SS_0331「あかんで」
一言そう言って、彼はただでさえ常から険しい目つきを一層尖らせた。
いや、顔怖いわ。そう言って茶化せなかったのはその否定が割と二人でいるときによく投げかけられるものだったからで、且つ、きっとその否定が彼の根っこの部分から出ているからだ。
彼はふざけたところの多い人だが、土台は頑固で割とワンマンなタイプだ。気に食わないことははっきりと伝えてくるし、こちらにも同様のコミュニケーションを求めてくる。俺は然程気にならなかったが、隠岐なんかは最初気圧されていたのを覚えている。そして残念ながら、彼本人にその自覚はない。
そもそも、彼の倫理感は真っ当だが古臭く、お祖父さんに居合を習っていたと聞いたときはひどく納得したものだ。令和では部下の価値観を真っ向から否定するのはハラスメントになりかねないのである。これも、いつか教えてやるべきだろうか。
そんな風につらつらと他所事を考えながら、こちらを見据える鋭い双眼と視線を交わす。ほんまに目つき悪いなこの人。
「その才は、俺のために使いや」
ボーダーで出会って、人より多少出来のいい俺の頭のことを知ってから、事あるごとに彼はそう言った。俺は決して自分が助かるために、一切合切を投げ打つような手を打ったわけではない。ただ、例えばランク戦のログを見ながらその状況を盤面に思い起こす。その場面で自分なら何をするのか、実際には何が起きたのか、もっといい手は。そうして深く思考を沈めていく最中に、彼はいつだってその否定の言葉で以て俺を思考の泥濘から掬い上げた。
「そない立派なものちゃいますけど」
才というのは例えば同じクラスの狙撃手だとか、一つ年下の射手だとか、ああいう奴らが持っているもののこと指す。それこそ彼の居合だって才だ。俺のこれは才と言うには力も心構えも中途半端だった。だから、置いてくることが出来た。
「誰にでもできることではないやろ」
「けど誰にもでけへんわけやない」
「少なくとも俺にはできひん」
「向き不向きっちゅうだけやん」
彼の言葉は上滑りしていく。とはいえ、双方感情的になっているわけでは決してなかった。平行線だと互いに理解をした上で、それでも言葉を交わさない理由はない。だから、お互い届かない言葉を投げかける。不思議とそれを徒労だと感じたことはない。
はあ。彼が大きく息を吐きだした。正面に座っていた彼が両手を伸ばす。その手が俺の頬に触れた。
「なあ、水上」
「はい」
眉根を寄せた彼の顔が近づく。いやせやから怖いねんって顔。
力強い手で人の頭を抱えて、じっとこちらの顔を覗き込んで。それから。
「自分、考え事してる時めっちゃ顔怖いから絶対直したほうがええって」
「イコさんにだけはほんまに言われたない」
***
俺には全く見えんような先の手を思考し続けるこの男。異質な才を持っているにも関わらず、男はそれを軽く受け止めていた。確かに、上には上がいたのだろう。その域に届かないことに臓腑が煮えくり返るような思いを抱えたこともあるのだろう。それでも、このボーダーという組織において、未だ戦時下にあるこの町において、この男の才はやはり替えの利くようなものではないと思うのだ。
ああ、また沈み込んでるな。
ログを視界に映しながら、男の頭にはきっと数えきれないほどの手が浮かんでいる。その手が通った時に起こること、それに対する手をまたいくつもいくつも考えている。それ自体は、別にいい。ログから学ぶことは良いことだし、俺だって脳内シミュレーションをすることは決して少なくない。
ただ、それを思考して掘り下げていった先で、ふと諦念に似た何かを浮かべることがある。優秀だからこそ思い至るのであろう限界。勝ち筋が無いと理解した時のゆっくりとした瞬き。俺は、それがどうしても好きになれなかった。
「あかんで」
だから、思考に沈み込む男を見ると、折を見て声をかけてしまう。
この男のそれは逃避であり、予防線だ。一人で勝手に考えて、勝手に最悪のシナリオ想像して、それに対する手が浮かばない自分に勝手にテンション下がって。
アホやん。人よりも先が読めるやつは大体こうだ。背負っているものは比べ物にならない程重いのだろうが、迅も偶にそんな顔をする。それでも迅は仲間をまず頼りにしてくれるけれど、この男ときたら。
何のためのチーム、何のための組織だ。その才を何故自分を苦しめるために使うのか。
隠岐が、海が、マリオちゃんが、——俺がおるやろ。
「その才は、俺のために使いや」
「そない立派なものちゃいますけど」
こうなったら押し問答だ。自分の才覚の限界を知っているこの男と、そんな男の才覚を信じている俺。決着はつかないまま。
それでも。まあ。こうして問答をしている時は少しだけまんざらでもない顔をしているから。
きっと自覚していないその僅かな緩みに手を伸ばす。