「ね、千空、キスしようか」
ゼノが何かにつけてやたらそんなことを言う理由を、千空は最近になってようやく理解した。
思い返せば、恋人という関係になってすぐのうちは、それは確実にからかいの意を含んでいたといえよう。経験のない千空にひとつひとつ教えるように、だが科学を教えるときとは違って、千空が恋愛に対してあまりにも不慣れなところを可愛い可愛いと言って笑っていた。確かに照れくささはあったが、知らないことを教えてくれるゼノの手腕を千空は確かに信頼していたので、年下らしく素直に従っていたものだった。
様子がおかしいと思うようになったのは、それから季節が一巡した頃だった。覚えの早い千空はすっかり恋人としての触れ合いにも慣れてしまって__というのは半分嘘だ。むしろ至近距離になるとすぐ心臓が跳ねてしまうのはこういうことをするようになってからの弊害だが、それは一旦置いておいて。
端的に言えば、千空はキスが上手くなったのだ。ゼノがあれだけじっくり丁寧に教えこんだのだから当然である。実に論理的で必然的な結果。流石の千空も黙って唇を重ねるくらいの雰囲気は掴めるようになっていたのだが、ゼノは未だに「キスして」と言葉にするのをやめていなかった。合理厨のくせしてロマンチストなきらいのあるゼノがわざわざそうするわけを、千空はずっと不思議に思っていた。
「……?千空、早く」
「わーってるよ、ゼノせんせ」
なんで不思議になんか思っていたんだろうと、気づいた今なら言える。
長い交際期間を経て多少余裕ができてしまえば、ゼノの声色が以前と全く違うことなんてすぐに分かることだった。この傲慢な師匠は、柄にもなく弟子に甘えているのだ。あくまでも千空にさせてやるという体裁を保って、恋人にただ愛されたいだけだった。恋は盲目とはこのことで、根拠なんて一つもありはしないのに千空はそれを確信していた。してほしいことを素直に口にするゼノは、許しを乞うみたいに毎回しおらしい声で強請ってくるゼノは、まるで子供みたいだ。ゼノに求められるのが嬉しくて、どうしたら喜んでくれるかばかり考えてしまう千空も、十分子供なのかもしれないが。ガキで上等だ、と千空は考える。この似た者師弟は、幼い頃憧れた月の輝きに手を伸ばして、ロケットまで作ってしまうような大人たちなのだから。
唇が重なる。丸い瞳が宇宙のようだと思って、胸の中にぎゅっと抱きしめた。