夏祭り(ふぉっくろ) 道の両側に並ぶ出店の眩い光が闇を照らす。近くの山車からは威勢の良いお囃子が聞こえ、声を張らなくては隣にいる相手の話し声すら聞こえない。
出店が並ぶ参道のあちこちは、ただでさえ人でごった返しているというのに、山車で道の中央が塞がれているため、それを避けようとする人々で路上はさらに混雑する。
カランと下駄を鳴らしながら土方が隣を見ると、人混みに疲れてきた自分とは対照的に、楽しそうに目を輝かせている銀色の狐がいた。狐と言っても、今は人型をとっているのだから、白い毛並みを彷彿とさせるのは自由に跳ねまわる髪くらいで、常であれば九本もある尻尾も今はなく、頭の上にちょこんと出ている狐耳もない。その代わりに、形の良い人の耳が左右にある。土方はその耳に唇を寄せて狐の名を呼んだ。すると、すぐに狐の腕が土方の腰に回される。
「な、なんだよ」
「あれ、違った? 疲れたから抱っこかと思った」
「いつの話をしてんだ! 俺は一人で歩ける!」
いつまで経っても自分の事をヒナ扱いしてくる白狐の化け物にむすっとした顔を向けてやると、ラムネでも買ってやるから休憩しようと微笑まれた。
土方はラムネではなくビールがいいと主張したのだが、酔っ払うと翼が出てしまうかもしれないじゃないかと狐は渋い顔する。それを言うなら、酔っ払ってすぐに尻尾を出すのはお前だろうと土方も負けずに言い返す。だが、「狐はいいの」なんて適当な返事をされた。烏天狗が翼を出してはいけなくて、九尾狐は尻尾を出してもいいなんて誰が決めたんだ。そう言い返したかったが、そんな事を言えば「俺は、記憶を消せるからね」なんてサラッと怖い事を言うに違いない。
土方がまだむすっとしていると、銀時が近くの店で本当にラムネを買ってくれた。わざわざ氷の隣に置いてあった、よく冷えたものが欲しいと店主に注文をつけていた。
冷えた瓶に口をつければ、シュワっとする液体が口内に流れ込んでくる。夏の味だ。
祭りで買ってもらって飲むラムネは、いつもよりも、おいしく感じる。
瓶の中のビー玉をカランと鳴らしながら土方が夢中で飲んでいると、隣から視線を感じた。狐の方はビールを手に入れたらしく、嬉しそうに土方を見つめながらカップに口をつけている。
「なんでおまえだけビールなんだよ。俺もそっちがいいって言ったのに」
「十四郎は、帰ってからにしな。飛べなくなったら銀さんがおんぶして帰んないといけないだろ」
「ビールでそんなに酔うわけねえだろ!」
土方が騒いでいると、ふっと視界が遮られ、苦い唇に口を塞がれた。
「はい、味見ね。それで我慢しな」
「てめぇ、こんなところで」
口を押さえている烏を愉快そうに眺めながら、狐は喉を鳴らしてビールを飲み干した。
参道を中程まで進むと、さらに人が多くなってくる。常に誰かと接触しそうになる程だ。はぐれないように、ついつい昔のように銀時の浴衣の袖を掴んでしまったが、すぐに手を握られた。
「迷子にならないようにしないとな。十四郎は、迷子になる天才だから」
歌うようにそんな事を言う狐に、もう土方は言い返さない。酒の入った狐は上機嫌だし、こうなった銀時は面倒臭い。しかも、この狐は遥か昔に、実際に迷子になって泣いていた小さな烏を拾ってくれたのだ。
この狐が何を考えているのか、何百年一緒にいても、いまいち掴めないが、それはそれでいいのかもしれないと土方は思う。たまに狐の赤い瞳の奥に暗いものが見える気がするが、まだそれを覗く気になれない。ただ、共にいる事で何か救われるものがあると信じている。
「出店って、あれもこれも欲しくなるよな。あ、飴細工屋がいるじゃねえか。作ってもらおうぜ」
九尾狐が嬉しそうに土方の手を引いた。
「作るなら、猫と狸にしたらどうだ。お前と万事屋をやってる二人も帰りを待ってんだろ。最近の飴屋は干支以外も作ってくれるらしいじゃねえか。昔ここらにいた爺さんは、何回頼んでも頑なに干支だけにしとくれなんて言ってたが」
「ああ、あの爺さんね。お前が狐がいいって泣いて騒ぐから仕方なく作ってくれたのに、出来上がってみたら今度は尻尾の数が足りねえって泣かれて困ってたっけ」
余計な事まで思い出した狐を土方が睨むと、ニヤニヤ笑いながら「わりぃ、わりぃ楽しくてな」とまるで心がこもっていない詫びを口にした。
作ってもらった飴を土方に握らせ、狐の方は今度は冷酒が入ったカップを口にしている。しかも、これで三杯目だ。多くの化け狐は酒が好きなのかもしれないが、この銀色の九尾狐は酒が好きなだけで強くはない。
さっき散々揶揄われた仕返しに、土方は銀時の耳もとに唇を寄せて囁いた。
「銀時、尻尾」
慌てて銀時が自分の尻を手で押さえた姿が愉快で土方が吹き出すと、赤い瞳で睨まれた。
「なんだよ、尻尾なんて出てねえじゃん」
「出る前にやめとけっての。飲み過ぎだ。ここの神さんに挨拶に来たんだから、酔っ払って尻尾を出さねぇうちに本殿まで辿り着かねえと」
「え〜もう俺、面倒になってきちゃった。綿飴買って、帰ろうぜ」
「ったく、毎年懲りずに同じことを言いやがって。ダメに決まってんだろ。それに、俺はあの境内の中にあるイカ焼きが食いたい」
「あぁ、あのマヨネーズかけ放題の店? イカなんて、家で焼いて好きなだけマヨでもなんでもかけたらいいだろうが」
酔っ払って歩くのが面倒になっている狐の手を握って、土方は引っ張るように参道を進む。
こういう放って置けない部分があるから、いつまでも近くに居続けてしまった結果、最近になって、いまさら恋仲になんてなってしまった。育てられて反発して、家を飛び出したくせに出戻って、挙げ句の果てにこの関係だ。もう、この世の終わりまで離れられないような気が土方にはしている。こういうのも、運命と言うのかもしれない。美しい赤い糸と言うよりは、燻んだ赤黒い糸に思えるが。
「銀時、お前はここの神とは幼馴染みたいなもんなんだろ。毎年来ては何か報告してんのか?」
九尾狐がわざわざ神社に願い事に来ているとは思えない。とくに、ここに祀られているのは幼馴染の水神だ。それなら、何か報告に来ているのかもしれない。今まで気にした事はなかったが、なぜか今年に限って気になった。それと言うのも、恋仲になってから初めての祭りで、そのうえ狐が昔の話ばかりするからだ。
「あぁ、いつもは、生存報告だったんだよ。まだおっ死んでねえぞってよ。でも、今年は」
そこで狐が言葉を切ったものだから、土方はどうしたのかと訝しんで銀時の方に視線を向けた。隣に立つ狐は、人間に化けている時には見せない悪い笑みを浮かべていた。
——あ、これ。こいつが悪巧みする時に見せる顔だ。
土方の嫌な予感は、鳥居を潜ってすぐに的中した。
突然狐に腰を引き寄せられた土方がよろけて抱きつくと、星が見えているというのに、突然境内の中だけ局所的な豪雨となった。おまけに、どこから飛んできたのか、それなりに大きな枝が銀時の頭に直撃し、ゴッという鈍い音を立てた。
「お、おい。大丈夫か」
「イッタ! あいつ……いいじゃねえか。ちょっとくらい見せびらかしたって」
狐は濡れた髪をかき上げて後ろに流しながら憎々しげにぶつぶつ言っているが、土方はその姿から目が離せなくなってしまった。
濡れて、普段よりも真っ直ぐになった髪を後ろに撫で付けている姿は滅多に見れないのだ。銀時にそれを言ったことはないが、土方はこの姿をこっそり気に入っている。普段着ない浴衣姿というのもあり、なんだか頬が熱くなる。
じっと見つめ続けていると、銀時が振り向いた。
「何、ずいぶん熱烈な視線を向けてくれるじゃねえの。水も滴る良い狐だろ」
「そんな事思ってねぇ。ただの濡れ狐じゃねぇか」
飴を握ったままボソボソと土方が言うと、狐が「おまえも濡れてんじゃねえか」と鼻を鳴らす。
「これ以上周りに迷惑をかける前に、お前が食いてえもんを買ったら帰るか。飴は無事か?」
「ああ、濡れてねえよ。でも、本殿までは行かないのか?」
「行った方がいいと思うか? さっきから、さっさと帰れという意志表示を感じるんだが」
それは、確かにそうである。これ以上ここにいると木でも倒れて来そうだと、土方は周囲を見渡した。先ほどの局地的な雨はすっかり上がっている。
隣を見れば、銀色の狐の乾き始めた髪が跳ね回り始めていた。
土方が口に煙草を咥えると「おい、まだ火ぃつけんなよ、人が多くて危ねえから」と九尾狐が渋い顔をする。
「わかってるよ」
「どいつも、こいつも煙草飲みでいけねぇ」
そんな事を言いながら、狐は綿飴屋とりんご飴屋に交互に視線を向けている。
「てめぇは、その甘党をどうにかしたほうがいいな。まぁ、でも祭りなんだし。両方買って帰ればいいんじゃねぇか?」
土方が呆れながら言ってやると、古狐が子供のように顔を輝かせた。この狐にかかれば、たとえ二つ買ったとしても数分で無くなってしまうに違いない。
「じゃあ、両手が塞がる前に。いっぱい手を繋いでおこう」
急に手を握られた土方が「子供扱いするな」と文句を言うと、狐が楽しそうに笑った。
「子供扱いじゃなくて、恋人扱いね。今年からは」
にぃっと笑った狐の後頭部に、再びどこからともなく飛んできた枝が直撃したのは言うまでもない。