ハッピーエンド・バースデイズ バースデイ・パーティーのほとぼりが冷めた夜九時前、依央利は主役の部屋に押し掛けた。色も形も大きさも多様なラッピング包装のプレゼントを抱えながら。
「な、何ですかこの量のプレゼントは」
扉を開けた理解は少し体を反らして声を上げた。そしてプレゼントなら既に貰ったことを告げたのだが、依央利は頑なに引かずズカズカ部屋に入っていった。全てのプレゼントを並べるのに五分程かかった。
「えっへへ、これぜーんぶ僕が用意したんですよ! ねぇほらほら、開けてみて!」
依央利があんまりにも急かすので、所狭しと並んだプレゼントに圧倒されつつも、理解は順番に封を開け始めた。最初に出てきたのは依央利の部屋にある犬のぬいぐるみ、その色違いだった。顔には理解が掛けている眼鏡に似た装飾が施されていた。
「可愛いですね。眼鏡もつけたんですか」
「そう、なんだ……理解くんのだし」
依央利の態度が急によそよそしくなったことに気付かず、理解はそっとぬいぐるみを椅子に置いて次のプレゼントを開けた。やけに小さい袋だったが、中身は犬用のリードだった。理解の思考回路は急停止した。
「……あの、これは?」
「ほ、ほら、僕と散歩に行きたくなったとき用に! 持ってて疲れないような特殊な加工をしてるんだ」
「は、はあ」
これはちょっとわからないなと、理解はリードをそっと床に置いて更にプレゼントを開け始めた。文房具のようなごく一般的なものもあれば、クリスマスに見た首輪とリモコンのセットのように、明らかに様子がおかしいものもあった。全て開け終えた頃にはとうに理解の就寝時間を過ぎていた。
「どう? 喜んでくれた?」
「え、えぇ、こんなにたくさん頂いてしまって。ありがとうございます、依央利さん」
「そう……ちなみにさ、どれが一番よかった? 他にほしいものはある? 今からでも準備するからさ!」
「えっ、いや、依央利さん?」
「あっそうだ! 忘れるとこだった……これ、二十四時間奴隷使い放題チケット! 有効期限はナシ! 理解くん専用だから譲渡はできないよー」
「は? や、こんなの、使えないですよ……」
「逆にさ、いらないものとかある? 嫌いなものとかあったりしない? ねぇ教えてよ!」
「依央利さんストップストップ! 一旦落ち着いて!」
グイグイ迫りくる依央利の肩を、理解は掴んで距離を離した。依央利は余裕のない表情で理解を見据えた。
「教えて、よ……僕、わかんなくて」
それまで活き活きとしていた依央利の表情に影が差した。寝不足で濃くなった目の隈が余計に痛々しく見えた。
「んっん、依央利さん。とりあえず座りましょうか」
そう言って理解はベッドに依央利を座らせ、自身は立ったまま顎に手を置いて考えた。彼はここで漸く依央利の様子が明らかに変だという確信を得た。思い返せば彼は二月に入ってからまともに寝ていないようだった。その原因が理解の部屋を半分占拠しているプレゼント群だと考えれば合点が行く。ただでさえ先ほどのパーティーでも、大豆から育てた手作り豆腐をはじめ大量の料理を仕込んでいたというのに、これらも用意したなんて。
青い顔で見上げる依央利を見下ろして、理解は溜息を吐いた。依央利からの気持ちもプレゼントも、どれも彼にとっては掛け替えのない嬉しいものだった。それを無碍にしてしまうような感情を本当は表したくない。だが、ここで当たり障りのない感謝を告げて終わることが正しいのだろうか。理解は目を閉じて逡巡した末、依央利の隣に腰をかけた。
「依央利さんからのプレゼント、全部嬉しいんですよ。嬉しいんですが、私が本当に求めているのは、そういうのではないんです」
「じ、じゃあ何……」
「依央利さんがご自身を労うこと、ですかね」
「…………」
あれよあれよと詰め込んでいる内に、依央利は薄々どこかで察していた。これで本当に理解が心から喜ぶのだろうかと。一方で、今の解答を聞いて、理解はどこまでも理解なのだと彼は胸を撫で下ろした。
「決してプレゼントが嬉しくないわけではないんです。そこは勘違いしないでいただきたい。ただ、犠牲を払ってまで用意してほしくはない。依央利さんにはもっとご自身のことを大切にしてほしいんです」
理解は依央利の前に膝立ちになって、真っ直ぐ黒い両目を見つめた。弱々しく震え、薄い膜を張ってきらきら輝いていた。
「で、でも、僕にはそれができない……!」
「どうしてですか。また空っぽだから、とか言うつもりですか」
「だってそうなんだもん……僕には何にもない。誰かのために生きてないと生きる意味なんてない。そんな僕の誕生日に、君は一生かけても返し切れないかもってほどの幸せをくれた。だから僕も、倍以上の幸せを、あげたくて、なのに、結局理解くんに悲しい顔させちゃって……僕って奴隷、失格だなぁ」
依央利が自嘲気味に目を細めると、ぼたぼた掌に雫を落とした。理解の前だと奴隷であることを否定されたような気持ちになっていた、それが彼にとっては脅威でしかなかった。涙を流せば流すほど、自身で目を背けていた気持ちの変化を彼は吐き出しそうになる。
「気付いたんだ、君がどれだけ僕のことを考えているか。僕が常に身を捧げずとも生きられるように考えているか。でもね、僕は君が思ってる以上に愚かでさ。これまでの自分の生き方なんか易々と変えられない。僕なんか君に見合わないよ。何にも返せないから」
時々しゃくり上げながら、依央利は胸の内を一通り明かした。彼の手を握る理解の手が熱過ぎて払いたくなった。ただ、これを離したら、もう二度と握られないような気がしてそのままにした。
一方の理解は、今日まで秘めていた想いを告げるべきかどうか、思いがけず迷うことになった。しかし碌に台詞もシチュエーションも、そしてそれを告げるだけの覚悟も決まっていないのにと思うと、なかなか口を開けないでいた。しかし依央利の目からぽた、ぽたと水滴が肌に落ちる度、その躊躇いは洗い流された。
「依央利さん。私からも一ついいですか」
理解は片膝を立てると、依央利の両手を一層強く握り締めて自分の方に寄せた。依央利は真っ赤な双眸から顔を逸らさなかった。
「確かに私は、あなたのことを考えに考えて行動に移してきました。大概失敗に終わりましたし、きっとあなたに嫌われただろうとも思いました。それでも、私は諦めるつもりはありません。これがあなたにとっても正しいことだと信じてますから。あとね、空っぽだとか何も返せないなんて嘘ですよ」
険しい理解の表情が、ここでふっと緩んだ。
「普段の家事だってそうですし、今日の誕生日だって、たくさん依央利さんから幸せをもらいました。あなたの誕生日のときも、あんなに笑顔で喜んでくれたじゃないですか。依央利さん、あなたには愛情が溢れそうなくらい詰まってて、いつだって返し切れないほど分け与えている」
急に柔らかな声色で褒め出すので、依央利は耳まで紅くして「もういいよ……てか一つじゃないじゃん」と呟いた。
「ご、ごめんなさい。伝えたいことが、あまりまとまらなくて……あぁ、ですから、依央利さん」
一度遠回りしたが、十月の空に吐露した想いを、今度は依央利に直接向けるときだ。理解はごくりと生唾を呑んで依央利の手を握った。
「依央利さんがご自分を大切にしてくれるように、他人のためばかりじゃなくてご自分のために生きていけるように、そして、幸せになれるように、私が一生をかけて導きます。ですから……」
待てよ、自分の誕生日だからといって、自分の気持ちをぶつけて相手を恣にするのはどうなのか。それにここまでグダグダに進行して、終わりだけ綺麗に済ませるのも違う気がする。変に完璧主義がチラついたせいで、理解は肝心の台詞に詰まってしまった。
「ま、待って理解くん、これじゃ、まるで……」
その次に来るであろう台詞を何となく察して、依央利の体温も鼓動も急上昇した。狭い部屋に早鐘が重なる。ここで止めるのが一番駄目だと、理解は汗ばんだ両手に力を込めて深呼吸した。
「ですから依央利さん! 私と生涯を共にしてください!」
理解が言い切った後で、依央利は一度顔を俯かせた。そして再び理解と目を合わせた。理解の告白は間違いなく依央利の自我に響いた。命令であろうとそうでなかろうと、この手を取りたいと思えた。
「ほ、本当に僕なんかでいいの……?」
「もう心に誓いましたから。あなたが掴むのなら、決して手離したりしません」
依央利の目からまた涙が溢れそうになった。そして理解の手を握り返してから、勢い良く背中に腕を回した。急に抱き着かれたせいで理解は床に倒れそうになった。何とか尻餅で済んだはいいものの、恋人は嗚咽で彼の寝間着をどんどん濡らしてしまう。
「もう、泣かないでください」
理解は苦笑しながら紺色の頭を撫でた。ふ、とあることを思い付いて、依央利の耳元に口を寄せた。
「依央利さん、最後のプレゼントに笑顔だけでも見せてください」
依央利はゆっくりと身を離すと、乱雑に顔を拭ってから満面の笑みを浮かべた。釣られて理解も、少し鼻を啜りながら笑ってみせた。