七夕 7月7日、雨。
年に1度しか会えないのに、自分たちが会う時は毎年雨だった。
窓ガラスを叩く雨をぼんやりと眺めながら、それは、まるで誰かの涙に思えて、愛しい彼との逢瀬を責められている気がしていた。
「いいかげん、このシステムをなくせないものか……」
無惨はベッドの上で唇を尖らせる。
彼は鷲座の一等星アルタイルを守護星に持つ、彦星の転生者である。
そして、そんな彼の腕の中で甘えているのは巌勝。彦星と対になる、琴座のベガを守護星に持つ織姫の転生者……であったら良かったのだが、彼はどの星座の守護も持たない、ただの一般人である。
本来、無惨には妻である「織姫」がいた。二人の仲人役の白鳥座デネブの守護を受けた鵲もいたのだが、事もあろうに無惨は巌勝に一目惚れをしたのだ。
「彼こそが私の運命の織姫だ」
と高らかに宣言し、妻を捨て、新たな恋に走ったのだ。
これだけなら、ありがちな略奪愛や不倫といった陳腐なラブストーリーだが、問題はそんな単純な話ではなかった。
守護星を持つ転生者たちには、それぞれに役割がある。
彦星こと牽牛の転生者である無惨は、前世と同じく労働を意味する役目を与えられている。現代では、この国の中枢で経済施策を講じ、経済発展を担う立場の人間であり、代々その役目を務めてきた一族である。そして妻である織姫は天帝の娘、即ち皇女である。
転生者と認められた人間は皆、凡人より高い能力を持ち、特別な家柄に生まれている。転生者の証である赤い瞳はルビーのように美しく、初めて見た時、巌勝はその美しさに吸い込まれそうになり身動きが取れなかったと話す。
彦星の転生者であると判明した無惨は皇女織姫の降嫁先と決められ、お互い顔も知らないうちから許嫁として育てられた。それも役目のうちだと諦め、決められた人生を生きていた時に巌勝と出会った。
普段なら出会うことのない人間だ。
巌勝は無惨と同じ銀行に属しているとはいえ、組織の中でもかなり下の行員にあたるので、総裁である無惨と会うことなど通常ではありえないことだったが、様々な偶然で二人は巡り合った。
無惨は全てを捨てて巌勝と生きることを望んだが、それは許されることではなかった。
天より授かりし能力は知能の部分だけでなく、人知では計り知れない神としての能力もこの国の土台を下支えしているのだ。
彼を含めた転生者が己の願望ではなく、この国の安寧と人々の幸福を願う、神職としての役割も兼ねていることで、この国は豊かで平和で幸せな国として成り立っていたのだ。
無惨が巌勝との逢瀬を重ね、己の欲望にばかり囚われるようになってから、この国の経済は一気に傾き、失業者が増え、治安悪化に繋がった。
夫に裏切られた織姫は泣いて過ごし、天帝の怒りも買い、無惨は巌勝と会うことすら禁じられた。
そのショックで無惨は禁忌である自死を選ぼうとしたので、天帝の情けで1年に1度だけ会うことを許された。
「年に1度だけ会える日だ。お前が決めることを許してやろう」
「父なる天帝よりの恩情、心より感謝致します」
無惨は最敬礼で感謝の言葉を述べたが、選んだ日は織姫との結婚記念日である7月7日であった。
これに対する天帝の怒りは凄まじく、二人が会う日は必ず大雨を降らせた。
そのせいで二人は表を出歩くことなく、会えなかった時間を埋めるかのように互いの体を貪り合い、愛を深めたのだ。
離れる時に毎回「絶対に私がこのシステムを壊してくる」と無惨は言った。
許されない恋をしている自分が悪いと巌勝は雨に打たれながら、ずっと、この恋を悔やんでいた。
この雨は織姫の涙だ。
無惨が職務を放棄したことにより不幸になった人々の涙だ。
本来、非難され殺されるはずの自分を無惨が守ってくれていることで生き永らえているが、銀行内でも立場は最悪で、無惨と恋愛関係になってから、倉庫番という実質的な左遷となった。
しかし、これでお別れだと毎回言えなかった。
こんな状況でも良いから無惨との関係を続けたいと願うほど愛していた。
「また来年……この日をお待ちしております」
巌勝は雨の中、深々と無惨の背中に頭を下げた。
無惨の心を巌勝が奪った。
巌勝は神を誑かした大罪人であり、無惨の心が戻らない以上、この国の経済はずっと崩れたままであった。
安定しない経済は様々な分野へ影響を及ぼし、それぞれの分野の長が直々に無惨に苦情を言いに来るが、何を言われても無惨は改める気がないようだ。
「更迭されることを狙っているのか?」
天帝に呼び出され、そう問われても無惨は平然とした様子で答える。
「織姫の夫である私を追放出来るのは天帝以外にはおりますまい。天帝の御心のままに」
挑戦的に光る赤い目を憎々しく思ったが、ここで無惨の挑発に乗れば無惨の思い通りになってしまう。
「思い上がるな、牽牛の分際で」
天帝は無惨を幽閉するよう命じ、地下の牢獄で監禁状態となった。
「もうお前は何もしなくて良い。その力だけを国の為に供給しろ」
「馬鹿げている!」
この国の崩壊を心から願ったが、天帝をはじめとした転生者たちの能力で封じ込められた。ならば死を、と思うが、それすらも自らの意思では願えない。
「ここから出せ! 話が違うぞ!」
何度もそう叫んだが、彼は天寿を全うするまで、この国の為に祈り、その力を吸い上げられる為だけに生きるのだ。こうすることでかろうじて、この国の平安は保たれるのだ。
そして、次の7月7日がやってきたが、無惨は地下牢から出ることは許されなかった。誰もいない地下牢で叫び続けるが、天帝の恩赦は二度となかった。
「巌勝……」
愛しい者の名を呼び続けた。愛しい巌勝に会えないのなら、こんな世界、滅びてしまえば良いと思い続けたが、それは天帝と同じ、神特有の傲慢さであることに気付いた。
どれだけ離れていても、たとえ会うことが出来なくても、この世界で巌勝は生きている。ならば、巌勝だけでも守らなくては……と、細々と自ら祈りを捧げるようになった。
巌勝は待ち合わせ場所でずっと待っていたが、空に月が輝いても無惨は現れなかった。
「どうぞ、お幸せに……」
一般人の自分の願いなど無惨に届くはずがない。そう解っているが、愛しい人の幸せを願いたくなるような美しい天の川を見て、無惨と出会ってから初めて見る光景に二度と会えないことを悟った。
7月7日、晴れ。