放課後、いつもの部室。周りにはいつものメンバー。慣れたヤツらの前で着替えることに、いまさら抵抗はまったくない。もちろん他のヤツの着替えが気になる、なんてことはあるわけもなく。つまり視線がそこへ向いたのはたまたまだった。Tシャツを脱いだ靖友が、バッグの中のジャージを探している後ろ姿。その背中にうっすら付いている赤い痕。細く長いそれは、猫にでも引っ掻かれたみたいになっている。
転んだにしてはおかしな場所。というか、転んだなら痣や擦り傷のようになるはず。コーナギリギリを攻める靖友が、肩に傷を作っていることはよくある。でもあれはそういう類のものじゃない。もしかして猫に背中から襲われた? にしても片方ならわかるけど、左右に付くって絶対変だ。もしかして本当に誰かに引っ掻かれた? あんなところを。いや、その前に服の上から引っ掻いて見てわかるほどの痕は残らないだろ。なら裸の時? 風呂場で? それこそ誰にだよ。だいたい、あれは後ろから付けられた傷じゃない。こう、抱きつかれて爪を立てられって感じで……。そこまで考えて、昨夜のことが急に思い出された。
――もしかしてオレ?
昨日の晩は靖友の部屋で、あれやこれやをした。最後の方は気持ち良すぎて、よく覚えていない。けど必死で靖友にしがみついていた気がする。汗を流し、熱い吐息を吐き出す靖友。欲にまみれた瞳で見つめられ、噛みつくようにキスされた。掠れた声で靖友がオレを呼び、どこもかしかもどろどろに溶かされる。
断片的に蘇った記憶の破壊力に、一気に顔が熱くなる。まて、いや、これ以上思い出すとまずい。精神的にも肉体的にも色々と支障が出てきてしまう。
「新開、どうした」
すぐ横から聞こえた呼びかけに、ビックリして肩を揺らしてしまった。
「調子でも悪いのか」
あまり表情の変わらない友人にしては、珍しく窺うようにこちらを見ている。
「少し顔が赤いな」
大丈夫と返そうとした言葉を遮り、尽八がオレの顔を覗きこんできた。尽八の手がおでこに伸ばされ、体温を計るようにそっとあてられる。
「熱はないようだな」
「いや、調子悪いとかじゃないし。大丈夫だよ」
「ほんとか? 無理してないな」
「してないって。今日ちょっと暑いからさ」
心配そうな二人を前にして、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だってオレは靖友とのあれこれを思い出してこうなっているのだから。
「新開」
いつの間にか、靖友はジャージに着替え終えていた。じっとこちらを見つめるその瞳に、いっそう恥ずかしくなってくる。呼ばれたそれに返事も出来なくて、さり気なく視線をずらす。
「なァに、目そらしてんだヨ」
「そらしてねぇ」
「そらしてんだろ! まさかマジで具合わりィとかじゃねェよな」
ぐっと距離を詰めてきた靖友の顔が間近に迫り、顔が余計に熱くなる。
「ほんと大丈夫だから」
そっと靖友の肩を押し、顔をうつむかせた。だって、靖友のいやらしいところを思い出してました。なんて口が裂けても言えない。明らかにおかしな態度をとっているのはわかっていた。でも、いまは靖友がそばにいること自体ヤバい。
「しんかい」
しばらく黙っていた靖友が、柔らかな声で呼んでくる。靖友はその声に、オレが逆らえないことを知ってるんだ。
――ズルい、靖友は本当にズルい。
そうは思うけど、やっぱり逆らうことは出来なかった。おずおずと視線を上げると、案の定靖友と視線がぶつかる。真っ黒な瞳に射抜かれると、何もかも全部見透かされている気になってしまう。
ふっと靖友の表情が緩んで、次にはニヤリと口角が上がる。そうしてオレの肩にポンと手を乗せた靖友の唇が、耳元に寄せられた。
「エロい顔になってんヨ」
低く囁かれた声に、背中がゾクリと震える。
「靖友!」
慌てて体を離し、耳を押さえた。靖友はくつくつと笑いながら、オレの頭にタオルを被せる。
「福ちゃん、東堂。悪い、こいつやっぱ調子よくねェみたい。先行ってて」
タオルの上から、くしゃりと頭を撫でる靖友の手は優しい。
「そうか、荒北すまないが頼んだぞ」
「荒北、ほどほどにしとけよ」
口々に言葉を残し、二人は出て行ってしまう。それに合わせ、靖友は頭のタオルをそっと避けてきた。
「でェ、なんでんな顔してんのォ」
「……言いたくない」
ふいっと顔を逸し、ちょっと拗ねてみせる。でも靖友にそんな手が通じるわけもなく、耳たぶを擽るように指が滑っていく。ビクリと肩が跳ね、つい靖友の方を見てしまう。
「もしかして、昨日のことでも思い出したァ?」
わかっててこういうことを言ってくる靖友は、とことん意地悪だ。無言で睨むように視線を送ると、靖友の手は今度は頬を撫でてくる。
「何で急に思い出したの?」
ニヤニヤ笑う靖友は、それこそ何をどこまでわかっているんだろう。むぅ~と、口を尖らせるオレのそこに、ちゅっと音を立て靖友の唇が触れる。いきなりのキスに呆けていると、笑った靖友はもう一度唇を重ねてきた。ちゅっ、ちゅっと可愛い音を響かせ何度もキスされるうちに、なぜかオレの口許も緩んでくる。
「別にきっかけはなんでもいい。でもなァ、そーいう顔は他のヤツに見せんなヨ」
少しだけ真剣な顔になった靖友にそう言われ、とくりと心臓が音を立てた。こうして、たまに見せてくれる靖友の独占欲がオレはすごく嬉しい。
「ん、気をつける。……やすとも、ここ痛くない?」
すっと靖友の背中に腕を回し、自分がつけた傷のある場所を撫でる。
「あァー、なるほどね。残念ながらこんくらいだと二、三日で治っちまうなァ」
すぐに抱きしめ返してくれた靖友は、オレの肩に顎を乗せるそう呟いた。
「残念なの?」
「これは、それだけおまえが乱れたって証拠だからな」
ボッとまた顔に火がついたように熱が集まる。
「もう、靖友そういうのやめてよ」
「ハッ、かぁわいーの」
「だから、もう! 靖友なんて知らない」
ぎゅっと腕に力を込め、靖友の肩に顔を埋めて隠す。くすくすと耳元で靖友の笑う音が聞こえ、そっと頭を撫でられる。
「しんかァい、今日もオレんとこ来る?」
甘く囁かれた言葉に、うなずいたオレは今日もこの背に縋るんだろう。靖友の背に回した手でそこを撫でながら、ずっと消えなければいいのにとか思っていた。