520いつだったろうか。
いや、そもそも現実ではないのかもしれない。遠い闇の中で聞こえた、囁く声。
秘密を打ち明けるような、まるで聞こえてしまうことを怖れるような。
それが、自分の中で広がっていくのがわかった。凪いでいた水面に落ちる一滴の雫が、身のうちで波紋となった。
震える。
満たされる。
ああ、きっと、自分は待っていたのだと知る。
返さなければ。
同じ言葉を。
同じ気持ちを。
暗い夜の後、朝が来たら。
何の話だと君は笑うだろうか。
だけど、あれは君だろう?
「……ああ、目が覚めた?おはよう、阿絮」
目の前の微笑みが懐かしい気がした。さては夢を見ていたのかと数度、瞬きをする。
「どうかした?」
キッチンから漂う珈琲の匂い。いつも通りの朝だ。
「老温、今更かもしれないが、言っておきたいことがあるんだ」
「え、あらたまって何?怖いんだけど」
そう言いながら、笑みを深める男の長い髪を一房掴んで引っ張った。
怖いのはこちらも同じだ。
勘違いだとは、言わないでくれ。
「我、愛……」
男の顔から余裕がなくなった。
見開かれた目には、代わりに涙が溢れていく。
「……你」
「阿絮、阿絮それは、」
「先に言ったのは、お前だろう?」
「……一体いつの話をしてるの。そんな昔のこと」
「やっぱり。聞き間違いでも、夢でもなかった」
他のことは何も覚えていないけれど、この言葉だけを抱いて新たな生を受けた。
「我愛你」
ただひとりと、もう一度出逢う為に。