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    koda_haigyo

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    koda_haigyo

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    くろまめさんへ投げつけるためのもの
    バト継承の良グレ

    曇天、悔恨 全体、俺はどこをどう間違っちまったんだろうか。

     エドガー家チーフバトラーの良秀は、滴り落ちる点滴の音と無機質な機械の音を聴きながら、幾度目になるか分からない思考を巡らせた。
    苦いものが喉元まで込み上げてきて止まらない。主人の主寝室にいるというのに、とっくの昔に捨てた煙草が恋しくて堪らなかった。さっきから空っぽのポケットを無意識に撫でている。
     何度も頭の中で堂々巡りするこれは、悔恨というものだろう。俺の人生において未だ味わったことのないものだ。
     
    (いつだって兆候はあった)

     先代のアーンショウがヒースクリフという裏路地の孤児を、まるで子犬のように無責任に拾ってきたこと。そのヒースクリフとヒンドリーの相性が最悪だったこと。
     ヒンドリーの出来の悪さを、アーンショウは実は昔から気に入っていなかった。当て付けのように向けられるヒースクリフへの愛情は、ヒンドリーを、そしてヒースクリフをも歪めていった。
     一つ一つ、ボタンを掛け違えていった。

     そしてその積み重なった結果が、今俺の前に横たわっている。

     目の前にある豪奢なベッドの上に、痩躯の男が身体を横たえている。絶えず上がる呻き声と機械の吐き出す無機質な音。

     エドガー家の当主、グレゴールは未だ目覚める気配はない。
    数日前、ヒースクリフは亡者の軍勢を従えてここ、鴇の辻の屋敷を突如襲撃した。否、惨めにも敗北した、と言ったって良いだろう。
    懸命に迎え撃ったバトラー達にも随分と犠牲者が出た。だが、あの男の、俺が保母として手ずから育て上げたヒースクリフの狙いは明らかにグレゴールだった。対峙したグレゴールの右腕を切り落とし、ヒースクリフは嘲り笑った。グレゴールの命を奪わなかったのも、奴の気まぐれだった。

     睫毛に覆われた瞼が微かにひくりと震える。およそ都市にある最高の医療技術をもってして、落ちた右腕を除いて身体は十分に回復させた筈だった。
    それでもグレゴールは未だ、あの日の悪夢に囚われ続けている。
      主寝室の静寂を突き抜けて、階下のざわめきが耳に入る。ようやく、残ったバトラー達を纏める仕事を思い出して良秀はグレゴールの枕元を去った。

     階下にある広間には、沢山のバトラー達が集まっていた。みな、中央に置かれた棺を珍鬱な面持ちで眺めている。何人かのバトラーは、棺に取り縋って泣き叫んでいた。

    「イザベラ様…イザベラ様…!ああ…」
     イザベラ嬢。
     鳶色の髪以外はおよそ、あの陰気なグレゴールの野郎には似ても似つかない女だった。
     あいつよりも長兄に似て奔放な性格で、ヒースの咲き誇る荒れ野を駆け回ることが好きだった。花を摘んで病床の兄に届けるような少女だった頃のことを良秀は知っている。グレゴールは妹を、彼女の奔放で明るい魂を深く愛していた。
    彼女は兄二人に愛されてのびのびと育ち、そして───
     ───そして彼女は死体袋に入れられて、ヒースクリフ自身の手で引き裂かれて屋敷へ送り届けられた。
    また飲み下せないほどに苦い悔恨が込み上げてくる。良秀はそれを抑えてどうにかバトラー達の前に立った。
    「…葬儀の準備を執り行う。ご主人はあの通り、いつ目覚めるかは分からない。目を覚ますまで、出来る限りの準備をするように…」
    「よくも、よくもあんた…」
    不意に、バトラー達の中から慟哭の声が上がった。最後までイザベラ嬢の棺に取り縋っていた
    女バトラーだった。昂然と立ち上がり、周囲の制止を振り切って良秀の胸ぐらを掴み上げた。
    「よくもまだ…この屋敷に居られるね!あんたがあの男を育て上げたくせに!」
    「あいつのせいで…イザベラ様は…グレゴール様も…」
    ぐちゃぐちゃの顔で泣き咽び、決して逆らうべきではないチーフバトラーに向けて、自身の身が引き裂かれたかのような痛ましい声を上げ続ける。
    (こいつは、ここの古参だった。イザベラ嬢を、我が子のように慈しんでいたんだったな)
     その様を、良秀は己でも驚くほどに静かに眺めていた。
    (羨ましい)
    泣き叫ぶ。俺に向けて怒りをぶつけ慟哭する。どうしてだかその姿に、羨望を覚えてしまう。不気味なほどに静かに揺さぶられ続ける良秀に、歯止めが効かなくなったのか女バトラーはいよいよ拳を振り上げ───

    「止めて…止めてください!」
     良秀の身体にまた新しい衝撃が走った。さっと暖かな夕日色のカーテンのような髪の毛がゆらめいて、バトラーとの間に割り込んだ。

    「良秀様が…チーフであり続けるかどうかを決めるのは、ご主人様に与えられた権限です。今良秀様に従わないのならば、この屋敷への離反となるでしょう」

    そうでしょう、良秀様。イシュメールに呼びかけられて、ようやく良秀は我に返ることが出来た。

    「…ああ。俺がどう処断されるかは、ご主人が決めることだ。ご主人が目覚めるまでは、嫌だろうがなんだろうが引き続き俺に従って貰う」
     
    はい、とめいめいに声が上がる。バトラー達は良秀の元、ようやく家事にとりかかった。


     夜明け頃、グレゴールは目を覚ました。

     微かに琥珀色の瞳が揺れているのに、良秀が一番に気がついた。指示を出そうと良秀が口を開こうとした瞬間には、イシュメールは既に控えている医者を呼びに走り出しているところだった。オレンジ色の残像だけを残して廊下をすっ飛んでいく姿を見届けながら、良秀はグレゴールの側についた。琥珀色の瞳が、やがて視点がしっかりと結ぶのを見ていた。

    「…おどろい、たな」
    良秀の顔を見とめて、ぽつん、とグレゴールの喉から掠れ声の呟きが漏れた。
    「何がだ?」
    「…主人がこれほど無様に負けても、まだ残ってるバトラーが居るなんて…驚きだ」
    「…まあ、何人かの馬鹿は逃げ出したな」
    「残ってる者より…そいつらの方が賢明だろうな」
    賢明?賢明だと?
    「聞き間違いか?」
    「はは…。妹…イザベラも…バトラー達も守れないような主人だ。見限るのが正解だろ?」
     首を傾けて、自身の右腕のあった筈の虚空を見つめてグレゴールはせせら笑った。

    「…クソみたいなことを言えるくらいには元気なんだな。安心したよ。K社のアンプルとやらは馬鹿高いだけある、無駄にならなくて良かった」
     相手はようよう目が覚めたばかりの病人だというのに、苛立ちが抑えられなかった。この野郎のしみったれた口の利き方には慣れているつもりだったが、さんざっぱら心配させておいて開口一番に言うことがこれとは。思わず横面を張り飛ばしてやりたくなる。

    「良秀、君も…分別があるならば早くここから出た方が良い。俺にとってもそうしてくれた嬉しい限りだ。ここを捨ててでも…残ったバトラー達が生き延びてくれた方が───」
     グレゴールは口をつぐんだ。否、口をつぐまされた。開きかけた唇にはひたりと良秀の指が当てられている。
     生身の身体の筈なのに、何故かグレゴールには、ひんやりと冷えたカトラリーを押し当てられているかのように錯覚した。

    「その言葉、もう一度最後まで言ってみろ…。俺に、何をして欲しいって言った?あの男の前にお前を投げ捨てて、責任も負わずにおめおめと生き残れと言ったように聞こえたが?」

     主従などかなぐり捨てた、ドスの効いた声だった。
     並の人間なら震え上がるだろう声音にも、グレゴールはゆるりと微笑み返すだけだった。
    「自分の身も守れないほどに弱い主人に対して責任なんて…感じる必要はない」
     グレゴールはむしろ良秀の怒りに燃える赤い瞳を見ても愉快そうにしている。諦念と自嘲の混ざった笑み。盛大な溜息が良秀の口から漏れた。

    「そういやあ、もうじきここにイシュメールが来るな。優しい優しいご主人様がして下さった、さっきの"提案"を俺からあいつに聞かせてやるとしよう」
    「それは…それはやめてくれないか」
     気に入らない笑みを引っ込めて、急に眉根を寄せて困った顔をするグレゴールに、ようやく溜飲が下がる思いだった。
     主人を捨ててでも生きながらえろと命令したらどうなるか。
     グレゴールが困窮するとおり、イシュメールの奴の反応は火を見るより明らかだろう。泣くか、悲しみすら超えて烈火のように怒るか。怒髪天にブチ切れ過ぎて、船乗り仕込みの大音声でグレゴールに怒鳴り散らすイシュメールの姿が見れるかもしれない。騒がしい揉め事は嫌いだが、想像するだに笑える光景を見るのも捨て難い。良秀はほんの少しだけ心が揺れた。

     過ぎるほどに心配性で、そして純粋に自分を慕っているイシュメールの存在は、この当主にとって泣きどころのようなものになっている。

     こいつのような男には、俺が脅しつけるよりもどうやらイシュメールの率直な心配の言葉の方が効くらしい。…俺には逆立ちしても出来ない芸当なのだが。俺相手には遺憾無く発揮する、生来の皮肉な口や投げやりな態度も、イシュメールの前では随分となりを潜めている。
    彼女の舵取りにずるずると引き摺られて、ときどきは気の進まない食事も摂っていることも、良秀はいつだって内心で愉快に思っている。

     ようやく、いつもの調子が戻ってきたようだ。注意深くグレゴールの様子を眺めていた良秀は、密かに安堵の息を漏らした。
     バタバタと、廊下を慌ただしく数人が駆け巡る音が近づいてくる。数瞬後には、イシュメールが医者を伴って飛び込んでくるだろう。



     イザベラ嬢の葬儀はひっそりと執り行われた。
    かつて栄華を極めたエドガー家とは思えないほどに、寂しい式だった。小雨の中、ぽつぽつと少ない弔問客と立ち上がれるバトラー達を伴って、短い葬列が荒れ野を通った。
     だが、客人達は、イザベラ嬢へ哀悼を捧げることよりも、グレゴールの空っぽの右袖にうろうろと視線を彷徨わせることの方に忙しいようだった。
    グレゴールは視線に晒されながら、ただ妹の墓前だけを見つめていた。
    彼の手に握られた、白い百合の花びらだけが、涙のように雨粒を滴らせていた。

     葬儀が終わると、彼らは飛ぶように屋敷から逃げ出していった。まるで、今にもワイルドハントの軍勢が飛び出してきて、グレゴールを八つ裂きにするのを恐れているかのように。
     いたくご立腹な良秀は「塩撒け、塩」という命令を出し、イシュメールは首を傾げながらもその奇妙な命令に従った。全く意味がよく分からないが、そうすることで良秀様の気が済むなら…と、イシュメールは門や玄関に大量の塩を撒いた。


    ーーーーーー

     家族を喪っても、普段の執務が無くなるわけではない。
    グレゴールは執務室で、物思いに耽っていた。
    今日は一日ベッドで過ごすべきだ、というイシュメールの頑固な主張を退けてグレゴールは執務にあたっていた。(イシュメールは良秀に船で学んだ誰も解けない縄目で主人をベッドに縛り付けてもいいか、と聞いたが良秀は許可を出さなかった。)

     不意に、グレゴールの耳に廊下の騒音が飛び込んできた。イシュメールが何事かを叫んでいる声が聞こえる。
    「良秀様!良秀様?お気持ちは分かりますが…いくらなんでも気が早すぎます!ご主人様は昨日葬儀を終えたばかりなんですから…」
    それからすぐに、ノックすらされずに執務室の扉が勢い良く開かれて、グレゴールは眉をひそめた。
    部屋に入ってきたのは良秀と、見知らぬ数人の人間だった。
    「良秀…?と、誰だ?そいつらは」
    「技・屋だ」
    「…?」
    不明瞭だと首を傾げるグレゴールに対し、良秀は苛々と言い足した。
    「技術屋だ。右腕の義体を作るのには反対だと言っていたな。それなら剣を新しく誂える必要がある。右利き用の件から左利きのものに。それから実戦用のやつは数を増やした方が…」
    「待って…待ってください!良秀様!」
    「ご主人様はまだ休養を取られるべきです!武器の準備なども必要ではありますが、体力が戻ってからでも別に…」

    「…いや、良い。イシュメール。今回ばかりは良秀が正しいよ」
    イシュメールを制して、グレゴールは静かに執務のための書類を置いた。
    「確かに…狩りに向かう気なら…得物は早く準備した方がいい。そうだろ、良秀」


     客人たちはイシュメールに連れて行かれ、執務室には良秀とグレゴールの二人が残った。
    「そういえば、言ってなかったな」
    不意に、グレゴールが声を上げた。
    良秀が見れば、グレゴールは不自然なくらい窓の外に顔を向けている。こちらを見ようとしなかった。

    「ありがとう」
    ぽつん、と放り投げられた言葉を良秀は受け取り損ねた。この位置だとグレゴールの空っぽになった右袖が、俺にはよく見える。
    「この屋敷に、残ることを決めてくれて」
    咄嗟に言葉が出なかった。
    (俺の責任、血を流して倒れ伏すグレゴール。俺の膝で眠る幼いヒースクリフ。イザベラ嬢と、バトラー達の亡骸。…それから絶望と怒りの中で彷徨ってきた、あの、ヒースクリフの顔)
    「…馬鹿か。俺は、バトラーとしての家事を最後まで全うするだけだ」
    焼きついて離れない光景が、良秀の前に瞬いている。感謝などしてほしくはなかった。

    「そうだとしても。共に戦ってくれる仲間には感謝をしたい」

    ありがとう、とグレゴールは再び口にした。

    「君のそういう顔は珍しいな」
    我に返れば、グレゴールは俺の方を向いていた。曇天の弱々しい陽が差し込む窓を背に、グレゴールが笑んでいる。

    「…馬鹿げたことを言ってないで、とっとと支度をしろ、ご主人。客人を待たす程のウスノロに仕えた覚えはない」
    君が勝手に呼んだ客だろう。そう後ろから咎めるように言うグレゴールの声を無視して、良秀は振り向かなかった。廊下を歩みながら、先ほど見たグレゴールの姿を思い返していた。
     俺の責任。掛け違えたボタンや、喪ったものたち。身体に重苦しく絡みつき、狩りの場へと身を向けさせる理由の中でただ一つ。陽の光のように真っ直ぐに俺を狩りへ向かわせるもの。

     狩りの日まで、穏やかな陽が差し込む日などもう少ししか残されてはいないだろう。だが、俺はここで、守るべき主人のためにカトラリーを磨き続ける。

    たとえ、破滅を齎す嵐が来ようとも。
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