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    ドウシチョコなクロアイを書いていたのを急に思い出した

     アイオーンの野郎にチョコを貰いたい。

     そう、これはとてつもなく不毛な片想いなのだ。実る可能性など皆無に等しく、実ったら実ったで困るのは自分だ。一世一代本気の話をしてはいけないのは解っている。
     それでも、だとしても。いや、だからこそ。ニュースで見た謎のウィルスの蔓延。過去にも未来にも、このビッグウェーブに乗るしか道はないとさえ思えた。
     そんな訳で。
     ドウシチョコ症候群と名付けられたウィルス性の感染病が話題だ。今年は注意喚起が為される程の異常な感染者数が出ているらしい。既に関係機関が動き出している中、シンガンクリムゾンズのギター&ボーカルの少年ことクロウは、如何にしてバンド仲間の同性の、この時期はおやつに一切困らないレベルで菓子類を押し付けられている随一のイケメンからチョコレートをもぎ取ろうか模索していた。

     どうやったら、あの引き篭もりに噂の病気になって貰えるんだろうか。

     カカオ豆の原産国から持ち込まれたウィルスが起源とされ、何度かの突然変異を経て、過去より存在については知られていたものの、感染源と感染経路は未だに詳しく解明されていない。今年の蔓延ぶりから察するには、空気感染と経口感染が濃厚だ。
     今年はその感染病の影響か、バレンタイン前だというのに既に事務所への入場規制が掛かる程、大量のチョコレートが届いているので、その内の一つか二つを食べさせてしまえば一発だろうと少年は目論んでいた。が、この蔓延を予見していた社長と優秀な秘書が早くからパンデミック対策に乗り出し、ウィルスの潜伏期間が終わるまでは一切お預けを食らっている状況だ。
     しかし、それでも少年は諦めない。男のロマン、好きな相手からのチョコレートを貰いたい欲求を満たす最初で最後のチャンスなのだから。本末転倒と言われようとも、望みを掛けて無駄な努力をしてみたいと思うのだ。


    「ム。お主が勉学に勤しむなど、今宵は槍が降るのでは」
    「ウルセーぞ」

     多量のチョコが収納された鍵付きコンテナに埋もれたカフェで、クロウが感染病の調査に精を出していると、覗き込んだヤイバが早々に茶々を入れてくる。調査と言っても、図書館で借りた本が幾つかと検索エンジンをフル回転させた端末の情報だけだ。勿論、ただでさえ解明されていない要素が多すぎる病気なので、要領は得ていない。
    「もしかしてお主、件のレジェンド・オブ・ウィルスについて調べているのか?」
    「お、おう。風邪の初期症状みたいなのも出るらしいしなッ! 一応、バンドの華としては? 感染しないように予防しといた方が良いよなあって思って!」
    「何と……! 拙者、お主の意識の高さに感銘を受けた故に!」
     罪悪感がすごい。バンドメンバーを患わせる目的の為だけに調べているなどとは口が裂けても言えず、クロウは「まあな!」と曖昧に笑った。
    「けどよ、幾ら感染予防の為だからって、この目の前に積まれたチョコを喰えないのは残念すぎねえ? オレの調べてる限りじゃチョコ喰って感染した事例はあんまりなさそうだぜ?」
    「お主は社長達の気遣いに水を差す気か」
    「いやそうじゃねえけど、せ、せめて女子からのとかなら普通に贈られてきた分だしいいんじゃねえかなーなんて……」
    「一理あるが、本番前だというのにこの大量具合では贈り主の判別すら付けられぬだろう。幸い、チョコレヱトの賞味期限には余裕がある。ほとぼりが冷めてから美味しく頂くとしよう」
     目論見がばっさりと切り捨てられてしまった。病気を貰わないようにしていると言ってしまった手前、執拗に大丈夫だと決め付けたら怪しまれてしまいそうだ。
    「お前ら、こんな狭い所にまだ居たのか」
     タイミングがあまり宜しくない所で、スーツ姿の社会人がチョコレートタワーを掻き分けて登場する。こんな所と言いながら、彼も来ているのだから慣性だろう。
    「ロム! クロウの奴が珍しくも学を付けようとしていたのでな、拙者が知恵を貸してやっていたのだ」
    「しれっと嘘吐いてんじゃねーよッ!」
    「あー、ドウシチョコウィルスとかいうアレについてか。何か気になる事でもあったのか?」
     両側から覗き込まれ、タダでさえ狭い場所が更に窮屈になる。ハリネズミ族にとっては落ち着く空間のような気はしなくもないが、いかんせん野郎に挟まれていると思うとむさ苦しい気分だ。
    「感染しないように予防策がねえか探してただけだっつの!」
     ヤイバに告げた言い訳と同じ言葉を口にすると、感嘆の声が二つ上がった。
    「リアルに偉いじゃねえか」
    「小動物にしては殊勝な心掛けだな。この神の凍り付いた心を動かすとは」
    「……居たのかよ」
     密度の多さでクロウは気付いていなかったが、どうやらロムと同時に意中の相手もその場に現れていたらしく、口八丁にまんまと騙されている。罪悪感がすごい。
    「自分から出てくるなんて珍しいじゃねーか。さてはスタジオ使えないって連絡見てなかったなこの未読オン」
     恐らくは出入り禁止の札が掛かり、物理的にも扉が開かなくなったスタジオの前で途方に暮れていた所をロムに回収されて来たのだろう。折り紙付きの鈍臭さはクロウが良く知っている。
    「ふん、戯言を。貴様こそ斯様な狭苦しい居場所しか与えられず、巣の中で喚くとは正しく弱小な小動物の有り様だな」
    「やっぱ見てなかったんだろッ!」
     かく言う自分もグループ内の連絡を見てはいたもののすっかり忘れ、図書館に篭れば良かったのに事務所まで出向いてしまった事を棚に上げ、クロウは嘲笑を浮かべた。
    「で。折角集まったんだし、練習でもするか」
     アイオーンとクロウがやいのやいの言い合う間に、いつの間にやらすっかりスーツを脱いで、鍛えられた上半身を晒したロムが言う。二月だというのに大変暑苦しい。
    「スタジオは既にチョコレヱトの倉庫と化しているようだが」
    「近くでスタジオ借りようぜ。会社が流行病で機能しねえ今がリアルに絶好のチャンスだ」
    「常々思っておったのだが、御社はこんな状況でないと定時で帰れないのか?」
    「この近くって言ったらオンボロスタジオしかねえぜ」
    「闇の太陽神は断じて貴様等とつるむ為に下界に降臨した訳ではない」
    「……文句が多い」
    「拙者は文句ではなく質問!」
     障害物の影響で吹っ飛ばすような殴り方はせず、代わりに上から降ってきた鉄拳に三人が呻く。いつも通りの展開を迎えながらもシンガンクリムゾンズの面々は近場の安値で寂れた音楽スタジオを借り、夜まで練習に明け暮れる事となるのだった。

     音楽をやっている時だけは、余計な言葉を交わさない代わりに素直になれる。顔と得物を突き合わせれば喧嘩の耐えない仲。反発ばかりで、何故こんな男を好きになったのかと己の心に問えば、やはりその理由もまた音楽が原点だろう。
     音作りに対する隙のなさが嗜虐心を燻らせたのかも知れないし、音楽方面以外のポンコツぶりもスパイスになった。気付いたら目線と耳は釘付けで、放っておけば良からぬ方向に行こうとする彼の腕を引く存在になって、共にバンドの音楽を生み出す瞬間が嬉しくなった。
     だから自分は、自分からこの均衡を崩す訳にはいかない。好きになられてたまるか。
     まあ、色々考えた末に、チョコレート一つで満足しようと妥協して今に至る。
     あーだからとっとと患ってくんねえかなぁ。

    「小動物」
    「何だよ」
    「いや……この旋律に於ける陳腐な言霊の事だが」
    「アァン? 大体、オマエのサビはいっつもパターン決まっててなぁ」

     我ながら、惑いの乗った演奏だったな。などとクロウはこっそり考えた。だがその中途半端さでさえ、彼に呼び止められる餌として有効活用している。流石にウィルスを悪用しようとしているだけあって狡猾である。
    「お主達、帰り支度は出来たか」
     ギターを構えたままのをしっかり引率してくれる大人達だが、ヒートアップした彼等に聞く耳はない。
    「おーいお前ら」
     怒気を孕んだロムの声と拳に込められたオーラに、譜面に向けて喋っていたクロウとアイオーンがようやく顔を上げる。
    「先帰っててくれよ」
    「延・長・料・金! 費用対効果!」
    「すぐ出るからよッ!」
     凄んだロムに慌てて弁明。当然だが、残りの五分で言い争いに決着は付かない。大人の居ない所で口論をするとロクな事にならない前例を噛み締めて止めておく。それに喧嘩をしている場合じゃないぜ、と少年は自らを律した。アイオーンの方は面食らったような顔をしていたので、意外に引きが早かったなと思われているのかも知れない。
    「やい、アイオーン」
     帰路に着く中、大人達の背をぼんやり眺めながら、少年はこっそりと隣を歩く長身の男に話し掛ける。目線すらも寄越されないが、一応聞いている事を前提に、クロウは続けた。
    「明日も事務所来いよ」
    「……何故」
     面倒臭いと家から出たくないと眠いを全面に貼り付けた顔で、鑑みてやる気もない理由を問う。正直に言えば大人達の目を盗んでウィルス付きであろうチョコレートを二、三個口に捻じ込む為。などと言える筈もないが、上手い言い訳を思い付く前に喋ってしまった前のめりな少年は「ああー、えっと」と不自然な逡巡を見せる。
    「とりあえず今日の決着付けたいのと、あー、それと今歌詞に悩んでる部分あって、テメエと一緒に作業した方が不本意だけど捗るっつーか、ムカツクけど効率はいいっつーか……」
     しどろもどろな言い訳だが、幸い言われた当人には「普段は好敵手の事を頼るなど有り得ない少年が弱気になった様子」のように映ってくれたらしい。何を言っているんだ自分は、と発言に落ち込んだ姿も相俟って、クロウの意図しない所でアイオーンは勝手に騙されていた。
    「貴様がそこまで言うならば致し方ない……神は迷える小羊にも救済を与えるもの……小動物の落ちぶれた魂が闇の太陽神の至高なる旋律を求めて止まぬとなれば、下界に降臨するのも定め」
    「なぁっげーんだよッ! 誰が落ち武者だッ」
    「故に拙者を置いて武士の話か」
     突然混ざってきた狐に驚いたクロウの尻尾がピンと張る。
    「してねえッ! テメエら纏めて市中引き回しにしてやろうかッ」
    「社会人終電ナックルの餌食にはなりたくないので御免被る! 故にどろん!」
    「待ちやがれぇぇ!」
     走り出したクロウに先程までの殊勝な様子は見当たらず、アイオーンは幻覚を見たのかと首を傾げる。それこそ追い駆けっこのまま消えて行った少年から「明日11時な!来なかったら牛乳飲ますぞ!」と彼にしては妥協した時間帯の提案が記載された恫喝メッセージが届くまで、半信半疑だった。

     翌日。怒涛のSMS連投と鬼電が早朝七時頃からアイオーンの端末を引っ切り無しに鳴らしていた。有言実行朝方迷惑小動物の仕業だというのは画面を見るまでもなく。一気に外出する気力を奪われたが、本能の向くまま眠りの縁へ誘われたら、強制訪問が待っている。諦めて起き上がった青年は、ぼんやり支度を始める。しばらくしてまた連絡が入る。今度はグループ宛て、しかも件の小動物からではなかった。

    「BRR事務所は本日よりしばらく閉鎖します」

     感染症の流行度合いと、それによる事務所へ雪崩れ込むチョコレート量の変化は、メンバーへの感染拡大を謀って綿密な計画を立ててきたクロウにとっては余りに大きい誤算だった。昼を回らぬ時間、つまり午前中の便から運び込まれたチョコレートにより事務所は完全にパンクし、出入り禁止になってしまったというのが本日最悪のバッドニュース。
     マジかよ。
     配達を終えて支度をしていた時にメッセージを受け取ったクロウは絶句した。待ち合わせどころではない。この連絡を受けてあの身勝手獅子は間違いなく自宅警備員に就く事を選ぶだろうし、何ならもう夢の世界かも知れない。バレンタインまで日がない、チョコレートを貰うには、今日か明日くらいには何とかして感染させなければならないのに。悶々と、相手に連絡をしようか考える。待ち合わせ場所変更な、と気軽に言う事が意外と難しい。そんなフランクに接せる仲なら、何が何でも彼からチョコレートを渡して欲しいと思ったりはしないのだ。
     どうする。クロウが悩んでいると、着信が入った。画面には、今し方思い浮かべていた不精獅子の名前が映っていた。

    「……もしもし」

     連絡してくるなんて珍しいじゃねえか。
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