火曜日に捧げるマロングラッセ(夏メイ) 差し出された横長の箱へ釘付けになる。落ち着いた緑色の包装が施され、影絵の女性の横顔があしらわれたロゴには見覚えしかない。
(これは……)
箱には「MARRONS GLACÉS」の印字。パッケージだけを見ても明らかに上等なスイーツだ。
珍しく事務作業に追われていた日の昼下がり。昼食調達のために外へ出ようとしたところ、出会い頭に七篠から声をかけられた。わざわざ仕事の合間に立ち寄ってくれたらしい。手提げの紙袋からそれを取り出すと柔らかな笑みを浮かべて言う。
「お誕生日、おめでとうございます」
「え、と……」
相変わらず真っすぐな視線だ。堂々と受け止めたいのに、実際の俺はといえば言い淀んで目を逸らすことしかできない。
一月三十一日、火曜日。仕事のあるいつも通りの平日だったからこそ、期待なんかしていなかったのに。しかもよりによって、あんな話を聞いた矢先に。
(こんなことなら、調べなきゃ良かった)
ちょうど昨日、雑談の延長で春野さんが話していたのだ。花言葉と同じように、スイーツの中には「お菓子言葉」が存在する品があるのだと。それから、人気どころの菓子やスイーツに込められた意味をいくつか教えてくれた。チョコレートは好き。クッキーは友だち。マシュマロだと嫌い……といった具合に。
お菓子言葉? 話を聞いた時は正直、訝しさしか感じなかった。形に残るプレゼントならともかく、口にすれば消えてしまうものにいちいち意味を持たせたところで何になるのだろう、と。率直な感想を述べたら秋元から「夏井さんは悪気なくマシュマロあげそうなタイプですよね」と返されたのが図星で、なぜか過去の行動を読まれてしまった腹いせに三割増しの睨みを利かせた。かつて気を遣ってバレンタインのチョコレートをくれた母が、お返しとして選んだマシュマロを微妙な表情で受け取ったことまで思い出してしまったからだ。悩みに悩んで選んだつもりだっただけに、時を経た不意打ちの答え合わせには肩を落とす他ない。
それから気になって、春野さんが隠れてこっそり食べていたスイーツの意味をかたっぱしから調べた。ばかばかしいことこの上ないとわかってはいる。けれど聞いてしまった以上、今後二度と、贈り物で失礼がないように気をつけなければならない。ついでに言えば少々、知的好奇心が疼いた点も否定はできないけれど。
閑話休題。問題は、浮いた話題に人一倍疎いであろう七篠から手渡されたこのスイーツにある。
「ええと、お気に召しませんでしたか?」
「そんなことはない!」
前のめりになった勢いで、奪い取るように箱をもぎ取る。あっさりと手中に収めた緑色の箱。あしらわれた影絵の女性にまで笑われているような気がして、俺は居たたまれない心地のまま再び視線を逸らした。
ふわりと芳醇な香りが漂う。間違いない。ブランデーリキュールが染み込んだ、上品な味わいで評判のマロングラッセだ。
マロングラッセのお菓子言葉は確か――
(永遠の愛なんか、誓い合う仲でもないだろ……)
決して他意などない。
ましてや送り主は七篠だ。浮ついた輩とはわけが違う。
「……あまりのセンスの良さに、びっくりしたよ」
おおよそ伝わらなさそうな嫌味をぶつけてみたら案の定、額面通りに受け取った七篠は顔を綻ばせた。
「良かったです。ご相談をした甲斐がありました」
そして、少し引っかかる物言いをする。
「ご相、談?」
「はい。何か喜びそうなものはないかと」
なるほど。入れ知恵があったわけか。しかし待てよ、と俺は動きを止めた。
「ちなみに誰の意見?」
「主に秋元さんです」
「“主に”……」
「春野さんからのご助言もあったそうなので」
「…………」
覚えておけよ、と歯噛みしてももう遅いのだろう。この展開は、十中八九仕組まれたものだ。
遠くから感じた視線に目をやれば、窓ガラス越しに秋元と目が合う。いつもの人好きする快活な笑みと、がんばれとこぶしを握るジェスチャーを残して退散した。
「あの野郎……」
「夏井さん?」
「あ、いや違う。君が悪いわけじゃなくて」
舌打ちは自重した。代わりとして誤魔化すように、俺は七篠に手を伸ばす。
「とりあえず、来て」
七篠が握ったままの紙袋の取っ手を掴んで、俺は歩き出した。引き摺られるように後に続いた七篠は戸惑いながらも、手を離さずにいてくれたようだ。
咄嗟の行動とはいえ、こんな場面で堂々と女性の手すらも取れない度胸のなさが恨めしかった。少なからず心を開いている人間への行動としては褒められたものではないけれど、今の俺にはこれが精いっぱいだ。だから不本意ながら、今回は甘んじてあいつらのお節介を受けることにしようと決める。
(……勘違いしても、知らないからな)
人目を忍んで軽食も食べられる新宿御苑に目星をつけて、横目で七篠の様子も気にかけつつ、俺は尚も歩みを進める。どうせ春野さんのセレクトなら味に間違いはないだろう。俺一人で楽しむには勿体ない。七篠を連れだす口実などそれだけで充分すぎるほどだ。
下手な張り込みよりも余程精神を削られてしまったのだから。誕生日にこんな目に遭ってばかりでは、本当に、割に合わないと思う。
再び、マロングラッセのお菓子言葉が過ぎった。どう考えても恥ずかしすぎる。けれども、彼女といられる貴重なチャンスを不意にはしたくなかった。
いつか永遠を誓い合うのなら、他の誰でもなく、君とが良い。
口にする勇気はまだ、ないけれど。