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    かみすき

    いろいろ雑多に書きます 軽率に女体化もします
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    かみすき

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    綾人千
    『私を思って』〜『私のものになって』からほんのり続いている

    別名義で書いていたもの

    #綾人千
    ##綾人千

    馬鹿と言って 女性の独居には心配になる薄さの扉。金具が擦れる滑稽な響きとともに街灯を遮り、足元の影を闇に溶かした。
     たった一枚が男女を密室に押し込める。綾人が知らない暗闇と静寂の中、縋るように抱き締めた千織を壁に追い込んだ。

    「千織さん」

     震える自身の声を内心嘲笑うことでやっと平常心を保てる。布擦れの音にすら逐一心臓が跳ねて、それくらいの動揺、緊張。
     落ち着かせるためにと深く酸素を取り込めば、綾人の胸をいっぱいに満たしたのは他でもない千織の匂いだった。抱き締めた目の前から、そしてこの空間から。壁紙の小さな傷ひとつにまで千織の存在が染み付いているようだった。腕の中の存在でさえ目を凝らさなければ判別できないこの暗がりは、確かに千織が暮らす家なのだと思い知らされる。
     千織から溢れる柔らかく甘い匂いを閉じ込めた空間。ずっと線を引かれてたどり着けなかった千織の"内側"に当たる場所。そこについに踏み入れたという事実に幼い恋心が暴れ出す。うるさい鼓動が伝わってしまうことはわかっていたけれど、もう止まれない、止まりたくない。どうせ綾人の弱い部分はすべて知っている人だ。
     そんなことよりも、これを逃せばもう二度と手に入らないだろう温もりを少しでも離したくなくて、身じろぎする千織をきつく抱き締める。離れていた時間を取り戻すように。

    「ちょっと、ん、苦し、ぃ」
    「すみません、もう、我慢したくない」

     たった数十秒前まで許された機会をすぐ受け入れる素直さもなかった捻くれのくせに、最後まで千織に甘やかされなければできなかった臆病のくせに。こんなときばかりわがままな自分が嫌になる。
     けれど千織は怒らない。むしろ仕方ないとばかりに眉を下げるのだから、綾人はそういう幼い行動をやめられなかった。ほら、背中に回った小さな手はぐずる子どもを宥めるように優しく撫でてくれる。細い指先が柔らかく背骨を叩くたび、綾人の仮面がぽろぽろと剥がれ落ちていく。奉行でもない、兄でもない、何かの理想を繕うこともなくただの人でいられる安らぎ。肩の荷を下ろす解放感はたまらなく心地が良かった。

    「わかった、から……鍵だけ。離してくれる?」
    「あと少し、でいいんです……いかないでください」
    「潰れそ、なんだ、け、ど」

     胸元から聞こえてくるくぐもった愛しい声。綾人が腕をきつく締めるほど、壁に押し付けるほどに揺らぐ反応が、千織が今ここにいるのだと証明しているようで。綾人の夢でもない妄想でもない、本物の千織。恋い焦がれた本人。何だって手放せる気がしなかった。
     苦しそうに訴える千織を本当に潰してしまいたい。ずっとずっとこの腕の中に置いておきたい。千織が稲妻を発ってから大きく広がり続けていた心の穴は、そうでもしないと埋められる気がしなかった。
     綾人を甘やかしていた手が痺れを切らし、ぺちんと背中を叩く。痛くも痒くもない弱い力は千織の加減もあれど、華奢な体のせいかもしれなかった。綾人の背が千織より高くなったのはいつからだったろうか。見上げていた頃はまだ「綾人くん」と呼ばれていたような気がする。
     怒られて仕方なしに緩めた腕の中、小さな体はあやしていた背中越しに施錠を終えると、その手を綾人の頬に滑らせてため息をついた。

    「まったく。別に逃げたりなんかしないわよ」
    「……ええ。そう、ですよね」
    「なに、その顔。私が泣かせたみたいじゃない」
    「まだ泣いてませんよ」
    「ふうん。まだ、ね」

     表情を探るためか千織はぐっと背伸びをする。夕暮れを切り取ったような紅の瞳は、今は闇に沈んで黒黒と感情を見せないままに綾人を見上げた。近づいた呼吸に触れてしまいたいと浮かんだ欲は見透かすような視線にばれてしまいそうだ。そう怯んで後ずさった隙に、千織は綾人の腕をすり抜けて靴を脱ぎ捨てた。
     玄関は冷えるからと前置きした千織は、真っ暗な中でも迷わずに――自宅なのだから当然ではあるが――部屋の奥まで辿り着き、灯りを点して綾人を手招いた。
     煌々と照らす白さが目を刺す。眩んで閉じた瞼をゆっくりと持ち上げ、綾人はちらつく視界を覚束無い足取りで進んだ。
     淡い色のカーテン、花柄のカバーを被せた布団を雑に捲ったベッドに、毛足の長いラグに埋もれるローテーブル。決して広くない部屋はいかにも女性らしい。その生活感溢れる中央に佇む千織を見た綾人は、猛烈ないたたまれなさに襲われることになった。
     ついさっきまでみっともなく縋り付いていたはずの姿が、明るく照らし出されてしまうと途端に触れられなくなる。照れくささと言うより罪悪感の方が近かった。自分は何をしているのか、と。千織の優しさに甘えて、夜分に女性の部屋に押しかけて。純粋な恋心だけではない、大人になってしまった男の浅ましい感情を自覚しているからこその後ろめたさが綾人の足を止める。
     だから、ベッドに座れと千織に催促されて、頭を掻きむしりたくなった。毎晩千織が体を横たえる、そこ。おかしなことを考えない方が無理だろう。
     せっかくの自制をも崩されそうなその指示に、汚い欲を見抜かれ叱られている心地になった。

    「床に座るのは慣れていますから、どうかお気になさらず」
    「畳じゃないから硬いわよ。いいから早くそこに座って」
    「ですが」
    「はぁ……変なところばっかり頑固。家主の言うことくらい大人しく聞きなさい」

     軽く肩を押された程度であっさり腰掛けてしまったのは、好きな女性に対して強く出られないだけ。そうに違いない。心の何処かでこの後を浅ましく期待しているからだろうという冷静な自覚は見て見ぬふりをした。
     お茶、という話だっただろう。家に招かれただけ、文字通り一服して終わり。久しぶりとはいっても旧知の人、それをただ帰すのは不自然だから、それだけ。千織が綾人を誘ったのには深い意味はなくて、綾人のことを意識しているはずもなくて。きっとそうだから。

    「お茶でいい? 出せば紅茶もあるけど」

     座り直したベッドが軋む音が耳を劈く。そう、なんでもないのだ。恋人でもない男に権利があるはずもない。先ほどの抱擁が許されたのは千織の優しさ、同情、もしくは綾人のことをあの頃と同じ弱っちい"綾人くん"だと思っているだけ。
     お構いなく。だから綾人は至って平静にそう言った。次々と湧き上がる色欲を抑え込むように、慣れた笑みを貼り付ける。内心を悟らせないよう平然とした声色を作るのはお手の物だった。

    「それ。『お兄様』はやめなさいって言ってるの。誰も見てないんだからおかしな気を遣うのはやめて」

     だと言うのに、この人は、千織は、長年の賜物を呆気なく剥がそうとする。綾人は鼻先に突きつけられた指がくるりと宙をなぞる動きを目で追い、それからため息をついた。
     いつもそうだ。千織の前ではどう足掻いても格好がつかない。余裕のある男になりたいだけだというのに。想い人にみっともないところを見せたくないのは当たり前のことだろう。

    「"綾人くん"」
    「……え」
    「って呼んだら、いいのかしら」

     懐かしい、長く焦がれていた響きに、せっかく落ち着いたはずの心臓がとくんと跳ねる。嬉しさよりも先に訪れた動揺に、綾人は口から溢れた意味のない音を引っ込めることもできず、何と声をかけるべきかもわからず。シーツを握りしめながら、踵を返してケトルに水を注ぐ後ろ姿に情けなく呼びかけた。

    「ち、おりさん……」
    「"さん"」

     呆れたような、咎めるような声色。綾人の返事はひとつしかなかった。

    「……千織、ちゃん」

     もう遠い昔の、記憶の彼方に沈んでいた久しい呼びかけ。その声色は震えて驚くほどぎこちなかった。
     一瞬の沈黙を破ったコンロの点火。チチチとうるさいそれにかき消されてしまいそうな、小さくて、いつになく甘くて穏やかな頷きが、綾人の耳に届く。
     親しげな呼びかけが当たり前だった頃にはこんな余計な駆け引きなどない単純な恋だったはずが、時間が拗らせた複雑な感情がその意味を歪ませる。たかが呼び方ひとつ。それが千織と綾人を、ただの女と男にするのだった。
     心臓が破裂しそうに音を立てる。破裂を免れても、このまま一生分の鼓動を使い果たすのではないかと不安になるほどだ。

    「ずいぶん久しぶりに呼びました」
    「そうね、かっこつけちゃっていつの間にか呼び方が変わってるんだもの。驚いたわ」
    「それは……その、仕方なく」
    「知ってる。だから私もやめたのよ」

     神里家当主への将来が定められていた綾人は、幼いうちからそうあるように生きてきた。まだ何もわからない千織を置いて一歩先に成長するしかなかったのだ。

    「勝手よね、君から離れていったのに、私には"綾人くん"って呼んでほしいなんて」

     そうだ。先に呼び方を変えたのは、線を引いたのは、綾人の方だ。可愛らしい恋の気配を封じる選択をして、そのくせして忘れられないで、みっともなく引きずり続けている。
     
    「寂しいのは君だけだと思ってたの?」

     綾人は息を呑む。後ろ姿からは千織の感情を窺い知ることはできないが、その尖った声色に気づかないでいられるはずがなかった。

    「私だって」

     しゅうしゅうと湯が沸くように揺らぐ声。いつだって真っ直ぐ自信に満ちた千織にしては珍しく弱気を隠さない。小さな背中がさらに縮こまっていくのを見て、綾人はようやく、ようやく。この期に及んで自ら動き出せないでいた愚かさを改めて自覚しながら、震える膝に力を込めて立ち上がった。
     コンロに向かうその背中を抱き締める。謝罪は聞かないと突っぱねる千織を黙らせたくて、ひたすらにその名前を呼んだ。

    「私はずっと、ずっとお慕いして……好きなんです……貴方が」
    「……遅いのよ、馬鹿」
     
     切り捨てるような言い回しとは裏腹に、回した綾人の腕に小さな手が添えられる。その形がはっきり感じられるくらいに握りしめられて、震える背中を受け止めれば千織は雪崩れるように綾人に寄りかかった。
     俯いた千織が揺らす髪までも押さえつけるようにその体を包み込む。

    「好きよ……綾人くん」
    「うん……どうかもう一度、聞かせてください」
    「綾人くん」
    「そ、ちらでは、なく」
    「わがままね」
    「……お嫌いですか」
    「ううん……好きよ」

     振り返った千織の、真っ赤な愛の色を滲ませた瞳。見つめ合ったそばからどろりと溶けていくような色に、吸い込まれるように顔を寄せる。
     風の翼がなくとも空をも飛べそうな心地。これ以上無いほどに浮かれた気分のまま、静かに目を閉じた千織に覆い被さる。内緒話をするかのように頬を寄せ、ほんの少しだけ唇を掠める。柔らかくて温かくて、僅かな触れ合いの間に飴のような甘さを感じた。
     ぴぅ、間抜けにケトルが鳴く。それがけたたましく叫び出す前に火を止め、意識が逸れた千織を抱き寄せてもう一度口づけをした。

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