ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第二部㉓話「老婆と七人の小人たち」 ディアヴァルに急かされて、老婆に扮した女王は森の中へと走り込んでいった。
ディアヴァルが空に舞い上がって偵察してみると、木立の隙間からちらちらと、小人たちが転んだり滑ったりしながらも家を目指して走っているのが見えた。あいつらあんなに足が短いくせに、なんであんなに早いんだ? それなのに、老婆の姿の女王は早く走ることが出来ない。早くも息をはずませて、苦しそうに走っている。ディアヴァルは女王の直ぐ側まで舞い降りると、枝から枝へと飛び移りながら女王の後を付いて行った。
女王は森の踏み分け道を走って戻っていく。その後ろから、大声で叫ぶ怒った小人たちの声がかすかに聞こえ始めた。このままでは追いつかれてしまう! どうすれば良いのだろうか? ディアヴァルは女王のそばを離れ、小人たちの方へと戻っていった。
小人たちは、みな怒り狂ってツルハシやスコップを振りかざし、猛烈な勢いで森の中を追ってくる。ディアヴァルは木の枝を投げ落として邪魔をしてみようとしたが、小人たちはそんな小枝など気づきもせずに走ってくる。
愛しい人の危機なのに、自分には敵の足止めすら出来ないのか……。
彼は恐ろしい予感に震えながら女王の元へ戻ろうとした。
そして、気がついた。
踏み分け道の先に、彼女が居ない。
不安と恐怖で心臓がどくどくと脈打ち、荒い呼吸が喉を焼いた。
彼は森の上に高く舞い上がり、あたりを見回した。
すると、なぜか女王は元来た道をそれて、別の方向へと走っていたのだ。
迷ったのか? それとも……もしかして、敵を城に導いてしまうことを恐れたのだろうか? 女王の進む先へと目を移した時、ディアヴァルの心臓は凍りつきそうになった。そこは次第に狭くなる突き出した崖へと続く袋小路になっていたのだ。
そっちに行っては駄目だ!!
ディアヴァルは急降下すると、女王の前に飛び出して羽ばたき、方向を変えさせようとした。人間の言葉で伝えようにも、焦ってしまって言葉が出てこない。女王の顔に飛びついて向きを変えさせようとしたが、女王は走るのに必死で止まろうとはしない。
ディアヴァルは女王の傍らを飛びながら、何度か女王が懐に手を入れかけて、やめたことに気がついた。そこには変装を元に戻す薬の小瓶が入っているはずだ。
老婆から元の姿に戻れば、もっと早く走れるし、息も続くことだろう。
けれどもし、この姿から元に戻るところを見られたら、スノーホワイトを殺したのが女王だと知られてしまう……。
結局女王は薬を使うこと無く走り続けたのだった。
そして、唐突に森が開けた。
目の前には、切り立った崖が目もくらむ深さへと落ち込んでいる。
女王は肩で息をしながら、崖っぷちから深淵を覗き込んだ。
後ろから聞こえる小人たちの怒鳴り声は、次第に大きくなってくる。
もう、時間がない……。
残された道はただひとつ。崖を降りることだった。
女王は、崖っぷちに生えた木に絡まった蔦を慎重に引き剥がし、握りしめて崖を降り始めた。ディアヴァルはハラハラしながら上から見守っていた。
と、そこにとうとう小人たちが現れて、崖っぷちに押し寄せた。
当りを見回して「どこだ! どこへ逃げた?!」と大騒ぎしているうちに、一人が崖下を覗き込み、女王を見つけてしまった。
「あそこだ! あんなところに居るぞ!!」
その叫び声に、女王がはっと顔を上げて振り仰ぎ……。
次の瞬間、足が滑って蔦からぶら下がった。
空中に支えるものもなく宙吊りになった身体はぐらぐらと揺れ、蔦は握った手からずるずると抜け始めた。
ディアヴァルは、気も狂わんばかりに鳴き立てて、崖の上の小人たちをつつき回し、追い払おうとしたが、カラスごときの攻撃にひるむような彼らではなかった。
と、その時、下の方から「あっ」と小さく叫ぶ声が聞こえた。
ディアヴァルがさっと見下ろすと、女王が握った蔦が千切れかけているではないか。彼は急降下して、女王の元へと翔け寄った。
だが……。
ディアヴァルが舞い降りたその目の前で、蔦は無情にも千切れ、女王は奈落の底へと落ちていった。驚きと恐怖に見開かれたトパーズゴールドの瞳が最後に刻みつけたのは、最後まで忠実にそばにいたディアヴァルの姿だった。
崖の上では小人たちが「落ちたぞ!!」「あれでは助かるまい」などと言い合っている。
だが、ディアヴァルにはもう小人たちのことなどどうでも良かった。
彼は女王の後を追って急降下し、地面に叩きつけられた女王の横へと舞い降りた。
「ガア!! ガア!! ガアアア!!」
叫んでも、引っ張っても、女王は動かなかった。
ディアヴァルは呆然とその場に立ち尽くした。
そんな馬鹿な。彼女が死ぬなんて。そんなことありえない。あってはならない。絶対に。
彼は女王の顔の横に体を寄せると、いつもそうしていたように寄り添った。だが、その身体に感じる女王の体温はゆっくりと失われ、冷たく固くなっていくのがわかるのだった……。
その身体の冷たさが、女王が死んだことを否応なしにディアヴァルに思い知らせた。
どれほど時間がすぎたろうか。実際にはほんの短い時間だったのかも知れない。
ディアヴァルは少しだけ気を取り直し、女王の服を引っ張り、少しでも自然な姿勢に戻そうとした。あちこち押したり引いたりしていると、何かが転がり出てきた。
地面に転がり、西日を受けてキラリと輝いたそれは、変身を解くための魔法の薬が入った小瓶だった。
ああ、これがあれば、彼女は元の姿に戻れる。もう、この醜い老婆の姿のままでいなくても良いのだ。
ディアヴァルは、足で小瓶を押さえつけ、器用に嘴で栓を抜いた。
そして小瓶をくわえあげると、女王の顔にふりかけた。
すると、見る見るうちに女王の顔からシワが消え、髪に色が戻り、元の顔へと戻っていった。驚きと恐怖に歪んでいた表情すら消えて、そこには穏やかに眠っているかのような美しい横顔があった。
その顔をしみじみと見つめていると、改めて悲しみが押し寄せてきて、ディアヴァルは大粒の涙をこぼして泣き始めた。
しかし、その時、彼の身には思いもよらぬ危機が迫っていたのだった。