えなかったこと、あるいは思いがけないものが見えたりする。
13785海風が強く当たるこの場所は、常に何かしらの音がする。風の唸る音、東京国際空港へと降り立つ飛行機のエンジン、東京湾に入港した汽船の遠吠、はためく警察旗と国旗が、絶え間なく刻む不定期なリズム。陽光は急激にその力を失って、世界は浅梔子のやわらかい光に包まれつつある。先日まではまだまだ昼間の範疇だったというのに、時は瞬く間に過ぎ去って、すべての形を変えていくのだ。
変わり映えのないものが一年ごとに廻ってきているように見えて、同じ日は二度と来ない。螺旋階段のような時間を過ごして、そして気が付いたときには、うえへ上がり、したへと下り、全く知らなかったものや見えなかったこと、あるいは思いがけないものが見えたりする。
いずみのかな
DONE2018年5月、スーパーコミックシティで発行した『ねこになりたい』に収録した一編です。後藤さんがねこです。ねこになりたい 同僚について、不満がないかと問われれば山のようにある。例えば勤務態度が褒められたものじゃないとか、日常業務全般についてやる気がないように見えるとか、閑散期となるやさぼる口実を探しはじめるとか。
不満はあったが、少なくとも信頼はしている。本分をわきまえて仕事はきっちりとこなすし、責任についてよく知っている。なんだかんだいって職業倫理が高く、警察官であることに誇りを持つ男だ。
だから、無断欠勤など絶対にしない。
定時になっても主が座る気配がない机を見て、しのぶはどうしたものかと思案した。しっかりしているとはいえ独り暮らしだ、なにかあったときに対応できないこともあるだろう。例えばぎっくり腰になって電話までたどり着かないとか。
12647不満はあったが、少なくとも信頼はしている。本分をわきまえて仕事はきっちりとこなすし、責任についてよく知っている。なんだかんだいって職業倫理が高く、警察官であることに誇りを持つ男だ。
だから、無断欠勤など絶対にしない。
定時になっても主が座る気配がない机を見て、しのぶはどうしたものかと思案した。しっかりしているとはいえ独り暮らしだ、なにかあったときに対応できないこともあるだろう。例えばぎっくり腰になって電話までたどり着かないとか。
いずみのかな
DONEパトレイバー。健全シリアス。一つの季節の終わりと、次の季節への眼差し。あるいは「友情というのは魂の結び付きである」。キン肉マン流に言い直すと「友情とは魂の結婚である」。後藤さんとしのぶさんの話ですが、ごとしのではありません。繰り返しますがごとしのではないので、ご注意ください。
秋の気配、夏の終わり 入道雲が海の向こうからもこもこと沸いて来て、街を覆い尽くし雨をひとしきり降らせてから、一層の蒸し暑さを残して去っていく日々が続き、朝は蝉、夕方は雷でやかましかった夏も、気付けはもうその後姿を見せるようになっている。
積乱雲の変わりに鱗雲やいわし雲が空を覆う日が少しずつ多くなり、吹き抜ける風は南から北に変わりつつある。ぎらぎらと輝きながら潮の香りをこれでもかと撒き散らしていた海も心なしか力無く見える、というのは単に見た人の心境の表れでしかないといえるが。
隊長室の窓からは、草刈に精を出す隊員たちのにぎやかな話し声が聞こえてくる。ここ一週間は出動がかかることもなく、二課全体が落ち着いた雰囲気に包まれていた。牧歌的だねえ、と後藤は煙草をくわえながら思う。しのぶがいないことをいいことに、自席でのんびりと煙草の煙を吐き出しながらぼんやりと天井を見ていると、またうっすらとヤニに染まり始めた天井板が見えて、取り替えてまだ一年経っていないのに、と思わず苦笑してしまった。
6560積乱雲の変わりに鱗雲やいわし雲が空を覆う日が少しずつ多くなり、吹き抜ける風は南から北に変わりつつある。ぎらぎらと輝きながら潮の香りをこれでもかと撒き散らしていた海も心なしか力無く見える、というのは単に見た人の心境の表れでしかないといえるが。
隊長室の窓からは、草刈に精を出す隊員たちのにぎやかな話し声が聞こえてくる。ここ一週間は出動がかかることもなく、二課全体が落ち着いた雰囲気に包まれていた。牧歌的だねえ、と後藤は煙草をくわえながら思う。しのぶがいないことをいいことに、自席でのんびりと煙草の煙を吐き出しながらぼんやりと天井を見ていると、またうっすらとヤニに染まり始めた天井板が見えて、取り替えてまだ一年経っていないのに、と思わず苦笑してしまった。
いずみのかな
DONEパトレイバー、あすのあとごとしの。梅雨の終わり、真夏、そして嵐の前のくもりの日の一コマ。
作中の行事については、北海道で行われているとのことですが苫小牧でやっているかはわかりませんが、やっている世界線の話と思ってくださると嬉しい…
七月七日、くもり 梅雨の合間の蒸し暑くどんよりとした雲の下、第二小隊は今日も今日とてお仕事だ。
機材が機材だけあって犯罪より事故や災害への対応に狩りだされることが多い部署ではあるが、梅雨時は足元が危ういために、自分達の動き次第で二次災害が発生しかねないから、一層神経をつかうことになる。したがって、帰還時にはいつもよりも疲れているし、疲れているのだから少し気が緩んでいても仕方がないというものだ。
いうものだが、突然インカムから、
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー」
なんて鼻歌が入ってきたときは、さすがに遊馬は突っ込まざるを得なかった。
「野明いきなりなんだよ」
10283機材が機材だけあって犯罪より事故や災害への対応に狩りだされることが多い部署ではあるが、梅雨時は足元が危ういために、自分達の動き次第で二次災害が発生しかねないから、一層神経をつかうことになる。したがって、帰還時にはいつもよりも疲れているし、疲れているのだから少し気が緩んでいても仕方がないというものだ。
いうものだが、突然インカムから、
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー」
なんて鼻歌が入ってきたときは、さすがに遊馬は突っ込まざるを得なかった。
「野明いきなりなんだよ」
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 設定として表した過去については、どこかの世界線の話であり、同時にどの世界線の話でもありません。ストレートな、愛の話です。このこみ上げる気持ちを込めて、あなたに花束を
あいのしるし 写真は時を留めるものだ。すぐに消え行く一瞬を切り取り、手元に置いておくことが出来る。
写真の中はそのように時間が止まっていても、写真自体は時の中に存在するものだ。慎ましく笑っている顔はかすかに色褪せ始めていて、通り過ぎていくものごとの無情さを目で教えてくれる。
止まっていられない以上、動くしかないのだ。残された人間は。
サイドボードの上、茶色い写真立てに収まった笑顔をぼんやりと見つめていた後藤に、
「穏やかなお顔つきになりましたね」
和尚は読経の時と寸分変わらない、腹に響くようなよい声でにこりと話し掛けてきた。
「そうなん、ですかね」
後藤ははて、と顔を軽く撫でて応える。その様子がすっとぼけているように見えたのだろう、彼はさらに柔和な顔になって、
12075写真の中はそのように時間が止まっていても、写真自体は時の中に存在するものだ。慎ましく笑っている顔はかすかに色褪せ始めていて、通り過ぎていくものごとの無情さを目で教えてくれる。
止まっていられない以上、動くしかないのだ。残された人間は。
サイドボードの上、茶色い写真立てに収まった笑顔をぼんやりと見つめていた後藤に、
「穏やかなお顔つきになりましたね」
和尚は読経の時と寸分変わらない、腹に響くようなよい声でにこりと話し掛けてきた。
「そうなん、ですかね」
後藤ははて、と顔を軽く撫でて応える。その様子がすっとぼけているように見えたのだろう、彼はさらに柔和な顔になって、
いずみのかな
DONEパトレイバー ごとしの 変則な構成になっております。時は21世紀も半ば。
追伸。 立て付けの悪い雨戸をどうにかして開けると、縁側に面した部屋の奥の方まで光が差し込み、古びた畳の上できらきらと埃が舞うのが見えた。
開け放った窓の外の空気が妙に美味く感じられるのは、この家が長い間閉じられていた証だろう。更に言うなら、大通りから奥に入った場所にある立地と、この辺りでも珍しくなった、木と草が生い茂る広い庭も味をよくしている。
まず、この庭は間違いなく業者に手入れしてもらわないといけない、と霧島は窓にもたれながら思った。木を剪定して草を刈り、元の姿に戻ったらなかなか風情がある姿になるに違いない。そうすれば、ひとつの目玉になる。
庭もそれなりなら室内もそれなりのものだ。
窓を開けるまでは判らなかったが、質素ながら味わいのある欄間に床の間、縁側に設けられた雪見障子、部屋と廊下を仕切るのは色褪せてはいるが立派な襖だ。畳は変える必要があるだろうが、あとは徹底的に掃除をすれば、人の観賞に十分耐えれるものになるだろう。
10165開け放った窓の外の空気が妙に美味く感じられるのは、この家が長い間閉じられていた証だろう。更に言うなら、大通りから奥に入った場所にある立地と、この辺りでも珍しくなった、木と草が生い茂る広い庭も味をよくしている。
まず、この庭は間違いなく業者に手入れしてもらわないといけない、と霧島は窓にもたれながら思った。木を剪定して草を刈り、元の姿に戻ったらなかなか風情がある姿になるに違いない。そうすれば、ひとつの目玉になる。
庭もそれなりなら室内もそれなりのものだ。
窓を開けるまでは判らなかったが、質素ながら味わいのある欄間に床の間、縁側に設けられた雪見障子、部屋と廊下を仕切るのは色褪せてはいるが立派な襖だ。畳は変える必要があるだろうが、あとは徹底的に掃除をすれば、人の観賞に十分耐えれるものになるだろう。
いずみのかな
DONEそれほど暗くはないですが少し不思議な死にネタです。苦手な方はくれぐれもご注意ください。どこまでも君の声を抱いて。
Hello, my friends 最期はあっけなかったって警察の方が、ほらあの子、あこぎな職業だしそれでなくてもあの性格だから、畳の上じゃ死ねないよ、って軽口をよく叩いちゃってね……せめて苦しまなくてよかったですよ。
そんな風に泣くこともなくつぶやく彼の姉の横顔を、しのぶは無表情で聞いていた、
同僚であったのは五年と少し。自分が人より物事に対して敏感で極めて優秀であることを誰よりも疎んでいた男は、結局その能力ゆえにまた厳しい戦いの世界に呼び戻されて世界を飛び回り、そして最期の勤務地はロンドンだったという。スコットランドヤードに向かった帰り、たまたま降りたチューブの駅で起こった一度目の爆発テロの際、倒れてきた瓦礫に挟まっていた褐色の肌の少女を助けている最中、時間差で起こった二度目の爆発で、その少女や多くの逃げ惑っていた駅の利用者――職員、住民、そして多くの観光客と共に、男は逝った。お前なにやってるんだ、と咄嗟に制止しようとした同僚に叫んだ最後の一言は「放っておけないでしょ、見てみるふりなんてしたら、俺、帰国してあの人に顔向けできないじゃない!」だったという。
13737そんな風に泣くこともなくつぶやく彼の姉の横顔を、しのぶは無表情で聞いていた、
同僚であったのは五年と少し。自分が人より物事に対して敏感で極めて優秀であることを誰よりも疎んでいた男は、結局その能力ゆえにまた厳しい戦いの世界に呼び戻されて世界を飛び回り、そして最期の勤務地はロンドンだったという。スコットランドヤードに向かった帰り、たまたま降りたチューブの駅で起こった一度目の爆発テロの際、倒れてきた瓦礫に挟まっていた褐色の肌の少女を助けている最中、時間差で起こった二度目の爆発で、その少女や多くの逃げ惑っていた駅の利用者――職員、住民、そして多くの観光客と共に、男は逝った。お前なにやってるんだ、と咄嗟に制止しようとした同僚に叫んだ最後の一言は「放っておけないでしょ、見てみるふりなんてしたら、俺、帰国してあの人に顔向けできないじゃない!」だったという。