webオンリー用進捗③.
経営者の観点からすると多忙な状況は悪いことばかりではない。
人と会うということはそれだけビジネスの機会が得られるということで、それは自社の成長と利益につながる。個人としても、人脈を広げることは己の人生をより豊かで面白くなることを、ここ最近身を以て実感しているところでもある。
とはいえ、分刻みのスケジュールが何日も続き、経営者としての仮面をずっと外せずにいると流石に疲れてくるものだ。
そんな宿儺が社用車の窓の向こうにピョコンとしたお団子が二つ乗る浅葱色の頭を見つけたのは、忙しない午後の僅かな移動時間のことだった。
「おい」
「あ?うおっ!」
路肩へ寄せさせた車の窓から宿儺が声をかけると、訝しげに振り返った鹿紫雲がびくりと肩を震わせた。
「は?え?なんでこんなとこいんだ?」
「移動の合間だ」
「あー、なるほどね」
そう呟いて鹿紫雲が運転席に目配せすると、運転手が軽く頭を下げた。鹿紫雲は宿儺の社用車に何度も乗っていて、何人かいる運転手全員と面識がある。その中でも今日担当の運転手は一番頻回に鹿紫雲と顔を合わせていることもあってか、宿儺が車を路肩に寄せろと言った時、視線の先に鹿紫雲がいたことにもすぐに気がついた様子だった。
「貴様は何をしている。サボりか?」
「ちげーよ。今度馴染みの先生んとこと共同研究始まるから、その打ち合わせの帰り」
宿儺は鹿紫雲が所属する企業の大口出資者であるから、長期的な経営戦略については目を通していても細かな研究内容については把握していない。ただ、自宅で鹿紫雲と食卓を共にする時、時々鹿紫雲の口から出る今後の研究やそれに付随する情報は薄っすらと頭に残っていた。
「ああ、前にそんなことを言っていたな。学生時代の恩師だとかなんとか」
「よく覚えてんな」
「普段だらしない格好の貴様がネクタイなんぞを絞めていたら思い出しもする」
「いつも職場着いたら白衣なんだから別にいいだろ」
「それにしても、以前俺が見繕ってやったものではなく安物の量産品を着ていくとは。どうせ靴も久々に引っ張り出してそのまま履いたのだろうな」
「うるせえな。いちいち細かいんだよあんた」
ここまで必要のない会話をしたのは久しぶりのことだ。妙に饒舌になっている自分を自覚しつつ、ふと鹿紫雲の足元へ視線を落とす。すると、鹿紫雲の手に、スーツには似合わないポップな紙箱がぶら下がっていることに宿儺は気がついた。
「おい、それはなんだ」
「あ?ドーナツだけど」
駅からの道に店があって小腹も空いたから研究室の同僚への土産ついでに買った、と律儀に鹿紫雲が続ける。
「なんだよ、あんたメシ食ってねぇの?そんなに忙しいのか?大丈夫かよ」
鹿紫雲にスケジュールの細いところまでは伝えていないが、しばらく満足に家に帰っていないこともあってか鹿紫雲の顔に案じるような表情が滲む。
一応昼食は取っているが移動の合間に仕出し弁当を食ったくらいで、時間的にも少々小腹が空いてくる頃合いではあった。午前から分刻みのスケジュールが続いていた中、次のクライアントとのアポまで奇跡的に少し余裕があり、カフェか何か手早く店を見つければ一息つくことも不可能ではないだろう。
余計な心配は無用だ。
そう返そうかと思ったが、珍しく気遣わしそうに眉を下げる鹿紫雲を見ていると、もう少し付き合わせてやりたくなった。
「貴様、まだ時間はあるのか?」
「え?ああ、まあ急ぎの検査も実験もねぇけど……」
「ではその店まで案内しろ」
「は?」
今一度時計を確認し、次の移動先までの時間を軽く計算する。本当は一度社に寄ろうかと思っていたが、大きな問題にはならないだろう。
「なんでだよ。つーか、このまま駅の方まで戻れば分かるし」
「俺はその店に入ったことがない。俺が出すから貴様も一緒に食っていけ」
「はぁ〜?意味わかんねぇ。俺もう自分の分買ったし。てか、腹減ってるならちゃんと飯食えよ」
「昼食は取った。ただ、俺も少し小腹は空いている。次のアポまでの繋ぎにもちょうどよい」
秘書である裏梅へ一報を入れていると、窓から顔を覗かせた鹿紫雲が不平不満をこぼしてくる。ただ、運転手へ適当な場所で待てと告げてドアロックを解除させると、鹿紫雲はどこか諦めた様子で肩を下げた。