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    右杉webオンリー「好きスギッ!motto!」開催おめでとうございます。
    以前書いた尾杉の再掲です。

    ※全年齢

    #尾杉
    tailFir
    #現パロ
    parodyingTheReality

    一、
    「ちゅーなんかただ口と口くっつけるだけだ。全然大したことない。だって家族とするじゃん。飼ってる猫とか犬とかさぁ。ほっぺたとかオデコから少しズレただけで何が変わるんだよ」
    昼休みに教室の一番前の方で谷垣とそういう話をしてたら通りかかった花沢が突っかかってきた。
    「家族とキスなんかしない」
    「えっそうなのか」
    「するよ!谷垣だってするよなぁ?」
    「……い、妹のほっぺにしたことある」
    「ほらぁ。鯉登だってしょっちゅう兄貴にチュッチュされてんじゃん」
    「……お前らが変なんだ」
    花沢はぎゅっと顔をしかめて口を尖らせた。
    「勇作としねーの?」
    「しない」
    「してやれよ、喜ぶぜ」
    俺がふざけて肩を掴んでチュッチュ〜と音を立てたら急に怒った。
    「気持ち悪ぃ!」って、俺を突き飛ばして行っちゃったんだ。いつもならニヤニヤ意地悪言ってくるのに。

    花沢の家は厳しくて、毎日勉強しなきゃいけなくて、誰も遊びに行ったことないっていうのを思い出したのは何時間も経った後の帰り道だった。
    方向同じだけどいつもなら白石がいるから二人きりで帰ることあんまない。今日は珍しくアイツが風邪引いて休んでるから、もう五年なのにまだピカピカの花沢のランドセル見ながら歩いてた。
    ぎゅっと眉毛寄せてる顔、もしかしたらムカついてたんじゃなくて寂しかったのかなぁってなんとなく思った。じいちゃん家から帰る時、ばあちゃんは『また来てね』って何度も言うけどじいちゃんはただ黙って、昼休みの花沢みたいな顔で俺をじっと見るんだ。とーちゃんは『じいちゃんは恥ずかしがりだから、言葉に出来ないんだ』って言ってた。花沢も恥ずかしがり?
    「花沢ー」
    「なに」
    持ってた棒でランドセルを叩いても、花沢は怒らないで振り返った。
    「俺の秘密基地来ない?」
    「どこ」
    「うちのガレージ。誰も知らないんだ。特別に見せてやる」
    「……行ってやるよ」
    今日初めてニヤッとしたから嬉しかった。いつもならムカつくのに。

    俺の秘密基地はとーちゃんが昔乗ってた古い車だ。真っ赤なスポーツカー。今は壊れてるんだけど、大人になったら直して乗っていいって鍵をもらった。
    前の席には道具とかがたくさん乗ってるから、後ろの席に漫画とか懐中電灯とか持ち込んだ。妹と喧嘩した時とか、一人になりたい時はここに来る。
    「俺の車なんだ!」
    花沢は嘘だって笑わなかった。深緑のカバーをめくって「映画に出てくる車みたいだ」とだけ言った。
    真っ暗な車の中で、懐中電灯を使って花沢と漫画を読んだ。二人でこうやって遊ぶのは初めてだ。クラスのみんなと居る時みたいな意地悪は一個も言われなかった。

    「目が疲れた」
    花沢が漫画を閉じたから俺もライトを消した。カバーをドアの分だけめくってあるから、少し明るい。
    「でも楽しいだろ、暗いところ」
    「うん」
    花沢は猫みたいに顔をゴシゴシしてる。
    「……昼休みの時さ、なんであんなに怒ったの?」
    「押したこと怒ってんのか」
    「違うよ、気になっただけ」
    顔を隠したまま「誰にも言わない?」と聞かれたから「うん」と答えた。
    「……みんな好きな人とするんだって言うのに、父上は家族じゃない人とキスしてる」
    「え」
    「……口と口で?」
    「うん。母上はいつも泣いてて、俺が呼んでも返事しない」
    何も言えなかった。
    結婚した人が家族以外の人と口つけるのは浮気って言うんだ。それが悲しいことだっていうのも分かる。
    「二人共全然話さない。俺達とも……俺と弟はいつも二人でご飯食べてる」
    花沢の家のことは良く知らないから、気の所為だなんて適当なことも言えなかった。
    「とーちゃんかーちゃんに寂しいって言ってみたら?」
    「……別に、寂しくてもいい。勇作がいるし」
    顔を隠すのをやめて花沢がまっすぐ前を見た。全然良くなさそうだった。俺はその顔を見て……かーちゃんが元気ない時してくれるみたいに、ほっぺにちゅーしたいと思った。でも家族以外とそんなことしたことない。
    「……花沢はかっこいいってみんな言ってるぜ」
    「ほんと?」
    振り返った顔がちょっと嬉しそうで「そうだよ」って、みんなが褒めてたことをいっぱい教えた。算数と理科が得意なこととか、運動会でかけっこいつも一番なこととか、公園に迷い犬が入ってきたの追っ払ったこととか、知らない道に入っても絶対迷子にならないこととか。
    「みんなお前のこと好きだから、そんなこと言うなよ」
    「……杉元は?」
    「えっ」
    「俺のこと好きか」
    普通そう言うこと聞かないだろ、恥ずかしいじゃん。
    ……でもまっすぐ見つめる顔が少し大人っぽくて、恥ずかしくてドキドキした。カッコいい花沢が寂しそうにしてるのは見たくなかった。
    「……うん。好きだよ」
    恥ずかしすぎる。懐中電灯を手の中でぐるぐる回したけどすぐに止められた。
    「どのくらい」
    「………」
    家族にもそんなこと言わないのに。でも友達が秘密の話をしてくれたのに俺だけ黙ってるのもずるい。
    「笑わない?」
    「うん」
    「……ちゅーしてもいいくらい」
    言っちゃった。恥ずかしくてすぐにごまかそうと車のシートをばんばん叩いた。
    「ごめん、気持ち悪ぃよな、ははは」
    俺が笑っても花沢は真剣な顔をしたままだった。
    「……いいの?」
    暗闇の中で、黒曜石みたいな濡れた目が俺を見た。
    学校であんなこと言ったのに、本当は少し怖い。でもビビってるなんてバレたら帰っちゃいそうだし、伝えたい理由も『怖くてもいい』と分かって欲しいだけだ。
    「……うん」
    緊張して固まる肩にあったかい掌が触れて、口より先におでこがぶつかった。
    「杉元……」
    すごく近くで名前を呼ばれて足がビリビリした。もう片方の手が俺のほっぺたを撫でて、ぷにゅっとした柔らかいものがくちびるに触った。
    びっくりしちゃって懐中電灯が手から落ちた。足の上に落としちゃっても花沢は俺の口から離れなくて、グイグイ押してくるから倒れた。
    積んでた漫画がどさどさ崩れて、足と足の間に花沢の膝が挟まった。
    口は離れたけどほっぺたをくっつけたまま、もう一度「杉元」と呼ばれた。
    触れてる所が全部熱くて、ドキドキする。心臓が飛び出しそうで怖くなって背中に手を回してしがみついた。
    「痛かったか」
    「違う」
    ちゅーの後どうするかなんて分かんない。花沢も、少し後に俺の頭を抱えてぎゅっとした。
    花沢の心臓の音が俺の心臓と同じくらいドクドク早く鳴ってるのが嬉しかった。
    今日のことは二人の秘密にしたいって言われたから、いいよって答えた。



    花沢が帰って、俺も家に入ったら妹とかーちゃんがキッチンで何かやってた。
    「何やってんの?」
    「チョコ作ってんの、明日バレンタインデーだから」
    「へー、食べていい?!」
    さらに並んだ丸っこい固まりに手を伸ばしたら妹が押してきた。
    「ダメ!」
    「ケチ!」
    「佐一、やめなさい」
    かーちゃんまで少し怒ってる。
    「なんでだよ、どうせ俺にもくれるのに」
    「好きだから特別にしたいの。気持ち分かるでしょ」
    ……真っ黒な目が浮かんだ。
    「俺も作っていい?」
    「えー!誰かに告白すんの?」
    もうしたし。
    「自分で食べる用にだよ!」
    妹はそれで騙された。
    かーちゃんにはちゃんと友達にあげたいって話した。すっごいニヤニヤされたけど、相手は聞かずにこっそり箱と袋とカードを分けてくれた。
    妹が書いてるの覗いたら『◯◯ちゃん、優しくて大好き』とか『ずっと友達でいてね』とか書いてた。俺もなんか書いた方がいいのかと思ったけど、結局思い浮かばなくて『いつでも秘密基地に来ていいよ』って書いた。
    作ったチョコレートはハンカチで包んでランドセルの底に入れた。明日の帰り道に渡すんだ。
    また泣きそうな顔してたらチューしてやってもいい。

    でも花沢は来なかった。
    かわりに白石が少しげっそりした顔で来ただけ。先生になんでって聞いたら「お家の事情」だって。親のあんな話聞いた後だったから心配だった。
    とーちゃんとかーちゃんが喧嘩したのかもしれない。前、うちで二人が口を利かなかった時に俺も熱を出した。

    学校帰りに花沢の家に行った。すごいデカくて立派な家だ。かーちゃんが「花沢さんは昔からお金持ち」って言ってた通り、古い平べったい家で、道から中が見えないよう垣根でぐるっと囲われてる。
    ピンポンを押したらおばあちゃんぽい人が出た。
    「はい、花沢でございます」
    「あのっはな、あっ、百之助くんいますか?」
    「……どちら様でしょうか?」
    「クラスメイトの杉元です」
    「お待ち下さい」
    こえー。
    昨日とは別のドキドキが止まらない。屋根のついたデッカい門の前で立ってたら、隙間が開いて花沢が顔を半分だけ出した。目が真っ赤に腫れてる。沢山泣いた時の顔だ。
    「大丈夫?」
    「…何しに来た」
    「休んだから…」
    花沢は門から出てきて、自分の坊主頭をゴシゴシした。
    「家には上げられない」
    「あっ、いいよ、気にすんな」
    ランドセルの中からチョコレートを引っ張り出して、ハンカチごと押し付けた。
    「これあげる」
    「なんだよ」
    「後で!一人で開けて見て!」
    花沢は疲れてるみたいで、ぼやっとした顔で分かったと受け取った。
    「明日学校来る?」
    「…………もう帰れ」
    花沢は昨日の昼休みみたいにぎゅっとしかめっ面をして、門の中に入っていった。

    そのまま二度と学校に来なかった。

    朝のホームルームで先生が「急な引っ越しをした」と説明した。
    勇作のクラスに行って聞いたら、誰も知らなくて「あいつ風邪じゃないの?」と言ってた。
    家に帰ってかーちゃんに聞いたら、すごく悲しそうな顔で俺を見て「離婚したみたい」と教えてくれた。俺が学校行ってる間に引っ越し屋さんが来て、荷物を運び出してたって。
    「どこに行ったの?!」
    「……お母さんは茨城の方だって聞いたことあるから、多分、お母さんの家の方に帰ったんだと思う」
    「茨城のどこ?」
    「……聞いたことないの。ごめんね」
    もう会えないの?
    そう思ったら涙が止まらなくて、かーちゃんにチョコをあげたこととか、秘密基地に入れたことを話して沢山泣いた。
    花沢が秘密だよって教えてくれたことは、近所の大人の間じゃ有名みたいだった。とーちゃんもかーちゃんも元気出せって言ってくれたけど……
    『勇作がいるし』
    あいつが一人ぼっちかもしれないと思うだけで涙が出てくる。
    毎日勇作のクラスに行ってたけど、一週間後くらいに「私立に転校したんだって」と聞いた。
    花沢の家のピンポンを押してもおばあちゃんみたいな人が「何も教えられません」と冷たく言って、何も教えてくれない。



    花沢が転校して一ヶ月経った。ホワイトデーでクラス中がフワフワしてる。チョコをあげた子はお返しを貰って嬉しそうだし、一緒に遊びに行く約束がいっぱい聞こえる。みんなが楽しそうにしてるのあんまり見たくなくて机の上に伏せた。

    花沢は俺のチョコ食べたかな。転校しなかったら今日何をくれたかな。
    あんな風に仲良くしてることより、口喧嘩してることの方が多かったな……カッコいいとか好きとか友達だとか、優しいこともっとたくさん言えば良かった。

    「杉元ぉ、チョコ貰えなかったからって泣くなよ!」
    「泣いてねーよ」
    白石の言う通り、本当は少し泣いてた。
    せめて俺のことを友達だと思ってくれてたのか、聞きたかった。


    二、
    「素晴らしい復帰戦だったよ。瀕死だったなんて思えない」
    シャンパンを掲げられて、『ジャパニーズ』らしく頭を下げた。
    「……ありがとうございます」
    「どうだい、これから娘たちと一緒に」
    「すみません、他にもご挨拶しないと行けないお客様が」
    「そうか。では、次も期待しているよ、スギモト」
    「ごゆっくりお楽しみ下さい」
    慣れない英語と愛想笑いでスポンサーの後ろで微笑む女の子達にもしっかり礼をして、潮風に向かって歩き出す。金色に輝くシドニーオペラハウスを横目に、蝶ネクタイを解きながらパーティ会場の出口へ向かった。もう限界だ。
    「杉元っ」
    ……見つかった。相棒のキロランケが笑顔のまま額に血管を浮かばせて駆け寄り、俺の肩をバンバン叩き壁際へ追いやる。
    「ちゃんとやるって約束したよな?自分がどういう立場かも説明したはずだ」
    WRC、世界ラリー選手権が終わった。二十四歳、若手のラリー選手は珍しいから元々ちやほやされてた。それだけでもお腹いっぱいだったのに、三年前、アルゼンチンでの大会中に崖から落ちた。乗ってた車はぺしゃんこ。全身血まみれの俺が這いずり出て、気絶したキロランケを引きずり出す映像が世界中を巡った。
    一時は引退だなんだ騒がれたが辛いリハビリを乗り越え、先週三年ぶりの復帰戦で五位に入った。おかげで連日パーティだ。マスコミが大勢来たエンドパーティの他、スポンサーやその候補相手の接待パーティ、タイヤメーカーだの、どっかの有名人の謎チャリティーなんて意味分かんないものまで。まじで毎日パーティーパーティパーティ……今夜はチームのメインスポンサー主催でなんと俺の誕生日だ。まだ一ヶ月以上先だぜ?自分の生まれた日まで嫌いなパーティで働かなきゃいけない。
    来年は日本で大会があるからスポンサーに名乗り出る日本企業が多くて余計に面倒だ。帰ったら日本のバラエティへ出ろとまで言われてる。俺は車に乗りたいからラリーをやってるのに。
    ……モータースポーツは金が命だ。金をかければかけるほど有利になる。この大騒ぎが所属チームを底上げするまたとないチャンスでが俺にかかってることは耳にタコが出来るほど聞いてる。
    「はあ、離せよ。ちょっと一人になりたかっただけだ」
    ドリンクを持って回遊するウェイターが近づいてきて、キロランケが慣れた手付きでグラスを二つ取った。
    「一人にしたのは悪かった。もう離れねえから。な?」
    グラスを寄越されて、手の中で転がす。
    「……どいつもこいつも事故の話ばっかりだ」
    「そりゃそうだろ」
    「名誉の勲章だなんだ、人の気も知らないで」
    「……お前の気持ちが分かるヤツが他にいるわけ無いだろ。あんな大事故、生き残ってるだけ奇跡なんだぜ」
    キロランケが掲げたグラスに自分の顔が映り込んだ。顔面を横断する大きな傷。三年前、奇跡的に生き残ったけど全身傷まみれになった。メディアに載る度『イケメン』って書かれてたのが『不死身』になってしまった。
    「見ろよ、全員お前に会いに来てるんだぜ。事故だけじゃない、お前のドライビングがこれだけのファンを作ってる」
    肩を叩いた相棒が手を広げ会場内を指す。何人かと目が合ってしまったので儀式的にグラスを掲げて微笑んだ。
    「少しは楽しめよ、相棒」
    ラリーは二人一組で車に乗って、指定された地点へ到着する速さを競い合うモータースポーツだ。ラリーなんて言われても日本人はあまりピンとこない。パリダカっていうと「ああ!」って納得する人はいるけど。
    俺のキャリアは父ちゃんが進学祝いにサーキットに連れてってくれたのが始まりだった。運転の才能がある、とオーナーに勧められて始めた。花沢が……初恋が酷い終わり方をしてずっと凹んでいた俺のためにみんな応援してくれて……19歳でラリードライバーになって気がつけばこんなパーティまで開かれてる。
    「恋の相手でも探してみろ」
    「……俺は泥水が恋しいよ」
    デビュー戦から五年、リハビリ期間中も支えてくれた相棒には悪いけど恋なんてする気おきない。シャンパンを一気に呷る。
    「あっ!」
    キロランケが背中を押して日本人の前に俺を突き出した。
    「新しくスポンサーを希望してくれてる土方さんだ」
    「初めまして。杉元です。ありがとうございます」
    「やあ、とても良いドライビングだった」
    土方は不動産をやってると名乗った。白い長髪とひげが特徴的な紳士は和装で、見た目はまるでヤクザだ。後ろに黒服の男を二人連れてる。一人はやたらゴツくてデカいおっさん。もう一人は…………真っ黒な目だった。ツーブロックで、顎に傷が入ってて、営業スマイルを浮かべている。知っている顔だった。
    ……花沢?
    「明日、土方さんのホテルでプレゼンをすることになったから……おい、杉元?」
    「あっああ、よろしく、おねがいします」
    じいさんと握手している間も、にこやかに笑う男から目が離せなかった。

    翌日、黒づくめの二人組がリムジンでホテルの前に現れた。
    「牛山です。こちらは尾形」
    デカい方は親切そうなおっちゃんだ。
    「尾形です」
    「わざわざすみません」
    「いえいえ、招いたのはこちらなので」
    昨日よりはラフなノーネクタイのスーツで、書類ケースを抱えたキロランケと一緒に車へ乗り込んだ。金策は専門スタッフがいるけど、ファンは直接やりとりした方が出資率が高いとかなんとか。
    金の話をするのはキロランケだから俺はついていって頭を下げるだけなんだけど。
    牛山は運転手役だった。尾形は何役か知らないけど、ボックスシートの向かいに座った。
    子供の頃から変わったようで変わらない顔をじっと見つめた。ひげなんか伸ばしてら。
    ……名字が違うのは離婚したから?本当にあの花沢かと疑ってしまいそうなくらいにこやかだ。いつもニヤっと笑って意地悪を言っていたのに。
    「何か?」
    「あの……尾形さん、下のお名前は?」
    「百之助です」
    やっぱり花沢だ!
    「俺っ、あのっ、」
    「おいおい杉元、大事なスポンサーをいきなりナンパするな」
    「ウッ」
    笑顔のキロランケにマジの肘鉄を入れられ、息が止まった。
    「すみません、こいつ普段車一筋だからマナーも知らなくて」
    「ハハハ、光栄です」
    花沢……尾形は目の前で笑っている。俺だって気付いていないのかな?名前変わったりしてないのに。…………最後に会ったのはもう十年以上前だ。一緒に帰ることもなかったし、すごく仲良しってわけでもない。そんなクラスメイト、忘れてしまってもおかしくない。俺はもうあの頃みたいに髪の毛サラサラでもないし、全身傷だらけのごっつい男だ。
    思い出されても気まずい雰囲気になるだけかも。
    狭い車内でちょっと泣きそうで、ひたすらエフンエフン咳払いをしてごまかした。

    土方はわざわざロータリーまで出迎えに来た。リムジンは俺たちが降りてすぐに尾形ごと去ってしまった。
    「今日は爺のわがままを聞いてくれてありがとう」
    「いえ、お話できる時間をいただけて嬉しいです」
    白いひげを風になびかせ、土方は握手した手を握り込んでニヤッと笑った。
    「実は杉元くんにプレゼントがある。今日呼び立てたのはこのためだ」
    「えっ?」
    背後からターボエンジンの重底音がした。リムジンが寄せられる筈だったホテルの真ん前に赤いスポーツカーが止まる。
    ……初代インプレッサ。俺の秘密基地。三十年前の車なのに新車みたいにピッカピカにレストアされている。
    「えっこれがプレゼント?!」
    プレゼント慣れしてるキロランケがビビってる。そりゃそうだ。これじゃスポンサーというより、パトロンだ。まさか愛人になれなんて言われるんじゃないかと思って、爺さんの顔色を伺った。イヤらしい顔ではなく、単純にドッキリが成功してはしゃいでるみたいだ。
    「気に入ってくれたかな?」
    「も、もちろん!すごく嬉しいです!」
    父ちゃんがくれた秘密基地は結局エンジンがイカれててちょっと修理したくらいじゃ走れなかった。金をかけてレストアすることも考えたけど、俺は綺麗に掃除して自宅に飾る方を選んだ。……初恋の想い出だから。
    このことはインタビューで話したし、飾ってる家のガレージの写真も雑誌に載ったことがある。さすがにチューしたなんて話はしてないけど。
    車を運んできたボーイが俺に鍵を手渡した。懐かしいウェーブキーには星を散りばめたエンブレムが光っている。
    「代わりと言ってはなんだが、一日孫の相手をしてくれないだろうか」
    「孫?」
    「孫は君のファンでね。もうすぐ来るはずだ。キロランケ君は私とランチへ行こう。では杉元くん、よろしく」
    「えっ、えっ?!」
    「あーそういうことなら」
    勝手に納得したキロランケがウィンクしながら小声で「しっかりやれよ」と囁き、俺を置いて爺さんとホテルへ入ってしまった。
    昨日もこういうのあったな……なんでみんな自分の孫とか娘と俺をくっつけたがるんだろう。
    「まあいいか」
    車もらっちゃったしな。一日付き合うくらい全然いい。運転席に乗り込み、再びキーを差してボーイが切ったエンジンを回した。

    ウォオ・オ・オン

    夢に見たエンジン音。ハンドルとギアを撫でた。メーター類も家にあるのとそっくり同じ。バックミラーを合わせようとぐりぐり動かしていたら、後部シートに積まれた漫画が映った。……秘密基地にあったのと同じだ。
    「……なんで」
    こんなの誰にも言ってない。親だって知らない。
    身を乗り出して、後ろに手を伸ばして取ろうとしたらガチャ、と助手席が開いた。
    花沢……尾形だった。
    さっきまできっちり締めていたネクタイを外して首元を寛げている。
    「失礼します」
    そう言って勝手に乗り込んでシートベルトを締めた。
    「あっあの、土方さんのお孫さんが来るって、」
    「…………俺は招待状をもらってるんだが?」
    俺の初恋はぼろぼろのメッセージカードを突き出し、ニヤッと意地悪な顔で笑った。

    『いつでも秘密基地に来ていいよ』

    鉛筆で書いた下手くそな文字は何度も擦られたみたいに薄れている。
    ぼろぼろ零れる涙を袖で拭い、急いで車を出した。
    「こんなドッキリで泣くなよ、俺だって分かってただろ」
    尾形はそう言って信号で止まるたびまた泣いちゃう俺の顔をハンカチで拭った。伝えたいことが沢山あるはずだったのに全然言葉にならない。

    ショッピングモールも公園も全部通り過ぎて、三十分走り続けた。小さな岬へたどり着き、寂れた駐車場に車を停めた。短い芝生の向こうは白い磯と海が広がっている。
    「どうしよ、土方さんの孫、置いてきちゃった」
    俺がハンドルに額をぶつけると、尾形が笑った。
    「俺がその孫だ。鈍いな杉元」
    「え、だって名字が!」
    「土方はばあさんの兄貴。大叔父だ。まあ、孫みたいなもんだな」
    「なんだよぉ~……もうよく分かんねえよ。お前は知らんぷりするし」
    「ははは、あの顔」
    ホッとしたとか、嬉しいとか、そういうので後から後から涙が溢れる。もうスーツの袖がびしゃびしゃだ。
    「もう二度と会えないと思ってた。お前も引っ越したんだな」
    「……引っ越したけど、隣の区だよ」
    「……活躍も全然知らなかった。お前は十六でもうサーキットの有名人だったのに。事故で名前を聞いた時は……悪い冗談だと思った」
    尾形が指で俺の顔の傷を撫でた。細めた目に西日が当たって黒い瞳が輝く。
    「……俺、」
    何か言う前に頬を撫でられ、額がぶつかった。
    「杉元」
    間近で名前が呼ばれて全身がビリビリした。雲が太陽を覆って日が翳り、車内はあの時みたいに薄暗い。
    「あの時、返事をしてなかった」
    「……うん」
    全身がザワザワする。尾形の手を上から握り込んだ。もう一方の手で強く抱き寄せられて、唇の間で低い声が囁いた。
    「俺も好きだ」
    「……どんくらい?」
    尾形は答えず、がぶりと口を付けて俺の震える息を攫った。髪の間を柔らかい指が撫で漉くから、俺も後ろ頭を撫でた。あの時みたいにチクチクして、それがまた涙を誘った。

    二人きりで向かい合った尾形は意地悪を言わない。声も、言葉も、指も、掌も、全部優しい。
    …………いや、まあ、道端で見つけたモーテルに駆け込んだ後はちょっと意地悪されたけど全然イヤじゃないっていうか?余計に燃えるっていうか?意地悪された後の優しさがくせになるっていうか??



    翌日、尾形と手繋いでホテルに戻ったらキロランケが部屋で仁王立ちしてた 
    「で?無断外泊した理由はそいつか」
    「……う、うん」
    「どうも」
    尾形はわざと俺を抱き寄せた。
    相棒はびったりくっついた俺たちを見てハァーと溜め息を付き、ちょっと笑いながら「連絡くらいしろ」と言って部屋を出ていった。
    尾形は俺をしっかり捕まえたまま部屋を見回し、デカイベッドを睨んだ。
    「お前ら一緒に寝起きしてんのか?」
    「はぁ?別に決まってんだろ。アイツ奥さんも子供もいるし」
    キョトンとしていた尾形が一瞬で真顔になった。
    「……ああ、結婚しちまおう。指輪買いに行くぞ」
    「えっ?!」
    突然すぎるプロポーズに固まったら、「その前にホワイトデーだった」と意地悪そうな顔でキスをされた。
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