「あっ」
ドラケンガルドのとある町でプリムとアレインは買い出しに向かっていた。その道中でプリムが雑貨屋の前で足を止め、つられてアレインも止まる。
「あの、アレインさま。一つ私用で欲しいものがあるので買ってもいいですか?お時間は取らせませんから」
「構わない。急ぎの用もないし慌てなくていいぞ」
「ありがとうございます!」
頷くや否や、赤髪のクレリックはぱっと花のように柔らかい笑みを浮かべ、店頭に置かれた押し花の栞へ迷わず歩を進めてひょいと一つ手に取った。
「栞が欲しかったのか?そのくらいなら俺が出そう」
「い、いえいえ!王子さまに買わせるなんて失礼な真似できないですっ。……それに」
勢い良く首を横に振ったかと思えば、プリムは押し花となった桃色のガーベラの花弁を、慈しむようにそっと撫でた。
「折角逢えた、大切な人への贈り物なので」
「……ヒルダか。確かにそれは君が買わないと意味がないな」
プリム自身の性格を表したかのような明るい赤髪とは対照的なまでに落ち着いた髪色をした、数日前に仲間になったばかりの竜騎士の姿を脳内に描く。
ヒルダとは一度剣を交えた。互いの譲れないもののために命をかけて戦い、彼女は妹にすらも槍を向けた。しかしそれは苦渋の選択であったこと、本当は何よりも妹を大切にしているのは、数日の間でもプリムと共にいる姿を見れば容易に理解できる。そしてその気持ちは、プリムの方も同じなのだろう。
「姉さまは花が好きなんです。でもこの国って見ての通り自然に咲く花なんて殆どないですし、観賞用の生花は高いから渡しても困らせてしまいそうで……。だから、こういうのを気に入ってくれるのでは…と、思ったのですが、どう思います…?」
「ああ、生花と違って枯れにくいから長く楽しめるし、良い案だと思うぞ」
「本当ですか?よかったぁ。贈り物が得意なアレインさまにそう言ってくださるとほっとします」
同意されて心から安堵したように笑う彼女を見ると、なんだかこちらも微笑ましくなってくる。
「……だが、一番大事なのはプリム自身の想いじゃないか?君がヒルダのために悩み抜いて選んだ物と共に感謝を伝えて渡したら、きっとどんな物でも喜んでくれる。少ない付き合いだが…少なくとも俺にはそんな人に見える。そこまで不安になる必要はないと思うが」
「そう…、ですね。私も、姉さまはそういう人だとわかっています。……でもやっぱり、折角渡すなら喜んでもらえるものを渡したくてあれこれ悩んでしまうんですよね」
彼女の言葉を聞いてふと、今は護衛兼参謀としてアレインに仕えている男の姿を思い浮かべる。
十年同じ屋根の下で暮らしていたから、何を贈ったら喜ぶのかは分かる。例え調度品でなくとも、贈り物を渡したいというアレインの気持ち自体を嬉しく思ってくれてることも、分かる。それでも店に寄る度、あの人はこういう装飾が好きだろうか、一番喜んでくれそうなものはどれだろうかと、他の誰に渡すよりも頭を捻らせ考えてしまうものだ。
「……分かるな。俺もそうだ」
「えっ、そうなんですか?意外です。私てっきり、アレインさまは相手の好きなものがなんでも分かる不思議な力の持ち主かと……」
そういえば、解放軍の中で似たような噂がまことしやかに囁かれているのを耳にしたことがある。普段から仲間の好きそうなものを調べ、世話になっている礼として賃金とは別に贈り物を渡しているだけなのだが、その話にどんどん尾ひれがついた結果が変な噂の正体なのだろうと、アレインは苦笑する。
「噂通りなら苦労しないんだけどな。そんな便利な力があったらあの人にだって……………ん?」
何気なくプリムから売り場の方に視線を移すと、見覚えのある押し花を見つけて思わず手に取る。パレヴィア島でよく見かけた、白い花だ。
島に来たばかりの頃、この花を見て母を思い出したものの、いなくなった者を引きずり続けるのは王太子として相応しくないからと忘れようとした。そうして未来を背負うために捨てた母との温かな思い出を、ジョセフは拾い上げてアレインの手に優しく返し、過去を思い返す度に痛む弱い心を、それでもいいと肯定してくれた。
共にいると、言ってくれた。
あの日のことは昨日のように思い出せる。アレインはあの日、確かにジョセフに救われたのだ。彼が覚えているか定かでなくとも。
「……どうされました?」
栞を凝視して動かないアレインを疑問に思ったのか、おずおずと話しかけられてハッとする。
「すまない。この花がある人……いや、ジョセフとの、思い出の花だったから」
名前をぼかそうとして、やめた。プリムが心に閉まっていたであろう秘め事を打ち明けてくれたのに、自分だけ嘘をつくのは不誠実な気がした。しかし改めて言葉にすると、誰にも言えなかった女々しい未練を曝け出している情けなさへの羞恥と共に、どこか虚しさを感じる。
「……まぁ、覚えているのは俺だけかもしれないが。その程度の些細な話で、」
「それでも、アレインさまにとっては大切なことなのでしょう」
言い訳がましく捲し立てかけたアレインの言葉を、プリムは静かに、しかし明瞭に遮った。
「例えジョセフさまが覚えてなくとも、貴方さまの気持ちは貴方さまご自身のものです。……ですからそんなに寂しそうなお顔をしてまで、否定なさらないでください」
「…………寂しそうだった?俺が?」
「ええ。アレインさまも贈ってみませんか?ジョセフさまにその栞」
心の空洞の正体を理解し、じわじわと頬に熱が集まる。そこまで分かりやすく顔に出ていたのか、自分は。
「……花が好きなわけでもないのに、急に渡したって困るだけだろう」
「きっと何よりも大切なのは気持ちです。アレインさまがジョセフさまを想って選んだ物と共に感謝を伝えれば、ジョセフさまは喜んでくれますよ」
アレインは返された言葉にぱちくりと瞬きをし、やがて吹き出して笑った。
「はははっ!そうだな、君にそう言ったのだから、俺だってそうしないと釣り合わないよな。一本取られたよ」
「ふふ、どうです?贈る気になりました?」
「そうだな、俺の負けだ」
プリムと共に店員へ声をかけてそれぞれの栞を買い、店の外に出る。ドラケンガルドを照らす日差しはコルニアのものと比べて随分強く、植物が育ちにくいのも納得がいく。このような売り物の押し花には大抵、枯れるのを遅らせるためのまじないが施されているものだが、アレインは少しでも日差しから守ろうとポケットにしまい込み、プリムと共に買い出しを再開した。