初めて見た時から好きでした ある日の昼下がり、黒髪の少年が森を駆け抜けていた。彼の名前はマッシュ・バーンデッド。街外れのシュークリーム屋の店員である。夢は自分の店を持つこと。今は修行中の身だ。なぜそんな彼がこうして森の中を走っているかというと、それは遡ること一時間ほど前のこと。いつものようにマッシュが店で仕込みをしていたところ街まで行き卵と牛乳を買ってきてくれないかとの打診を受けたことがきっかけである。卵と牛乳はいつも店に決まって届けられているためマッシュが不思議に思い理由を尋ねると、店主は口を開く。どうやら商人が体調を崩してしまいしばらく運送が難しいとのこと。加えて新たに探すのも手間だし、その間直接街まで買いにいってくれないかとのこと。体力に自信があるマッシュは二つ返事で受け入れると、すぐさま街へと赴き今に至る。道中は大人の足で三十分程度はかかるところだが、異常に足の速いマッシュはあっという間に目的の店へと到着した。卵と牛乳を無事に購入し安堵していると、あろう事か店を出て間もなく卵を地面に落としてしまった。
「あ……やってしまいましたな」
マッシュはその場に跪く。ポケットに手を入れてはみたが、あいにくハンカチ等の類は持ち合わせていない。どうしたものか。このままにしておく訳にもいかないと考えていると、ふと籠の中の布巾が視界に入った。仕方ない。これを使うか。卵をこれ以上割らないようにと慎重にピンク色の布巾に手をかけると誰かに声をかけられた。マッシュが声のする方に顔を上げるとそこにはツートンカラーの青年が立っている。手には彼の身長とさほど変わらないほどの大剣を抱えており、異様な雰囲気だ。
「……怪我か?」
「え……あ、いえ。卵を落としてしまって…でも拭くものがなくてどうしようかと」
マッシュが青年に理由を話すと、彼は跪きそのままマッシュが地面に落とした卵をハンカチで拭き取りはじめた。マッシュは彼の行動に驚き声を上げる。
「なっ、なにしてるんですか」
「……拭くもの、持ってないんだろ」
「え……あ、すすすすみませんハンカチ…汚しちゃって…ありがとうございます」
焦るマッシュと反して、青年は特に気にする様子はなく淡々と話しを続ける。
「かまわない。手や衣服は汚れなかったか?」
「僕は大丈夫ですけど、あなたのハンカチが」
するとツートンカラーの彼は立ち上がりマッシュに背を向けて歩き出した。帰ってしまうのかとマッシュは再び声をかける。彼のハンカチはもう使い物にはならないだろう。
「あ、あの。そのハンカチ弁償します」
「……気にするな。では失礼する」
「あ!ちょっと」
マッシュの言葉はもう彼の耳には届いていないようだ。初対面の人にあまりしつこく話しかけるのもどうなのかとマッシュは尻込みしてしまい、彼の背中を見送った。
「どこの人なんだろ……ちょっと怖い感じだったけど、いい人ですな」
随分親切な人がいるものだとマッシュは感動していた。加えてあの端正な顔立ちに胸はドキドキと騒がしい。店への帰路は彼のことで頭がいっぱいだった。
翌日のこと。マッシュは再び卵と牛乳を買いに街を訪れていた。昨晩はあのツートンカラーの青年のことが気になってしまい、うまく寝付けずにいた。あの大剣といい服装といい一体どこの人なんだろう。この街の人だろうか。あまりにも見慣れない格好に検討もつかない。せめて名前でも聞いておけばお礼が出来たかもしれないのにとマッシュが考えながら歩いていると、ドン!と音がする。どうやら人とぶつかったようだ。その衝撃で相手は尻もちを付きマッシュが慌てて手を差し出すと、その少年は恥ずかしそうにしながらマッシュの手を取り立ち上がった。
「すみません、ありがとうございます」
「いえ、僕がぼんやりしていたので」
自分と同じくらいの年齢だろうか。マッシュとぶつかった細身のそばかす顔の少年もまたツートンカラーをしている。昨日の大剣の人といい、この街はツートンカラーが流行っているのだろうか。そんなことをマッシュが考えていると、少年は急に血相を変えた。
「わ!!籠の中の卵、割れてますよ!!」
「え、」
マッシュが少年に言われるがまま視線を籠に落とすと何個か卵が割れているのが見える。またやってしまった。昨日も今日も卵を割ってしまうなど一体何をしているのだろうと自分に嫌気がさしていく。
「すみません、僕のせいです……」
「いえ、僕の不注意ですしお気遣いなく。怪我ありませんでしたか?」
「僕は大丈夫です。あの、僕の家すぐそこなので卵弁償します!着替えも僕のでよかったら洗濯の間貸しますよ」
マッシュは申し訳ないからと断ったが、彼は「それだと僕の気が済まないので」とのことで店へと電話をかけることにした。数回のコール音の後店主が出たので経緯を順番に話していく。すると店主は理解を示し、今日分はどうにか足りそうだから明日の出勤時に持ってきてほしいとのことだった。加えて仕事も休みにしていいとの事。「わかりました。ありがとうございます」とマッシュが電話を切ると彼は「どうでした?」とマッシュに問いかける。
「今日の分は足りそうだから明日持ってきて欲しいとのことでした。仕事も休みでいいらしいです」
「そうなんですね。じゃあ早速僕の家に案内しますよ!こっちです」
そういうと彼はマッシュを導いてくれた。なんて親切な人だろう。卵を割ってしまったことは災難だが心はポカポカと温かい。マッシュは昨日のツートンカラーの青年のこともまた思い出していた。この街は親切な人も多いのかもしれない。
「あの…ご丁寧にありがとうございます」
マッシュが頭を下げると少年は首をぶんぶんと横に振った。
「いえいえこちらこそ。あ、自己紹介まだでしたよね。僕はフィンと言います」
「フィン…さん…」
「あなたの名前は?」
「マッシュです。十六歳でシュークリーム屋で修行中の身です」
「本当に?僕も十六歳です」
「えっ、同い年」
「偶然ですね!十六歳なのに働いているなんて、頭が下がります」
「そんなことないですよ」
二人で話をしているうちにフィンとマッシュは同い年であることが判明した。同い年ならと互いに気も緩み、敬語も次第に取れてそのまま会話をはずませながら彼の家へと歩みを進めた。
「ここだよ!どうぞ入って入って」
「うす。お邪魔します」
「ちょっとここに座って待っててね」
言われるがままにマッシュは椅子に腰をおろす。フィンの家はとても綺麗に整頓されていた。マッシュが座って待っていると、フィンはすぐに着替えを持ってきてマッシュに手渡した。
「じゃあこれ、僕の服でよかったら乾くまでどうぞ。あとで洗濯するね」
「うす。助かります」
マッシュはフィンから服を受け取り着替えようと衣服に手をかけると、玄関の方からバタンと音が聞こえてきた。
「あ……誰か帰ってきた?」
「兄様かも。僕見てくるからマッシュくんは着替えてて」
「うす」
フィンは玄関の方へと走っていく。するとフィンは突如悲鳴に近い声をあげた。何事かとマッシュも着替えて玄関へと向かうと、そこには傷だらけの人がいた。しかも、あろう事か昨日助けてくれたツートンカラーの青年ではないか。
「あ、昨日の親切な人」
「…お前、昨日の卵のやつか」
まさかここで再会するなどマッシュは思いもしなかった。どうやら口ぶりから青年もマッシュのことを覚えていたようだ。
「え、マッシュくんと兄様は知り合いなの?」
「知り合いというか昨日僕が困っているところを助けて貰って。この方、フィンくんのお兄さんなんですか」
「うん!へぇ、偶然ってあるものだね!それにしても兄様その怪我……何があったの?」
「……あぁ、城の付近で内乱が起きてな。間に入ったら打ちどころが悪くこのザマだ」
「そんな……大丈夫なの?病院は?車を呼ぼうか?」
「足を挫いただけだ。すぐ治る」
「でも、言ってくれれば僕が迎えに行ったのに」
「帰ってこれたから問題ないだろう。オレのことは気にするな」
「もう兄様ったら……いつも無茶しすぎだよ」
フィンは口を尖らせる。互いを思いあっているいい兄弟なんだろうとマッシュは二人のやりとりを眺めていた。それにしても彼らが兄弟とは驚きの事実である。ツートンカラーは流行りではなく兄弟だからかとマッシュが一人納得しているとフィンは口を開く。
「あ、包帯切らしてる!」
「ほっとけば治るだろ」
「だめだよ!僕買ってくる。ごめんね、マッシュくん。ここで少し待ってて貰えないかな」
「ガッテン」
「助かるよ。じゃあ後でね!」
そういってフィンはバタバタと出かけてしまい、マッシュはフィンの兄と家に二人きりになった。
「……すまない、弟が何か迷惑をかけたようだな」
「僕の不注意ですしそんなことないです。それにしても、まさかお二人がご兄弟だったとは。昨日は本当にありがとうございました」
マッシュは軽く頭を下げる。
「偶然もあるものだな」
「そうですね。お礼したかったので嬉しいです」
「……あの程度、礼には及ばないだろう」
「いえ。本当に助かりました。それよりも、怪我大丈夫ですか?内乱って……」
「あぁ、よくあることだ」
そう話しながら彼は大剣を床に置いた。彼の身長と大差ないほどのサイズにマッシュは思わず見入っていた。
「……イーストン城、知っているか?」
「もちろんです!この国の中心ですし」
「オレはそのイーストン城で護衛騎士をやっている。フィンは大袈裟だが、こういった怪我はよくあることだ」
「ええ!?ああああそこの護衛……騎士様……!?」
マッシュは驚きのあまり声を荒らげて震え出した。
「そこまで驚くことか?」
「っ、驚きますよ!僕みたいな人が話しかけていいと思わないし…そんな人に卵拭いてもらうなんて無礼ですみません」
マッシュは先程よりも深々と頭を下げる。この国の中心であるイーストン城関係者は、言わば貴族階級に値するため平民のマッシュとは似て非なる。
「……顔を上げろ。オレ以外にも城の護衛はいるし特段階級が高い訳でもない」
「でも、」
「……お前、名前はなんという」
「名乗るほどでもないですが……マッシュ・バーンデッド。街外れのシュークリーム屋で修行してる者です」
「マッシュ……か」
「はい。いつも店に卵と牛乳を運んでくれる人がいるんですけど体調を崩されているみたいで、最近はここまで買いに来ているんです」
「なるほどな。昨日は無事に帰れたか?」
「えぇ、お陰様で助かりました。それで今日も買い物に来たら僕の不注意でフィンくんとぶつかってしまって。断ったんですけど、卵が割れて僕の服が汚れたからと洗濯の間服を貸してくれているんです。卵も弁償すると話してくれて」
「そうだったのか。弟が迷惑をかけた」
「いいえ。随分親切な人だと思っていたら、まさかあなたとご兄弟とのことで納得です」
「困っている人がいたら出来るだけ助けてやりたいと思っている。それだけだ」
「素敵ですね……また騎士様にお会いできて嬉しいです」
マッシュは微笑みかける。マッシュの返答に彼は胸を騒がせていた。会えて嬉しいなど言われ慣れていない言葉になんだかいたたまれなくて、気をそらそうと彼は身に付けている手袋や防具を脱ぐことにした。しかし、体を痛めているためかひとつひとつの動作がやりずらくてたまらない。見兼ねたマッシュは彼に駆け寄る。
「大丈夫ですか?よかったら僕手伝いますよ。あまり動くと傷口がさらに開きそうです」
「……あぁ、すまない」
マッシュは彼を手伝うことにした。すると、ふと腰のベルト飾りが目に入る。そこにはちょこんとウサギが佇んでいた。端正な顔立ちと固い印象の防具とあまりにもちぐはぐでマッシュは思わず笑ってしまった。
「ふふ。騎士様、かっこいいのに随分と可愛いベルトされてるんですね。ウサギ好きなんですか」
その顔はとても綺麗で、見惚れる程だ。彼の心臓を掴んでいく。
「どうかしました?」
「……あぁ、なんでもない」
「ギャップってやつですな」
そういってまた微笑むマッシュに彼は口を開く。
「…………レインでいい」
「え?」
「レイン・エイムズ。騎士様と呼ばれるのは性にあわない」
「っ、でも」
「オレがいいと言ったらいいだろう」
「……わかりました。レインさん、ですな」
そうマッシュが名前を呼ぶとレインは頬をゆるめる。仕事以外で名乗ったことなど、一体いつぶりだろう。
「マッシュ、お前に頼みがある」
「なんですか?」
「フィンと良ければこれからも仲良くしてやってくれないか。たまに様子は見に来るが、オレは護衛の仕事でここにはほとんど帰ってこない」
「え、でも僕ただの平民ですし」
「何を言う。オレ達だってそうだ」
「……え?」
レインの言葉に驚きマッシュは首を傾げる。
「両親が事故で死んで以来、フィンと親戚の家を転々としていたんだが追い出されることも多くてな。たまたま野宿をしていた時イーストン城のウォールバーグ王が祭典でこの街を訪れた時にオレたちを見つけてくれた。それで、護衛の仕事をさせてもらっているだけなんだ」
「……そう、だったんですか」
マッシュはレインの生い立ちにひどく胸を痛めた。両親を失った辛さはきっと計り知れないものだろう。
「すまない。話しすぎてしまった」
レインはほぼ初対面の人に話す内容ではなかったと謝罪するとマッシュは首を振った。
「いいえ、話してくれて嬉しいです。それに僕も似たようなものです」
「……お前も両親を失ったのか?」
「いえ、失ったというか……わからなくて。僕は捨てられたところを拾われた身です」
レインはマッシュの話を聞くなり頭を下げた。
「…すまない。お前の方がはるかに重い生い立ちだな」
レインの様子にマッシュは慌てて首を振る。
「あ、違うんです。たまたま拾ってくれた人がじいちゃんって呼んでて親代わりなんですけど、とても大事に育ててくれたので僕は幸せです」
「……」
「そのじいちゃんがね、困ってる人がいたら助けなさいっていつも言ってるから。だからさっきレインさんもそう言ってたし素敵だなと思いました」
マッシュの言葉にレインは胸を打たれていく。
「なので、もしよかったら服脱がしたあと僕で良かったらお風呂とか手伝いますよ」
「は?」
レインは感心していたところマッシュの突然の提案に動揺し困惑する。
「いや、いい。そこまでしてもらう筋合いはないだろ」
「え、でも僕フィンくんよりは力あると思うので遠慮なく。洗濯もまだ終わらないみたいですし出来ることがあれば仰ってください」
「……そうか。では悪いが手伝ってもらってもいいか」
「うす。失礼しますね」
マッシュはレインの肩に触れる。初めはマント。次に甲冑。レインの衣服は固くて重いものばかりだった。内乱のことはよく分からないがきっと城の付近では平民が知りえない何かがあるのだろう。彼の傷は痛々しかった。上半身の衣服を脱がした所で続いてマッシュがウサギベルトに手をかけると、玄関の方からバタバタと音が聞こえてくる。おそらくフィンだろう。
「ごめんね、遅くなっちゃった。お店が混んでてさぁ……」
リビングに入るとフィンはレインとマッシュの様子を見るなり驚いて手に持っていた荷物を床に落としてしまった。上半身裸の兄と、その兄のベルトに手をかけている友人。フィンは途端に慌て始めた。
「え……二人って、その、そういう関係だったの??」
「え、何の話?」
フィンの言葉の意味が分からないマッシュは問いかける。
「ははは早く言ってよ!僕もうちょっとしてからまた来るね。包帯は置いておくから!」
「おい。まて、フィン」
フィンは二人の話もよそに、荷物を置いて再び出ていってしまった。状況が掴めないマッシュは口を開く。
「フィンくん、どうしたんでしょうね。忘れ物かな」
鈍感なマッシュにレインはため息をつく。
「……オレとお前が恋人同士にでも見えたんだろ」
「え、恋人同士……?なんでですか」
「さあな。加えてオレは上半身裸だしお前がオレの服を脱がそうとしていたところを見て情事でもするように見えたのかもしれない」
マッシュはレインの言葉を聞き、顔を耳まで真っ赤にした。
「そそそそんな、わけ、ないのに」
レインは顔を赤らめて慌てふためくマッシュの表情をみて、ドキドキしていた。昨日出会ったばかりの人間に何故ここまで心を奪われているのか。彼の優しさや生い立ちに惹かれてしまったのか。綺麗な顔立ちも全て愛おしい。気がつけばレインは口から言葉が飛び出していた。
「……本当に付き合ってみるか?」
「え?」
マッシュはレインの言葉に目を見開く。マッシュもマッシュでただでさえレインと恋人同士に見られただけでも動揺が止まらないのにどうしたものか。
「あぁ、すまない。忘れてくれ」
レインは我に返り口を開くと、マッシュは頬を染めて口篭りながらも話し始めた。
「忘れられるわけ……ないじゃないですか」
「……すまない。お前に一目惚れしたみたいだ」
「っ、嘘」
「誰彼構わず声をかけている訳では無い。こんなことは初めてでオレも動揺してる」
「そんな…嬉しいです。僕も、レインさんのこと気になってました。なので、その、僕で良かったら」
レインはマッシュを抱き寄せた。
「え、ちょっとレインさん!?急になんです?腕、大丈夫ですか」
「…すまない。気持ちが抑えられなかった」
マッシュもおずおずとレインの背中に手を回す。互いの体温は温かくてとても心地良かった。レインはさらにマッシュを抱きしめ返す。それから、マッシュの手に触れるだけのキスを送った。
「っ、何して…」
「…マッシュ、好きだ。これからよろしく頼む」
「ここここちらこそ、お願いします」
マッシュはレインの言葉にまた頬を染める。人生とは何が起こるかわからないものだ。
これは、二人の恋の始まりの話である。