23:57の甘酸っぱい勇気。プロムナード。それは私たちの通うハイスクールで行われる行事の中で最も豪華で楽しくてロマンチックなイベントだ。彼氏はおらず、誘ってくれる男友達がいた、というのは私の高校生活そのものを統括しているようで、なんだか締まらないなと苦笑が漏れたのを覚えている。
「相手が決まってないなら俺と行くか?」なんて言ってくれたセバスチャンの前で笑ってしまったせいで、「なんだよせっかく誘ったのに!」と怒られたのが記憶に新しい。
プロムそのものは、話で聞いていたよりずっと、ずうっと楽しかった。お酒は飲んじゃダメよとか薬やってるやつらには関わらないようにとか、そういう小言は思い出すまでもなく平和に終わったし、ダンスも失敗して大恥をかくなんてことにはならなかった。
プロムに誘われた!と友人総出で大騒ぎしながら選んだドレスだって、頑張りすぎたかも……と心配していたものの、周りも同じくらい肌を出していたし。なにより最もからかってきそうなセバスチャンも、緊張のせいかそれどころではないようだった。
迎えに来てくれた彼はいつも遊ばせている髪を半分かためて後ろに流し、スーツ姿も相まってまるで別人みたいだった。
セバスチャンは緊張のあまりうまく動かない手に舌打ちしながら、私の手首にコサージュを結んでくれた。知らない人に慣れない仕草でエスコートされたら、そのそわそわした気持ちもうつるというもの。
彼の手が遠慮がちに私の手に触れた瞬間、その熱と震えがじわっと伝わる。
ああでも、セバスチャンの手に触ったことなんてないから……もしかしたら、元々彼の手はこれくらい温かかったのかもしれなかった。
時間はかかったものの、彼の胸元に咲くのと同じ黄緑色の薔薇が無事に手元に咲いたのを見て……彼は満足そうに唇の端を吊り上げた。
とにかく──プロムは終わった。今はパーティバスの中で、缶ジュースを飲みながらぼうっとしている。
バスに乗っている皆が、疲労のせいか余韻に浸っているのか車内はとても静かだった。
目を閉じてもまだ、あのダンス・フロアの光や喧騒が目の奥に、耳の底に残っている。彼と腕を組んで会場に入った瞬間の、肌の粟立つような感覚も。途中でいつもの男友達と合流するかと思っていたのに、結局最後まで一緒にいてくれたことも。ダンスは苦手だ、なんて言っていたのに何曲も踊ってくれたことも。
最後の一曲の時に……暗いところでも赤くなっているのがわかるくらい顔が近い状態で「可愛い」と言ってくれたことも。それを「なんでもない、パンチに酒が入ってただけ」と言って目を逸らしたあの瞬間も。
なにもかも、忘れるなんてできるはずがない。
セバスチャンは私と家が近いので、バスの降り場も一緒だった。
何を言うでもなく私の家まで送ってくれるのが紳士的で、まるで今までの男友達としての彼は鳴りをひそめてしまっているようだった。
それはなんだか寂しくて、でもひとりの女性として扱ってくれているような感覚がくすぐったい。
家の前までやってきたところで、セバスチャンは少し眉を下げて「楽しかった?」と聞いてくれた。
「楽しかった……本当に。まだ夢を見てるみたい」
彼はその呟くみたいな私の返答を聞いて、疲れた顔でふっと笑みを浮かべた。
そして、目を逸らしながら酔いのさめないまま、小さく詰まりながらこぼす。
「俺も楽しかった、けど。寂しい気もするよ」
その返答を聞いた瞬間、体中に甘いしびれが走った。
セバスチャンも、同じ気持ちでいてくれている、と。そう思うと、たまらなかった。
このまま帰したら、……きっと後悔してしまう。
上着を脱いだセバスチャンのシャツの袖を引く。予想外の私の動きに、彼は姿勢を崩した。
彼の大きな……汗で湿って冷たい背に、私の手が回る。
崩れてきてしまっている髪からはうっすら整髪料の匂いがした。
「誘ってくれてありがとう。……セバスチャンが誘ってくれて、よかった」
セバスチャンは何も言えずに固まったままだった。それをいいことに、半ば勢いのままに彼の頬にキスをする。夜の風は冷たいのに、信じられないくらい熱い肌だった。
「あ、え。えっ……?」
「じゃあ、その。えっと、気をつけてね。おやすみ」
「待って!」
大きなてのひらが、踵を返した私の肩を掴んで彼の方を向かせる。
きゅっと眉をひそめたセバスチャンのもう片方の手が、私の頬から顎にかけてを包む瞬間が……まるでスローモーションみたいに感じられた。
細められた目は切なげな甘さを含んでいて、少し潤んでいるのがガーデンライトに照らされて光って見える。
人生初のそのふれあいはすっぱいレモンなんかじゃなくて……彼がさっき飲んでいた、セブンアップの甘い味だった。