エンドロール金曜の夜といえば映画、という認識が染み付いたのはいつからだろうか。毎週金曜日、左馬刻は映画を観に銃兎の家へやってくる。理由を問えば「銃兎ん家が一番音がいいんだわ」と屈託ない笑顔で言われてしまえば、断るような無粋な真似は出来なかった。遠慮ということを知らないコイツもコイツだが、素直になられると途端に断れなくなる自分も大概だと理解はしている。しかし、銃兎はそのことをどうしても納得はしたくなかった。
ビール片手に上がり込んできた彼は、スクリーン前を陣取っている。テーブルを囲むように並べていたはずの椅子はいつの間にか並べられていて。隣に座れという無言の要求に仕方なく従い銃兎は腰を降ろした。
「今日はこれ観ようぜ」
彼の差し出したスマホを覗き込むと少女が神々の世界に迷い込んでしまう有名な映画のイラストだった。どうやら今日は有名どころを観たいらしい。世界中の映画が観れるサイトを開いて目的の映画をスクリーンに映し出すと左馬刻はこくりと頷いた。スマホをテーブルに伏せて置いたのを横目で確認し、そっと再生を始める。肘掛に体重をかけ寛ぐ体勢を取っているが、左馬刻の表情は真剣そのもの。銃兎自身は何度か見たことはあったので、初見の彼の楽しみを奪わないよう口を閉ざした。
左馬刻は映画という娯楽に今まで触れてこなかったらしい。それこそ有名なアニメ作品すら見たことがなかった。先月観た戦時中の兄妹を描いた作品は、涙を流していたのを知っている。境遇が似ているからというのを抜きにしても、これだけ感情移入できるのなら映画鑑賞は向いている趣味といえるだろう。今まで触れてこなかったことを酷く勿体なく思うが、左馬刻の初めての瞬間に立ち会えることは銃兎の心を密かに満たしていたのだった。
映画は丁度ちらりと彼の顔を伺う。映画は丁度少女が姿を変えられてしまった両親を取り戻すチャンスを得ようと何を言われても下がらないシーンだ。暗い室内でスクリーンの光を反射して紅い瞳がカラフルに見えて、いつもとは違った美しさを感じる。映画を忘れて見惚れていると銃兎の熱い視線に気がついたのか、左馬刻とパチリと目が合った。少し嬉しそうに緩んだ表情も、『どーした』と無音で動く唇も、全て今の銃兎にとって羞恥を増幅させる要因でしかない。顔ごと逸らして苦し紛れに小声で集中しろと呟く。愉しげな吐息が聞こえ、左馬刻の注意はスクリーンへと再び向かった。
「主人公の親、馬鹿すぎだわ」
鑑賞後はこうやって彼の感想を聞くのが恒例だ。左馬刻の素直な感想は、特段気に入っている映画でなくとも銃兎はなぜか嬉しくて仕方ない。この感情の理由は分からないが誰にとっても損があるようなものでは無いのは確かで、銃兎は放置していた。
「はは、確かに。後で金払うからって勝手に食べるのは神相手じゃなくても良くないな」
「そーそ。そもそも食わなけりゃ主人公はあんなタダ働きしねぇで普通に帰れたのによ」
「苦労は買ってでもしろとか言うが、しないに越したことはないからな」
「ハッ、苦労どころの騒ぎじゃねぇなァ」
咀嚼し終わったピーナッツをワインで飲み干す。高いワインだと説明したはずだが、この男は水のように飲むから腹が立つ。せめて自分だけは味わって飲まないと生産者がこのボトル一本に込めた努力が無駄になってしまう。一口サイズのチーズの後味を肴にブドウの香りを楽しむことに集中した。
『映画鑑賞』という限定的な目的の為に揃えた巨大なスクリーンとスピーカーは、いつの間にかほこりを被っていた。しかし今はほこり一つない姿を保っている。数年前より今の方が遥かに忙しいはずなのに、この部屋には映画を嗜む時間がゆったりと流れているのだ。そんな寛ぐ時間など無かったはずなのにおかしい。と言っても原因は一つしか思い浮かばないのだが。
うとうとと船を漕ぎ出した左馬刻の髪を指でそっとすくい上げる。本当はキスの一つでも送ってやりたいところだが、まだ眠りの浅い彼に気が付かれたくない照れが勝った。
左馬刻のエンドロールに、俺の名前はあるだろうか。せめて制作スタッフのところ辺りにはいて欲しいとは思う。
俺のエンドロールは左馬刻と理鶯、それと両親と上司の名前くらいしか流れない短いものだろう。たが、俺に比べて左馬刻には数え切れないほど関わった大切な人間がいる。
その中で、彼の家族の次に名前を連ねられたら。
淡い願いに蓋をしながらそっと髪に口付けを落とし、ベッドへ移動させようと彼の肩を揺すったのだった。