Lupinus 会場から出ると、夜だった。
一歩、踏み出した村雨は、ふと、空を見上げる。視線の先、紺碧の夜空に、丸い月。
明るく、いっそ、眩い。星の光さえかき消すように、白く黄色い灯が真っ直ぐに届く。
満月か……と、だけ呟いて。視線を下ろし、家路を歩く。
今日のゲームも、好調だった。
こちらの診断は外れることなく的中した。当然の結果、ではある。
対戦相手は手酷いペナルティを受けていたようだが、村雨の預かり知るところではなかった。
今日も、無事に、生還した。
大切なことはそれだけで……と、考えて。何をらしくない、と苦笑する。
ああ。少し、疲れているかもしれない。
ふと。前方を向いていた視線が脇に逸れる。何か、に誘われた。のかもしれない。
視線の先にらあるのは、公園の入り口。
誘われる、そのままに。足を踏み入れる。真っ先に視界に入るのは、水を迸らせる噴水。
それと、周辺の、花壇。
街灯のみの薄暗いそこでも、はっきりと分かる、鮮やかな色。
曻り藤。
花の名前よりも先に、脳内に浮かぶのはそんな別名。
紫。桃。黄色。
天を突くように、伸びる、色。
「……」
ふぅ、と。村雨は息を吐いた。手を鞄に突っ込み、スマートフォンを取り出す。
何気なく見上げた空では、月が変わらず眩しかった。
綺麗な金色、だ、と。今更のように思う。
指先で端末を操作し、着信履歴の一番上を呼び出す。……そんなことをしなくても、一一桁はとっくに頭に入ってしまっているけれど。
『おう。どーした?』
数コールの着信音の後。割合すぐに、相手は出た。何やら物音の向こうから、見慣れた男の声が聞こえる。
「あなた……何をしている?」
『あ?何、て……』
唐突にな問いかけに一瞬面食らった様子が伝わるも。『肉焼いてる』という答えは、それほど間を置かずに返ってきた。
「………そうか」
『オレの恋人が、もうすぐ勝負をを終えて帰ってくる頃だからなー』
「……そうか」
頷いて。止めていた足を一歩一歩動かしてながら、「その恋人は……」と続ける。
「肉には、うるさいのか」
『拘りはあるみてぇだなー。テンダーロインのステーキが良い、とかよ』
「ほう?」
『でも、出されたモノはキレーに食べてくれるぜ」
「……そうか」
『食べ方が、キレーなんだよな。だからオレも、色々作りたくなるし、食べて欲しいって、思うよ』
「………幸せだな」
『あ?』
「あなたの、恋人は」
『あ?あー………そう、か………?』
戸惑ったような声の後。自然と、二人の間に横たわる沈黙。
噴水に背を向けた村雨の足は、また、家に向かう道を歩き始める。
人の少ない、夜の道。規則正しい足音と、端末の向こうの微かな息遣いだけが、耳に届く。
月が、綺麗だ。
『村雨』
「………なんだ?」
『早く、帰ってこいよ』
その、声は。
ただただこちらを気遣うような……なのに隠しきれないやきもきを滲ませる、その声は。
ああ。たぶん、私はこれが聴きたかった。
「………獅子神」
『なんだよ?』
「肉は無事か?」
『無事だよ!誰かさんの好みの焼き加減を外すようなことはしねーよ』
「さすがだな」
囁いて。小さく、口端を持ち上げる。
肉と恋人の待つ家までは、あと少し。
『付け合わせは茹でたブロッコリー。豆腐のサラダ。スープは冷えたビシソワーズ。冷蔵庫には苺もあるよ』
「………ああ」
それは、良いな。
声に出さずに、呟いて。
目を瞬けば、先ほど夜の公園で見た花の、鮮やかな色彩が煌めきそうで。
無意識に。足を動かす、速度が上がる。
『甘いイチゴだから、練乳は要らねーだろ。余るようならまた考えるけどな』
「あなたは……何パック購入したのだ」
『い、いや?オメー……オレの恋人なら、食える量だよ』
恋人の……私の胃袋を何だと思っているのか。
呆れている間に、自宅が見える。今は二人で暮らす、見慣れた屋根の家。
鍵は、持っている。だが敢えてそれを取り出さずに……インターホンを押す。ほぼ同時に端末の向こうから響く、同じ音。更に『て、帰ったのかよ!?』など、慌ただしい声が響く。
しばらく後。
音を立てて開く、家の扉。開けた主が、顔を出す。
紺色の夜空の下。室内の灯りに、金髪が透ける。
月のようだ、と。思った。
「……おかえり」
「ただいま」
端末の、中と、外。
同時に聴こえる声に、答え。スマホを耳に当てる恋人に、小さく笑う。
「月、キレーだな」
「……そうだな」
頷いて、端末の終話ボタンを押す。
ちら、と月を振り返ってから、家の中へと入る。『切るのかよ』と笑う恋人の、碧い目を見つめる。
きっと、この為に、自分は帰ってくるのだと。
また柄にもなく、そんなことを考えていた。
***
ルピナス[Lupinus]
花言葉は「あなたは私の安らぎ」