暖簾に腕押しとはまさにこのこと。女はム、とした顔でソファに寝転び脚を組む彼を見上げた。彼というのはこの家の先輩ペットたるニョンの事である。
彼は本日も趣味であるマリファナをやっていた。ニョンの体を蝕む煙は甘い香りがして、一応近づくなと言われてはいるものの一緒にいるとなんだかふわふわするような心地がする。それはニョンの近くにいるからなのか、副流煙(マリファナでも副流煙と呼ぶかは不明であるが)のせいなのかは分からなかった。
ニョンと女の関係性が、ただの先輩と後輩でなくなったのは数か月前のこと。家族(特にルーサー)とおいしい食べ物、そしてティッシュ以外に興味を持たない様子が、女にはとても優しいように見えた。それは彼の怠惰がもたらす平和主義からくる無関心のせいなので、あながち間違いでもないし正解でもない。
そんな彼女が自分に懐いているのをニョンは分かりづらくも喜び、受け入れているうちに、ただのペット同士ではありえないほど二人は親密になっていた。
ニョンは寡黙で、しかしその内側は裏腹に情熱的な男だった。女は彼と二人でいる間、ほとんどの時間を彼ととても近い距離で過ごしていた。それはニョンが、特に理由がなくても女にくっついているからだ。そういう時は大概、彼の大きなてのひらが女のからだのどこかしらを支えるように、そして軽く引き寄せるように触れている。
「ねえニョンさん、聞いてる?」
「ンー……」
大麻をやっているときの彼に不満があるとすれば、いくら話しかけてもこの調子だということ。
女だってこの屋敷に来る前は色んなお友達がいたもので、合法であることもありそういう状態の人間と話したことだってある。彼らはそういう時、いつもより饒舌に、そして素直になっておりちょっと話しただけで爆笑するくらい笑いのツボが浅くなっていた。
皆が皆、おなじ症状になるわけはないのだからしょうがないのは分かっているものの、つまんないなあ、というのが彼女の正直な気持ちであった。
大事な趣味の時間をあんまり邪魔しちゃダメだという気持ちと、でもニョンさんだって私が忙しい時に限って構ってもらおうとしてくるし……という気持ちと。
「ニェンさんがニョンさんのこと探してたよ」
「ン……そうですか……」
ニェンの名前を出してもこうなのだからどうしようもない。多分話の内容はほぼ聞いてないんだろうな。せっかく二人でいるのにな……と少しばかり寂しい気持ちになった女はふと思いついて、こそりと小さく囁いた。
「私のこと、好きにしてくれていいよ」
「……」
男は結局、無言であった。女はふん、もういいもん……と半分拗ねて、ニョンの方をふりかえりもせずに立ち上がろうとしたが。
力の入った手が、ぐっと女の腰を抱き寄せて、ソファへと導いた。
バランスを崩した彼女はそのままニョンが寝転ぶすぐ横へと座り込む。
腰に回された腕の先、彼の手が女のそれをかるく、本当に力を入れないまま握り込む。
「いくら私相手でも、そういうことは言わない方がいい」
女は思わずニョンの手をきゅっと握り返した。指先は陶酔をもたらす煙のせいで冷えていて、sしかしうっすらと汗ばんでいた。
「……聞いてるならちゃんと答えてよ」
伏せられたその瞳はいつになくぎらぎらと不穏当に、そして剣呑に光っていたはずが。
彼女はそんなことは全く気にしない様子で口をとがらせ、それどころか頬を少し膨らませてみせた。
すっかり毒気の抜かれたニョンは目を見開いて……そして、この子に伝わってほしいことは伝わってるのだろうか、いや伝わってないだろうな……と、溜め息をついた。
なんともマイペースなことだ。ジョイントを口にくわえて少し吸い込むも何の味もしない。
ニョンの手元に点っていた小さな火は、いつの間にか消えてしまっていた。