画面から飛び出した恋 予定のない昼下がり、自室にて。大学生のレインは端末を手に持ちながら指で画面をスクロールしていた。特段気に留める情報もなく画面を閉じようとしたところで、ある投稿が目に飛び込んできて指を止める。そこには『筋トレシュークリームの胸を模ったお皿が抽選で一名様にもらえる!!』といった文字が書いてある。なんだこれは。コラ画像のようなイタズラの類に感じて、止めていた指を動かし公式のSNSを開く。しかし彼のアカウントにもまた、そっくりそのまま同じ文章が記載された現実に頭を悩ませた。
レインには推しがいる。それは、某動画投稿サイトの投稿者で、名前は『筋トレシュークリーム』略して『筋シュー』などと呼ばれていたりする人物だ。彼の投稿内容としては「筋肉は裏切らない。みんなも僕の筋トレを真似してみてください」と話しながらトレーニングを行い、最後にシュークリームを食べて終了といった流れが一般的である。しかしながらその動きは常人にはとても真似できるレベルではないため全くもって参考にはならないのだが、彼の時折見せる幼い表情やシュークリームを美味しそうに食べている姿が可愛らしいなども相まって一躍、彼は時の人となったこともある。
レインもそのうちの一人だ。友人のマックスから「面白い投稿者がいるんだよ」と教えてもらったことがきっかけで、最初はなんとなく暇つぶしに見ていただけだったが、いつしかレインは彼の投稿を楽しみに待つ日々を過ごしていた。
そんな彼が、今回某企業の春の祭りにコラボしているとのこと。
『対象商品のシールを集めると、筋トレシュークリームとお揃いのトレーニー必ずもらえる!』
これに関してはまだ理解できるし許容範囲だ。しかし問題の『応募者の中から抽選で筋トレシュークリームの胸を模ったお皿が一名様にもらえる!!』の文字にレインは憤りを感じていた。
(くそ。なんだこのキャンペーンは。筋トレシュークリームは別に性的コンテンツではないだろうに)
そう思いながらも自分のことは棚にあげているとも知らずに、レインは翌日からシールを集める生活を始めた。他の輩の元に皿がいくならオレが絶対に手に入れてやる、という気持ちが溢れ出していく。いわゆるただの強火のファンである。
それから一カ月、レインは対象商品を購入しシールを集め続けた。気がつけば10口分も応募できる枚数を達成している程で、一度応募することを決めた。1名に入るには一体どのくらいの確率か考えたくもないが、少なくとも彼とお揃いのトレーニーが必ず手に入るのはファンとしては大変嬉しいものである。レインは荷物が届く日を心待ちにしながら日々を過ごしていた。
程なくしてレインの自宅に荷物が届いた。配達員から受け取り住所を確認すると、例のキャンペーンのもののようである。すぐさまダンボールを開くと、動画でよくみる彼のトレーニーと同じ物が入っていた。胸がワクワクする。彼はこれを着用しながら日々筋トレしているのか……とレインがまじまじと確認していたところ、ふとダンボールには他の商品も同封されていることに気がついた。『割れ物注意』の文字に、もしかしてもしかするのではないかと感じ、期待をこめて箱に手をかける。そこには、彼の胸を模ったという例の謳い文句の皿が入っていた。受け取ってすぐに開封しトレーニーに手をかけたので気付かなかったが、ダンボール箱の外側にも『割れもの注意』の文字が書かれていた。
レインは高揚していた。抽選の一名に選ばれたという事実に心臓の高鳴りはとどまることをしらず、これを持っているのはオレだけだ。と思うと嬉しくて嬉しくてたまらなかった。トレーニー同様、箱からゆっくりと取り出してまじまじと皿も確認する。これが彼の胸を模ったものか、とごぐりと唾を飲みながらおそるおそる自身の胸に皿を当ててみることにした。
(胸、デケェ)
低俗極まりないが、それがまず第一の感想だった。実寸だとすれば、自分の胸と比較しても明らかに違うのがわかる。こんなに大きいならやはり性的に思われても仕方ないのではと思わなくもないが、彼は性的コンテンツではないはずだ。ファンとして恥ずべきことだし、その考えはやめよう。そのうち、皿と同じ箱にはメッセージカードも封入されていることに気付いたレインは動揺のあまり皿を落としそうになった。しかも印刷されたものではなくまさかの直筆である。メッセージカードにはこう書かれていた。
「レイン・エイムズ様へ この度はキャンペーンにご応募いただき誠にありがとうございます。当選致しましたのでトレーニーとあわせてこちらを送らせていただきます。筋トレして僕のお皿のような胸筋を共に手に入れましょう。筋肉は裏切らない。 筋トレシュークリームより」
レインは文章を読み終えたあとメッセージカードを抱きしめた。やばい、やばすぎる。直筆メッセージというだけでも相当凄いのに、まさか自身の名前まで書いてくれるなんてあんまりだ。神対応。プレミアがすぎる。普段は成績優秀で冷静を貫いているが今だけは語彙力が低下してしまうのも無理はないだろう。勿体無くて使えるわけがないと感じ、レインはキッチンの食器棚の一番奥底に食器とメッセージカードを仕舞い込んだ。自然と口角が上がっていく。生きていたらいいこともあるものだと思いながらも、また彼の動画を見返したりなどして幸せな気持ちのまま一日を終えた。
ある日、大学内にて。レインは友人のマックスと共に食堂に来ていた。マックスに「最近なにかいいことあったか?」と話しかけられて、あまりにもいいことがあったが特段話すつもりもなかったため濁してはみたものの「何年の付き合いだと思ってるんだ」との返答にレインは先日の例の出来事をマックスに話すことにした。
「っ、お前……、嘘だろ。10口分って」
「笑いすぎだろ」
「本当、顔に似合わず……っ、ははは。ださくて最高か」
「……知るか」
マックスはラーメンを食べる手を止めて腹を抱えて笑っている。どうやら己の行動が彼にとって相当ツボに入ったようだ。しばらく談笑した後、レインは食べ終えた食器を先に片付けようと席を立ち歩いた。すると、すれ違った人にぶつかってしまった。相手は帽子を目深に被った黒髪の男だ。思ったよりも強くぶつかってしまったような気がしてレインが謝りながら彼の顔を覗き込むと、見慣れた顔立ちにレインは目を見開く。そこには散々動画で見てきた彼にとてもよく似た人物がいた。
「き、筋トレ……シュークリーム?」
まさかそんなはずはないだろうと思いながらも思わず口に出すと彼は帽子を更に目深くして「ひひひ人違いです」と目を逸らした。そんな彼の様子を見て、己の中での仮説が次第に確信に変わっていく。今まで沢山見てきたから、見間違いはなさそうだ。
「動画投稿者の筋トレシュークリームさん……ですよね」
普段面識のない相手に自ら話しかけるなど無いに等しいのに自然と口が動いていた。やはり予感は的中していたようで、彼は観念したのかこくりと頷いたあと、シーっと鼻に手を当てた。「秘密だよ」とでも言いたいのだろうか。動画で見るよりも目の当たりにした彼の容姿は可愛らしく幼く見えてレインの心臓がドキドキと音を立てて騒ぎ出す。すると食べ終えたのか皿を片付けるためにこちらに向かって歩いてきたマックスもレインに近付くなり話しかけてきた。
「こんなところで立ち止まって何かあったのか?」
「マックス、見てくれ。筋トレシュークリームがいるんだ」
「……大丈夫か?レインが冗談を言うなんて」
「違う、本物だ」
「は?え、うそ。本当に本当?本人なのか?」
「あぁ。どうやらそのようだ」
そうレインが話すと黒髪の彼は頷いた。
「え?まじか!しかもまさかの同じ大学?オレ動画見てますよ」
にこにこと笑うマックスに彼はぺこりと頭を下げていた。そしてマックスはレインに肘打ちしながらまた話し始める。
「こいつ、レインって言うんですけど特にあなたの大ファンですよ。あの最近やってるキャンペーンの」
「……おい、本人の前でやめろ」
レインはマックスの話を遮るように話すと彼は恥ずかしそうに「ありがとうございます」と小声で返した。声が動画と同じであることにレインがまた胸を騒がせているとマックスがまた口を開く。
「あれ、その服。どうかしたんですか?」
「え?」
どうやら、彼の白いシャツの裾が先程レインとぶつかった拍子に汚れてしまったようだ。おそらくレインが食べていたラーメンの残りスープである。
「すまない、動揺して気が付かなかった。熱くなかったか」
「うす。全然大丈夫です」
レインは近くのテーブルに食器を置き、ポケットから財布を出して「クリーニング代に使ってください」と一万円を渡すと彼は首を大きく振った。
「そ、そんな。僕の不注意だしシミも全然大したことないですし」
「……たとえ少しだとしても汚れたらそうはいかないだろ」
レインは推しを汚すなどあってたまるかと金を受け取るように交渉していると、そのうち彼がある提案をした。それはクリーニング代の代わりによかったら場所を変えてお茶でもしないかというものである。彼の言葉にレインは固まる。推しが?オレと?お茶を?しようとしている?今こうして彼と話しているだけでも既に一大事なのに全くもって頭がついていかない。マックスはレインの背中を勢いよく叩いた。
「よかったじゃん!レイン、二人で行って来なよ」
「……お前も来い。何を話せばいいか分からねぇ」
「知るか。大好きです、タイプです、いつも見てますとか言えばいいだろ。オレこの後バイトだからそろそろ帰るよ」
「……おい。オレは別にそういう目でみているわけじゃないと言ってるだろ」
「またまた、よく言うよな。楽しんでこいよ」
マックスはそそくさとレインに手を振りながら行ってしまった。薄情な奴だ。しかし、推しと二人きりになるなんて考えるわけもなかったのに人生とは何が起こるか分からないものである。
「あ……その、この後授業とかバイトとか大丈夫でしたか?」
「……あぁ。問題ない」
「じゃあ行きましょうか」
彼はまた帽子を目深く被る。レインは食器を急いで片付けた後、二人はそのまま外に向かって歩き始めた。
道中は互いに無言だった。レインは聞きたいことは山ほどあったが、何から話していいか分からなかった。そのうち行き着いた場所は大学からほど近いファミレスである。ここは先程の食堂よりも更にガヤガヤと騒がしいので彼に注目するものは見受けられないため気楽である。互いに飲み物だけひとまず注文すると、レインはおそるおそる口を開いた。
「あの、ところで何故お茶になんて……」
「あぁ、実は気になることがあって」
「?」
「さっきお友達といた時レインと呼ばれていたと思うのですが、もしかしてあなたはレイン・エイムズさんだったりします?」
レインの中で衝撃が走る。開いた口が塞がらない。推しが目の前で名前を呼んでくれるなどありえない。今日、オレは死ぬのだろうか。
「実は僕のキャンペーンに沢山応募してくれていた人と同じ名前なんです。あんまりいない名前だし、もしかしたらって思って」
彼の話にレインは高揚していた。メッセージを書いたことを覚えてくれているという事実に嬉しくて頭がおかしくなりそうだ。ひと呼吸おいてから、レインはそれは自分であることを話すと、彼は柔らかく微笑んだ。
「会えて嬉しいですな」と話す様が可愛くて、レインは心臓を撃ち抜かれた。
──────ところが。
「僕、活動をやめるんです」
上げて落とすとはまさにこういうことを言うのだろう。上昇しきっていたところ突如降下していく気分に目眩がする。レインが何か理由があるのかと尋ねると、彼は動画投稿を学費を貯める足しにしていたとのこと。それで、ありがたい事に再生数が伸びて貯金が貯まってきたのもあり、某キャンペーンを最後に活動をやめようと考えている事。彼の話にレインは言葉を失った。
「最後にこんなに応援してくれている人に出会えるなんて、嬉しいですな」
「……っ」
「それだけ伝えたかったんです。急にすみません。今までありがとうございます。では、僕はここで」
そういって席を立つ彼に、レインは勢い余って声をかけた。自分など場違いなのはわかってはいるけれど、あと五分だけ。いや、一分でもいい。まだ彼ともう少しだけ話をしていたかった。
「付き合ってくれませんか」
「え?」
「あ、いや……」
まだ少し話せませんかと伝えるつもりが緊張して自分の欲が表立ってしまった。だって、もう動画も見れないと思うと寂しくてたまらない。明らかに引かれているだろうし恥ずかしい。言い間違えたと訂正をしようとしていたところ彼は突然レインの手を握った。温かい彼の手に動揺は止まらない。
「付き合う?僕の聞き間違いですかね」
「っ、間違いでは……ないが」
ああもう何を言っているのか。でも、ここまで来たら引き下がれないし引き下がりたくもない。すると、彼は頷く。
「僕で良かったら付き合いましょう。レイン・エイムズさん」
「……は?」
「これからよろしくお願いします」
そう話す彼があまりにも眩しすぎて、時間が止まったような気がした。まるで周りの騒がしさもなかったかのように、世界中に二人しかいないのではないかと錯覚するほどだ。手の中の小さい端末で見ていたはずの彼が、目の前にいてこちらを見ている。さらには揺れる蜂蜜色の瞳が交際をしてもいいと話している。未だ信じられないが、どうやらこれは現実らしい。
二人はファミレスを出ることにした。頭を冷やしたくてレインが外に出ませんかと提案したのがきっかけである。
「これからどうしましょうか」と話す彼に、レインは悩んでいた。この場合どうするのが正解だろうか。今日は別れるべきか、それとも引き止めていいのか。レインが決めきれずにいると「やっぱりレインさんの家で服洗濯させて貰おうかな」の彼の言葉にレインの心臓はまた大きく騒ぎ立てる。まさか推しが家に来るなんて。いや、もう今後は恋人と呼ぶべきなのか。ひとつ屋根の下、こんな展開幸せすぎて今度こそ死ぬかもしれない。
「……初対面で急に家に来るなんて、いいんですか」
「ん〜でも、服を少しでも汚したらそうはいかないって言ってたじゃないですか」
「それは、クリーニングの話であって……それに、付き合うとかになったらまた違う話かと」
「ふふ。真面目ですな。そういうところ素敵です」
「…………」
レインは言葉に詰まる。明らかに彼のペースにのせられている。きっと邪なことを考えているのは自分だけであって、別に彼はそういう気持ちではないのだろう。それならば、拒む必要はないだろうとレインは自分の家を彼に案内することにした。
レインは大学近くに一人暮らしをしている。そのため家へと向かうにはさほど時間はかからなかった。家に着くなり彼に服を脱いでもらうことにした。もちろん性的な意味でなく、服の汚れを即座に落とすためである。その間裸のままでいてもらうのも刺激が強すぎるのでレインは服を貸すことにした。しかしながら自身がよく着用している部屋着に腕を通すというのもこれまた凄まじい破壊力で、つい昨日まで勉強の合間に投稿された動画を見て微笑んでいただけなのに、その人が自分の家にいて、自分の衣服を着用していて、尚且つ付き合うことになるなんて一体誰が想像するだろうか。普通なら随分と都合の良い妄想に過ぎない事柄である。
レインは彼のシャツの染み抜きを始めた。欲が溢れ出していくので彼が部屋着に着替えるところは見ないようにした。ラーメンの油汚れは意外と面倒で、推し兼恋人の衣服を傷つけないためにもやはりクリーニングに出した方がいいのではないかなどと考えていると「どうですか」と突然背後に彼が現れた。
「っ、急に話しかけないでもらえないか。心臓に悪い」
「え、でも、話しかけるのって大体急じゃないですか?」
「それは……そうかもしれないが……」
「じゃあ、これからは話しかけますね!と言ってから話しかけた方がいいですかね」
そう話す彼がまた可愛くてレインは言葉に詰まる。横目で確認すると、自身の部屋着を着用している恋人。可愛くてたまらない。洗濯済みのものを渡したものの、変な匂いがついていないといいと願うばかりだ。
「緊張してます?」
「オレは昨日まであなたのことを動画で見ていただけの普通の人間です」
「ふふ。僕なんて全然有名でもないし普通ですよ」
「……そういうことではなくてだな」
「あ、そうだ。当選したキャンペーンのお皿って持ってますか?良かったら見せてください」
「あぁ、勿論かまわないが」
彼の催促にレインは予洗いを終えたシャツを洗濯機にいれて稼働した後、食器棚の奥に閉まっていた皿を取り出した。もちろん、一度とて使用していない。加えてもしかして割れないようにと届いた時の緩衝材もつけたままである。そのまま渡すと彼は「未使用ですか」と笑った。
「勿体ないだろう」
「勿体ないってなんですか。お皿なんだし使ったら良いのに」
「……オレはモノを大切にするタイプなんです」
「ふふ。そうなんですか。素敵ですな」
微笑む彼が可愛くて、レインの心臓はドキドキしっぱなしである。
「届いた時、胸にお皿あてたりしました?」
「………………」
あまりにも言動をお見通しでレインは彼の言葉に何も言わずに黙っていると「黙っているのはそういうことですか」と話す彼にレインは項垂れた。もう何度、彼に上手を取られているのか。でもそれすらちょっと嬉しかったりする。
「ふふ、レイン・エイムズさん、面白いですな」
また名前を呼んでくれたことに胸がいっぱいになる。でも、フルネームよりは名前で呼んでくれたら嬉しいなんて贅沢な欲ができて、口を開く。
「……フルネームは長いだろう」
「じゃあ……レインくんって呼びますね」
レインくん。くすぐったい気持ちで溢れそうだ。くん付けで呼んでくれるなんて、思いもしなかった。
「僕の本名はマッシュ・バーンデッド。18歳であの大学の1年です」
「……マッシュ・バーンデッド」
彼の名前をレインは繰り返し呼んだ。
「うす。長いですし僕もマッシュでいいですよ」
「……わかった。オレもあの大学の3年だ」
「そうなんですな。じゃあ敬語もやめましょう」
「あぁ……そうだな」
順番がぐちゃぐちゃだが今更ながら互いに自己紹介をし合う。筋トレシュークリーム、もといマッシュ・バーンデッド。まさか推しの名前と年齢を知り得るとは。それに敬語も不要だなどレインがこれは本当に現実なのかとまだ信じきれないでいた。するとマッシュは、突然上半身の衣服を少したくし上げる。彼の鍛え上げられた腹筋がチラリと見えてレインは突然のことに目を奪われているとその様子にマッシュはまた笑う。
「ふふ、レインくんの顔、」
「……部屋、暑いならもう少し薄い部屋着を渡すが」
「ふ、違いますよ」
「……っ、」
「お皿欲しいのって僕の胸を触りたいみたいな気持ちなのかと思って」
違いました?と首を傾げる彼にレインはいよいよ頭がおかしくなりそうだった。いや、もうおかしくなっている自信しかない。
「……誘ってるのか?」
「え、いや……別にそういうわけでは」
得意げな表情から一転して顔を赤らませて話す彼に調子が狂う。こういったことに慣れているのか、慣れていないのか判断がつきにくい反応だ。しかしそれもまた可愛くてたまらない。レインはこれまでの人生で、交際経験がなかった。幼少期に両親を失うなど家庭環境が特殊で恋愛をしている余裕がなかったというのが一番の要因であるとは思う。いずれにしても今この状況はあまりにも童貞には刺激が強すぎて目眩がした。
「確認だが、筋トレシュークリームはいわゆる性的なコンテンツなのか?」
「ふ、ふふ、性的……っ、コンテンツ……」
真面目なレインの質問にマッシュは吹き出しそうになる。
「そうですね……正確には違うかと」
その返答にレインはひどく安心していた。
「……そうだよな。オレの中で筋トレシュークリームは誰にも真似できない筋トレ動画をあげる面白い寄りの投稿者との見解だ」
「はは、そうなんですな」
「だからこそ、キャンペーンの胸を模った皿には驚いた」
「…………」
「オレはそれが嫌で……もしかしてそういう目で見てるやつもいるのかと思って誰の手にもその皿を渡したくなかった」
「……で、10口もシール集めて応募してくれたんですか」
「あぁ、そうだ。ただの賭けでしかないが」
「自分だって僕のことそういう目で見てるじゃないですか」
「……まぁ、そうだな。それは間違いない事実でもある」
「ふ、正直な人ですな」
レインの正直な言葉にマッシュはまた頬を緩ませる。
「僕も、面白い動画を上げ続けていたかったです。でも、最近胸のことを言及されることが多くて嫌気が差したのが本音です。変なメッセージ来たりとかもあって」
「……なるほど」
「例の春の祭りとコラボするって話は正直断ろうと思ったんですけど、一名ならまあいいかなぁってだけで」
「…………」
「だから、レインくんの手に渡ってよかったって思っています」
「……そうか」
彼の発言にレインの胸は騒ぎだす。自身の手に渡ってよかったなんて、ファンからしたらあまりにも嬉しい言葉である。まだまだ聞きたいことがありすぎて、普段は言葉数が少ない方だと感じているがレインはすぐに次の質問を始めた。
「……何故、出会ったばかりのオレと付き合おうと思ったんだ」
「え、うーん……?嬉しかったから、が一番大きい理由かも。何より同じ大学ですし」
それに、初対面で付き合って欲しいなんて好意を伝えてくれる人ってなかなかいないですしドキドキしましたと話すマッシュにレインはまた口を開く。
「本当は、まだ少し話せないかと伝えるつもりだったが、もう動画も見れないと思うとつい勢い余ってしまった」
「へぇ、随分大胆ですな」
「……あぁ。自分でも驚いている。そもそも恋人はいなかったのか」
「いませんよ。いたら告白を受けていませんし、なによりシュークリームが恋人と言いますか」
「なるほど、その意見には賛同する。オレもウサギが好きで社会人になったらウサギを飼育するのが夢だ。このアパートはペット禁止だからな」
「ふふ、本当に好きなんですな」
すると、マッシュはレインの手を取り自分の胸にそっと当てた。レインは彼の行動に目を見開く。
「これからはレインくんだけのものなので。お皿で想像しなくても、僕自身を触ってもいいですよ」
誘ってるわけではないとつい先程言ったくせに、顔を赤らめて話す彼にレインは戸惑っていた。これは一体どういう状況だろうか。いくら相手が仮にその気だとしても急に触るなんてダメだろうと思いながらも、意識とは裏腹に手が動いてしまう。自分の手のひらからこぼれるほどの胸のサイズ感にレインの興奮は止まらなかった。それでいて良質な筋肉とはこんなにも柔らかいものなのかと感動すらしている。服越しからではなく直にも確認してみたいが、ひとまず服の上からまさぐることを決めた。下から持ち上げるように触ったりなど、欲のままに少しの間彼の胸を触っていたのだろう。マッシュの口から漏れ出る甘い声でレインは我に返った。
「ん……あっ、」
「!?すまない」
「いえ…あ。血!鼻血、出てますよ」
マッシュの声に、レインは慌てて彼の胸から手を離し、ティッシュを取りに行くなり鼻にあてた。マッシュはまた笑う。
「大丈夫ですか?」
「……あぁ、問題ない」
「ふふ、鼻血でるほど興奮してくれてるんですか。もしかしてこの先を想像したりしました?」
「…すまない。思ったより柔らかくて夢中になってしまっただけだ」
「そうですか。触ってもいいとは言いましたけど、ここまでとは思ってなくて、ケビンとマイクも驚いてます」
ケビンにマイク。おそらく彼の筋肉の名前だろう。
「……あぁ、筋肉に名前付けてるって動画で言ってたな」
「ふ、本当によく見てくれているんですな」
レインは今更恥ずかしくなり俯いた。恋人の甘い声を聞いて、その先を想像するななど無理にも程がある。彼は、胸のことを言及されるなど性的に見られるのが嫌だったと言いながらも、オレとの関係は望んでくれているのだろうか。いつか、自身の手によって乱れていく彼の姿を見たいと邪なことを考え始めてしまうと出血量が明らかに増していく気がするのでこの辺で一度、思考に蓋をするしか無さそうだ。すると、マッシュはレインの頬に触れるだけのキスを送る。
「これからよろしくお願いしますね」
頬を赤らめて微笑む彼はあまりにも綺麗で見ていられないほどだ。このまま出血死してしまいそうだが前言撤回。いつかではなく今すぐに押し倒してやりたい衝動を抑えながらも今は止血が先決であるためレインはティッシュを持ち俯く。我ながらダサすぎて消えてしまいたいくらいだが、彼と交わるまでは少なくともまだ死にたくないなんて思う。
「レインくんの触り方いやらしいですな。その気になっちゃいます」
「!?」
「あ、冗談ですよ?忘れてください」
「……わるいが、忘れられそうもない。オレだってその気になるに決まってるだろ」
「え?」
下半身に集まっていく熱に限界を感じていく。今まではそうでは無いと思っていたはずなのに結局己も彼のことを相当性的に見ていたことを改めて思い知る。所詮、他の人間と何ら変わりは無いただの男である。でもオレは彼氏になったんだからまた別だなど、何故か意味もなく言い訳をしてみたりする。
しばらくしてレインの鼻血も止まる頃「レインくんとならいいよ」の彼の返答に、レインの胸の高まりはとどまるところを知らなかった。
「……それは、そのまま受け取ってもいいのか」
「う、うす」
そう話すマッシュの顔も赤く染っていた。その様子にレインは今すぐにでも衝動的に手を出したくもなったが、二人は男同士の交わり方を互いに詳しくは知らなかった。
「あ、でも、僕じいちゃんと暮らしてるからそろそろ今日は帰ります」
「……そうか」
「うす。ごめんね、レインくん」
こんなにも所謂据え膳状態なのにあまりにも残念だが、仕方がない。家の事情もあるだろうしレインはなくなく諦めることにした。しかしながら交際を始めた彼らにはまた次がある。今日は互いに後ろ髪を引かれながら二人は別れることにした。帰り際、洗濯したマッシュのシャツは綺麗に乾いておりレインは安堵した。
家まで送らせて欲しいと話したものの「大丈夫。じいちゃん驚くし、また連絡します」と帰るマッシュをレインは抱きしめた。マッシュも同じように抱き締め返した。
「レインくん、今日はありがとうございます」
「……あぁ、オレの方こそ未だに信じられないが」
「ふふ、僕も幸せです」
玄関のドアが閉まると、途端に寂しい気持ちになっていく。今までの出来事がまるで嘘みたいに思わなくもないが、マッシュが着ていた自身の部屋着からはほんのりとシュークリームの香りがして現実だと再確認する。さらには「レインくんとならいいよ」の彼の言葉が頭に反芻しては、心臓の高鳴りは止まらなかった。次は、手を出しても良いということなのだろうか。加えて端末に新しく追加された連絡先「マッシュ」の文字を何度も見ては、レインは口角を上げる。幸せでたまらなかった。
その後、春の祭りのキャンペーン終了と共にマッシュは筋トレシュークリームとしての活動を辞めて全ての動画を削除した。突然のことに、SNSでは騒がれていてトレンド入りしている。全てを知るレインは高みの見物といった気分で、自分だけの恋人になった彼にレインは期待に胸をふくらませていた。