それってどっちのこと言ってるの?「キミってさあ」
ランダルはいきなり、隣に座る少女の方を向いてそう切り出した。
彼の大きな手が無遠慮に少女の顎を掴む。
少女はそれに怯えるでもなく、いつも通りのきょとんとした表情で小首をかしげてみせた。
……というのも、少女はランダルのガールフレンド。あるいはスウィート、ラヴァー、パートナー。可愛い彼女。砂糖菓子ちゃん。
青年と少女は数ヶ月ほど前に、そのほの淡い、かわいらしい想いを通じ合わせたばかりであった。あまりスキンシップに慣れていないランダルに合わせ、一歩ずつ、少しずつそして着実に二人の仲はステップアップしていったのだ。
そういうわけで、彼女はそのいきなりのふれあいに全く動じることもなくニコニコとしている。
その様子にランダルはこっそり苛立ちを覚えながら、じめった声でこう続けた。
「肌、本当に綺麗だよねえ……なんで。キミ、私と同い年でしょ。なにが違うの」
「えぇ?特に気を使ってるつもりはないけど」
そう即答した少女は、少し考えてから、「あ」と声を出した。ランダルは何ッ?と聞き返し、少女の返答を待ったが……少女の言葉の続きを聞いて、今までにないほど目をひん剥くことになった。
「知ってる?禁欲が肌にいいらしいよ」
「ハ?」
「オナ禁ってこと」
「ゲホッ、ちょっと!!」
ランダルは顔を真っ赤にして、数ヶ月ぶりに大きな声を出した。まさかそんな言葉が彼女の可憐なくちびるからこぼれ出てくるとは思わなかったのだ。少女はランダルの憔悴しきった表情と尋常でない様子を見てなお、いつも通り笑っているのであった。
「な、なん」
ランダルは震えた手で煙草の箱を手繰り寄せ、落ち着け……落ち着け……と心の中でとなえながら火をつけようとした。その瞬間、ランダルから解き放たれた少女の手がぱっとその煙草の箱を奪い取り、頭上に高く掲げた。
高く、と言ったって少女とランダルの体格差を鑑みればそれはほとんど意味を為していないのだが……しかし、ランダルは一連の少女の言動に度肝を抜かれ、動けないでいたのだ。
そうしている間に少女はその煙草を背中に隠し、胡坐をかいたランダルにまさか、乗り上げた。
「煙草も!ニコチンもお肌に悪いんだよ。知ってるでしょ?」
「や、まあ、知ってるけどさ……」
「じゃあなおさらダメ。禁煙です」
「嘘でしょ……」
ランダルは一気に全身の力を抜き、まるでレーザーポインターを追いかけまくって捕まえられなかった猫みたいにしょげてうなだれた。彼氏のその情けない姿を見て、自業自得とはいえ少女は可哀想に思い、そっと声をかける。
「とりあえず一週間。一週間くらいならがまんできるでしょ?」
「できない」
「それってどっちが?」
「ブッ」
ランダルは肩をビクッと震わせ、煙草のことだよ……と聞いたこともないくらい潰れてひしゃげた声で、力無く呟いた。性事情にまで踏み込まれるほど、まだ親密度は上がっていない……つもりだったのだ。そこのところは正直、少女のデリカシーの問題でもあるのだが。
「あのね、前調べたの。煙草吸う人って口寂しいんだって」
「そうなんだ……」
「だから、こうすればいいでしょ?」
少女の細い、ちいさな手がランダルの顎にそっと添えられた。
ランダルはもう全部がどうでもよくなって、少女のなすがままに上を向く。
顔は上を向いていたが、彼の視線は部屋の壁の模様をぼんやり眺めて、昨日と同じ柄だなあなんてバカみたいなことを考えていた。
そして、……目を閉じた少女の、そのやわらかな花弁がごときくちびるが、煙に乾燥してひび割れたそれにそっと押し当てられたのだ。
なにが起きたのかわからなかった。理解しようとしても沸騰した脳がそれを拒み、ただ唇の感覚器官だけが「ふわふわしてる!」「やわらかい!」「なんか甘い気がする!」と大騒ぎをしていた。
「へ、あ、え……」
「えへへ。眼鏡、ちょっと邪魔だったね」
「ハ……」
照れて赤くなるかと思いきや、キャパオーバーを起こして逆に血色を失って真っ白になってしまったランダルを見下ろして、彼のお姫様は満足そうにただ笑っていた。彼の開いたばかりの頬の目まで、驚愕にまるくなっているのが可愛かったから。
「これから煙草を吸いたくなっちゃったらさ、今みたいにキスしようよ」
どう?名案だと思わない?無邪気なダーリンはそう続けたが、やっぱりランダルの脳にはそれは未だに届かない。
少女はずっと固まったままの王子様に、「沈黙は肯定ととるよ!」とムチャクチャなことを言って両手を彼のほっぺに添えて目を合わせた。
そのせいで煙草の箱はランダルのすぐ横に落ちてきたが、それを拾うだけの余裕は今の青年にはない。
「が。我慢……できるかな……」
やっとで吐かれた台詞を聞いて、目を丸くした少女は噴き出して、一言。
……そのことばを聞いたランダルは、またも顔を真っ赤にして怒鳴る羽目になったのだった。