母たちの昼下がり「そういえば、タナトスはすっかり大きくなって。」
湯気が立つカップを手に取りながら、ペルセポネは感慨深く呟く。湯気の向こう側に揺らめく群青色、夜の帳そのものである女神が、やはり同じように若芽色に満たされたカップをもって佇んでいた。女王の言葉に、女神ニュクスも同じように懐かしそうに眼を細めて穏やかに言葉を紡ぐ。
「……ええ、彼は立派に成長してくれました。」
「ふふ、瞬間移動で貴方の手を焼かせていたのが懐かしいわ。」
カップを口に運びながらペルセポネは微笑む。温かな液体を口に含むと、今の気持ちと同じように穏やかで、それでいて爽やかな風味が喉を抜けてゆく。この冥界の、ハデスの館の中庭で彼女が手ずから育てたハーブ……常夜のミントティーは、この穏やかな語らいにぴったりの飲み物であった。
日の光がなかろうとも、ペルセポネは今の暮らしが気に入っている。「すべてが完璧」とは言わないが、ここには平穏があり、家族があり……友がいる。それでも……やはり、ふとした瞬間に「魔」は差すものだ。
「……ザグレウスも、貴方の手を焼かせたかしら?」
それは心配りでもあり、同時に羨望でもあった。暖かさを帯びている声も、どことなく哀愁を感じる。見ることができなかった成長過程は想像する事しかできない。そして、それを見ることが叶わなかった自分に、責任と負い目を感じるのは、避けることも出来ない。……そんなペルセポネの憂いを、言葉にせずともニュクスは痛いほど分かっていたのだろう。
「ええ、それは勿論。……ですが、子供とは皆そういうものです。そして成長した今でもそれは継続しています、女王。だからこそ、愛おしくて仕方ない。」
そこで彼女はカップを一度テーブルに置いて、それから視線を遠くへやった。方向としては、ハデスの館の入り口……そして、中庭のある方だ。金色の輝石の瞳は、恐らく館の壁すら越えて、その静かで瑞々しい、薄闇の園を見つめていたのだろう。
「……ですが、今思えば私よりもタナトスの方が苦心していたことでしょう。」
「あら? それは初めて聞いたわ。」
「ふふ……あの子が『初めてタナトスと会話したのに怒らせてしまった』と、私に相談に来た日の事をよく覚えています。」
宵闇の女神は珍しく声を出して笑う。それに合わせて漆黒の髪がキラキラと星の様に細かな瞬きを帯びながらふわりと、まるで帳の様に柔らかく揺れる。彼女の胸の内にある喜びを表すかのように。
「……今でこそあんなにも親密ですが、少し前まではお互い見ていて心苦しいものでした。互いに安息を求めていながら、距離を測りきれず、踏み込みきれず……。」
「まぁ、そんなに? あんなにも、仲睦まじいのに……。」
「ええ、ですがその『試練』を無事に乗り越えたからこそ、今の二人がより強い絆で結ばれた事を……互いの存在に幸福を感じている事を、心から嬉しく思います。」
「……ええ、本当に。」
ペルセポネはその麦穂の様に柔らかな睫毛を伏せ、改めて嬉しそうに……眩しそうに眼を細め、微笑んだ。
「あの子に、心から愛するヒトが出来たのなら、親として何よりの喜びよ。」
「……貴方に祝福されて、あの子も幸福でしょう。」