雨に濡れても ぽつり、と頭のてっぺんに雨粒を感じた。すると、当たり前のように傘が差し出された。
いつの間に用意していたのか、一緒に山荘を出る時には持っていなかった気がするのに。
傘を持つその手の向こうの顔を見上げれば、子舒が何を言いたいのかわかったのだろう。温客行は得意げに「出しなに今日は雨になると、成嶺が言ったのだ」と笑った。
それならば弟子の手柄だなと返してやると、ではあの子に土産の菓子をひとつ追加してやろうと更に笑みを深くする。
今頃は干した薬草を取り込んだり窓や戸を閉めて回ったり、慌ただしくしているだろう。家の中のことは料理以外任せられるようになってきた。
「……しかし、何故一柄しか持ってこなかった?」
「阿絮が大量に酒を買い込むのがわかっていたからな。荷物は少ない方がいい」
「俺のせいか?」
「否。……私の希望かな」
「希望?」
「そう。一柄しかないなら、こうして身を寄せ合っても不思議ではないだろう?」
昔、侍従のように傘を持って、彼の人について回ったことがある。他人の仕事を横取りするようで気が進まなかったけれどそうしろと言われれば従うしかなかった。
雨が降り始め、傘を差し出すとそなたも入れと抱き寄せられた。濡れてしまいますと身を引こうとすると、では傘はいらぬなどとわがままを言われ、結局同じ傘の下、出来るだけ身を縮こませるしかなかった。
彼の人はそうして子舒を孤立させていった。他の誰にも頼れない、彼の人だけがこの傘のように子舒を庇護できるのだと。
晋王の傘は大きくて、彼の人も子舒も濡れることはなかった。けれど、冷たかった。彼の人の手の熱が衣越しに伝わっても、凍えていた。
「阿絮?」
どうかした?と、覗き込んでくる瞳に本気の心配が浮かんでいる。
「大の男ふたりでは、狭いし濡れる」
「あっ、肩が濡れてしまった?もっとこちらへ」
「そうじゃない。相合い傘もいいが、雨宿りついでに酒で身体を温めるのはどうだ?」
くるりと視線だけで示せば、仕方ないなと溜め息交じりの応えが返ってきた。
多分、子舒が考えていたのは別のことだと温客行は気付いているのだ。
訊かれないことは答えないし、おそらく、この先聞いて欲しいと思うこともないだろう。
過ぎ去った過去は二度と巡ってはこないし、冷たい雨で凍えることはもうない。
ひとつ傘の下で、互いに肩を片方濡らしながら。酒家に着くまで、もう少し。