花の香薬草を煎じている部屋は普段よりも甘い匂いが立ち込めていた。
生薬の類は買い出しに出たり或いは平安銀荘に注文しているのだが、そう言えば季節はもう春だ。
周子舒は四季山荘周辺に咲く春の花を使って香を作っているのだろう。
温客行が覗くと、軽く干しただけでまだ薄く色の残る花弁を薬研に振り入れているところだった。
「それは、どんな香になる?」
「老温」
「すごい、花だらけだな」
子舒の周りには薬草や干したものの他に、色とりどりの生花が散らばっている。それと配合だろうか、薬の名前が書き留められた紙も。
「酔生夢死のような強い香ではないが、心を落ち着けるものがいいと思ってな。少し甘過ぎるか?」
「いや、まだ水分が多いから強く香るだけだろう。それに花の香りなら阿絮に似合う」
「そんな柄ではないと思うが。まあ、お前ならもっと華やかな香りでも問題ないな」
そう言うと子舒は先程の花を大量に掴んだ。
「阿絮、どうしてそう突然大胆になる」
「これだけではないぞ。もう2、3別の花を足す。そうすると、焚いた時にゆっくり香りが変わっていくんだ」
「ふうん。楽しみだな。そうやってうっとりした顔をするところを見ると、それはいい香りなのだろう」
「お前も気に入ってくれるといいが」
言葉ではそんな風に言いながら確信を口角に載せた子舒に向かい合う形で、温客行は座った。磨り潰された花弁の香気を吸い込んで、床の上の紙を拾い上げる。それは新しく書かれたものではなく紙の縁が僅かに劣化していた。
「昔の書き付けを引っ張り出して来たのか?……これはどんな匂いがする?見たところこれも美しく華やかそうだ」
「それは……、もう作らない」
一瞬、周子舒がしまったという顔をした。微かに硬化した声と、伏せられた目。
薬研の音だけがしばらく続いた。
「阿絮。……阿絮?」
子舒が作りたくないものを作ってくれと言うつもりはない。たまたま目に入ったから言ってみただけだ。子舒の様子を見るに、きっとこれは。
「……老温。お前には……お前に似合う香を作る。俺の好きな花で」
周子舒の過去を、気にしないと言えば嘘になる。彼が多くを失った時、そこに自分がいられたらと思わずにはいられない。けれど周子舒も同じことを思うのだとこんな時に気付かされるのだ。
誰かの為の、その誰かが好きな花の香りではなく。
老温の為に選ぶ花は。
ああ。
今すぐこの人を抱き締めたい。
その想いはひとまず視線だけに留めて。
「楽しみだ」
温客行は囁くように言った。