甘酸っぱいと言うけれど人への執着でしか無い恋が、物語にある愛憎劇の結末に至る舞台はどうしてかどの時代も愛される。
「アルハイゼン、君が持ち出すであろう感想はゼッッッ…たい! この場で口に出すんじゃないぞ? わかったか…? おい!」
「……。」
先日、同居人が善意で貰ってきたという劇に付いて行くことにし、別段その演目について思うところはないが多数を引き付ける題について知るためには効率がいいと考えた。
神話、おとぎ話、民学あらゆる物語にある『恋する』『愛する』の違いについて曖昧なままから起こる問題や悪い結果へと向かわせるのはこうして見える形で在るが、人間とは不思議なものでそれらを地で行き、そして天高く崩壊することもしばしばある。
柑橘のようにというどこかのことわざが有るがそんな優しいものであるだろうか。心を捉える言葉は至る所にあるが故に、それらを人は操ることを容易くできるものだと錯覚する。
人の心を揺さぶるのに必要な言葉は鳥羽のように軽く、そして金のように密のあるものだと理解するものは少ない。
隣で目を輝かせている男は、愛について論じることが多くあるが、こと自分への愛について語るのを忘れる癖がありそれを自らの問題点だと視界に入れることを拒む。…いや少し違う、その問題点となるべきものを掲げたうえで生じるすべての結果をこの世の姿であると訴え抱えようとする癖だ。