出てくるまでしつこく鳴らしてやると意気込んで押した呼び鈴は、意外にも一度でその役目を果たしたようだ。
「ニ〜キきゅん」
「はぁ……ま、来ると思ってたっすけどね」
ニキの呆れ顔なんか今さら見飽きてるので、それをそのままスルーして我が家のようにずかずかと部屋の中へ入っていく。
「お邪魔しますなりただいまなり……いや、今さらいいっすけど……」
ニキも俺の態度に慣れたものだ。
普段飯を食べているテーブルを見ると、そこはきれいに片付いていた。いつもなら何だかんだで自分の分の夕飯も用意されているのに。
「あれ、俺っちのごはんはぁ?」
「こんな時間に来てあるわけないでしょ。今日はもう来ないかと思ってたっすよ」
腕時計は二十三時すぎを指していた。いつものニキならとっくに寝ている時間だ。
「今日は誰かと食べてくるのかと思ってたっす」
「誰かって誰よ」
「仕事先の人とか? 仕事仲間とか」
「やだよめんどくせぇ」
「燐音くんほんと極力そういうの断りますよね。騒ぐの好きそうなのに」
「ツマンネー人間と飯食いたい奴なんているかぁ?」
「いやいや、みんながみんなつまんなくないでしょ」
「飯ぐらい好きな奴と食わせろよ」
「まぁ、ごはんが不味くなっちゃうのはよくないっすもんね!」
飯の話題を出してしまったことですべての意識がそちらへ移ってしまったニキは俺の失言に気づかない。まぁ気づいたとしてもいつも言ってるうちの戯言のひとつだと思われるのが関の山。ニキと俺の関係なんてそんなもんだ。
「僕さすがに疲れてもう寝ようと思ってたんすけど〜……まぁ、いっか」
「何がだよ」
ニキのくせに含みのある物言いをすることが気に入らなくて凄むと、憐れ台所へと逃げてしまう。そしてあろうことか、
「人と喋ってんのに急に冷蔵庫漁ンなよ……」
このタイミングで腹が減ったのだろうか。流石はニキだと呆れていると、振り返ったニキがアホ面で微笑んでいた。手には何かを持っている。
「あ? 何、」
「じゃーん! バースデーケーキっす! しかも三段っすよ凄くないっすか!?」
「ああ、良かったな……」
買ったのか誰かに貰ったのかは知らないが、このタイミングでそれを自慢してくるアホに呆れ返る。よほど嬉しかったのだろうか。ニキらしいと言えばらしいが。
「燐音くん明日お誕生日っすよね? さっきまでこれ作ってたんすよ〜いやぁ〜大変だった」
「作った? お前が?」
「はい!」
「ニキ今日仕事だったよな?」
だから遅めにニキの家に行こうと時間つぶしにひと打ちしていると今日に限ってジャンジャンバリバリ来てしまったのだ。そのせいで随分来るのが遅くなってしまった。
「僕も帰ってくるの遅かったんでめちゃくちゃ頑張りましたよ〜」
つまりこの男は、家に来るかどうかもわからない男のために仕事終わりに三段のバースデーケーキをこしらえてしまうバカなわけだ。知っていたけど。
こいつの場合はお人好し、というのとも違うだろう。ニキの流されやすさの根源はそんなところからきてるんじゃない。料理人の性というのもあるだろうが、こいつの行動はすべて、もっと根本的な欲求から湧いてきている。
「お前……自分が食べたかっただけだろ?」
「あ、バレました? だって誕生日ケーキって誰かの誕生日にしか食べられないじゃないっすか!」
ため息が出る。ほんの少しだけ感動しかけた時間が無駄になったので後日こいつの財布から金でも抜いておこう。それで手打ちだ。なんて優しい俺。
「まぁ食べたかったのもあるんすけど、前に燐音くん言ってたじゃないですか」
「あ?」
「誕生日にケーキなんて今まで食べたことないって」
ニキと初めて出会った頃の話だろうか。随分過ぎてから誕生日を教えたら、何やらやたらとキャンキャン吠えていたのを覚えている。都会の人間は大人になってまで誕生日に食う食べ物に一喜一憂するのかと驚いたものだ。
あとから他の奴に聞くと、俺が本で読んで知っていた通り大抵は子供の頃までの話らしいから、ニキが特別良いご家庭で育っただけなのかもしれない。
「それ聞いて毎年作ってやんなきゃなあって」
そう言ってバカ面を晒した目の前の男は、料理人のプライドを持って有言実行を果たしたらしい。
俺には誕生日に食うケーキの大事さなんてものはわからないが、ニキが満足そうにしているからこれがこいつにとって大事なことだということだけはわかる。
「ニキきゅんはほんと、俺っちのことがすきだよなぁ」
「僕は燐音くんよりもケーキの方が好きっすけどね。今食べます? それとも楽しみは明日に取っとくっすか?」
両手にケーキ皿を持ったまましっぽを振らんばかりに口を開けた間抜け面。
それを見れば答えなんて一目瞭然だ。
「俺っちさっき飯食ったから腹いっぱいなんだけどなぁー」
たまには下僕の満足感を満たしてやるのも主人の務めだろう。