夏祭り 7(原作) 夏祭りといえば浴衣を着て、友人や家族、それに恋人なんかと団扇で顔を仰ぎつつ、露店を横目で見ながら、そぞろ歩きするのが醍醐味というものだ。それに花火も加われば、もう言うことはない。
だが、それは祭りに客として参加している場合は、である。
出店の営業を終え、銀時が借りてきたライトバンを運転して依頼主のところに売り上げ金や余った品を届け、やっと三人揃って万事屋の玄関先に辿り着いた時には、神楽はもう半分寝ていたし、新八も玄関の上がり框の段差分も足を上げたくないといった様子で神楽の隣に突っ伏した。そんな二人に「せめて部屋に入んな」と声をかけた銀時の声にも疲れが滲む。暑いなか、ずっと外にいたのだ。それだけでも疲れるというのに、出店していた位置が良かったのか、今日は客が絶え間なく訪れ、目がまわるような忙しさだった。実際のところ、目が回るような感覚になったのは、暑さと疲労のせいだったのだが、そんな事を冷静に考えている暇もなかった。
玄関先に転がる二人を一人ずつ抱え上げてソファーに転がし、銀時は窓を開けて扇風機をつけた。部屋はまだ暑いが、窓からは夜風が入ってくる。
そういえば、依頼主からペットボトルの水をもらったなと思い出し、二人の分をテーブルに出してやったが、ソファーに転がされた二人からはもう静かな寝息が聞こえ始めてしまった。
そんな静寂を切り裂くように、机の上の黒電話がけたたましい音を立てた。慌てて受話器に飛びつき耳に当てると、先程の依頼主の声だった。
「見覚えのないクーラーボックスがあるけど、万事屋さんのかい」なんて訊かれて、銀時は疲労でぼんやりする脳を振り絞ってようやく思い出した。それは、借り物だ。今日は一緒に缶ビールも売っていたんだが、それを入れていた大きなキャスター付きのクーラーボックスは新八の姉、お妙の同僚から借りた物で、今夜中に干して中をきれいに拭いて返さなくてはならない。
「しょうがねえな、取りに行く」
天井を仰ぎつつ、銀時は渋々そう返事をした。
大型のクーラーボックスだ。スクーターに乗せて運ぶわけにもいかず、仕方なく歩いて回収に向かった銀時は、帰り道に先程まで賑わっていた道に通りがかった。祭りは明日も行われる。銀時たちが一日立っていた店もまだ外側は残されているが、今はシートで覆われている。明日は先ほどの店主が自ら店に立つようだが、万事屋さんも一人くらい手伝いに来てよと、追加の依頼があった。それなら、自分が店を手伝って、神楽と新八は祭りを楽しんだらいいかもしれないと、銀時は周囲を眺めながら嘆息した。
また今日みたいに忙しくしていられるなら、余計な事を考えなくて済む。
——やっぱ、失敗だったよなぁ……
クーラーボックスの取っ手を掴んだまま、星も見えないような江戸の空を見上げた。
先週の事が頭から離れない。
あの、驚いた土方の顔。
「あぁぁぁぁ……最悪だ」
せっかく今日は考えずにいられたというのに、一人になるとやはり考え始めてしまう。
べつに、明確に何かを言葉にしたわけじゃない。ただ、久しぶりに土方を飲み屋で見かけたから、偶然を装って隣に座り、なんだかんだ言い合いをしながら飲んでいただけだ。だが、それが信じられないくらいに楽しくて、隣で少し顔を赤くして静かに笑っている姿を見ているのが嬉しくて、ついつい名前を呼んでしまった。
名前を呼んだと言っても、いつもと同じ言葉だったはずだ。
「ひじかた」
だが、その言葉に、今までは込めなかった感情がこもってしまったことに、言った銀時も、そして言われた方の土方も気がついてしまった。
まるで睦言でも交わしている時のような甘く、熱っぽい声。
数秒見つめ合った後、耐えきれなくなったのは銀時の方だった。その後、何か適当な事を言って店を飛び出したのは覚えているが、その時に何を言ったのか、銀時は覚えていない。それどころではなかったのだ。
あれは、どう考えても、失敗だった。あの時に戻れるものなら、戻ってやり直したいと思うものの、そんなことはもちろんできない。だからこそ、ぐるぐると何度もあの時の事を考えては後悔している。
銀時が立ったまま後悔に苛まれていると、今まさに考え事の中心であった男の姿が道の先に見えて、心臓が止まるかと思うほどに驚いた。白い煙を纏いながら静かに歩く様子は、見回りというわけでもなさそうだった。
銀時が黙って突っ立っていると、土方の方も気がついたようで一瞬だけ歩みを止めると、すぐに歩調を速めて近づいて来た。
「万事屋、何やってんだこんな時間に」
「これを忘れたから引き取りに行ってきたんだよ。そういうおまえこそ、何やってんだ。一人ってことは、見回りってわけじゃねえんだろ。あれ、そういや、今日はおまえの姿を見なかったな。なんだよ、副長様は暑い中、外での見回りはしねえのかよ。いいなぁ。どうせ涼しい所にでもいたんだろ。それで、なんですか。今度は飲みにでも行くのかよ」
気まずい空気になるのを恐れるあまり、銀時が早口でまくし立てていると、土方に静かに名を呼ばれた。
「万事屋」
「な、何……」
「それ、何が入ってんだ。なんか飲むもん持ってんなら一本くれ」
予想外の言葉に、銀時は慌てて引っ張っていたクーラーボックスから残り物の缶ビールを取り出して土方に手渡した。
氷と水は抜いてしまっているが、まだ少しは冷えているそれを土方が嬉しそうに飲む様子を、銀時は呆けたまま見つめた。
隊服の上着は着ておらず、白いシャツのボタンは大きく開いている。袖は肘の上まで捲っているが、それでも暑いのだろう、首筋に汗が滴っている。
言ってはならない感情が唇の隙間から漏れそうになり、銀時はきゅっと口を結んだ。そんな銀時の様子を気にする事なく、土方は喉を鳴らしてビールを流し込む。
やっと一息ついたのか缶から唇を離すと、土方はくるりと元来た方に身体を向けて銀時に手招きした。
「ほら、帰るぞ」
一緒に行くぞというようなその言葉に引きずられるように、銀時は土方の背を追った。
もう時刻は深夜だ。人通りもまばらになってきている。繁華街ではない道は暗く、銀時が引くクーラーボックスの車輪から響く音がやけに大きく聞こえる。
さっきは思いもよらない遭遇に驚いてしまったが、隣で二本目のビールを飲みながら歩いている土方の姿をチラチラと横目で見ながら、銀時は今日がいかに大変な一日だったかを多少大袈裟に語った。土方はそれを笑いながら聞いてくれるのだが、そうされると楽しくなってくる。さっきまでの疲労が嘘のように気にならなくなり、これが特別な時間のように感じ始めた。
もう少し一緒にいたい。
そう思ったのだが、そう思えば思うほど、時間というものは短く感じるものだ。あっという間に屯所の近くまで来てしまうと、どちらからともなく、次第に歩調が落ちた。
もう、次の角を曲がれば屯所の門が見えるというところまで来た時、ついに土方が立ち止まった。銀時を真っ直ぐ見つめたまま口を開く。
「さっきはな、おまえを探しに行ったんだ。今日はお前たちもあそこに居たと聞いてな」
意外な言葉に銀時が驚いていると、土方が「遅すぎたけどな」と付け加え、困ったようにくしゃっと顔を歪めて話を続けた。
「この前のおまえ、なんだか変だったろ。それが気になってよ」
「そ、そうだったか……酔っ払ってただけだろ。あ、あの時は、えーっと、」
「万事屋」
どうにか言い繕うとした銀時だったが、土方に静かに名を呼ばれて口を閉じた。さっきも、こんな声で呼ばれた。
格好わりぃなと、汗で湿った頭を銀時が掻いていると、土方が少しだけ視線を地面に落とした後、小さく息を吐いてから歩き出そうとした。
「ま、待てって。土方」
咄嗟に銀時は土方の手首を掴んだが、その手を振り払う事なく、土方はゆっくりと銀時の方を向いた。
暫く沈黙が続く。
あえて言葉にしなくとも、なんとなく雰囲気で伝わるものはある。
気が付かないふりを続けるのであれば、それを敢えて口にする必要もないのだろうが、声に出すと言う事は、覚悟を決めるということでもある。
必要の無いことはなんでもペラペラと口にするくせに、肝心な事については口が重くなる銀時の事を、土方は手首を掴まれたまま黙って待ってくれているようだった。
月明かりに照らされた土方の姿を見ているだけで満足しそうになっている自分を叱咤するように、銀時は一度頭を振ってからまっすぐに土方を見つめてみたが、正面から顔を見てしまうとどうにも言葉が出てこない。
握っていたクーラーボックスを放り出し、勢いをつけて土方を抱きしめた。こうすれば、顔を見なくてすむ。突然の抱擁に、土方が握っている缶ビールが揺れて少しだけ銀時の背に溢れた。
「土方、あのな……」
二人きりなのに耳元で囁くように銀時が口にした言葉を聞いて、土方は喉の奥で幾度か笑ってから銀時が言ったセリフと同じような言葉を返してくれた。
安堵と、腹の奥から湧き上がってくる嬉しさで腕に力が入ってしまう。
「おい、そろそろ放せ」
土方に言われたが、どうしても放したくない。またぎゅうっと抱きしめると、耳元でゆっくり「よろずや」と名を呼ばれた。
「そんな風に呼ばれたら、余計に放せなくなる。これ、現実だよね。腕を放しても消えないよな?」
「おまえ、意外とロマンチストなのか? こんなにあちぃんだ。生身に決まってんだろ」
「それは、まぁ、そうか……」
やっと身体を離すと、土方は困ったように笑っていた。
「そんな心配そうな顔をするな。これは現実だ。でも、そろそろ行かねぇと。あ、明日。お前は明日もあそこににるのか?」
「あ、あぁ。俺はいるよ。おまえは?」
「明日は俺も巡回する……だから、その……」
「待ってるから」
銀時がそう言うと、土方は少しだけ頷き「じゃあな」と言って屯所に向けて歩き出した。
その後ろ姿を銀時は暫く見つめていたのだが、突然土方は歩みを止めて引き返してきた。
「どうした、忘れもんか?」
「ビールの金を払うの忘れたから」
「ん? いいよ、そんなの。それくらい奢るよ」
「そ、そうか。悪いな……じゃあ……」
今度こそ、じゃあなと言って歩き出した土方だったが、銀時が見つめていると、幾らも進まないうちにまた引き返してきた。その様子に、さすがに銀時の頬が緩む。
「今度はどうしちゃったの」
「いや、その……それ、重そうだから運ぶの手伝おうかと……」
「いいよ。おまえも、その様子だと今日は一日仕事だったんだろ。早く帰んな」
「おっ、おぅ………じゃあ…………」
もごもごと口の中で何かを言った土方は再びゆっくり屯所に向けて歩き出したが、銀時はそれを笑いを噛み殺しながら眺めた。きっと振り返るに違いない。そう思っていると、案の定土方は勢い良く振り返った。その姿に銀時が苦笑しながら手を広げてやると、渋い顔をした土方が戻って来た。勝手に戻ってきているくせに、眉間にシワが寄っているのが土方らしい。素直じゃないにもほどがある。
「はい、おかえり」
「よろずや…………その……」
下を向いて言い淀む土方の腕を引いて抱き寄せた。
「土方。放したくねぇ。このまま連れて帰りてぇ。一緒に風呂に入って、酒でも飲んで、お前のこと抱いて寝てぇ」
汗で湿った首に唇を這わせながら銀時が言うと、土方が呆れたように笑うのが聞こえた。
「おまえ、意外と手が早いな」
「こんなに可愛いことされたら、たまらねぇよ」
「可愛くねぇだろ、べつに。お前が寂しそうだったから戻ってきてやったんだ」
「はいはい。気を遣ってくれて、ありがとね。それじゃ、一度これを家に置いてから涼しいところに行こうか」
「俺は明日も仕事なんだが」
「何言ってんだ。俺もだよ」
見つめ合い、二人同時に吹き出した。
明日も早いのだ。こんな事をしている場合ではないのだが、どうしても一緒にいたい。
カラカラと音を立ててクーラーボックスを引きながら、銀時が空いている方の手を差し出すと土方が握ってくれた。
どこかで寝ぼけた蝉が鳴いている。
銀時は、隣で楽しそうな顔をしている土方を盗み見てから視線を空に上げた。
相変わらず星は見えないし、真夏の江戸の街は夜でも不快な暑さだが、いい夜だなと思う。
——きっと、一生忘れられないほどの、いい夜だ。
■■蛇足■■
その後、クーラーボックスの中身を飲みながら帰った二人は、かぶき町にある銀時の自宅に辿り着く頃には強かに酔っ払ってしまい、翌日同じ布団で寝ている姿を新八と神楽に発見される事となった。
「ぱっつぁん、これって私みたいな純粋な少女に見せてもいい姿アルか? セーフ、アルか?」
「いや、アウトでしょ。でも、パンツは履いてるからセーフなのかな」
「和姦アルか?」
「神楽ちゃん、何てこと言うの。でも、まぁ……それは心配ないんじゃないかな。汗だくなのに土方さんも抱きついたままだし。仕方がないから起きるまで待ってみようか」
「そうアルな。おっさん二人のパンツ姿をこれ以上見ていたくないアル」
スパンと音を立てて襖が閉まるのを聞いて、パンツ姿のおっさん二人はゆっくり目を開けた。
「おはよ、土方」
「やっちまった……」
「いや、ヤッてはねぇよ」
「わぁかってるよ! そうじゃねぇよ! 寝落ちたって意味だよ。いま何時だ」
「んーー、待ってな……。五時。あいつら、ソファーで寝てたから早起きだったんだな。どうする、もっかい寝る?」
そんな事を言いつつ、銀時は目を閉じて土方の腰を引き寄せた。
「あっ、こら。放せ。俺は帰らねぇとまずい」
「無断で恋人の家にお泊りしちゃったから?」
「こっ……」
土方が何か言いかけて硬直したのを感じた銀時が目を開けると、真っ赤な顔をした土方の顔が至近距離にあった。
「うっわ、照れ顔かわぃ……わっ、ぶっ……」
言い終わらないうちに土方に口を塞がれ、銀時は目だけでニヤニヤと土方を見つめ返した。
「俺の事はいいんだよ。おまえ、あいつらに説明して来い」
「えーー、俺だけで? 土方くんも一緒に交際宣言しようよ」
「い、嫌だ」
「なんでよ。恥ずかしいから?」
土方が怒るかなと予想して銀時はそんな事を言ってみたのだが、予想に反して土方は赤い顔をしたまま小さく頷いた。
「ま、また今度、菓子折り持って挨拶に来るから。い、いまは、無理だ」
そんな事を、そんな顔で言われてしまっては無理強いもできない。
「わぁったよ。あいつらに説明してくるから、その隙に着替えておいて」
銀時が起き上がろうとすると、土方に手首を掴まれた。
「なに、チューして欲しいの?」
「ちがっ……半分は向こうで脱いだか……っん、おいやめっ」
何かを言いかけた土方の口を塞いでチュッチュッと音を立てていると、襖が勢い良く開いた。
「はい、ストーーップ!! いい加減にしなさいよ、そこの二人! これを着て、早く起きてきてください!!」
入り口に仁王立ちした新八に服を投げ込まれ、銀時と土方は二人揃って「はい」と素直に返事をした。
再びスパンと音を立てて閉まった襖を見つめ、二人揃って諦めの息を吐く。
「そんじゃ、行きますか土方くん」
「しょうがねぇな……」
その後、迷惑料として今晩の祭りでは好きなだけ買い食いさせてやると土方が言った事が功を奏したのか、それとも、もう問い詰めるのも面倒くさくなったのか、わりと簡単に開放された二人だった。
だが、どこからどう漏れたのか、その晩銀時が手伝いをしている露店には、訳知り顔の隊士達が入れ代わり立ち代り訪れて、前日とは違う理由で銀時は疲労困憊する事になったのだった。
(今度こそ、終わり)