その笑顔の先にあるのは校内で見かけた彼女の笑顔は、仲間に向けられたそれだった。
ーーあんなふうに、笑えるようになったのね。
“仲間”
あすかと私、テニス部のみんなで長い時間を掛けて築いて来たであろうその絆は、あの日一瞬でなくなってしまった。その言葉は綺麗だけれど、脆く儚く、確固たるものがない曖昧な言葉。
そんな言葉はもう、信じない。
百合子はあすかから目を逸らし、彼女とは反対の方へ歩き出す。
たまに校内で見かけるあすかは、いつもひとりだった。昔からそうだった訳ではない。本来の彼女は明るいし、友だちも多かった。
でも、今は違う。
最近のあすかはトロピカル部のメンバーと一緒に、笑っている事が多い。たまに見かければ、やはり気になって目で追ってしまう。
校舎を出ると、清々しい程の青空だった。
テニスコートの見えるその場所のベンチに座ろうとした時、不意に見覚えのある後ろ姿を見た気がしてそちらに目をやる。
あすかだ。
先程反対方向に歩いて行ったけれど。
声を掛けるべきか否か。
少し迷っていると、あすかが振り向いて目が合った。あすかは気不味そうに視線を逸らし、立ち去ろうとする。
「トロピカル部、順調そうね」
そんな彼女とのすれ違い様に、百合子は声を掛けた。
あすかは立ち止まり、百合子を見る。
「うん。楽しいよ」
短く言うあすか。
その言葉に、全てが詰まっているように聞こえた。言葉の通りの意味と、早く百合子との会話を終えたい気持ちと。
どうして私たちはこんな関係になってしまったんだろう。
「…そう。良かったわね」
ーー素敵な笑顔で笑えるようになって。
そう続けたかったけれど止めた。
胸が痛い。
彼女の笑顔は嬉しいけれど、何だか辛い気持ちにもなる。それはまるで嫉妬のような気持ち。
あすかはそのまま何も言わずに百合子の前を通り過ぎて行く。もう今更、何も話す事はない。
あ、と小さな声が後ろから聞こえて来た。
あすかが百合子を振り返る。
「大会、優勝おめでとう。生徒会長」
不意に自分の話題を振られて少し驚く。
あすかを見れば、彼女は百合子を見て笑っていた。
とても悲しそうな、その笑顔。
トロピカル部の“仲間”に見せるのとはまるで違う表情。
本当は2人で目指していた、3年生最後の大会だった。結局私は誰ともダブルスを組む気になれず、シングルで出場した。
ーー本当は2人で、優勝したかった。
「…ええ、ありがとう」
あすかは今、どんな気持ちで私を見ているのだろう。彼女は少し俯いて、
「あれから、ダブルス組んでないんだ」
小さく呟いた。
百合子は目を見開く。
そんな百合子には目も合わせず、あすかはそのまま踵を返して歩き出した。
もう、振り向く事はない。
手を伸ばして引き留めようとたけれど、声が出なくて。
彼女に掛ける言葉がわからなかった。
私は、彼女の前で上手く笑えない。
だってもう、仲間でも友達でもないから。
百合子はベンチに座る。
澄み渡る青空が何とも心地悪い、嫌な気持ちになる。
私だけ部に残った罪悪感や気不味さが胸にしこりを残す。それは黒いシミのように、ゆっくりと胸に広がっていく。
実力で言えばあすかだって、シングルでもダブルスでも、優勝は狙えたはずだった。
私たちは何処で何を間違えてしまったんだろう。
私の選択は間違っていなかった。
それは絶対に譲れない。
でも、私があすかの夢を奪ってしまったのも事実だった。
ーーどうして。
その後ろ姿に、遠くから手を振るあの子。
あすかもそれに気付いて駆け出す。
ーーもう一度一緒に、
テニスがしたいだけなのに。
あすかはもう、一歩ずつ前に歩き出している。
あの日にずっと囚われているのは、
きっと私だけ。
End***