歓迎会「姜維、俺達と一緒に帰ろうぜ」
鞄に教科書を詰めた頃、突如前の席から笑顔で衝撃の言葉を告げられた。鳳凰学院から大徳工業へ編入し一ヶ月、未知の経験に戸惑うしかない。
「……あの、申し訳ありません……生徒会長に所要がありますので」
遠回しに、なるべく穏便に断ろう。この学校では、周りと一定の距離を置くと決めていた。
同じ誤ちは、繰り返さない様に。
「……それなら、終わるまで待っていれば良い」
斜め前の席から静かに、信じ難い返答が聞こえた。肩先まで伸びた亜麻色の髪が陽に煌めくと、逆立てた栗毛を揺らし更に笑顔が近づいてしまう。
「そうそう、だから全然気にすんなよ……ここで待ってるからな」
「え、あの……はい……では、一度失礼します」
「おう、ゆっくりで良いからな」
無下に反論するのも気が引け、一礼し去ることにした。解らない、私に対して何の目的があるのだろう。生徒会長に用事があるのは事実だ、部活停止日で生徒会活動も無いとはいえ学ばせて頂きたいことは沢山ある。私がそもそも此処に編入したのは、学校紹介で見事な演説を振るう諸葛亮生徒会長の動画を拝見させて頂いたからだ。その姿は叡智に溢れ、古より政治を動かしてきた丞相の如き。敬愛する会長であれば、この胸を騒がせる靄も晴れるかもしれない。
「そうですか……それは、良い兆しですね……」
まさか話した途端会長さえ、柔らかな表情でそう仰られるなんて。しかも早々に帰らされてしまった。足取りは重く、溜息が漏れてしまう。吉兆なんて、待っている筈が無い。
「一体、どうすれば……」
私など、人に好かれたことが無いのに。恐る恐る教室を覗いた瞬間、硬直した。何故か楽しそうに会話しながら、言葉通りに二人が席で待っている。
「……おー、お帰り!」
「お待たせ致しました……あの……本当に、私と帰るのですか?」
「?……それで、待っていたけれど……間違ってはいない筈だろう、張苞」
「おう、ほら……行こうぜ姜維!」
何故か肩を叩かれ、二人で意気揚々と歩き出すのに付いて行くしかない。確かにこのクラスに編入以降、率先して面倒を見てくれたのは張苞殿だ。彼の幼馴染と聞く関興殿も、独特の空気に戸惑うことはあるが色々と話しかけてはくれる。
「姜維、まだ時間あるか?寄りたいところあるんだけど」
「え?あ……はい……」
数十分とはいえ、私を待っていたのだ。ただ帰るだけでは当然無いと推測出来る。果たしてその目的が何なのか、見極める必要はあるだろう。軽く談笑しながら駅前まで進める脚が、不意に止まった。
「よーし、やっぱり此処だな」
「うん、落ち着く」
二人で当然の如く見上げた先を眺めれば、ビルの二階に掲げられたファミレスの看板が飛び込む。意気揚々と階段を昇るのを辿れば、いつの間にかテーブル席のソファーに一人座らされてしまった。向かいへ腰掛けた二人に早速メニューを広げられ、戸惑いながらも渡されたメニューを捲ってみる。
「姜維、何でも好きなの頼めよ……今日は俺達の奢りだから」
「えっ、な……何故です?!それは申し訳無」
「良いよ、取り敢えずドリンクバー三つは確定として」
「おう、何にしよっかなー」
何故言葉を遮る程楽しそうに、事態が進んでいくのだろう。接待まで発生するとは、私への見返りに一体何をさせようとしているのか。
「……じゃ、姜維も座ってろよ……飲み物何がいい?」
「あ、では……烏龍茶で……」
注文を終え早速ドリンクバーへ向かう張苞殿の背を眺めるしか無く、共に残された関興殿に目線を移しても涼し気な瞳に迎えられ。
「……良かった……今日、授業中も楽しみにしていた」
「え、そ、そう……ですか……」
何とか返事をしながらも、言葉に驚愕する。この時間を、ということなのだろうか。まさか、私と過ごすということを。いや、その様な筈は。本当に、どういうことなんだ。
「ここ、違う気がする……」
「あ、はい……此方も……ですね」
聞きたくとも、メニューに描かれた間違い探しに没頭されてしまう。油断は禁物だ、益々警戒を強めなければ。
「ほら、持ってきたぞ」
「ありがとうございます……お手数をお掛けしました」
「あ……メロンソーダ、飲みたいの解ったんだ」
「そればっかり飲んでるだろ」
聞かなくとも解る程の信頼関係を見せつけられ、胸が騒めく。何故私の様な者が、共に連れて来られなければならないんだ。その様な資格など、無い筈のに。
張り裂けそうに燻る感情を我慢出来ず、とうとう口を挟んでしまった。
「お二人共、何故私に執着なさるのですか……私に用事があるのなら、校内だけで完結する筈です……呼び出してまで……何が、目的なのですか……?」
二人は驚いた様に顔を見合わせ、張苞殿が頭を掻きながら口元を緩め呟く。
「そうだ、ちゃんと言わなくて悪かったな……そもそも関興だぞ、伝えておけよって言ったのに」
「つい、驚かせようかと……」
あまりに緊張感の無い返答で此方が呆気に取られていると、二人が徐にグラスを持って微笑んでくるので此方も握るしかない。
見守る張苞殿が息を吸った、瞬間。
「では!姜維が大徳工業の仲間になったのを祝して」
「「かんぱーい!」」
勢い良く目前に傾けられかち鳴るグラスを前に、声が出ないまま烏龍茶が揺れるのを見届けた。思考が、追いつかない。
「か、かんぱい……」
何とか言葉を捻り出すと、二人は満足そうにグラスへ口を付ける。
「いやー、俺達も部活の試合とか色々あって出来てなかったもんな……姜維の歓迎会」
「落ち着いたらずっとこうしたいと、思っていた」
状況を整理したが、まさか本当に私の為なのか。私利私欲に利用する為でも、貶める為でも無く。私自身を。この様なことは、初めてだ。鼓動が弾み、胸を抑える。
「……何故……私を、受け入れて下さるのですか……転校間もない、見ず知らずの人間なのに……」
心からの疑問だったが、一瞬首を捻りすぐ笑われてしまう。
「何言ってんだ、姜維……俺達、同級生だろ」
「え……ですが、それだけでは……」
「それで充分、私達の仲間だ……他に、何か必要だろうか」
当然の如く二人に言い切られ、耳を疑う。それでも真っ直ぐな言葉が全身に染み込み、温もりを覚えてしまう。
「私が……仲間で、宜しいのですか……」
「そんなの、当たり前だろ!」
「その通り」
嘘偽り無く即答され、心音が高鳴る。これは、あの痛みじゃない。
認められたくて、努力を怠りたくなかった。最初は病気がちでも一人懸命に育ててくれる母を安心させる為。何時しか大人からは『麒麟児』と呼ばれ、その後は名門校の同級生へと広がっていく。幾ら勉学に励んでも、己の心身を鍛えても何故か周りに疎まれた。生意気だと蔑まれ、裕福な家庭の者程私を毛嫌いする。跳ね除けたくて、解って貰いたくて。心臓が激しく鳴り、痛みは増す。大徳工業の学校紹介を偶然目にしたのは、高等部に進学した直後。此処に行きたい、私を認めて貰える場所があるかもしれない。時期的に不自然でも、編入を決めた。
「姜維、どうした……?」
「?」
申し訳ありません、お二人共。それでも、止められないのです。過去の痛みと未知の感情が溢れ、瞳から零れてしまう。何もかも、初めてで。どうしてこれ程温かくて、心地好いのだろうか。全ては解らないけれど、これだけは伝えたい。
「……ありがとう、ございます……この姜伯約を……何卒、宜しくお願い致します……」
「あはは、畏まり過ぎだって」
「此方こそ……」
感謝しても、今は全うできそうに無い。今後誠心誠意の努力を以て、お二人の為に尽くしていこうと誓う。私を認めてくれるのは、決して会長だけでは無いと気づかせてくれた。
「……よし、じゃあ先ず……敬語は無しな」
「そうしよう、同級生で……友達だから」
「ともだち……」
私には縁遠い響きの言葉が、鼓動を高鳴らせてくれる。喉元に引っ掛かる言葉を振り絞り、重い口元を動かす。
「はい……あ、いや……改めて、宜しく頼む……張苞、関興」
家族以外に敬語を使わないなど、馴れていけるだろうか。呼び捨てにしてしまったのに、何故だろう。口にするのが、これ程に嬉しいとは。
「おう!これからも宜しくな、姜維……早速テスト勉強手伝ってくれ!」
「宜しく、姜維……今度、キャッチボール付き合って欲しい」
何時も教室から遠目で眺めるしか無かった、ありふれた光景。享受出来る日が、来るなんて。私の名さえ耳に届くのを、心待ちにしてしまいそうだ。立ち籠めた暗雲から不意に覗く、眩い日差しを浴びた様に。もっと二人を知りたい、沢山話をしたくなる。これからは取り繕うこと無い自身で、周りの皆と向き合いたい。
「姜維、ドリア好きなんだな」
「あ……母と外食が出来た時……これが楽しみで……」
「そうか、美味いよね……ところで張苞、殻外して」
「全く……何でボンゴレ頼むんだよ、仕方無いな……」
言う割にはオムライスに伸ばした手を止め、嬉しそうに殻を避けてやる姿を見ていると口元が緩んでしまう。会長は、此処まで見通して下さっていたのだろうか。私もこれから、信頼を得てみたい。そして誰かを、信じてみたくなる。
「そういや姜維、部活は入らないのか?お前、何でも出来るんだから勿体無いぞ」
「私達は野球部だけど、他にも沢山ある……興味あるなら、見学してみると良い」
「部活……」
そういえば会長も、月英先輩の発明研究部と掛け持っていらした筈。新入生では無いため、勧誘の時期は逃してしまった。以前から、少し気になっていることはある。部活棟近くを通る度、レース場を颯爽と駆け抜けるバイクの轟音。確か部長は、趙雲先輩でいらしたかと。あともう一人、先輩がいらっしゃる様な。挑戦するのも、良いかもしれない。何より、『仲間』になってみたい。
「……今一度、考えてみます……あ、考えてみる」
つい気恥ずかしく頬が熱くなると、二人から更に嬉しそうな笑みが返ってくる。ミートソースが甘く香るドリアは一口で食欲が増し、母と初めて食べた幼い頃以来の記憶に残る味だった。
新たな学校で始まった日常は、心が踊る程鮮やかで。これが『友達』なら、大切に守りたい。
今後また機会に恵まれる様、精進を重ねていこう。