傾く前に出逢えてよかった虫の音が静かに響く秋の夜。
縁側にはすすきと団子を供える。
斎森の家でも形としては供えていたが、月を見上げて見た記憶は、美世にはなかった。
夕食を2人でとり、風呂に入り。
今では当たり前の生活。
静かだけど、とても落ち着く場所。
「今日は少し冷えますね」
秋の風は心地良く頬を撫でていく。
日中の日差しは幾分か和らぎ、朝夕の風は涼しくなって来た。
縁側に座る清霞の横に、美世は膝をついて、お盆に乗せた温かいお茶と団子を置いた。
「中に入るか?」
「いえ、大丈夫です」
お盆を挟んで美世も隣に座る。
風は冷たいが、羽織もあるし大丈夫だ。
どうぞ、と団子の乗った皿を差し出すと、清霞はそれをゆっくりと受け取る。
元々甘味はあるが、きなこを添えてみた。
美世も自分の皿を手にする。
空を見上げれば、眩し過ぎるくらいに輝く中秋の名月。
ひとくち団子を口に運び、月を見上げる。
死にたいとばかり…考えていたのに。
月がこんなに綺麗だなんて、思う日が来るなんて…。
隣を見れば、動き易い寝巻きに、透き通るような茶色の髪を下ろした清霞。
団子の乗った皿を膝に置き、夜空を見上げている。
優雅で様になる、とても綺麗な横顔ーー。
美世の視線に気付いてか、清霞も美世を見る。
目が合って。
急に恥ずかしくなって美世は視線を逸らした。
何を…考えているんだろう。
月ではなくて、清霞を見ていたなんて。
やり場のない視線を泳がせ、美世は夜空を眺めた。
本当に、それは綺麗な満月で。
「月が、」
ーー綺麗ですね。
言い掛けて、辞める。
ただ、気恥ずかしい思いを消したくて、話題を変えようと口にしただけの言葉だった。
けれど。
不意に思い出した、遠い昔の記憶。
美世がまだ小学校に通っていた時に少し聞いた、薄い記憶の中の言葉。
だけど印象的だったから、何となく覚えていた。
この言葉の、別の意味。
清霞の視線がこちらに向いているのが分かる。
言い掛けた言葉の続きを待っているのだろう。
美世はちらりと清霞を見る。
そしてまた、夜空に視線を移した。
「・・・・・」
清霞は学がある。
けれどこれは、学校で習うような言葉でもない…と思う。たぶん。
清霞が知っていたら…どうしよう。
…でも、知らなかったら。
心臓がどくどくと煩く脈打つ。
「 月が…綺麗ですね 」
もしも清霞がこの意味を知っていたら、返ってくる返答は確かーー。
恥ずかしくて、清霞を見る事が出来ない。
月をただ、ただ、眺めていれば。
「 …傾く前に出逢えてよかった 」
清霞が呟く。
それは美世が想像した返答ではなかった。
清霞は言葉の意味を知らなかったのだろう、と美世はほっと胸を撫で下ろす。
今はまだ、それを清霞に伝えるには何だか怖くて。
でもいつか、素直に。
『 好きです 』
と、伝える事が出来たら。
それを受け入れてもらえるとしたら。
どんなに、嬉しいだろう。
清霞はそっと、美世の膝に置かれた手に触れた。清霞の手はいつも温かい。
「少し冷えて来たな。部屋に戻ろう」
「はい」
言って清霞は立ち上がり、座る美世に手を差し出した。
清霞は優しい。
いつも、当たり前のように。
美世は少しだけ俯き、赤くなる頬を隠してその手を取る。
こんな幸せがずっと続けばいいと、月に願う夜。
秋の風が、すすきを揺らす。
End***