猫を手懐ける3つの方法。ニェンはとにかく苛ついていた。その証拠にニェンの手で握りつぶされた煙草の箱は、ありえないほどの力のせいでひしゃげて破けていたのだった。
その理由はたったひとつ。
ルーサーに最近できた、パートナーの存在である。
ルーサーはつい最近、家の皆を集めて嬉しそうにこう切り出した。
「紹介しよう。私の妻だよ」
ルーサーに腰を抱かれ、ほよほよにこにこ笑っているのはふんわりとした雰囲気の、優しげな男であった。柔らかな笑顔が良く似合う。目元にはうっすら笑いじわがあった。
ランダルは「へ!?誰!?」と呟いてあまりのことに舌を噛みきり、セバスチャンはその舌が胸元にくっついて「うわ気持ち悪……」とつぶやいた。
ニョンはなにも考えていないような顔で「おめでとうございます、ご主人様」と平坦に言った。耳が少し上を向いているところからして、おそらく本心から祝っている。
そして、ニェンは。
紹介する、と連れてこられた男を見て、無言のままニョンの尻を思いっきりつねった。
「え?何?」
「うるせえ」
「え……?」
完全なとばっちりである。苛立ちにまかせて暴力をふるうのがニェンのよくないところであった。
ニェンはとりあえず「おめでとうございます」とお伝えし、パトロールを言い訳にして早々にリビングを後にした。
コイツの気に入らねえところは3つある、とニェンは廊下を歩きながら指を折った。
まず、弱そうなところ。
何を考えてるかわかんねえところ。
そして弱くてマスターへの忠誠もまだしっかり見えていないのに、マスターに大事にされているところだ!
ニェンは弱い奴が嫌いだった。特に男のくせしてなよなよした奴なんてお話にならない。
もしマスターの身になにかあったとき、あいつにお守りできるというのか?
いや、妻とおっしゃっていたところを見るに、そうなった場合はマスターがあの男をお守りするのか。
それにそもそも、あの男が脅威そのものになる可能性も捨てきれない。
マスターは強いお方だ。俺なんかよりずっと。そんなことは分かっている。
それでも、ただ心配なのだ。自分から見て素性も知らぬ男がマスターの側に長時間いることも、それを誰も危険視できていないところも。
平和ボケしやがって、と舌打ちをする。
そんなこんなで、ニェンはここ数日ずっと機嫌が悪く。セバスチャンもニョンも生傷が絶えないのであった。
「ああ、ニェンくんだね」
廊下でばったり出会った男はにこにこ笑って手招いた。
確かにニェンは急に降って湧いたご主人様の妻を認められるわけがなかったが、それと同時に理解していた。
今、この家のカーストは変化している。
不動のKingたるルーサーの隣に、その妻……Princess、もといConsortというべきか。そういった存在が生まれた。その下にQueenたるランダル、その下に俺、ニョン、蛇女、そして新入りチキンが入る。
言うことを聞くしかないのだ。王妃に勝てるわけがない。
ニェンはノロノロその男の元へ向かった。
「もう少しでご飯ができるからね。そろそろ皆を呼ぼうと思って。手伝ってくれるかな?」
「……はい」
なんで俺が、と思わないこともないが。もしこれがご主人様からの命令なら、そんなことは一切考えずにすぐ全員縛り上げて連れてくるはずだ。
こんな弱っちい男でも、マスターと同じ立場の方。マスターの大事な方なんだ。
そう自分に言い聞かせ、ニェンは家中を歩き回った。
ランダルの部屋でボケっとしているセバスチャンをしばき、夕飯直前にも関わらず地下室を探検するよ!などと言って階段を降りようとしているランダルの首根っこを掴み、部屋でラリっている相方を灰皿でぶん殴って食卓につかせた。
「さすが私の妻だね。料理も本格的だ……シェフ経験でもあるんだったかな?」
「もう、やめてください皆の前で。恥ずかしいです」
「うげ……なんで食事時に兄夫婦のイチャイチャなんて見せつけられないといけないわけ?」
「俺は今初めてお前に同情したよ」
そうは言いつつもランダルはきれいに盛り付けられた食事に目を輝かせ、なんと特別に人間の食べられるものだけで構成されたメニューにセバスチャンは涙を流した。
「これからもずっとお二人が幸せであり続けますように……」
「祝福してくれるのかな?ありがとう。勿論だよ」
「ずっと……ふふ、そうですね」
今にもキスしそうな二人を見てランダルは「おいしい食事が吐瀉物として排出される前に部屋に戻ろうかな。セバスチャン!どの虫が一番砂糖漬けに向いてるか実験するよ」などと言い、セバスチャンを引っ張ってどこかへ行ってしまった。
ニョンとルーサーはいつも通り、夕飯後のテレビの時間を楽しもうとしている。自分も、と移動しようとしたとき、男にまた声をかけられた。
「ニェンくん。こっちにおいで」
ニェンは若干不審に思いつつ、男の前に立つ。なにかおかしなことでも考えているなら、と警戒を強めて見えないようににらみつけた。
「ニェンくん大きいね。座ってくれるかな」
「は……」
ニェンは近くにあった椅子を引き寄せて座った。妙な感じだ。なにに満足したのか、男は嬉しそうに「これでいいね」と独り言を言う。
「いったい何が、」
「さっきはありがとう。ニェンくんのおかげで、皆に出来立てを食べてもらえたよ」
そして手が、ニェンの頭にそっと伸びる。本来ならいくら王妃とはいえどういうつもりだ、とその手を叩き落とすところだが。
その手つきがとんでもなく優しくて、手がふわふわしていて、いい匂いがして……
いやいや。こいつはマスターじゃない。なにをほだされそうになってるんだ。このマヌケが……
「あのね、さっきの食後のデザート。一個だけ余ってるんだ。頑張ってくれたから、ニェンくんにあげたいなって」
「!」
「皆には内緒だよ。できる?」
「meow……」
男はよくできました、いいこだね、とふわふわ頭を撫で、顎をくすぐり、耳の付け根を優しくマッサージした。その手つきに思わず体が反応してしまう。コイツ、かなりの手練れだ。警戒しなくては……
「あ、喉ならしてる……。かわいい。またお願いしてもいいかな?」
「……はい、いや。う……」
「ありがとう。ニェンくんは優しい子だね」
「ンー……」
ああ、猫とは複雑に見えて単純な生き物である。
孤高な闇夜のハンターであると同時に……時にはおいしい餌と、極上の撫でテクの前に、一瞬でメロメロになりかけてしまうことも、またあるのだ。