スーパーノヴァ 勝手に布団に入ってきていい、と伝えて以来、松井はたまに夜中僕の部屋を訪れるようになった。
僕は眠っていて起きないまま、朝目覚めたときに隣に松井が丸まっているのに気づくこともあるし、ぼんやりと覚醒して、一言ふた言交わして、そのまま一緒に眠ることもある。まだ寝付いていなかったら、お茶を淹れて二人で飲むこともある。それほどの頻度ではないけれど、もう片手では足りないくらいの回数にはなったはずだ。
眠っていたところをわざわざ起き出して、灯りを点けてあれやこれや世話を焼くことは、あえてしないことにした。一度僕がそうしようとしたら、松井はひどく申し訳なそうに、何度も起こしてしまったことを謝って、そのまま部屋に戻ろうとしたから。たぶん、気を遣われないほうが、彼には居心地が良いのだろう。
本当は、そろそろ部屋に松井用に予備の布団を用意してあげたほうがいいんだろうなぁ、とは思う。僕も松井も、打刀の中では小さいほうではないから、一人用の布団ではさすがにぎゅうぎゅうだ。夏なら畳の上に身体が半分飛び出していても気にならないけれど、そろそろ布団からはみ出した足が冷える季節になっている。松井から「僕の布団も置いておいてくれ」とは言い出せないだろうし、僕から提案すべきなのはわかっていた。
それを先延ばしにしていたのは、単に、夜中に僕の布団にそっと潜りこんでくる松井を手放すのが惜しかったからだ。人の身をした他刀の体温の横で微睡むのも目を覚ますのも、存外悪くないものだ。朝起きて無防備な松井の寝顔が隣にあると、何だか少し胸の奥が温かくなるような感じがする。早朝の畑から帰ってきたときに、寝ぼけまなこで「おはよう、おかえり」とむにゃむにゃ言う松井はちょっと愛らしいと思うし。
そんな気持ちを隠し持っていたから、…だからこれは、僕のせいだ。いま、松井が、僕の布団の中で、真っ赤な顔でふうふう言っているのは。
昨夜、松井が布団に入ってきたのは、夜もかなり深い時間になっていた。
氷のような裸足の足先が自分のふくらはぎにくっついて、僕は飛び起きた。
「つめた!!」
松井は狼狽えた様子で、「すまない、起こすつもりじゃなかったんだ。もうかなり遅いし、迷ったんだけれど。足、当たったの、わざとではないんだよ、ほんとに…」とか、あわあわと弁解を始めながら、布団から飛び退こうとした。
「…ちょっとびっくりしただけだよぉ。いいからもっとこっち来て。なんで、こんなに冷えてるん。今まで何処に居たの」
すっかり目が覚めた僕は腰の引けた松井を無理矢理引っ張って、布団の中に丸め込んだ。
「今日は夜戦で、短刀たちと出陣して、隊長は薬研で…」
僕の体温で温まった布団の中で、松井はぽつりぽつりと話し出した。今日はなかなか調子が良くて、池田屋の奥まで進軍したこと。おもに粟田口の短刀たちで結成された部隊で、皆が軽傷も厭わず果敢に戦ったこと。そのうちに、五虎退が重傷を負ってしまったこと。それですぐに撤退したこと。松井自身に怪我は無かった。
「僕が、無傷で帰還できたのは、小さい刀たちが僕を庇うように動いてくれたからなんだ。彼らはもう極だし、場数も僕よりずっと踏んでいる。薬研の采配は確かで、粟田口の連携は見事だったよ。皆、勇敢な刀だ」
でも、と松井は少し口籠った。
「…湯に入っても、血の匂いが取れないんだ。僕のではなくて、彼らの。直接浴びた訳でもないのに、おかしいよね。…気の所為だって、解っては、いるんだ。戦場で血を流すのは、僕らのさだめだ。敵を前にすると、血を浴びたくて血が滾る。それなのに、仲間の血が流れるのは耐え難い。…僕は、どうしてこうなんだろう」
夜風に晒されたら血の匂いが薄れる気がした。このまま眠ったらきっと魘されると思った。でも、血の匂いを纏ったままで桑名の部屋に入りたくなかった。君にまで、血の匂いが移ってしまいそうで。…それなのに、すまない。何度も謝りながら、松井は、怯えたような顔で僕を見た。
一体どのくらいの時間、外にいたのだろう。風呂上がりの浴衣姿のままで。足先が氷みたいになるまで。
松井が僕の布団の中に居ると、胸が温かくなると思っていたのに、いまは、胸がぎゅうっと締め付けられるような気がした。
「松井」
僕は、松井の頭を自分の胸元に引き寄せた。よく乾かさないままの濡れ髪も、そのまま凍ってしまいそうに冷たかった。
「いい匂いがする」
「…は?」
「松井の髪の毛。お花みたいだよぉ。僕とは、ぜんぜん違うんだねぇ」
「……桑名は、とりーとめんとも、髪油も、使わないからだろう」
「そうだよねぇ。僕、前から、松井はいい匂いがするなぁって、思ってたんだぁ」
冷たい髪に鼻を埋めると、松井はちょっと嫌そうに離れようとした。
「…どうしてこうなのか、は、松井が、松井として此処に顕現したからだよ」
抵抗を封じるように腕に力を込めて、ゆっくりと言った。
「どうしてこの姿で、この自分で、生まれてきたのか、考え続けるために、此処で人の身を得たんだよ。きっと」
松井の身じろぎがぴたりと止まった。
「もう寝よう。寝ないと保たないのも、人の身だからねぇ」
そう言って、冷たい足を僕の足の間に挟み込んだ。冷えた浴衣が邪魔だなあ、と思ったけれど、それを口にするのは、何故だかすごく駄目な気がした。
僕はそのまま、つめたい花の香りを抱いて眠った。
次に起きたら、あんなに冷えていた松井は、今度はちんちんに熱くなっていた。
僕はまた飛び起きて、寝巻きのままで薬研の部屋に飛び込み、氷嚢やら体温計やら熱冷ましやらを奪い取るみたいにして部屋に駆け戻った。後ろから薬研の「松井の旦那に、あんまり気に病むなって伝えてくれよなー」という声が追いかけるように聞こえた。
松井は僕の心配を他所に、ちょっと掠れた声で、
「人の身は、こんなに熱くなることもあるんだな…。冷たいよりは、本当に肉体を得たんだって、感じがするね…」
だのと、とぼけたことを言っている。
「息がしづらい…」
「鼻が詰まってるからねぇ」
「ふだん、息は、鼻でしていたのか…」
「血を流す以外に生を実感できる機会があって、良かったやん」
松井は上目遣いの情けない顔になった。
「…怒っているのか?」
「んー? いや、手がかかるなぁと思ってるだけだよ」
「…布団、汗だくにしてしまうね、ごめん」
「ああ、いや、うーんそうだね、前から、言おうとは思ってたんだけど…」
「えっ、布団を汚すなってことを?」
「違うよ!」
僕はずれ落ちた松井のおでこの氷嚢を直して、ふう、とひとつ息を吐き出した。
「松井。僕たち、同室にしてもらおう」
「…え?」
「この間太閤くんが顕現して、左文字の刀の部屋が手狭になったでしょ? それで、宗三さんたちが四振りでもっと広い部屋に移ったら、そこが空くから」
この本丸は、顕現してすぐに刀派や縁のある刀と同室になる場合もあれば、まずは一振りで部屋を当てがわれる場合もある。僕の場合は、すでに篭手切と豊前が同室で、もう一振りというのは手狭だったので、一人部屋を貰った。次に松井が顕現したときに同室にならなかったのは、僕の朝がやたら早いせいと、二振りともまいぺーすな刀に見えたからなのだろう。でも本当は、次にどんな気質の刀がやってくるかわからないから、一人部屋は出来る限り空けておいたほうが都合が良いのだ。
松井がたびたび僕のところに通っていることを知った主から、部屋の移動をしてはどうかと打診されてはいた。
二つ返事で頷かなかったのは、松井は、僕に頼ることもありはするけれど、四六時中僕と顔を突き合わせていることは望んでいないだろうと思ったから。というのは、嘘ではない。確かにそれもあるけれど。
そんな打診があることさえ、まだ伝えていなかったのは、……うん、僕の布団で眠る松井を、もう少しだけ…、
「僕は構わないよ」
「ええ!?」
「自分で言い出しておいて、そんなに驚くことかな?」
松井は目を丸くした。
「桑名といるのは気楽だし、同じ部屋で眠れば厭な夢も見ないし、なにより夜中に君のことを起こさなくても済むだろう?」
「ああ、そっちかぁ…」
そりゃそうだよね、と頬を掻いて、「ごめん」と謝る。
松井はまだ真っ赤な顔のまま、
「どうして桑名が謝るんだ?」
と言って、花がほころぶように笑った。
僕は、自分で自分の気持ちに理屈がつかないこともある、ということの他に、自分が案外狡いところのある刀だったのだということも、この日、初めて知る羽目になったのだった。