ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第二部⑱話「相克」 スノーホワイト姫に王の最期を見せた翌日のこと。女王グリムヒルデは、姫の部屋を訪れた。
姫は顔色も悪く、目の下にうっすらとくまができていた。
ディアヴァルはその鋭い耳で気づいていた。姫は一晩中泣き明かしたのだ。可哀想に……。恋しい相手を諦めるのはさぞ辛いことだろう……。
女王は、姫を抱き寄せてハグすると、その頬に両手を添えて目を真っ直ぐに覗き込んで言った。
「スノーホワイトや。昨日は悲しい想いをさせてしまいましたね。知らねばならないこととは言え、さぞ辛かったことでしょう。でも、これでわかりましたね。あの若者は貴女にふさわしい相手ではないのよ。辛いでしょうけれど、この恋は諦めなくては。ね」
すると姫は、まだ青ざめた顔のまま、それでも真っ直ぐに女王の目を見返して静かにこう言った。
「おかあさま。私のことを心配してくださってありがとうございます。でも、私はあの方と結婚します。もう約束してしまいました」
女王は驚愕の表情を浮かべ、姫を突き飛ばすように放した。まじまじと姫の顔を見つめる女王の顔には、信じがたい言葉を聞いた驚きがはっきりとあらわれていた。
「貴女は成人したならこの国を継ぐ身の上なのですよ……。結婚相手も、この国がより良く栄えるために一番良い相手を選ばなくてはならないの! 私達王族には結婚の自由なんてないのよ!! それがわからないの……?」
女王は絞り出すような声で姫を諭した。
だが、姫は悪びれることもなくまっすぐ女王の目を見返した。顔色こそ青ざめているが、そこには凛とした譲らぬ決意が浮かんでいた。
「信じられない……。あの男は、あなたのお父さまの仇の息子なのよ? あの男と結婚したなら、この国は陛下の仇のものになってしまうのがわからないの? 陛下が遺されたこの国を、お前はあの男にくれてやろうと言うのですか?!」
無垢な榛色の瞳が、驚愕と怒りに燃える黄水晶の瞳と真っ向から見つめ合った。女王の瞳を見つめたまま、姫は言った。
「おかあさま。でも、あの方は悪い人ではありません。みんないっしょに暮せば良いのです。この国の人も、あの国の人も、みんな私達で幸せにすればよいではないですか」
女王は、ふらりと後ろに下がると、片手で目を押さえた。手の影で、その瞳は怒りと絶望に燃えていた。
だが、深呼吸を一つして手を放した時、女王の瞳には冷静な光が戻っていた。
「愛しい姫や。それが貴女の考えなのですね。わかりました。今日は、お話するのはここまでにしましょう。お互い頭を冷やして考える時間が必要ね。私は執務に戻ります。貴女は休んでいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
姫はにっこりとあどけなく笑って応えたのだった。
ディアヴァルを連れて部屋に戻った女王は、険しい顔で考え込んでいた。ディアヴァルがいつものように寄り添うと、女王は彼の喉を撫でながら話し始めた。
「愛しい子、あの子があんなに頑固だなんて、思いもしなかったわ。無垢にも程がある……。二つの国を一つにして、両方幸せにすれば良いだなんて! そんな風に上手く行けば苦労は無い。だいたい、それでは我が君の遺されたこの国は消えてしまうじゃないの……。あの子はそれでも平気なのね……」
言葉を切ると、女王は深々とため息を付いた。
「仇の息子とわかっても愛せるだなんて。あの子は陛下を愛していないのかしら……?」
そして、その夜。
女王はある人物を秘密の地下室へと呼び出した。
やってきたのは、たくましい身体に粗末な服をまとい、羽のついた帽子を被って弓矢を背負った森番のハントマンだった。
女王は帽子を胸にあて片膝をついてかしこまるハントマンに向かって話し始めた。
「忠義なる男、ハントマンよ。日頃の努め、あっぱれである。立ちなさい。楽にせよ」
「ありがたき幸せ。仰せのままに」
ハントマンは立ち上がると、話の続きを待った。
「他でもないお前を呼び出したのは、お前にしか出来ない仕事があるからです。それは呼ばれた時に察していたでしょう?」
「仰せのとおりです。ご下命を」
「よい答えです。今度の仕事は、今までで一番重要なものになるでしょう。この国の行く末が掛かっているのです」
ハントマンの目に訝しい表情が浮かぶ。
「この国の行く末、ですか」
女王が傲然と頭をそびやかし、片手を前に突き出してハントマンの胸を指差した。
「そう。この国の未来を、お前に託します。出来ますね?」
ハントマンは、深々とお辞儀をして言った。
「もちろんです! 私は女王陛下の忠実なる下僕。なんなりとご命令ください」
女王は顎をすっと下げ、射るような目でハントマンを見た。
「スノーホワイトが敵国の王子と通じました。このままではこの国の全てが奪われます。お前の手であの娘を殺しなさい」
ハントマンは弾かれたように顔を上げた。
「出来ないと?」
女王の黄水晶の瞳がハントマンの茶色い瞳を射抜く。
「めっそうもありません……! ただ、あまりにも意外で……」
「出来ますね?」
女王が重ねて問う。その声はたいそう厳しく、有無を言わせない響きを帯びていた。
「はい、ご命令のままに」
ハントマンは再びその場に片膝を付くと、改めて深々と礼をしたのだった。
「では、これを持ってお行き」
女王は、かたわらの卓上から箱を取り上げると、それをハントマンに手渡した。箱は側面と蓋に赤いビロードを貼り台座は金でしつらえた豪華なものだった。箱の口にはハート型の赤い宝玉がはめ込まれ、そこに金製の小さな剣を差し込んで蓋を留め付ける造りになっていた。
「明日、姫を森へ連れていきなさい。人が入り込まない森の奥深くまで行くのです。そして姫を殺し、その証として心臓を切り取ってこの箱に入れ、持ち帰りなさい」
ハントマンの目は驚きと恐れに大きく見開かれ、箱を受け取る手は震えていた。
「姫には私から、疲れを癒やしに森へピクニックに行くように伝えます。上手くやるのですよ。お前の肩にこの国の未来が掛かっているのです。それを忘れぬように」
「はっ! 仰せのままに!!」
そう答えると、ハントマンは震える手で箱を握りしめたまま深々とお辞儀をしたのだった。
【豆知識】
本日の豆知識は、女王の服装について。
女王の服装は、髪の毛を包み込んで見せることのない中世の女性の服装です。あの服装は実際にはいつ頃のものだったのか調べてみました。
Wikipedia「西欧の服飾 (13世紀)」の「女子の服装:上流階級」のパートにかなり近い画像が掲示されていました。
https://bit.ly/3Lbxt5c (画像:13世紀の婦人の服装)
こちらに、“髪型は既婚女性は髪を結いあげて覆い隠すのが決まりであった。未婚女性は従来の1本もしくは2本の三つ編みにしたお下げ髪も結われたが、垂らし髪が流行しており、当時の『騎士道物語』などの写本には金髪を長く垂らした姫君や乙女の姿が描かれる”という記述を発見。
どうやら女王の服装は既婚女性のものだと見て良さそうです。
だから白雪姫は髪の毛をたらしているのに、美しき女王は髪の毛を覆い隠しているのですね。
未婚と既婚の違い。
見方を変えると、既婚女性が髪の毛を見せることは“はしたない”とか“だらしない”とか“きちんとしてない”と見られた可能性もあるのかもしれません(それも服装の流行の変化にともなって変遷してく訳ですが)。
若き乙女の解き放たれた髪の毛と、結婚した年長女性の禁欲の中に封じられた髪の毛の対比が象徴的です。
美しき女王も若き日々には髪を人目に晒す自由を謳歌し、恋をした乙女だったはず……。
美しき女王はあの世界の規範に従って生きていたのですね。こうして見ると、規律に厳しいヴィルのイメージと、美しき女王のイメージが重なってきます。
なお、Wikipediaのギャラリーには「貴人女性の頭部-アリエノール・ダキテーヌの墓より(1204年)」や「頭巾をかぶった女性『Maciejowskiの聖書』より(1250年頃) 」という画像もあり、髪を結い上げて首から上を布で覆った女性の姿が描写されているのを見ることが出来ます。