送り狼暗い暗い夜の中。一人の男が山道を歩いていた。
その男の見目は金の髪を持ち、琥珀に輝く瞳をもっており、大層美しかった。しかし、それ以上にその男の心は美しかった。
その男の名は、司と言った。
司が何故、こんな光のない山道を歩いているかというとそれは体の弱い妹の為であった。
彼の妹は都心から離れた田舎の病院に入院しており、彼はそのお見舞いの帰りだったのだ。
妹を大層愛していた彼は時間ギリギリまで妹の元にいた。そのせいで、彼はこの山道を歩いているのだ。
ざわざわ、と草木が騒つく音がする。
その音はやけにうるさい。
まるで誰かが騒いでいるかのような煩さ。
しかし、司は全く何も気にしていないかのように歩き続けていた。
と、突然彼は足を止めた。
今まで全くと言って良いほど周りの違和感に気づくことのなかった司だったが、一つ何かに気づいてしまったのだ。
誰かが自分のことをつけている。
そう感じた彼は覚悟を決めて自身の背後を振り向く。
振り向いた先には、一人のこれまた美しい男が立っていた。髪は美しい紫に一部水色が入っており、目は獣のような鋭く、だが美しい金色の目をしていた。
服装は今時には珍しい着物を着ており、着物に詳しくない司でもその着物が上等のものであることがわかった。
司はそんな妖美な男に警戒しながら話しかける。
「何故、オレについてくる?」
「外に出てみれば、見たことがない人物がここを歩いていたから気になってしまって。不信感を抱かせてしまったのなら申し訳なかったね。」
そう答えた男はここら辺に住んでいるようだった。ここら辺は光もなく、道も危ういから慣れない人間が通っているのに心配になってしまったと言われ、司は納得した。
この道は本当に暗くて何も見えないのだ。
先まで自信満々に歩いてはいたが、ライトも持っていなかった為、少し不安を感じていたのも事実だった。そんな司に男はよかったら駅まで送らせてくれないか、と尋ねてきた。男が自分を心配して親切心で提案してくれているのだと感じた司はその言葉に甘えることにした。
夜道は暗いから、と男が司に渡したのは手持ちの提灯だった。ライトのように明るくあたりを照らすことはないが、提灯のぼうっとした光が田舎の良さを醸し出しているようだと感じた司はそれを持ちながら歩く。
男も司と共に隣を歩く、かと思いきや男は何故か司の後ろをついていくように歩いていた。
「何故、後ろを歩くのだ?」
疑問に思った司は男に尋ねる。
「人の横に歩くのに慣れていなくて。ここにくる人間は滅多にいないからね。人との関わりが不慣れな僕を許しておくれ。」
「この辺りに他に住んでいる住民はいないのか?」
ざわざわ、ざわざわ。
「うーん、割と沢山いるのだけれど、僕は彼らに嫌われているからね。」
‥‥オイ‥シ‥‥ソウ‥‥
‥‥‥‥ニ‥‥ン‥‥ゲン‥‥‥‥
「そうなのか?こんなに親切なのに何故?」
‥‥ニン‥‥‥ゲン‥‥
‥‥オ‥‥‥イシ‥‥ソウ
「相性が悪いからかな。僕自身あまり彼らと仲良くなりたいとは思わないし。」
ーーニ ン ゲ ン! オ イ シ ソ ウ!!
さざぁっと先程以上に大きく草木が揺れる音がする。
その時、司は背後から得体の知れない何かを感じた。
まるで、今にも殺されそうな威圧感。
思わず、後ろを振り向く。
しかしそこには男が飄々と立っているだけだった。先程感じた威圧感もない。
「どうしたんだい?」
男が不思議そうにこちらを見つめるので、司は先の威圧感は勘違いだったのだろう、と考えた。
「すまない、やはり慣れない夜道に恐怖感を抱いてしまっているようだ。」
辺りはシーンとしている。
「あぁ、なるほど。ここの夜道は危ないからねぇ。君が恐怖を抱いてしまうのも仕方のないことだよ。」
先程まで騒ついていた草木の音も全くしない。
「ここの夜道が危ない、というがやはりこう言った田舎道には獣が出るのか?」
風も吹かず、まるで切り取られた世界の様。
「そうだねぇ。獣も出るし‥‥妖怪だって出るかもしれないね?」
しかし、司は静かになったことにも気付かず歩く。
「妖怪?流石にないだろう。怖がらせるための冗談か?」
そう言って更に足を踏み出した時、自身の後ろにいるはずの男の顔が薄暗い光の中、目の前に現れた。
「っ!?」
驚きのあまり、司は後ろに飛び退く。
その時にバランスを崩してしまい、そのまま地面に尻を突く。
しかし司は持ち前の身体能力の高さ、そしてショーのために鍛えてきたスキルを活用しその場で見事な後転を決め、ピシッとポーズを決めた。
決まった‥!
そう自身満々に決めポーズをする司をぽかん、と驚いた様に見ていた男だったが、次第にふふふ、と笑みをこぼした。
「ふふ、ふふふ、あはは。まさか決めポーズを決められるだなんて思わなかったなぁ。」
くすくすと楽しそうに男に司は自身がこの男に揶揄われたことを理解した。
「突然目の前に現れて驚かすんじゃない!スターになるべくして生まれたこのオレだからこそ、素晴らしい結果にして見せたが、普通の人なら驚いて転けてしまうぞ‥!」
そう、大きな声でいう司になお、男は楽しそうに笑いながら答えた。
「ふふ、すまなかったね。少し、悪戯をしたくなってしまって。スターになるべくして生まれた男、かぁ。素晴らしいね。」
「ハハハ!素晴らしいだろう、そうだろう!だが、先程のは心臓に悪いからこの後はしないでほしいぞ。」
「あぁ、それは安心して。」
そう言って男は司の後ろを指差した。
指に誘われる様に後ろを振り向けば、そこには小さな駅がポツンと立っていた。
まさに司が行きで降りた駅だ。
「ここで、山道は終わりだから。数分後には電車が来ると思うよ。」
「おぉ!駅に着いていたのか!送ってくれて、感謝する!!」
「気にしないで。面白いものも見せてもらったし。」
「面白いとはなんだ面白いとは!!」
先程の出来事を面白い、と言われたことに不満を抱いていた司だったが、ふと何かを思い出したかの様に鞄の中を漁り出す。
そして、司の様子を不思議そうに見ていた男に鞄の中から取り出した物を渡した。
「これは‥‥ラムネ?」
男の手に渡されたのはラムネだった。
「あぁ!渡せるのがこんなものしかなくて申し訳ないが、送ってくれたお礼だ。よかったら受け取ってくれ。」
そう笑顔で答える司に男はぱちぱちと数回瞬きをした。そしてふわり、ととても美しい笑顔で笑う。
「ありがとう。ラムネは僕の好物なんだ。とても嬉しいよ。」
「そうか!ならよかった!っとそろそろ電車が来てしまうな。今回は本当にありがとう!えっと‥‥」
「類、だよ。」
「類!感謝するぞ!」
カンカンと電車が来る音がする。
司は類に大きく手を振って、駅の中へと消えていった。
その様子を類はじっと見つめる。
そして電車が発車し、司の気配が完璧になくなった頃、静かだった辺りが再び騒ぎ出す。
‥‥ニンゲン、オイシソウダッタ‥‥
‥‥ココロノ‥‥キレイナニンゲン‥‥‥‥
‥‥オイシソウ‥‥‥ オイシソウ‥‥‥
デモ‥‥オオカミガ‥‥イル‥‥
ざわざわ、ざわざわ。
煩い声に苛立ちを覚えた類はぶわり、と司が感じたあの威圧感を出す。
すると再びシンとあたりが静かになる。
その類の頭には大きな獣耳が。
その背中にはゆらゆらと立派な尻尾が揺れている。
「‥‥残念だなぁ。」
そう呟いた口はギザギザと鋭く尖る歯が生えそろっている。
男がくるりと自身の向きを変えれば、男の姿は大きな獣へと変化した。
その姿はまるで、狼の様。
「また、会おうね。司くん。」
一度も名乗られなかった彼の名前を呼び、1匹の大きな狼は夜の中へと姿を消した。
再び、彼がここに訪れるのを期待して。
***
送り狼
日本の妖怪。夜中に山道を歩く人間の後をついていき、転んだ人間を食べる。しかし転んだ際に、どっこいしょと座った様に見せかけたりと、転んでいない様に見せれば襲いかかってこない。また、正しく対処すると周囲の敵から守ってくれる妖怪である。無事に山道を抜けることができた時、「お見送りありがとう」と一言声をかけるとそれ以上は追って来なくなる。また、お礼の好物をあげると満足して帰っていくという。
好意を装いつつも害心を抱く者や、女の後をつけ狙う男のことを「送り狼」と呼ぶのは、この送り狼の妖怪伝承が由来である。
***
余談
今回、類は二つの意味での送り狼。
妖怪の送り狼であるが、目的は司を別の意味で食べること。しかし、司が無意識のうちに完璧な対応をしてしまったため、それは叶わなかった。司のことをより一層気に入った類は司が再び山道を通るのをじっと待っている。