圭藤藤堂葵様は、それはそれはかっこいい。
背も高くって、髪も金髪なんかにしちゃってて、野球も上手くって、声だってでかくって、補習にだって付き合ってくれる。
藤堂葵様は、それはそれはかっこいい。
「好き嫌いなくなんでも食ってるからな」「いいだろ、似合ってるだろ」「まあ、天才が努力したらこんなもんよ」「それはお前には言われたくねえよ」「要がさびしいっつうから仕方なくな、仕方なく」。
葵お兄様〜と泣きつけば、いつから弟になったんだよ!なんて嫌そうにしながらも懐に俺を招いてくれる。
葵お兄様〜!と抱きつけば、ったく調子いいな、なんて呆れながらもくしゃくしゃと撫で回してくれる。
それは、俺が葵っちと付き合いだして四苦八苦しながら脱童貞したあとも変わらない。
藤堂葵様は、それはそれはかっこいい。
***
男子高校生って、つねにお腹を空かせてる生き物なんじゃないかしら。足を引きずりながら、カスカスになった頭で考える。
練習も終わって、グラウンド整備もお片付けも終わって、あとはお着替えしておうちに帰るだけだというのに。
「あー、おなかすいたー、葵っちー、おなかすいたよー、」
一歩、また一歩がとんでもなく重い。目の前にある部室が、砂漠の蜃気楼のようにゆらゆらゆれて離れてく。
ああ?って、半ば叫ぶような返事だけはこわいんだけど、絶対助けてくれるってわかってるからさ。少し前をゆく背中にベッタリ貼りついて全身を預ける。
「おわ、あぶねえなちゃんと歩け」
「ムリだよおーやる気500%出しちゃったもんー、あーだめ、おうちまで帰れない」
葵っち抱っこして、と、妖怪のごとくへばりつく。振りほどかれないのも、引っ叩かれないのもわかっていた。本当に今日はやる気500%出しちゃったし、『要、がんばってんじゃねえか』なんて練習中に君を上機嫌にもしちゃったし。
だけど、しかたねえな…なんて腰を落とされると結構ビビる。まさか!?葵っち!?本当に!?なんて期待で胸がいっぱいになる。
「ええっ!?抱っこしてくれんの!?俺お姫さまだっこがいい!」
「しねえよんなこと!おんぶで我慢しろ、おんぶで!」
「いいじゃーんモノは試しに……。けどおんぶでもうれしい、葵にーにありがとう」
「おう、部室までな。パン分けてやるから、それ食ったら自分で歩いて帰れよ」
「えっやだっ!ウチまで送ってってよ葵様ー!」
言葉とは裏腹に、お尻を持ち上げるついでにひょいと揺すられる。俺のよりでっかい背中は、まるでベッドの中みたいな安心感だ。
へへーっとほっぺたをくっつける。部活のあとだから、葵っちもぽかぽかしていて気持ちいい。
「……おい、こら、要、寝ようとすんな」
「コラ、まだ起きてんだろ、ちゃんと返事しろ」
「ぶくっじゃねえよ、ほら部室着いたぞ。要、かなめー!」
練習も終わって、グラウンド整備もお片付けも終わって、あとはお着替えしておうちに帰るだけだというのに。
どうしてだろう、カスカスになった頭で考える。
アトラクションみたいに君にグラグラ揺すられるのも、要っ!てワンちゃんみたいに叱られるのも、ちょっと汗のにおいがする背中にぴったりひっつくのも、みんなみんなやめらんない。ずっと、このまんまでいいのにな。
藤堂葵様は、それはそれはかっこいい。
「ほら、とうとう腹が返事してんじゃねえか」、なんて笑いながらも背負い直してくれる彼に甘えながら、ほんとのほんとにそう思う。
***
男子高校生って、毎日ぺったんこになっているのかしら。つま先で踏んばりながら、プルプルになった脚でバランスを取る。
うれしくないけど楽しみなレアイベント、『葵っちのおうちでテスト勉』。部活まできっちりこなして電車に乗れば、それはもう見事に帰宅ラッシュ真っ只中だ。通学電車初心者の俺は、「えっ、これに乗るのお!?」「乗る。乗れる」扉が開く前からビビりまくってしまったけれど。
「絶対ひとりにしないでねっ!片時も離れることなく、ずっと圭ちゃんのそばにいてねっ!」
駅のホームでしつこいくらい念押ししたのがよかったのかもしれない。
「あーっ!葵っち!」押しては返す波のような群衆に飲まれてゆく俺の腕を、君は離すものかといわんばかりの怪力で掴んでくれた。
ぐいっと、抱きしめられるように引き寄せられる。
えっ、ぎゅってしていいのかな、なんてそうじゃなさすぎることに気を取られていると、視界を塞ぐように葵っちが覆い被さってくる。
うわわわわ、電車の中だって、とか勝手にハラハラ見上げて、そこでようやく気がついた。
これって、壁ドンってやつじゃない?えーうそ、俺と葵っちってこんなことできちゃうんだ。
葵っち、おっきいな。葉流ちゃんもだけど、電車狭そう。
葵っちを見上げるのは新鮮だ。こんな近くでは、いつも俺が見下ろしてばっかりだから。
こないだだってさ、髪の毛も下ろして、目だってもっと潤んでて、俺が何回どかしても「あー」とか「うー」とか言いながら腕で顔を隠してさ。
ぼんやりと思いおこした光景に気を取られていると、無防備な俺を重力が襲う。
おわ、とグラついたのは一瞬だけだった。
ぎゅうーっと、片時も離れることなく、ずっとそばにいてくれるような力で抱き支えられて、危なげなく急カーブをクリアする。
まるで、少女漫画のヒロインみたいだ。
「あ、りがと、葵っち」
顔を上げた先の君は、落ちかけた太陽に照らされてキラキラ輝いている。
藤堂葵は、それはそれはかっこいい。
「おう。もうちょいがんばれ、次の次の駅だから」
「葵っち、おうち着いたらチューしていい?」
なんでだよ、つうかこんなところで確認すんなよ!なんてひそひそ声で慌てながらも、しっかり満員電車から守ってくれる彼の姿に、ほんとのほんとにそう思う。
***
君と俺って、こんなにずっと一緒にいるのにどうして全然飽きないのかしら。
ふたり並んだ部屋の中、スマホゲームのファンファーレだけが鳴り響く、静かな空間。ちら、ととなりの君を覗き見しながら、その横顔に満足してまた目を落とす。
「今日、要んちでもいいか?」
特に何をするわけでもない。そんな日が、月に一回くらいある。
大体葵っちは漫画読んでて、大体こっちはゲームしてて、ごくごくごくたまーに課題をやったり、やらなかったり、すいません盛りましたほとんどやりません。
たぶん、俺たちのこと知ってる人が見たらびっくりして腰抜かすねってくらい、なんにも喋らないでそばにいる。
あぐらかいて、くっついて、くっついてるとこだけあったかくて、ただただそれだけの時間。はじめのうちはなんか退屈かなってちょこちょこ話しかけたりしてたけど、今じゃすっかりそんなこともなくなった。
何度目かのゲームセットとともに、君が漫画をいったん閉じる。
BGMがわりにゲームを鳴らしながら息を潜めていると、トスン、と葵っちがこちらに寄りかかってくる。
手の中の漫画をめくって、閉じて。完全なる小道具になったその本ごと、ううん、と体を投げ出してくる。
肩にかかる体重が重さを増して、君の頭がもう少しだけ深く沈んだ。
あおいっち、と唇だけで呼ぶ。
葵っちは、何も言わない。
何も言わないけど、ぐりぐり頭を押し付けてきた。
自分のにおいを俺にこすりつけるように、ぐりぐりぐりぐり、ぐりぐりぐりぐり。
なにか要求するように、ぐりぐりぐりぐり、ぐりぐりぐりぐり。
パズルのピースをぴったりはめこむみたいに、君に寄りかかり返してみる。
ごち、と軽い音がして、痛くないのに「いてっ」って笑った。
別に顔は見てないけど、となりの君もきっとにやにや笑ってる。
それはそれはかっこいい藤堂葵様の、それほどかっこよくもない姿。
こういうの見られるのって俺だけだよね、とにまにま口角を上げたところで、こういうの見せてくれるのって俺とふたりきりの時だけだって、当たり前のことに気がつく。
んふふ、と要圭は目を瞑る。そのほうが、となりの彼の体温をより感じることができるから。
藤堂葵様は、それはそれはかわいらしい。
スマホはとっくに真っ暗で、漫画はとうに手のひらから滑り落ちている。