「迎える」「送る」「ともに」 夜の海沿いの道を駆ける。
潮の匂いが濃くなるたびに、胸の高鳴りも大きくなる。
鼓動と足音が重なる。まるで一歩ごとに刻まれていく秒針みたいで、待ち合わせの時間を早めてくれている気がした。
小さい頃からずっと夢見てきた初恋の人と、今日もまた会える。
それだけで、心は軽く、体は自然と前へ前へと走っていた。
小さかった波の音が大きくなっていく。
チカチカと光る灯台が自分の背丈を越したくらいに見えた距離のところ。視界に逢いたくて堪らなかった人影が映った。
いつもの笑顔が自然と深くなる。湧き上がる感情のまま、僕は手を振り上げて声を上げた。
「館長さーん!」
人影が小さく跳ねる。その姿にまた口角が持ち上がって、駆けていた足を更に加速させる。
大きな灯台の足下と人影――古風なコートを羽織った男性の下にたどり着いたところで、僕は足を止めた。
「……また来たのか」
「そりゃあ、ね」
膝に両手を付いて荒くなった呼吸を整えていると、低く澄んだ呆れ声が降ってくる。
灯台の灯りでぼんやりと光って見える彼の無表情に、僕は笑って見せた。
「やっと逢えた人なんですもん!」
「…………物好きな奴だな」
ため息と共に吐き出された同じ呆れ声。でも、先ほどよりもどこか柔さを含んでいるのが分かる。隠しているのだろうが、きっと、何となく彼も――館長さんも僕と同じか、似た気持ちなのだと思う。
そんなことを考えていると、つい頬が緩みそうになる。にやけそうになるのをなんとか抑えて、毎晩座る定位置へと向かう彼の後を追った。
星が瞬く夜空と、灯台に照らされて光る海。潮風に包まれる定位置で、僕の声が響き渡っている波の音に混ざっていく。
僕たちの間に置かれた二本の瓶。一本はもう飲み終えて空っぽだけど、もう一本、館長さんの足元に置かれた瓶は封は開けてあれど、少しも減っていない。手付かずのままだ。
夜でもじとりと暑い夏の夜。潮風が心地良くても、やけに分厚いコートを羽織っている彼の体調が心配で、再会した二日目から用意している飲み物。でも、飲んでもらえたことはない。別れる時に持って帰れと彼に言われて、帰り道に飲んで帰っている。
当初はそれにほんの少し寂しさも感じたが、一週間もすれば慣れてくるし、別にどうてことない、些細なことだ。だって、僕は今、とても幸せだから。
ずっと逢いたくて、逢いたくて仕方なかった彼と最初に出逢った場所で再会して、この一週間の夜は彼とこうして話ができるのだから。
夜に灯台で待ち合わせて、こちらが近況や思い出話を語って、館長さんは静かに相槌を打って、時たま難しい話をされて、明け方前にまた明日、と別れる。そんな夜が当たり前になってきていることが、本当に、嬉しくて仕方ない。
だけど、今日はなんだか違った。
「――それで、今日は無事何とかなったってわけなんですよ。で……」
続けようとした言葉を呑み込んだ。
改めて隣に目を向ける。じ、といつものようにこちらを静かに見つめる館長さんと当たり前だがしっかりと目が合う。
相槌もそこそこにこちらをじっと見つめながら話を聞くのはいつものことだ。いつものこと……だが、向けられている視線が、いつもよりどこかむず痒かった。
「あの、館長さん?」
「……大きくなったな、最初の時より」
耐えかねて彼の愛称を呼ぶと、彼の方から珍しく僕に直接触れる言葉が出てきた。あまりそういった話は彼からしないのに、微かな違和感を覚える。
でも、そのことにとても胸が震えた。彼に興味を持ってもらえたことが会話から見えたのは初めてだから。
「そりゃあそうですよ! だって館長さんと最初に会ったのは本当に小さい頃ですもん。もう十数年は経ちますよ!」
「……そう、か」
にかりと笑って言った言葉への返答は、あまり予想していない声色だった。
隣から見える表情はひとつも変わらない。けれど、その声色にはほんの少し、本当に小さな引っ掛かりが混じっていた気がした。
どこか微妙な、何ともいえない居心地のわるい空気が立ち込めていく感覚がする。
彼にそんな感覚を覚えて欲しくない。そう思ったら、咄嗟に口が動いた。
「僕、あの頃からだいぶ変わったでしょう? 身長もですし、あと……男らしく、かっこよくなったでしょう?」
軽く大袈裟に笑って見せる。これでいいはず。きっと、彼は呆れた声で返してくれて、この空気も消えるはず。そう心の内で予測を立てる。
居心地の悪い、澱んだ空気の中で波の音が だけが響く。
館長さんは。暫く黙して海を見てから静かに呟いた。
「……ああ。たしかにな」
「…………へ?」
あまりにも間抜けな声が口から出てしまった。
澱んだ空気は消えた。だが、彼から返ってきた言葉は予測からずれたものだったせいだ。いや、だって、ここは呆れるところだろう⁉︎