ビターな思い出を塗り替えて「KK、いつもありがとう」
お皿の上にちょこんと乗せられたそれは、どうやらチョコレートケーキのようだ。
「あ?……昨日作っていたのは、それだったのか」
昨日の夕方頃、帰宅すると部屋中チョコレートの甘い香りで包まれていて、その残り香が甘ったるくてつい顔を顰めてしまった。その香りの正体が、これだというわけだ。
「甘さ控えめにしたからさ、KKでも食べられると思うよ」
食べてみて苦手なら残してもいいからさ、と暁人は皿をずずいっとオレの前に差し出してくる。残してもいいと言うが、せっかく作ってくれたものを食べないわけにもいかない。とりあえず一口、と控えめにスプーンですくって口へと運ぶ。
「…………美味いな、これ」
甘いものは苦手だが、これはいける。中に入っているクリーム状のチョコレートがそれほど甘くなく、昨日の甘ったるい香りとは違って胃がもたれるような感じもなかった。どんどんとスプーンが進み、いつの間にか完食していた。
「え、もしかして全部食べてくれたの……?嬉しいなぁ」
口直しのコーヒーを持ってきた暁人が、空になった皿を見て嬉しそうに微笑んだ。
「てっきり、一口だけで良いって言われるかと思って小さめに作ったんだけどな」
「いや、サイズも丁度いい。味も、思っていたほど甘くないし食べやすかった」
「ほんと?この前自分用に作ったら結構甘く仕上がったから、KK用にビターチョコレート多めにして作ったんだけど……気に入ってもらえて、よかった」
「料理も作れて菓子も作れるなんて、器用だねぇ暁人くんは」
ここで暁人が、疑問符を浮かべた表情をオレに向けてきた。
「……ん?もしかしてKK……今日何の日だか、わかってない?」
「あ?」
何の日だって?何かの記念日か?まずい、記念日だとしたらまた忘れてたのかと呆れられるに違いない。つい目が泳いでしまったのか、それを見た暁人が笑いだした。
「今日はバレンタインデーだよ、さすがにKKも知ってるだろ?」
「バレンタインデーだぁ?……あぁ、そうか、そうだったな」
つい、昔の記憶が蘇ってきて、先程食べたチョコレートよりも苦い思い出が脳裏に過ぎる。まだ家庭を持っていた頃、妻が毎年用意してくれるのにも関わらず、甘いものは得意じゃないと気持ちだけ受け取ったり、付き合っていた頃はそれなりにお返しをしていたものの、結婚してからはろくにお返しすらしていなかった気がする。我ながら最低な旦那だったと、今更反省しても遅いのだが。
「女性から、男性にチョコレートを贈る日だって言うけど……今の時代、性別は関係ないしさ。それに、ほら。いつもお世話になってますって意味で渡してもいいんじゃないかなぁって」
「それは……そうだな」
「だから、僕が美味しいと思ったものをKKにも食べてもらいたくて、つい張り切っちゃったんだ……ごめん」
バレンタインデーの話をした時にオレが渋い顔をしたことに気がついたのか、暁人が申し訳なさそうな表情になる。気を遣わせてしまったようだ。
「……美味かった、また来年も作ってくれよ」
「……ほんと?じゃあ……来年は、ガトーショコラを作って、二人で食べたい」
「甘さ控えめなら、オレだってちゃんと食うさ」
「ふふ、任せてよ。KKの好みの味はもうバッチリだからさ」
オレにとっては苦い思い出ばかりのバレンタインデーも、暁人のおかげでこうも甘いものになるとは思わなかった。幸せ者だ、と改めて感じる。
「KKのことだからさ、もしかしてバレンタインデーは良い思い出がなかったんじゃないかなぁって」
「ザンネンながら、大当たりだよ」
「でも、学生時代はモテてたんじゃない?」
「昭和の時代に、堂々とチョコレートを持ってくる女子はいなかったぜ」
「でも、もらったこと……あるだろ?」
「……………………」
「ほら、やっぱり!……変なものが入ったチョコレートとか、もらわなかった?」
「あ?変なモン……?」
「ほら、その人の身体の一部とか……」
突然おっかないことを暁人が言い出すものだからつい身を乗り出してしまう。
「暁人……その話、詳しく聞かせてもらおうか?」
「えッ……いやいや!中学生の頃の話だし、そこまで覚えて……!」
「いいから、ほら、事情聴取だ!」
「ちょ、ちょっとKKッ!」
勘弁してくれよ、と逃げる暁人を追いかけて問い詰める。どうやら、コイツにとってもあまり良い思い出は無かったようだ、それならば
「オマエがしてくれたように、オレがイイ思い出に上書きしても構わないよなぁ……?」
「ちょっと待ってKK、目が怖いんだけど……!」
「口を滑らせたオマエの負けだよ、観念しろ」
来月のちゃんとしたお返しの前に、とびきり甘い『恋人の日』を贈ってやるよ。