智葵♀要圭待機列、ただいま十分待ちです。
決して長くはない、朝練からホームルームまでの自由時間。廊下へと伸びる女子生徒の行列を眺めながら、藤堂はぼんやり頬杖をつく。
昼休みは大体野球部で集まり、放課後は即グラウンドへさらわれる。そんなスーパー大スター要圭様を、いちばんとっ捕まえられるタイミングが一日のうちの今だった。
誕生日、体育祭、野球部の活躍が校内に報道されたあとなどなど、ことあるごとに彼を目当てに女子が集まる。今朝はなんだろうな、なんて答えの出ない問いを浮かべていると、「昨日、男子と一年体育館共同だったらしいよ」、クラスメイトが爆速で回収してくれた。
ふうん、と真新しいブレザーたちを見やる。
智将、要圭様の采配は、野球以外でもさぞかし光り輝いていたことでしょう。
チャイムの音に、目を逸らす。
藤堂葵がつかまらない。
決して短くはない、授業と授業の合間の休み時間。ななめ後ろで盛り上がる女子の声を聞きながら、要圭はううんと頬杖をつく。
昼休みは大体野球部で集まり、放課後は即グラウンドへさらわれる。そんな部活大好き女子高生藤堂葵ちゃんのフリータイムが狙われないわけがない。今もほら、四方を女子に囲まれて、藤堂に近づくことすら難しい。
彼女が同性にモテるのだと、同じクラスになってからすぐ知った。はじめこそその派手さと高身長で遠巻きにされていたものの、面倒見の良さが広まってしまえばこの通りだ。
「黒板の上のとこが届かなくて」
「いつもお弁当自分で作ってるの?」
「藤堂さん、お願い!」
なんだかんだと引っ張られてゆく彼女を、ふうん、と横目で眺める日々。
これはまた、放課後まで解放されなさそうだな。
チャイムの音に、視線を戻す。
***
曲がり角を曲がったら、告白されていた。
今まさに!の現場に出くわすのは、これで三度目くらいだろうか。
なーんで部活の前にわざわざこんな目立つところでやっちゃうかね。
息を殺して、しらんぷり。
授業終了のチャイムとともに、告げられた。
「悪りぃ、昼休みしばらくいっしょに飯食えねえわ」
クラスメイトの、体育だか部活だか習いごとだかの自主練にお付き合いしてやるようだ。
別に、毎日いっしょに食べような♡なんて約束してるわけでもないし、口を出せるとしたら精々「怪我するなよ」。
頬を完璧に持ち上げて、知ったふり。
決してやきもちとかではないよ。嫉妬なんてとんでもない。
お互いの一番なのはわかってるし、疑う余地なんてありゃしない。
一生に一度の高校生活、野球以外も楽しまなくっちゃ。
たとえば、そう、俺が隣にいない思い出とか。
***
要圭待機列、ただいま独占中です。
月に一度の、ボーナスタイムみたいなお部屋デート。
ムダという言葉が一歩も踏み入れたことのないような部屋の中は、何度訪れてもなんとなく背筋が伸びてしまう。
あ、この前俺が勝手に飾った写真、まだ片付けられてないみてえだ。こないだのやつも、こっそり紛れさせようかな。もうひとつくらいなら増やしてもバレなさそうだし。
うんうん、と、自分の足あとに満足する。
我が彼氏は、良くも悪くもルーティンを崩さないような男だった。ある日突然なにかにハマることもなく、突如他のことを語り出すこともない。カバンにマスコットのひとつでもついていたら、それは向かいの部屋の双子の兄弟の仕業だろう。
ぐるりとあちこちを見渡して、感じた違和感に二度見する。
……これも、向かいの部屋の双子の兄弟の仕業だろうか。
勉強机の上に置かれた一通の封筒は、彼がしたためたものにしては可愛すぎる。俺へのサプライズの贈り物でもなければ、母親への感謝の手紙でもないだろう。
明らかに、どこのどなたかのラブレター。アイツは貰った瞬間突き返すだろうから、どうせ机や下駄箱に突っ込まれてたか通り魔的に押しつけられたんだろう。
ううん、と首を伸ばして目を細める。
決してやきもちではないけれど、そりゃまあ興味は深々だ。
「藤堂、母さんが作りすぎたからよかったら食べないかって……」
一歩足を踏み入れたときから、妙な緊迫感に包まれているなとは思っていた。
月に一度の、ご褒美みたいな藤堂葵独占デー。
本当は映画館とか水族館とかいろいろ連れて行けたらいいんだけど、悲しいかな俺にはそれほどの経済力はない。結果、学校から近すぎる俺の家に、毎回連れ込んでしまっているのだけれど。
前日までにきちんと整えた部屋の中で、彼女がひどく難しい顔をしている。なんだろう、主人が食べ散らかした菓子の袋も、主人が持ち込んだAVのパッケージも、綺麗さっぱり一掃したはずなんだが。
あ!と、己の迂闊さに飛び上がりそうになる。ポーカーフェイスが得意でよかった、動揺をグッとこらえて指を机の上へ走らせる。
勉強机の上に置かれた一通の封筒は、もちろん俺が書いたものじゃない。
「ああ、野球部の一年に渡されたんだよ。渡しといてって頼まれたらしい。今度送り主に返してくる」
俺の手元から目を離さないわりに、藤堂は特にそれ以上言及するつもりがないらしい。「ふーん、頭良いなソイツ」なんて心底感心したふうに、くるくる毛先をいじってる。
「あ、じゃねえよそれそれ。何作りすぎたって?」
やっと腰を浮かせかけた彼女の後ろ髪を思いっきり引っ張ってくれたのは、軽快なスマホの着信音だ。
あからさまに輝く彼女の顔に、今度はこちらが首を伸ばす。よほどうれしい通知みたいだ、ロックをスイスイ外した藤堂は、すぐにここではないどこかへ意識を旅立たせてしまう。
「おー、すげえじゃん」「練習したやつ出来てるし」「んー、ふふっ、ふふふ」
触れられるほど近くにいるのに、目の前の君はすごく遠い。画面の向こう、顔も見えない“誰か“相手に、藤堂はにまにまを隠さない。
決してやきもちとかではないよ。嫉妬なんてとんでもない。
お互いの一番なのはわかってるし、疑う余地なんてありゃしない。
それなのに、ああ、右手が勝手に伸びてしまう。
両腕をお腹のあたりへぐるりと回して、ちびっこが何かせがむように肩口へ額を押し当てて。「おお、どうしたどうした」「……いや、なんでもない」、みえみえのウソまでついてしまった。
全然なんでもなくねえだろ、と振り向く藤堂はなぜか笑顔だ。スマホなんてすぐさまほっぽり出して、妹さんにしてやるようにわしゃわしゃと両手で撫でまわしてくる。
君にかまわれた安心感から、こちらもにまにまが伝染してきそうだけれど。
この程度のじゃれあいで満足するような、コスパのいい奴じゃなくて、ごめん。
藤堂葵をつかまえる。
***
彼氏に胸を触られると、どうにもうれしくてなんだかホッとしてしまう。
自分なんかが、こんな感情を抱くようになるなんて。腹の上の男を見つめながら、藤堂はハアと息を漏らす。まだ制服の前をくつろいだだけなのに、体温が上がっているのが恥ずかしい。
意外にも、智将は胸を揉んだり吸ったりするのが好きみたいだった。
そこいらへんは双子の遺伝子か、要ごひいきのAV女優もきれいで大きな胸をしているのを、藤堂はいつも思い出す。
単純に、このすました顔の男が、おっぱいに飛びついているのがなんだかかわいらしいだけかもしれない。
ふふ、とお腹を揺らしながら、彼の細い茶髪に指を潜らせる。
「いやにごきげんだな」
くしゃくしゃと彼女に頭を撫でられること自体は、そう珍しいことではない。
明るくノリが良く気持ちの上下も激しい彼女だ、それこそ部活中なんか『おー、智将えらいえらい』人目もはばからずグシャグシャやられる。
それでも2人っきりの、ましてやこんなにいかがわしい行為に耽っているときは、また笑みの意味合いが違うこともわかっている。
きもちいい、のときは眉毛をギュッと寄せるから、くすぐったい、に近いのかもしれない。三日月型に深まる彼女の口角に、ぷは、と顔を上げて口もとをぬぐう。
「なんでだろうな、要圭待機列0人のとこにいるからかな」
キョトン、と智将が目を丸くする。なんだって?と訊き返してすらいる表情で、しかしストレートに疑問を言葉にしない。
「智将こそ、なんかいつもよりねちっこいじゃん」
不敵な笑みに、図星をつかれた。彼女の体を舐めて吸って、そればっかり繰り返している自覚はあった。
まあ当然、気付かれてはいるよな。しつこいって怒らせてはいなそうな気配に安堵する。
「そうだな、せっかく藤堂をつかまえられたからな。今のうちに堪能しとかないと」
照れもしない智将の返しに、すっかりこちらがうろたえる。待機列0人とか、せっかくつかまえられたとか、俺たちなんかおんなじようなこと言ってねえ?
ハッとした瞬間、ふふっと笑ってた。
向かいで君も、いっしょの顔してる。
「こないだ、一年の行列できてたもんなあ、」
「休み時間は、なんでか毎日日直みたいなことしてるし」
「部活の前に、なんかどっかしらから告られてるし」
「昼休み、屋上まで藤堂の声聞こえてるぞ」
「練習中も、気がついたら知らねえ女子がこっち見てるし」
「あれ、藤堂目当ての奴もいるんだよ。気付いてなかったか?」
軽口のキャッチボールもはずむはずむ、お互いに本音と冗談9対1の本気のお遊びだからだろうか。
「なら、今はちゃんと離さないでいてくれんだよな?」、藤堂葵は、目の前の彼の首へと両腕を回した。
「そっちも全部受け止めろよ、最前列さん」、要圭は、じいっと瞳を覗き込む。
思う存分、君を独り占めしようじゃないか。