ここから始まるジョルノの治療は異常に痛い。何度も瀕死の状態から助けられているし、こいつの機転とそのとんでもない芸当には感謝している。それにしたって、怪我を遥かに上回る痛みにはいつまで経っても慣れない。まあ、慣れられたら困ると怪我をするたびに怒られているわけだが。
俺がこの世界に入って初めて深手を負ったのは、ブチャラティチームに入って間もないころのことだ。
取り立てで乗り込んだ店内で乱闘になり、店の外に潜んでいたチンピラの銃弾を一発太腿に食らってしまった。即座に返り討ちにしたはいいが、店を出ても腿からの出血は全く止まらなかった。
「クソ!ナランチャ、ブチャラティに連絡してくれ!それから通りに出てタクシーでもトラックでもいい、拾って来てくれ!」
人気のない路地裏で俺の身体はフーゴに支えられていた。右腕をフーゴの肩に回され、脚を引き摺りながら前へと進んでいた。余裕のないフーゴの声に、前に立つナランチャが微かに息を呑む音が聞こえた。
「わ、わかった!俺、すぐ呼んで戻ってくるからよォ、ミスタはあんまり動かさない方がいいよな?」
「ああ、ここで止血しておくから、行ってくれ!」
おう、と頷いたナランチャはバタバタと足音を立てて走り出した。
フーゴがゆっくりと膝をついて俺を地面に横たわらせた。
俺の顔を覗き込む眼差しは緊張の色を孕んでおり、神経質そうな眉がきりりと持ち上がっている。フーゴは自分のネクタイを掴むと荒い仕草で解いて首から素早く抜き取った。ネクタイを俺の腿に巻きつける。俺の側に膝を突いたフーゴのスーツに赤い血がベッタリと付いていた。見ると、ももの周りは地面が赤く濡れ水溜りを作っている。なるほど、笑えねー怪我ってわけだ。いつもの優等生然としたフーゴらしくもない、切羽詰まった顔に減らず口を叩きたくなった。
「…お前、止血なんてできんのかよ」
「当然でしょう。そっちこそ、飛び交う銃弾を浴びても怪我ひとつしないで3人撃ち殺したんじゃなかったのか?」
「ああ?なんでおめーがそんなこと知ってんだ」
「そりゃあ、君のことを調べるのに裁判の記録も読み漁りましたから」
「裁判?」
「法廷で君がそう言ったんだろ」
誰も信じていなかったらしいけど、と低い声で付け足したフーゴの顔には苦虫を噛んだような表情が浮かんでいる。
「うるせえなあ、おかげでムショにぶち込まれたんだよ。こんなときに俺の人生最悪の数ヶ月を思い出させんなよ」
「…そうだな、全く同感だ!」
「うがァッ!いってぇ!!」
投げやりな声とともに巻いたネクタイをギュッと力いっぱい締め付けられて傷どころではない痛みが走る。思わず叫ぶとうるさい、と怒鳴り返された。
「オイ!なんつーことしてんだお前ッ」
「止血なんだからきつく締めないと意味ないんですよ!!」
「おまっ、普通やる前にひとこと声かけんだよ!こういうときは!」
「うるさい、大人しくしてろ!」
返事をする気も失せ、呻きながら痛みにもがいているとフーゴが大きなため息をついて黙り込む。ネクタイの結び目をきつく引っ張ってから手を離す。
沈黙が流れる。俺は腰の近くまで広がった血溜まりを眺めていた。このままじゃセーターが汚れそうだ。畜生、高かったのによ。既に真っ赤に濡れているズボンが冷え、身震いをした。
フーゴがひょいと俺の顔を覗き込んだ。依然として眉間に皺が寄っているのだが、目が合った瞬間口元がわずかに引き攣っているのがわかった。
「…ミスタ」
「…ああ?」
前屈みになったフーゴがこちらに手を伸ばし、ぬるりとした感覚が頬を撫でる。指先の血がついたのだろう、濡れた部分を手の甲で擦って拭われ、フーゴの手のひらが押し当てられる。
「な、にを…」
「寒いですか?」
「ああ…いや、別に」
体温を確かめたらしいフーゴの紫の瞳が不安気に揺れている。俺の返事を聞くと眉を下げ、微かに安堵の色が浮かぶ。頬の感触がこそばゆい。手のひらが触れる部分からじわりと熱が伝わってくるのがわかった。フーゴは手を離さない。野郎に顔を触られるなんて趣味じゃねぇが、不思議と嫌悪感はなかった。体温が心地よいせいなのか、フーゴの必死な態度から来るものなのかはわからなかった。
「…やっぱり何でもいいから喋っててください。ナランチャが戻って来るまで」
「なんなんだよテメーは、黙れっつったと思えばよォ〜」
「あのな、太腿の出血は危険なんだ、寝たら死ぬからな!」
「怒鳴んなよ…何だよ、何が聞きたい」
「何でもいいよ、君の好きな音楽の話でも、食べ物でも…サッカーの話でも」
フーゴの柔らかな声がわずかに裏返る。前髪が揺れ、覗いた形のいい額に汗の粒が浮かんでいるのが見える。頬に置かれた手が一度離れ、ぺち、と音を立てながら触れる。フーゴの薄い唇が歪むようにぎこちない弧を描く。
「君をムショから出すの、結構苦労したんだ。こんなに早く死んでもらったら困る」
「馬鹿言えよ、この俺が簡単に死ぬわけねえだろうがよ」
返事はなかったが、喋り続ける俺の声を聞くフーゴの顔にずっと浮かんでいたのは情けないふて腐れ顔だった。時折覗き込むような不安気な瞳と視線がぶつかる度、笑ってしまいそうだった。
手当も終わって、俺だけにベラベラ喋らせて、血まみれで、なんでお前だけ切羽詰まり続けてるんだよ。ギャングの経験も俺より長いくせに、やっぱりガキだな。
やがてナランチャが俺たちを呼ぶ声が聞こえ、フーゴが振り向く。
「タクシー止まってるぜ!ミスタ、生きてるか!?」
「大丈夫、行きますよ」
駆け寄ってきたナランチャとともに俺の腕を取ったフーゴの顔からは険しさが消え、いつも俺に見せるのと同じ、ちょっぴり鼻につく澄まし顔に戻っていた。
「ギャップって言うのか?会って間もなかったからよ〜、あいつが俺を助けるのにこんなに必死になるもんなのかって、結構感動したんだよな〜」
俺はジョルノの治療の痛みから解放され、横になったまま身体を伸ばす。ジョルノは俺の話を聞きながら服についた汚れをはたいている。
「今の僕だって必死ですよ。そういえばホチキスで縫合されてませんでしたか?」
「まあ慣れたんだろうなー、ああいう判断の早いところは結構気に入ってたぜ」
「ああ、話が早くて助かりましたね」
あれから何度も手当をフーゴに頼むうち、あんなに初々しかったフーゴの動揺した顔は拝めなくなっていった。もう二度と見れないのかと思うと残念だったが…。
俺の言葉に微笑んで頷いていたジョルノが一呼吸おいて、ミスタ、と呼んだ。
「フーゴに会いたいですか?」
部品が馴染んだのかすっかり自由になった上半身を起こしてジョルノの顔を見上げると、口元に笑みを浮かべたまま俺を見ていた。
「なんだよ、会わせてくれんのか?」
「そんな顔されちゃあね」
ジョルノが余裕たっぷりの顔で笑う。
「オイ、どんな顔だよ、ジョルノ」
「教えません」
「なんだよ。…まあ、完全にその気になってきたな」
「フーゴがいてくれたら心強いですね…真実の信頼を預けられる仲間が僕たちには必要だ」
さっさと立ち上がって歩き出したジョルノのあとを追う。前から吹いてくる風が濡れた服から温度を奪い、ぶるりと身体を震わせる。
(…あの日、)
サンジョルジョ・マッジョーレ教会で、ボートから振り返ったときに見えた光景を思い出す。
1人きりで陸に佇むフーゴは、遠ざかる俺たちを見ていた。
(あいつ、あのときと同じ顔してたんだ)
(…死んで欲しくない、っつー顔)
「にしても、今更会ってくれんのかな〜」
「今からでも遅くないでしょう。僕たちは生きているんだから」
「いきなり目の前に現れたらどんな顔すっかな〜、あいつ」
組織の人間を使えばフーゴの居所を掴むのは難しくないだろう。ブチャラティチーム時代の写真を持っている奴もいるだろうし。明日、いや今日にでも部下に声をかけて…もし会えたら、そのときはなんと声をかけようか。急に動き始めた未来に、ソワソワと走り出したいような気持ちになる。
あいつはきっとごちゃごちゃ抜かすだろうけど、会って伝えたいのは難しい話じゃない。
最後に見たのがあんな顔のまま、お互い生きていくだなんて、そんなの寂しいじゃねぇかよ。
願わくば、また同じ道を歩けたらいい。年不相応の、大人びた眼差しや、くしゃっと笑う柔らかい表情が見たい。
横を歩く俺の顔をちらりと一瞥したジョルノが小さく吹き出す。
「だらしない顔してますよ、ミスタ」