籠 遠い日の記憶「 見つけた 」
言われて振り返る少女。
ふわふわと綺麗な髪が揺れる。頭には女の子らしい今流行りの洋風のリボンを付けて、大きな瞳で幸次を見た。
椿の大柄の入った赤い着物で、下駄を履き終えて玄関に立つ姿は、幼いながらにも背筋をしゃんと伸ばして凛としていた。
「遊ぼう」
少年はにっこり笑う。
「…私、と?」
美世じゃなくて?
「うん。香耶ちゃんがいい」
いつも見ていた、『無能』の姉と遊ぶ幼馴染、辰石の子ーー辰石幸次。
今日も庭で見かけた。
あまり表に出ない姉の美世を気遣ってか、いつも迎えに来る。毎日のように飽きもせず遊びに。
「いつも家の中で勉強ばっかり、つまんないでしょ?一緒に外で遊ぼう?ね?」
言われた香耶は大きな目を見開いて驚く。
差し出された幸次の手を、どうして良いかわからない。そんな風に言われたのは、初めてだった。
「私…今からお琴の稽古なの」
ぎゅっと稽古事用の鞄を握りしめる。
「そっか。じゃあ、帰って来たら遊べる?」
「わかんない。お母様に聞いてみなきゃ」
言いながら、胸がざわつく。
唇をぎゅっと噛んで俯いた。
きっとお母様は駄目って言う。
琴の稽古の後は、予習と復習をするといつも決まっているんだ。姉のように『無能』にならない為に。
あまり意味はわからずに使っているが、たくさん遊ばないで勉強をする、と言う意味だと思う。
だから、たぶん。
「たぶん、駄目だって言われると思う…」
少しくらいなら良いのだろうか。
なんて考えてみるけれど。
ーーあなたは決して、あれと同じになってはいけないのよ。
いいよ、と言われた事なんて一度もない。
小学校に行けば友だちはいるけれど。
遊ぶ約束が出来ない自分は、いつも誘われない。
「うーん…」
幸次は眉を八の字にしていた。
それが可愛らしくて、仔犬みたいだ…と思うと、少し笑える。
「じゃあ、待ってるよ。香耶ちゃんのお母様が良いって言うまで。明日も、明後日も、明明後日も。ずっと、待ってる」
言って笑った。
右手を差し出して、小指を立てる。
「ゆびきり」
香耶は戸惑いつつも、右手を出す。
小指を立てて、
ゆびきりげんまん うそついたらはりせんぼん のます ゆびきった
その小指を見つめる。
何故だろう。
少しだけ胸が、温かくなったような気がした。
「香耶?行きますよ」
玄関から声がかかる。
「あら?辰石の坊ちゃん」
「…あ、こんにちは」
幸次は礼儀正しく頭を下げる。
「今日は。あの子なら、夕食の支度の手伝いに行ったわよ。そろそろ暗くなるし、もう帰りなさい」
香耶の母に言われて、幸次は素直にそれに応じた。
「はい。失礼します。香耶ちゃん、またね」
香耶に手を振った。香耶も幸次に手を振る。
「またね」
小さく、小さく声を掛けて、幸次の後ろ姿を見送る。
「全く。また遊びに来ていたのね。毎日暇なのかしら?香耶も、あんな風に遊んでばかりでは駄目よ」
そのまま俯き、頷く。
ーーゆびきり、したのにな。
きっと、守られる事のない約束。
なんとなく…わかっていた気がするけど、断れなかった。断りたくなかった。
もしかしたら。
幸次さんがずっと、待っていてくれるかもしれないから。
なんて。
そんな訳ないわよね。
寒い部屋で目を覚ます。
そんな事、あったかしら?
夢現に考えを巡らせるが、記憶にはない。
けれど、小指の感触が忘れられない。
もう見慣れたこの景色。奉公人の朝は早い。
今日は薮入りー休日だ。
遠く離れてしまった実家に帰る事は出来ない。
帰れたとしても。帰る気にはなれないかもしれない。
…待っている、かしら。
こんな私を。
今日はあの人に逢いに行く日。
End***