夏祭り6(銀ポニ) ——やけにふわふわだな。
それが最初に、目の前にいるこの男を見た時の印象だった。
そんなわけで、俺も多少は驚いたが、俺を見た男の方が俺よりも驚いていた。
「ひ、ひじかた! おい! これ、どういうこと! どういうことだよ!」
男のあまりの剣幕に俺が呆気に取られていると、奥から出てきたメガネをかけた野郎に首根っこを掴まれて引きずられて行った。
「はいはい、銀さん。とりあえず話を聞きましょうね。沖田さん、と……土方さん、でいいのかな。いらっしゃいませ。今日はお客様ってことでいいんですよね」
銀髪の野郎はまだ「なに、呪い?! それとも、タイムスリップ? 土方に何をしたんだよ!」と喚き散らしている。
俺の仲間だと紹介された真選組の奴等よりも、よほど慌て方が凄まじい。俺の名を呼んだということは、おそらく知り合いなんだろう。しかも、これだけ心配しているということは、友人、なのかもしれねぇ。俺に友人なんて呼べるもんができているとは思えなかったが、あんだけ大勢の仲間がいると言われた後だ。仲間以外にも、何かしら交流がある連中もいるんだろ。そこのメガネも、俺の事を知ってるみてぇだしな。
銀髪の男は俺に何度か手を伸ばしかけて、横にいるメガネに「銀さん、ほら、何はともあれ話を聞かないと」なんて嗜められている。
「だって、ぱっつぁん、土方くんがポニーテールだよ! ポニーテール! ポニーテールと天誅だよ! や、違うか」
「すみません、沖田さん。銀さんが混乱してるんで、もう話を進めちゃってください。僕が聞くんで」
ついにメガネが諦めて、俺の隣に座っている沖田総悟と名乗っている野郎に話を振った。
「ここまで旦那が動揺するたぁ予想外でしたが、俺らも忙しいんでね。用件だけ言わせてもらいやすよ。えーっと、この土方さんを暫く預かってくだせぇ」
正面に座っているメガネと銀髪が、二人揃って額に手を当てて天を仰いだ。すげぇな。同じ動きだったぞ。こいつら仲がいいのか。あ、それもそうか、この様子だと、一緒に暮らしてるか、働いてるかしてんだろうからな。仲はいいんだろうな。
俺が正面を向いたまま黙っていると、銀髪の方が額から手をどけてこっちを見た。
「手短に聞こうか。これって、俺の知ってる土方くんなのかな。過去から来たとか、どっか知らない時空から来たとかじゃなくて」
「旦那の知ってる土方さんです。間違いありやせん。俺の目の前で変わったんで」
「ふ〜〜〜、あっそ。なんとなくわかってきたぞ。総一朗くんがまた何かやらかしたんだ、そうだろ!」
「総悟です、旦那。このやり取りも飽きてきたんで、そろそろ名前を覚えてくだせぇ。それから、今回は俺だけのせいじゃねぇですよ。土方さんが階段を踏み外して、薬品の樽に落ちただけなんで」
二人の会話を聞いていて、やっとなんで自分があの樽の中にいたのか理解した。そうか、俺はどこかの階段から落ちたのか。
「それで、なんで土方くんは落ちたのかな?」
「あぁ、俺のバズーカを避けようとし——」
「やっぱり、おまえが原因じゃねぇかぁぁぁぁ!」
バンと机を両手で叩いて立ち上がった男の剣幕に驚いて、少し仰け反ってしまった。この銀髪、すげぇ怒ってんな。
「落ち着いてくだせぇ旦那。話、進めさせてもらいやすよ」
ウガー、だか、ウァー、だか、なんだかよくわからない雄叫びをあげて頭を掻きむしる銀髪の着物の裾を引いて、メガネがどうにか座らせようとしたが、すぐに諦めた。
「もう……仕方ないな。話、進めてください。銀さんは気にしないで。あ、土方さん、僕らが話をしている間に、お茶、よければどうぞ」
人懐っこい笑顔をメガネに向けられて、さっき銀髪の野郎が机を叩いた所為で少し溢れた茶に目をやった。
あ、茶柱。
温かい茶を啜りながら話を聞く事にする。俺も、なんで自分がここに連れて来られたのか教えられてなかったからな。
話を聞いていると、どうやらあの真選組の連中は今夜から明日にかけて忙しいらしく、俺にかまっている暇がないらしい。その間、俺を預かってほしいということだ。留守番くらいできると言いたいが、あそこは幕府の組織らしいからな。俺を一人で置いておくわけにはいかねぇんだろ。
「それで、土方くんに記憶はあんの?」
銀髪の野郎がやっと復活して口を挟んできた。
「それが、ねぇんですよ。だからここに来てるんじゃねえですか。記憶があんなら仕事してもらいやすよ。まぁ、自分の名前と故郷は言えるんで、どうも俺や近藤さんに出会う直前辺りまで若返ってるみたいでしてね。見た目と記憶が比例してるんですよ。いやぁ、よくできた薬で。俺らもしょっぴく甲斐がありましたよ。土方さんがその場で人体実験をしてくれたおかげでサァ」
「ない……記憶がないのか。じゃあ、俺の事も覚えてねぇの?」
「かわいい弟分である俺の事も覚えてないんですよ。旦那のことなんて、覚えてるわけねぇですよ。ね、土方さん」
突然話を振られて、俺は慌てて首を縦に振った。
だが、そんな俺を見て、銀髪が泣きそうな顔をする。
なんだよ、なんでそんなに悲しそうな顔をすんだよ。
「最悪だ…………これ、元に戻るんだろうな!」
「それは心配いりやせん。俺が直々に聞き出してるんで。とっ捕まえた奴らは、シャキシャキ喋ってますぜ」
「そうかよ。初めて総一朗くんがドsで良かったと思ったよ。とにかく、土方を元に戻す方法を探してくれ」
騒ぎ疲れたのか、銀髪が力なく言って項垂れた。
「依頼は受けてくれるんですね。そんじゃ、これ。前金です。信じられねぇ事に煙草もマヨネーズもいらねぇって言ってますが、欲しがったら買い与えてくだせぇ。食事は一日三回——」
「わぁってるよ! 犬を預かるんじゃねぇんだから! 預かんのは、明後日の朝までって感じか。どうせ、おまえらが忙しいのは大江戸花火大会の警備だろ。あれは毎年、見物人の数がやべえからな」
「へぃ。その通りで。あれが終わったら誰かが迎えにきますんで。そんじゃ、よろしくお願いしますよ、旦那」
沖田とやらはそれだけ言うと振り返りもしないで出て行ってしまった。その後ろ姿を俺が見送っていると、メガネが意外な事を銀髪に言うのが聞こえた。
「なんだか沖田さん元気がなかったですね」
「そうかぁ? いつもあんなもんだろ」
「僕には寂しそうに見えましたけどね。やっぱり土方さんの記憶から自分が消えてしまっているのがショックなんでしょうか」
「総一朗くんの事は知らねぇけど、俺の方はショックだよ!」
銀髪がまた騒ぎだしたから、意を決して訊いてみることにした。
「なぁ、俺は、お前らの何なんだ?」
その問いに、銀髪とメガネが顔を見合わせた。小声で「どうするんですか、言うんですか」「え、いや、それはちょっと」「じゃあ、なんて言うんです。銀さんに任せますよ」なんて囁きあっている。
「なぁ、聞いちゃまずい質問だったなら、無理に答えなくてもいいぞ」
「い、いや、大丈夫! 浅からぬ縁があるんだよ。何度か一緒に死線もくぐり抜けたし……。な、新八」
「えーっと、そうですね」
このメガネは新八って言うのか。なんだか誤魔化された気はするが、さっきの銀髪の態度といい、本当に繋がりはあるんだろう。
とんとん拍子で知らない場所に預けられてしまったが、この後何かする事はあるんだろうかと長椅子に座ったまま辺りを見回していると、万事屋(そう呼ぶように言われた)から「俺らは仕事が入ってんだけど。土方くんも来る?」なんて声をかけられた。
「仕事って、おまえらの仕事は何なんだ」
「俺達は、何でも屋。金さえもらえやりゃ何でもするんだ」
なるほど、それで俺も預かったのか。
「その何でも屋は、今日は何をするんだ」
「今日はねぇ、落とし物探し。しかも、川の中で」
◇
川の中で落とし物探しと言っていた二人について来たが、二人とも躊躇せずに川の中にザブザブ入って行って何やら探し始めた。川の中には先に来ていたと見える少女とでっかい犬もいる。
「銀ちゃーん、それ、誰アルか?」
川の中ほどから少女が手を振ってきた。
「土方だよ。すげぇ若返ってるけど、正真正銘、土方くんなんだって。俺らの事は覚えてねぇらしい」
万事屋の「覚えてないらしい」という言葉を聞いた少女の顔が曇った。どうやら、こいつも俺のことをよく知っているようだ。
「どういうことアルか! 銀ちゃんの事、忘れちゃったアルか!」
「俺の事どころか、真選組の連中の事も記憶にねぇらしい。だから……」
その後の言葉を万事屋は飲み込んだようだった。だから、気を遣ってやってくれとでも言いたかったのかもしれない。
少女の方もそれだけで理解したらしく「わかったアル」と短く言ってまた川の中に手を突っ込んで石をどけ始めた。
川と言っても、この辺りの水深は浅いらしく、少女の膝下あたりまでしか水がない。
俺は河岸に座って三人が動き回るのを見ていたんだが、まだまだ夏の日差しは凶暴だ。チリチリと肌を焼いてくる。こんなところに座っているのなら、俺も川に入った方が涼しいんじゃねえかと思って、草履を履いたまま川に足を突っ込んだ。ひんやりした水が心地いい。
「万事屋ぁ、俺も探してやる。何を探してんだ?」
遠くから呼びかけると、驚いた顔をして万事屋が近寄ってきた。
「いいの? 濡れちまうよ」
「こんなに暑いんだ。少し濡れた方が涼しくなる」
「そう言うなら……探してんのは、携帯電話。あ、おまえ、携帯って意味わかるか?」
携帯電話……。しばし考えて、ああ、あれかと思い至った。ここに預けられる時に、刀と一緒に持たされたやつだ。
「二つに折れてるカラクリの事だろ?」
「そうそう。それ。この近くに落としたから探して欲しいって依頼でな。流されちまったかもしんねえけど、ここ何日も雨なんて降ってねえから水も少ねえし。見つかるかもしれねえ」
わかったと頷いた俺に、万事屋は「溺れんなよ」なんて笑いながら捜索に戻って行った。
真夏の炎天下、いくら足が水の中に入っているとはいえ暑さで体力が奪われていく。こんな街中を流れる川にも魚はいるんだろうかと眺めていると、石に何かが引っかかっているのが見えた。目を凝らしてみると、俺が持たされたカラクリに形がよく似ている。
流されては大変だと、急いでそちらに手を伸ばしたのがいけなかった。不安定な石の上に乗っていた足が滑って、体が傾く。
派手な水音をさせて顔から水に倒れたが、目的のカラクリは倒れる時に手に握った。
起き上がりつつ「見つけた!」と叫んだところで、ぐいっと体が水から引き上げられて驚いた。
「大丈夫か!」
万事屋だった。
さっきまで少し向こうの方にいたというのに、走って来てくれたらしい。しかも、なぜか俺の事を抱き上げている。
「え、ああ。大丈夫だ……けど」
「よかった。ったく、あんまりびっくりさせんな」
「わりぃ。な、なぁ。もう大丈夫だぞ」
まだ俺のことを抱き上げたままの万事屋の腕をペチペチ叩いて降ろしてくれと言ってみたが「岸まで運ぶ」と言って、そのまま川の中を歩かれた。
他人に抱き上げられたのなんて子供の頃以来で、なんだか胸がドキドキした。
こいつ、俺の事を軽々と抱き上げて、しかも水の中だってのに平気な顔をして運んでる。
俺を抱き上げている万事屋の腕に触ってみて驚いた。
——こいつの筋肉、すげえ。
「なぁ、あんた。もしかして強えの?」
抱かれたまま訊いてみたんだが、素っ気なく「どうだろうな」とだけ返事をされた。
うん。強いに違いない。
弱いやつに限って威張ってくるんだ。だけど、強いやつはそんな事は言わない。あの瞬発力とこの筋肉で、弱いなんてことはないはずだ。
やっと草の上に下ろされて、濡れてしまった着物を脱いで絞ろうとすると、万事屋が最初の時のような奇声を発した。
「あぁぁぁぁぁ! おまえ! こんなところで脱ぐな!」
「べつにいいだろ。男なんだし。下着はつけてる」
「そうだけど! ダメ! それなら、これ着てろ。少し濡れたが、おまえのよりはましだ!」
そう言うと、万事屋は自分が着ている着物を脱いで俺に手渡してきた。確かに、万事屋は下に洋服を着ているから着物は脱いでも問題ねえのかもしれねえけど。なんでそんなに慌ててんだ。
万事屋の白い着物は俺には少し丈が長かったが、どうにか帯を締めたところでメガネと少女、それに、あのでっかい犬も水から上がってきた。
「銀さん……土方さんになんて格好をさせてるんですか」
「そうアル。独占欲丸出しヨ……」
そんな事を言う二人に、万事屋が慌てて「しょうがねえだろ」とか「そんなんじゃねえ」なんて言い返している。
「似合わねえか?」
俺が恐る恐る訊いてみると、三人揃っていい笑顔で「似合ってる」と言ってくれた。
おかしな連中だ。
探し出した携帯を依頼主に届けてから、メガネの家で少女と犬とも別れた。どうやら二人は、メガネの姉貴と一緒に花火大会に行くらしい。
「万事屋、おまえは一緒に行かねえのか」
「うん。俺はいいの。土方と行くから」
「俺と?」
「そう。穴場を知ってんだよ。あいつらと一緒に行ったら、人が多いわ、暑いわで大変だぞ。俺らは、ちょっと離れたところから見ようぜ」
俺の所為で万事屋は花火を諦めたのではないかと考えていたところだったから、この返事に少しだけ安堵した。
「よかった。おまえに迷惑かけたかと思った」
ぽつりと俺が言うと、万事屋がふっと笑って俺の前髪を大きな手でかき混ぜた。
「そんな事ねえよ。そもそも、俺はおまえと見る予定だったの」
「俺と……やっぱおまえ、俺の友達かなんかなのか」
「ん〜、友達、ではねえかな」
かなりの確信を持って友達と言ったのに、あっさり否定された。そして、その事がひどく悲しいと思っている自分に驚いた。
もしかして、俺はこの何でも屋に、一緒に花火を見に行って欲しいと頼んだんだろうか。いや、待て。そんな事あるわけがない。だって、元のままの俺だったら、仕事中だったはずだ。それなら、一緒になんて見れなかったはず。
気を遣ってくれたのか。
さっきの、一緒に見る予定だったという言葉は万事屋の優しい嘘だったんじゃないかと思うと、ますます寂しくなった。
さっき会ったばかりだというのに、なんだかやけにこいつの事が気になる。
◇
暗くなる前に出かけるぞと言われ、借りた着物のまま出かけようとすると、万事屋に「それで行くのか」と苦笑された。
「ダメか? 俺の着物、まだ湿ってるし」
帰宅後すぐに干してくれたから、もう着ても問題ないくらいには乾いているんだが、どうしてか、万事屋に借りている着物のままがよかった。
「ダメじゃねえよ。それ、気に入ったの?」
「まぁ……白い着物なんて着たことなかったから珍しくて。それに、これ着心地がいいし、いい匂いがする」
そうなのだ。なんだか、やけにいい匂いがする。
脱げと言われてしまうだろうかと万事屋を見上げると、万事屋が目頭を押さえて天を仰いだ。
「ど、どうした……やっぱ脱ぐか?」
「いい、いい。ぜひ着て行ってくれ。俺の着物を着せて一緒に花火なんて。ご褒美だから」
万事屋が何を言っているのかいまいちわからなかったが、嫌がられてはいないようでほっとした。
万事屋に連れられて来たのは、橋の上だった。花火の会場からは少し離れているらしく、そろそろ暗くなり始めているのに人はそれほど多くない。しかも俺たちはそのわずかな人の流れに逆流するように進んできたから、周囲はずいぶん静かになってきた。
「なぁ、ここから見えるのか?」
少し心配になって俺が訊くと、万事屋が橋の反対側にある小道を指差した。
「え、なんだ。あれが何」
「あそこに細い階段があんだろ、あれな、あんまり知られてねえけど、丘に続いてんだよ。その上にちっさい稲荷があんの。そこから花火が見えるんだ」
神社へ続く階段は思ったより急で、錆びついている手すりを握って昇っていると、足が滑って驚いた。
「うわっ」と声を出して手すりを掴み直したが、そんな俺の手首を万事屋も掴んだ。
「今日のおめえは危なっかしいな。その体に馴れねえのか?」
「あ、ああ。すまねぇ、そんなはずはねえんだけど」
だって、俺としてはあまり変わっていない。そこら辺にいる奴らに喧嘩をふっかけて、流れ暮らしていたんだ。こんな風に誰かに心配されることの方がよほど馴れない。
それに、こいつのこの視線。
すごく、胸がざわつく……。
空はすっかり暗くなり、見えなくなっている足元に俺が視線を向けると、万事屋に手を握られた。
それだけなのに、ひどく心臓がドキドキする。昼はこいつに抱き上げられて、今度は手を握られた。俺が、こいつよりも若いから、ガキ扱いなんだろうか。
「万事屋?」
手を引かれて階段を登りならが声をかけてみると万事屋が立ち止まって振り返ってくれた。
「どうした。疲れたか?」
「ち、違うけど。あとどれくらい?」
「なんだよ。暗くて怖えのか? もう着くよ」
優しく笑われてしまってドキっとした。さっきの笑顔は、俺がもらってもいいような笑顔だったんだろうか。
階段を登り切ると、そこには小さな社があった。その社の脇から下を見下ろすと街の灯りがよく見える。
不思議だ。江戸ってのは、あと何年かすると、こんなに明るくなるもんなのか。
社に挨拶をして、万事屋と一緒に階段に腰を下ろした。暗くなったこんな時間に、寂れた社に来る者はいないらしく、辺りは静かだ。
「もう少ししたら花火が上がるぞ。おまえ、花火は見たことあるか?」
「いや、さっきおまえのところの二人にも訊かれたんだがな、空に大きいのが上がるんだろ? そんなのは見たことはねえな」
「そうか。それなら驚くぞ。空一面に広がるからな」
間近にいる万事屋に微笑まれて、また心臓が跳ねた。なんだか今日はおかしい。こいつと一緒にいると、妙にソワソワする。
万事屋が持って来ていた袋から自分用に缶ビールを出し、俺にもジュースだと言って缶を渡して来た。
「俺も、姿が変わってるだけで本当は酒が飲めんだろ?」
「そうだけど、今はダメ。そんな可愛い姿のおめえに酒は飲ませらんねえよ」
そんなことを言って万事屋は俺の長い髪を撫でた。
「か、かわいいって。お、俺は男だし」
「知ってるよ。でも、かわいいもんは可愛い。髪も綺麗だしな」
「悪かったな。まだ前髪があるようなガキで」
「ん? ああ、そういうんじゃねえよ。そんな風習はもうねえんだ。見ただろ、街の連中を」
確かに驚いた。江戸だからだろうかと思ったが、きっとそれだけじゃない。ここは俺が知っているよりも十年以上未来なんだ。世の中が、大きく変わっている。
そう思うと、なんだか不思議な気分だったが、心細くはなかった。むしろ、未来にこんな連中がいるのかと思うと楽しみになってくる。
とくに、こいつ。
隣で美味そうにビールを飲んでいるこの男。何者なんだ。
「なぁ、やっぱり」
おまえは俺の何なんだと口にしようとしたところで、どこかからヒュルヒュルと音がして、夜空が昼のように明るくなった。直後に腹に響くようなドンという轟音が轟く。
驚いて、思わず隣にいる万事屋の甚平の裾を握ってしまった。俺に着物を奪われた万事屋は甚平に着替えていたから、昼よりもずっと涼しそうだ。
その万事屋の裾を握ったまま、口を開けて夜空を見上げる。
信じられない。
なんだ、この光景は。まるで夜空に大輪の花が咲いているみたいだ。おまけに、体を震わせるこの大きな音。
「すげぇ……」
「気に入ったか?」
俺が「ああ」と返事をすると、万事屋が俺の腰に腕を回して引き寄せた。俺がまだ甚平の裾を握っていたから、怖がっていると思われたのかもしれない。
「あ、だ、大丈夫だぞ。怖いわけじゃ……」
そう言いかけて、万事屋の顔を間近て見てしまった。
こいつは、俺の友達ではないと言った。それが、なんだがひどく悲しかった。でも、それなら、こいつは俺のなんなんだ。
ただの知り合いなのか。それにしては……。
「なぁ、おまえ、本当は俺の何なんだ」
囁くように問い掛けた俺の言葉に、万事屋が返事をしてくれたが、花火の音にかき消されて聞こえなかった。
「何て、言ったんだ。聞こえ——」
そこまで言ったところで、酒の味がする唇に口を塞がれた。その唇はすぐに離れていってしまったけど、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
口を、吸われたのか。
そう理解すると、顔が一気に熱くなった。
こんなことをされて、他の奴だったら殴っていたかもしれないが、不思議なことにこいつにされると嬉しいとしか感じなかった。
「あ〜、我慢しようと思ってたのに。やっぱダメだった。いいよな、土方に変わりはねえんだし」
「え、どういう……おまえ、俺の何なんだ」
「恋人。おめえの恋人だよ。嫌だったか?」
恋人だと言われて驚いたことは驚いたが、それよりも安堵の方が大きかった。
よかった。俺、こいつの特別だったのか。
その気持ちの方がよほど大きい。
膝の間に顔を埋めて俺が背中を丸めると、万事屋が俺の髪を手で梳きながら「ごめん、やっぱ嫌だよな」なんて言ってきた。
「ち、違う! よかった! すっごく、よかった!」
慌てて顔を上げると、また夜空に大輪の花が咲いた。辺りが昼のように明るくなる。そして、またドンドンという轟音が響く。
まさか、二度も恋をするなんて思わなかった。きっと、未来の俺もこいつに惚れたんだ。そして、今日一日だけで、また同じ男を好きになった。
少し勇気を出して、万事屋の肩に頭を乗せて夜空を見上げた。夜空は大輪の花だ。そんな俺の髪を、万事屋が指で梳いてくれる。
「やっぱ髪を切っちまったのは、もったいなかったな」
「未来の俺の髪は短えのか。なぁ、おまえは短いのは嫌いなのか?」
「そんな事ねえよ。短い髪も好き。でも、長いのもいいなって思ってよ。まぁ、おめえなら、何でもいいんだけど」
そんな事を平然と言ってのける万事屋に、かなり驚いた。これが大人の余裕というやつなんだろうか。未来の俺は、こんな言葉に対して、なんて答えているんだろう。
「未来の俺は、おまえと、その……な、仲良くやってんのか?」
「仲良くって何。えっちな事してんのかって意味? まぁ、気になるお年頃だよなぁ」
万事屋の言葉に驚いて俺が体を離そうとすると、腰を引き寄せられた。そんなつもりで言ったんじゃない。え、えっちな事ってなんだ。さっきすげえ自然に口を吸われたけど、もちろん、あれ以上の事もしてるんだよな。
——恋人、だもんな。
暑いのにくっついてるというのもあるが、突然隣にいる男をそういう意味で意識してしまって全身から汗が吹き出して来た。夜でよかった。顔の赤さが隠せる。
俺が押し黙っていると、万事屋がぼりぼり頭を掻きながら謝ってきた。
「わりぃ。そうびびんなって。仲良くって、あれだろ、普通の恋人みてえにしてんのかとか、そういう意味だろ」
「え、そ、そ、そう」
まだ動揺から復活できずに俺が吃りながら答えると、万事屋がさらに腰を引き寄せて来た。その太い腕と、胸板の厚さにドキドキして心臓が痛い。
あまりに心臓が激しく動いて、呼吸も苦しくなって来た。視界がぐるぐる回りそうだ。
この緊張と動揺が万事屋にバレませんようにと祈っていたというのに、隣から「くくく」っと笑い声が聞こえてきて、バレたと悟った。
「あぁ、もう。すんげぇ可愛い! ありがとな、二度も好きになってくれて」
え、それもバレたのか。なんで?
驚いて隣を見ると、万事屋の赤い瞳と目が合った。
どうしよう。目が離せない。というか、離したくない。
口から心臓が飛び出そうになっていると、さっきまでの眩暈が激しくなって来た。頭がぐるぐるする。
花火の音に混ざって、懐から電子音がした。
「あ、土方く……ん、え。あ、電話、鳴ってる」
「ああ。そうだな」
懐に手を突っ込んで、誰かも確かめずに「何だ」と言って電話に出た。
電話の向こうで「あれ? もしかして、もう戻っちまいやした?」なんて総悟の声がする。
自分の頭に手をやって、髪が短くなっているのを確認する。帯が苦しい。
「ああ、時間切れか?」
帯を緩めてくれと万事屋に手で合図をすると、唇だけで「脱がせていいの?」なんて言って来たから殴ってやった。何で脱がせんだよ。緩めるだけだ。
そんな事をしていると、電話の向こうで総悟が勝手に話を続けた。
「いやあ、その薬、何度も鼓動が早くなるのを繰り返すと効果が切れるのが早くなるらしいんでさァ。恋をしたり、セッ——」
最後まで言わせずに通話を切ってやった。
隣にいる万事屋にも聞こえていたらしく、ニヤニヤした顔を向けてくる。
「ウルセエ!」
「なんも言ってねえでしょうが。そっか、そっか。銀さんに恋してドキドキしちゃったから戻ったのかぁ」
「そんなわけあるか! 時間切れだ!」
「そっかぁ。何度も恋しちゃうくらい好きなのか」
「だから、違うって言ってんだろ!」
照れ隠しに大声で叫んでみたが、万事屋の顔はニヤけたままだ。それもそうだ。俺は万事屋の着物を着ている。こんな姿では、俺が何を叫ぼうが有利なのは万事屋の方だ。
「まぁいい。ほら、まだ花火が見える」
両手で挟んで、力ずくで万事屋の顔を空に向けると、ゴキって音がして「いった! 戻った途端に乱暴すぎだろ!」なんて騒がれた。それでも、さっきと同じように腰を引き寄せてくる。
江戸の夜空に、満開の花火が咲く。
「きれいだな、万事屋……おまえと、こんなところで花火が見れるとは思わなかった」
「そうだな。今日は警備中のおまえにこっそり会いに行こうとしてたんだけどな」
「ああ、それで」
俺と一緒に見るというのは、そういう意味だったのか。
「なぁ、万事屋。おまえも、何度も俺に」
そこまで言ってしまってから、その先を言うのはやめた。そんな事、わかりっこない。困って寄りかかってくる奴らは誰彼かまわず懐に入れるくせに、色恋沙汰となると懐には誰も入れなかったこいつの事だ、俺の事を好きになったのは、何かの気の迷いだったかもしれない。
それでもいいと、心底思ったのに、花火の音に負けないように万事屋が俺の耳に唇をくっつけて囁いてくれた。
「俺も、何度も好きになるよ」
万事屋の肩に頭を乗せると、さっきよりも乗せやすかった。やっぱり、おまえと同じ位置で生きていくのが落ち着くな。
そんな事を思っていると、万事屋の手が伸びてきて短くなってしまった俺の髪を撫でた。
「うん、やっぱり短いのも、これはこれでいいな」
「なんでもいいんじゃねえか。いい加減な野郎だな」
「だから、おめえなら何でもいいって言ったろうが」
万事屋のそんな言葉を聞きながら見上げた空には、幾つもの火の花が咲いていた。